どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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「思いのほか」ウケる。 「狙った通り」ウケる。

さて、先日。

美容院に行った時、オプションで、「ヘッドスパマッサージ」という頭皮クレンジング&血行促進(ツボ押し)&長めの肩もみ、をしてもらいました。
頭と肩と首がもう「懲りまくり」なので、これを溜めて「頭痛・吐き気などの全身症状」になってまう前に、なんか出来ることをしないと、と。

余談だが、
最近わりとどこの美容院でも+1000円ぐらいでクイックスパ(マッサージ)をやってくれるので、受けたことない人は一回やってもらうといいですよ。
特に、全身マッサージに行く時間と財布に余裕のない人には、「髪を切る(金かかる)ついでの+15分(時間かかる)」の、あのマッサージはオススメです。
頭の血流は首~肩の血流にも関係してるので肩懲りも若干マシになるし、パソコンワークや肩で重い物を担ぐ体力仕事をしている人は是非。
あと、頭(こめかみからおでこ周り)には眼に関係する神経が多く通っているので、そこの血行を良くすると視界のクリア度が変わります。

要は、さまざまな「ヒトの細胞・組織・免疫」には、主に「血流」と、あと、「リンパの流れ」が、かなり関係してるんですね。
これは私が自分自身で勉強したことなので、「なんかそんな話を聞いた気がするよ~」ではないです。
自分自身がそれを学んだ、その責任を持って、今、「こう」言っています。
と、それも踏まえて、私は今「中から(根本的改善)」の分野にいますが、「外から(速やかにこれだけ改善)」の分野も必要やと思っている。
「今しんどい、つらいこのこと」が、「とにかく今しんどくなく、つらくなくなったらいい。そしたらまた頑張れる!」
我慢強い日本人には、「外から(速やかにこれだけ改善)」の分野=マッサージは、もう絶対必要。
その「今だけ」の分野(マッサージ)がなくなったら、ほんまに限界まで我慢していよいよ「体そのもの」を壊してしまうと思うので。

…って、このジャンルのことを書き出すと、かなり深く長くなるので、それはまた書くとして。


話戻って、美容院。


その「ヘッドスパマッサージ」をしてくれるのは、私の髪を今切ってくれているその人ではなく、「アシスタントの兄ちゃん」だそうで、
交代の時、そのカット姉ちゃんが「彼は自称ゴッドハンドなので期待してくださいw」と言って、今からヘッドスパをする兄ちゃんを紹介してくれ、
「一回冗談で言っただけなのに、いつもああしてプレッシャーかけてくるんですよ~w」とか言いながら彼が入ってきたので、私は、
「なるほど。このやりとりが(交代の時の二人の)定番(コント)なんやな」と、思った。(←こうしたことがわかる自分がたまに嫌にもなる)

だが、その兄ちゃんの「ヘッドスパマッサージ」は、もうほんっまに上手でした。

私は女の人のマッサージでは効かないことが多く(力が足りない)、男の人の力でもうおもくそ圧力かけてもらわないと届かないんだが
たまにハズレの男の人に当たると「力加減はいいんやけどツボが微妙に外れていてさらに力が強い分だけ変にめっちゃ痛い」ことになるので
期待半分の警戒半分で臨んだんだが、彼は若いくせに(若さとか無関係)、マッサージ・指圧がめっちゃ上手だった。

兄ちゃん「…はい、終わりました。…いかがでしたか?」
私「ありがとうございますー。もうめっちゃすっきりしましたわ~」
兄ちゃん「それはよかったです」
私「ゴッドハンドっていうか、 北斗の拳 かと思いましたわ」

すると兄ちゃんはまあまあのイケメン顔をクシャクシャにしながら急に異常なほどの大爆笑をしだして、しまいには泣いてむせていた。
まあこっちも笑わすつもり(ツボと秘孔をかけてみた)で言うたんだが、そこまで思いのほかウケてもらうと逆に、言うたこっちがビックリした。

え、今のそこまでおもろかった…?

ちなみにその兄ちゃんは「北斗の拳」が昔(子どもの頃)大好きでハマっていたそうで、
私の頃はオンタイムだったが兄ちゃんは漫画や再放送で見てたらしく、「北斗の拳ごっこ、僕もやりましたw」とか言っていた。

私「あのいちいち死に方には度肝を抜かれましたよね~。子ども心にもう全ての常識を覆されたような衝撃でしたわ」
兄ちゃん「あべし!」
私「ひでぶ!」
兄ちゃん「たわば!」

私 「 ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、ぽ ~~~~~!!!」

すると兄ちゃんだけでなく、店内の他のスタッフや他の客までもが全員一斉に大爆笑した。
これは「思いのほか」ウケたのではなく爆笑を取る気で仕掛けたネタなんで、「狙い通り」ウケてかなり嬉しかったです。


そしてその数日後。

近所のコンビニが某Aから某Fに変わるということでしばらく閉店していたんだが、それがついにリニューアルオープンしたんですよ。

私はタバコを買うためにそのコンビニ某Aをちょいちょい利用していたのでスタッフともまあまあ顔なじみで、
まして、「ここ数年の大禁煙ブームの最中、まだ性懲りもなくタバコを吸っている大馬鹿野郎」 が、もうよほど印象的なのか、
スタッフのほとんどが、私が来店すると私の吸っているタバコの銘柄をレジ台の横にそっと忍ばせて待っていてくれるぐらいでした。
だから、まあコンビニが某Aから某Fに変わってもそんなに変化はないけど、あのスタッフの兄ちゃんらはどうなるんやろ?ってのが気がかりで
リニューアルオープンした初日の晩に行ってちょっと覗いてみたら、スタッフはほぼ一緒だった。

兄ちゃん「いらっしゃいませー!…あっ。(何故か照れくさそうに)…いらっしゃいませw」
私「こんばんは。店変わってもスタッフさんは前と一緒なんですね」
兄ちゃん「そうですね、ほとんど一緒ですね」
私「なんかちょっとホッとしましたわ~。いつもの顔ぶれがね、こうして居てくれてはるから」
兄ちゃん「ありがとうございますw」
私「違うのは ジャンパーの色 だけですね」

すると兄ちゃんはオープニング初日できりっとしていなくてはいけないにも関わらず急に異常なほどの大爆笑をしだして、顔だけでなく耳まで真っ赤になった。
まあこっちも笑わすつもり(コンビニ会社変わってもそない大差ない)で言うたんだが、そこまで思いのほかウケてもらうと逆に、言うたこっちがビックリした。

え、今のそこまでおもろかった…?

ちなみに、奥の商品棚のところで手に持ったバインダーみたいなものにメモを取りながらウロウロしてる男性はその瞬間少し怪訝な顔をした。
ってか、正確にはそれをその瞬間目撃(直視)したわけではないが、視界の端のほうで「その人のそうした空気」見えた・感じたので、
彼はおそらくコンビニ某Fの本部から来てる人(=オープニング初日の店を巡回してチェックする上の人)だと思う。
兄ちゃん、あのネタに「思いのほか」ウケてくれたことで、なんか上の人に怒られたり時給が下がったりしたら逆にすまんw

って、ここで帰ったら、「ただのひやかし見物客」、「レジの兄ちゃんを爆笑させて顔から耳から真っ赤にさせただけの客」なので、
私は、「市場経済を回すのに重要ないち消費者かつ国の資金源となる税金しかもクソ高いタバコ税をあえて積極的に払う人」として、
まだあるんですけど、あえて、いつものタバコを一箱買った。

私「○番、ひとつください。…あ、もう○番じゃないんですよね」
兄ちゃん「そうですね、もう○番ではないですね。並びが変わってますからねw」
私「またいちから覚えんとあかんことがいろいろありそうですね」
兄ちゃん「ですねw」
私「(支払い終えて商品受け取って)ありがとう。頑張ってくださいね」
兄ちゃん「ありがとうございます。…あ、お客様!某Fカードはお持ちですか?入会費年会費無料ですぐにお作りできますよ!」

私 「まるで ファミリーマートの店員さんみたいなこと 言いますね!」

すると兄ちゃんだけでなく店内の他のスタッフや他の客までも、さっき怪訝な顔をしてた(多分)本部の人までも、全員一斉に大爆笑した。
これは「思いのほか」ウケたのではなく爆笑を取る気で仕掛けたネタなんで、「狙い通り」ウケてかなり嬉しかったです。



「狙ったネタがスベる」のは、もうほんまに怖いです。

でも、「そこまで狙ってないのに(思いのほか)ウケた」も、逆に自分の中では、「半分スベったような思い」があります。

私のネタにそうしてもう目の前で大爆笑してくれてはっても、なんか「自分がそれをやった達成感」がないんですよ。
それは私が「狙ってしたこと」じゃない。ただ、「自分の思いのほかに相手が勝手にウケた」、それだけのこと。
そこで、「やったー!ウケた!」とは、私はならないんですよね。逆になんか変な消化不良になる。

「笑い」は「笑い」なんで、なんかしら「(それぞれに)笑ってくれたらいい」って思いもあるんですけど、
そんな「思いのほか」の大笑いが起きた時は、私は「狙っていく」もっと大笑い(ネタ)をさらに被せたくなるんです。


そんなとこで君 今 笑ってるけど、もっとこんなんもあるぞ!



「思いのほかウケる」と「狙った通りウケる」は、全然違うねん。
どっちでも笑う「君」にはわからんかもしれんけど、「私」には、全然違うねん。



私、多分ちょっと「笑い」に関しては、頭がおかしいんやろうな、と思います。

「笑い」を共有してるツレらですらにも言われます。「あんたはほんまに笑いのキチガイや」って。
とどのつまりのどん詰まりの中でも常に「笑い」でものごとを見てるあんたは「ほんまの笑いのキチガイや」って。



それ、最高の誉め言葉。


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  1. 2011/10/02(日) 04:33:38|
  2. 思うこと(「笑い」)

「スベり知らず」のりっさんから、「スベリまくる人」へ。

さて。

今日昼間ツイッターのタイムラインをボケーっと見ていたら、私のおふざけ仲間の一人である山口県在住の男性が
娘さん(2~3歳?)に買ってあげたという磁石で絵とか書けるボードの玩具(昭和の頃でいう、『せんせい』)を使って
「パパだいすき(ハートマーク)」と書かれた写真(画像)に対して 「買ってあげて良かった」 とつぶやいており、
フォロワーさんから光の速さで「自演」とツッコまれて「サーセンwww」と謝っていたので笑った。

ほんま、世の中にはおもしろい人がたくさんいるなあとつくづく思いますね。
最も、そうしたボケに対してもう本気で

「いい娘さんですね!感動しました!」

とか言うようなやつ(ボケ殺し)も世の中にはたくさんいるんですけど。

その娘さんがまだ2~3歳だという前情報がなかったらそのボケがわかりづらいのもあるかもしれないが
そもそもそれを言うてる人のキャラやこの状況で考えたら「なんかボケてるんやろな」ってわかるやろ…?っていう。

すると続いて、彼が「スプーかいてみた」と言って、
もう病的にヘタクソなスプー(NHK教育テレビ・お母さんと一緒のマスコットキャラ)の絵を描いて見せたんで
私はまた大笑いして「わざとやってるやろwww」っていう意味合いを込めて「なにそれこわい」とツッコんだ。
すると彼が「ググったら元ネタわかるよwww」と教えてくれたんで、さっそく「スプーかいてみた」で検索した。
そしたらとんでもないものがヒットした。

http://www.youtube.com/watch?v=ef-cyA7fZ8M&feature=related


ちょww しょうこお姉さん ヤヴァイwww
これはあかんて!こんなもん幼児向けの番組で流したらあかんて!wwww
編成か誰かが「待った」かけたれよ!テレビの前のちびっ子ら泣くってww



どうやら有名な「事件」だったみたいですね。その関連のネタや動画がたくさん出てきました。
かなりおもしろいので興味があったら色々見てみてください。笑い死にしかけた。


話戻って。


ああいうのって、「センス」やなあと思います。「笑いのセンス」。
ものの見方と発想力と、あと、自分が持ってる引き出しの巧い引き出し方。

あ、さっきの「しょうこお姉さんの絵」のことじゃないですよ。
アレはどう見てもガチですから、もう「隔離レベルの事故」やからwww

その、私のおふざけ仲間の山口県在住の男性とか、「病的スプー」イジリをしてる人たちのこと。


これは私の持論なんですが、物事を斜めから見るひねくれ者は笑いに向いてると思うんですよ。
逆に素直な人、何でも素直にそのまんま受けとる人は笑いにはあまり向いてないと思う。
「明るくて楽しいね」って言われることはあっても「おもしろいwww」って言われることはあまりないと思う。
何故なら、笑いとは今あるものや常識を引っくり返すことや、その盲点をつくことから始まるので。

とかって言うと、「自分はひねくれ者ですけどおもしろいことは言えないですよ」って言う人が必ず出てくるんですが
それはきっと、「攻撃的なひねくれ方」や「否定的なひねくれ方」をしてるから笑いに広がらないんじゃないか?と私は思います。
とかって言うと、「ええ、自分は攻撃的で否定的な人間ですよ」って、早速そんな攻撃的で否定的な返しがほぼくるので、
私のこの考えはまあまあ当たっていると思います。
そしてもっと言うとその人は、実は内心そんなに「おもしろいことを言いたい」とも思ってないんだと思う。
ではその発言を持って本当は何が言いたいのか?というと「自分はダメなやつなんです」って言うことが言いたいんでしょう。

心療内科行け、心療内科。
一回、医者に診てもらえ。



と、まあそうした「相談内容が根本的に違う人」のことは置いておくとして、
今日は「おもしろいことを言いたいのに何を言ってもスベってしまう、笑いが取れない」と本気で悩んでいる人に向けて、
笑いの天才である私の思うことをちょっと書いてみたいと思います。


まず、「ハプニング的なものを除いて、今まで一回も爆笑を取った記憶がない」という人。
あなたは、自分の「これまでのスベり歴」はどれぐらいか?を、今一度冷静に振り返ってみてほしい。
もしあなたが今社会人で、「そういえば学生のころからそうだった」とか、
もしあなたが今大学生で、「そういえば中学生のころからそうだった」なら、残念ながらあなたにはセンスがないと思います。
それでも笑いがやりたいなら逆に「スベリ芸」を磨いてください。あなたの目指すところは「村上ショージさん」です。

次に、「ボケてるのに、ボケがイマイチ伝わらない」という人。
あなたはマニアックなボケをしてるのかもしれません。だからそのボケに対する「説明」が必要なんだと思います。
もしあなたに相方がいたら「ツッコミ」という形で後からその説明作業をやってくれると思いますが、
ピンでボケる場合は自分で事前にそのお膳立てをしてからそのボケをしないと「突然何の話?」ってことになるのです。
自分のしたい話(ネタ)の起承転結を組み立てる力を上げるため、様々な背景を持った人々とたくさん会話をしてください。

次に、「ネタになるような爆笑の出来事が自分の身の上には起こらない」という人。
あなたはここどんつきを百万回読んでください。そしたら、なんかわかると思います。
おもしろい出来事があったからそれがネタになるのではないのです。
よくある出来事をおもしろおかしく言うことでそれがネタになるのです。

次に、「ボケる前からすでにもう自分で笑ってしまう」という人。
あなたはおそらくとてもおもしろい発想ができる人なんだと思います。
そんなあなたに足りないのは、一旦のクールダウンと、そして「演技力」です。
自分でもう笑ってまうようなおもしろいことを思いついても、それは決して顔に出してはいけない。
何故なら、自分が自分の思いついた大爆笑ギャグに爆笑しながらボケることで、周りの人々にしたら
「なんか口から泡吹いてるけど…」とかそんなことが目について、そのボケに対する正当な評価が得られないからです。

次に、「一体何がおもしろいのかもうよくわからなくなってきて、なんかやけになってきてる」という人。
あなたは笑いというものを今一度考えてみてほしい。笑いとは「愛」なのです。
他者への愛(ボケる、ボケを拾う)にしろ、自己への愛(おもしろいって言われたい)にしろ、それは「愛」なのです。
愛を失くしてやけになったら「笑い」はできません。やけでやってる笑いには「卑屈」が伴う。そんなん誰も笑いません。
頭ばっかり使わずに、なんかちょっと体動かすこと(スポーツ)をするのもいいかもしれません。

次に、「自分がおもしろいことを思いつく前にもっとおもしろいことを他の人が言うてるのでボケる機会を失う」という人。
逆に聞きたいのは、なんでそこでそうして引っ込んでしまうのか?
笑いはナマモノです。よってどんどん進化して、深化もしていきます。
だから逆に言うと、その「出遅れたとこ」から、自分が「新しいこと」をやることもできるんです。
「いかに自分の笑いに風を向かせるか?」というのが笑いの世界なんです。「出遅れた」とか、そんなん無いんです。

そして最後に、「おもしろいことを言うことで人々に元気と勇気を与えたいんだ!」と、そう強く思ってる人。
そらウケへんわwwwその「アツイオモイ」に逆に感動されてしまって、そら何をやってもウケへんわwww
そんなあなたは「江頭2:50」を目指してやっていったらいいと、私はそう思います。

笑いをやりたい人間も、一人の「人間」やからね、それはもうほんまに。

  1. 2011/09/11(日) 02:35:58|
  2. 思うこと(「笑い」)

島田紳助さんの引退について。

書きたいと思いつつも日が経ってしまったので、
「なんかわざわざ話を蒸し返すようになるのもいややし、もう書かんほうがええのかなあ…」
と思ってるところもあるんですけど、「いや、でもやっぱ書いておこう」 と 思うので、書きます。



「あの会見」の翌日、晩ご飯の時、長女のいちごがこんなことを言った。


「今 一番、どうしよう!?って思ってるのはノッチやと思うねんか」



私「ノッチ…? ノッチって、あの(デンジャラスの)ノッチ?」
い「だってノッチ、番組の企画で沖縄行って奥さんと民宿やってはるやん?」
私「ああ、そやったかな?」
い「俺どうしよう!?って、ノッチ、思ってはると思うねん。ノッチ、ドンくさいけど義理堅い人やから、帰って来いって言われるまで沖縄の民宿をやり続けはると思うけど、ノッチは民宿をやりたい人じゃなくて芸人をやりたい人やん?」
私「確かになwww」


番組の今後については目下検討中みたいですが、スポーツ紙やったかのネットニュースをさっきちらっと見たら、
「とりあえず、沖縄の民宿(企画)のメンバーを帰すかどうかについてはまだ決まってない」、らしいです。


「の…、ノッチ、 なんか 今しばらく ガンバレ!!!」




さて。


ビックリしました、ほんまに。
ほんまに突然の、あの紳助さんの引退。
私は「言葉」を失い、そして、「大きな大きな壁(目標)」を失くした。

私は、「島田紳助という芸人」 がずっと好きで、「島田紳助がこれぞ笑いだと考える笑い」が、ずっと好きでした。


「島田紳助」には、ずっと死ぬまで 「笑いの世界」に居てほしかった。


動きも道具も映像(テロップ・活字含む)も何んにもなくても「シャベリだけ」で人を笑わせることが出来る芸人は、
上岡竜太郎と、島田紳助と、松本人志だけやと、私は思ってきたし、私もそれを目指してやってきた。
だからここ(どんつき)にしても「書き物でも声(シャベリ=ラジオ)に聴こえるように」を意識してやってきた。
まあまあつらいです。越えたい大きな大きな壁がこうして無くなったこと。気を抜くと折れそうになる。



だいぶ前、それこそ「ネット文化が発達し始めた十数年前」から、ずーっと、紳助さんが「ネット上」で、
もうあることないことさらには妄想で、さんざん色々なことを書かれてはるのは知ってました。
多分本人も知ってはったと思いますけど、ずっと「黙って」はったんやろなと思います。何故なら「自分は芸能人だから」。

自分の好きな芸人さんのことを「アホら」がボロクソに言うてるのを見るのはあまり気持ちのいいものではなかったです。
でも私は、ネット上で「そんなアホら」が紳助さんの悪口を言うてるのを見かけてもそいつらと語り合うことをしませんでした。


何故なら、それらはもうほんまに 「ただの悪口」 だったので。



これ、何回かここ「どんつき」でも言うてると思うんですけど、
ネットの掲示板とかで創作者とか創作品をボロクソにこきおろしてる群衆が、私は そもそも大嫌い なんです。

「なんやねんその評論家気取りは?」って、端から見てて、ほんまにちょっと哀しくもなってくるんですよ。
「ソースはこれ(ネットで得た情報)です!」をこれ見よがしに提示してくることにはやたら敏速で長けてるけど、
そこに全く「クリエイティブ性」を感じないんですよね、「攻撃」ばっかりで「後退」していく一途で、なんか「後ろ向き」やわ、と。

自分の著書やブログでその発言の全責任を自分が負う形でボロクソ言うなら、まあまだいいと思うんですよ。
でもああしたネットの掲示板でそれをやってる人々には「集団心理に毒されていくだけの人々」にしか見えない。
その創作者および創作品について「自分ならもっとこんなふうにしていいモノ創れる自信あるアイデア」があるのなら、
そんなネット掲示板とかでぐちゃぐちゃ陰口言い合って低レベル満足(=勝った気)してるんじゃなくて、
確実に本人に届くようにそれを伝えるか、自分がそれ(そのいいアイデア)をやりだす(動く)はず、でもそれはしないという。


もう 一生 そこにいろ。 


と、そうしたアンダーグラウンドの中でも、
「紳助さんがずっと書かれてきていたネット上の陰口」に関してはなんかちょっと特殊で、
「島田紳助という芸人(創作者)」に対するものや、「島田紳助の笑い(創作品)」に対するものではなく、
「それら(島田紳助の創作)には全く関係のない、島田紳助個人に対するただの悪口(妄想込み)」ばっかり、だった。

てかそれ、


「島田紳助の創作は凄い、勝てへん天才」ってのを認めてるからこその、
「本人へのただの悪口」をどうしてもなんとか編み出し結びつけて「言う」しかないの?




しょっぱいわ~。 薄ら寒いわ。



芸能界を引退して一般人にならはった紳助さんに私がひとつだけ言いたいことは


紳助さん、残りの人生で
「今まで散々あることないことをネット上で振りまいて自分を侮辱したやつら」
を 片っ端から挙げて訴えたったら、多分全部勝てると思いますわwww



お疲れ様でした。

残念です。

今だ立ち直れてはいないですけど、「笑い」を絶やさぬように、なんか頑張ります。


[島田紳助さんの引退について。]の続きを読む
  1. 2011/09/03(土) 05:27:50|
  2. 思うこと(「笑い」)

「笑い」においての「障害」について。その2

「年金を貰うまでは死んでたまるかと強くそう思う」という、全く新しい治療法(爆)

いきなりなんだ?と思われるかもしれないが、どんな医学書にも載っていないこの治療法を独自に実践している方がいるそうです。
その話を聞いた時はだいぶ笑いました。でもその方は実際にその治療法で発病から今日まで逞しく生きておられるそうです。
mayoさんのお母さーん!見てますかー!「どんつき」、笑ってますかー!「難病持ちのりっさん」ですよー!www
つーかなんだよ、やるじゃねーか、年金。もうあかんもうあかんと言われ続けてるけどおまえなかなかやるじゃねーかw


てな感じで、さて今日の本題。

先日、私は この記事 で、「障害のある人の(人との)笑いにおいて、障害になると思うこと」について書きましたが、
実はあの記事の中で、私に「置いてきぼり」を食らっている人たちがいます。
それはズバリ、「身体的な障害」ではなく、「知能的な障害」のある人、です。

こんなん言うとあれですが、「身体に障害がある人」とは、「頭(脳)で考える常識の軸」は、概ね同じなんですよ。
だから「心のバリア(=笑いにおいての障害)」さえ取っ払えば、その「常識軸」が同じならそれは同じようにやれるんです。
だが、もうぶっちゃけ言いますけど、「知能的な障害のある人」とは、そもそもその「常識軸」が、なかなか揃わない。
「では、そうした人たちと、どう笑いを共有していくのか?」ということについて、私が思うことを少し書いてみようと思います。


私が通っていた小学校には特別学級があって、知的障害のある子ども数名がそのクラスに通っていたんですね。
その中には私と同学年の女の子もいて、だから私やツレらは休み時間になるとよくその教室に遊びに行っていました。
でもそれは「そういう友達とも仲良くしてあげなあかんから」とかではなく、単にそこにおもしろい玩具がたくさんあったからです。
馬の形したロデオ人形とか、ボールテント?みたいなんとか、小さいジャングルジムみたいなんもあった。
自分らのクラスには「勉強に関係ないもの」はなかったので、そういうのが珍しくて遊びに行ってたんですね。
だが、最初は「よく来てくれた」とウエルカムな雰囲気だったそのクラスの先生(担任)が、次第にそれに気付いたのか、
ある日ついに「遊びに来るのはいいけど、君ら(普通学級の子)はこの教室にある玩具で遊んだらあかん」と言ったんです。

と、そうしてある意味「共通項」だった玩具を突然取り上げられると、どうやって一緒に遊んだらいいのかがわからくなった。
「私らがおもしろいと思うことと、その友達のおもしろいことが違う」っていうか、「興味を持つことが違う」っていうか。
だから一緒に遊ぶとなると、私らが相手のおもしろいと思うことに合わせてあげないといけない、みたいな感じになってきて
「友達と一緒に遊んでる」というよりも、「幼い子(同い年なんやけど)の面倒を見てあげている」みたいな感じになってきて、
なんかだんだん遊んでてもおもしろくなくなってきたので、いつしか次第にその教室から足が遠のいて行った。
「自分らは優しくない人間なんや」と、その教室に遊びに行かなくなった(逃げた)ことを、子ども心に後ろめたく思いました。

…と、ここで、知的障害者本人及び家族・親戚・友達さんたち、今、「ここ」で怒るのはまだ早いです。
っていうか逆に「そういう人」は今全く怒ってないで、りっさんの話を聞いてはるだろう、と私は思いますけどね。
むしろ、ここでもう早速もってキレてはるのは、きっと「なんたら団体所属の人たち」だろう。←どんつきの天敵(爆)


帰れ!!! そして二度と来るな!!!www


と、そんな話も踏まえて、話進んで。


私が子どもの頃、実家の近隣ではかなり有名な「なんばらぼん」というあだ名のおっさんがいました。
なんばらぼんはうちの実家の隣の学区に家があって、年老いたお母さんと住んでいました。
なんばらぼんは年齢不詳だったが、確かな噂(なんばらぼんと中学の時同級生だったおっちゃんの話)では、
私が小学生当時で、当時のうちのオトン(30代半ば)より年上の40代後半ぐらいだったと思う。

なんばらぼんは、警察官の制服のバッタもん(偽物)みたいな紺色の服を着ていて、それは夏用と冬用とがあって
ご丁寧に「それっぽい帽子」まで被っていた。いつもその服装だった。っていうかあれどこで入手したんやろう?謎だ。
と、そんな出で立ちで、新聞配達の人が使っているようなチャリの後ろ(荷台)に空き缶をいっぱいぶら下げて乗っていた。
一見「オブジェ」に思えるその空き缶は実は「武器」で、「なんばらぼんをからかう小中学生男子」から石などを投げられた時、
なんばらぼんはその空き缶を投げて応戦していた。下げている空き缶が底をついたら、唾を吐いて応戦していた。
ちなみにいつだったか、なんばらぼんのチャリのサドルがパクられて(恐らくそれもそいつらの仕業)その事件から後は
「イスがないイスがない…」と独り言を言いながら、なんばらぼんは「サドルの無いそのチャリ」にまだ無理から乗っていた。

と、これだけの情報でもうすでにほとんどの人がピーンと来ていると思うが、「なんばらぼん」は知的障害のあるおっさんでした。
なので、大人たちは子どもたちに、ズバリとは言わないが「遠まわし」にこう言っていた、「なんばらぼんに関わるな」。

と、そうして概ねの大人たちが「なんばらぼん」との接触を避け、子どもたちにもそれを命じている中で、
逆に、その都度その都度もう自分から積極的に「なんばらぼん」に絡んでいく大人がいたんですよ。
まあ、うちの「オカン」なんですけど。


もうほんま、 いちいち 「なんばらぼん」 に 声をかけるという。 


例えば、夏にオカンが家の前で水撒きしてる時になんばらぼんが汗だくでチャリに乗って通りかかったら

オカン「ぼん、大汗かいてどこ行くねんな?」
なんばらぼん「…ど、どこも行かへん行くとこがない…」
オカン「行くとこないんかいな? ほなもう家帰りよし」
なんばらぼん「…家、家がない…」
オカン「家もない? いや、家はあるやろw」

例えば、スーパーに買い物に行ってなんばらぼんがまたしてもパンを買っているところを見かけたら

オカン「あんたまたパン買うてんのかいな?」
なんばらぼん「…パン、パン、わし、パン好きねん!」
オカン「ぼんはほんま、パンが好きやな~?」
なんばらぼん「…わし、パン!パン、好きねん!」
オカン「そんなパン、パン、言うてたらぼん、しまいにパンになるでw」


と、オカンがそうして、なんばらぼんにいちいち声をかけるのが私は嫌で嫌でしょうがなかった。
だから私はオカンに言うたんです。もう言うたったんです。

「オカン、なんばらぼんにいちいちしゃべりかけんといて」 と。

オカンはなんばらぼん(知的障害者)にも優しくしてあげないとあかんと思ってしゃべってあげてるんかもしれんけど、
なんばらぼんの言うことやることをバカにしてるようにも見えるから、なんばらぼんにいちいちしゃべりかけるのをやめてくれ、と。
そしたら、オカンがこんなん言いよったんですよ。

「でも、ぼん、いちいち おもしろいねんで?」



このオバハンは一体 何を言っているのだ???



ぼん(なんばらぼん)の言うことやることがいちいちおもろいのは、こちとら充分わかってるよ。
でも、なんばらぼんは「その常識はわかってるけどわざと外して(ボケて)る」というわけではないんですから、
いわゆる「天然ボケ」ではなく、むしろ本意気の「天然素材」なんですから、それは笑ったらあかんとこやろ?
つーか「笑ったら」っていうか、そこはもう「笑ってあげたら」あかんっていうとこやん?
なんせ相手は「知的障害者」なんですから。「わかってない」んですから。そして「かわいそう」なんですから。


いや、でも、果たして「そう」なんだろうか? 
彼らはほんまに「わかってない」んだろうか…?



だとしたら、なんばらぼんをいじめる小中学生男子が「なんばらぼん!」言うたら、「なんばらぼんって言うな!」ってメタクソ怒るのに
オカンがなんばらぼんに、「ぼん」って声をかけて、ぼんの言うことやることをいちいち笑ってもそれには全く怒らないのはなんでなんだぜ?
…っていうか、そもそも大人で「なんばらぼん」に面と向かって「ぼん」って声かけるんもうちのオカンぐらいでしたけどww


話戻って。


と、そういったことを織り交ぜて、私が「知的障害のある人の笑いを笑えないこと」について思うのは、


やはりそこにも「優しくしてあげよう」っていう、変な心のバリア(段差)があるから。



人に優しくするのはいいことです。なにか困ってる人がいたら是非とも力になりましょう、なろうではないか。
でも、その人がなんにも、なんっにも、困ってない時に、果たして「優しくする必要」があるのか。
なんばらぼんが「もう毎日のようにスーパーでクリームパンを買っていること」にまで、「優しくする必要」があるのか。


「おまえはまたパン買うてんのかwww」


って、それでいいんじゃないのか。それが出来たらいいんじゃないのか。そこに「笑い」が成立するんじゃないのか。
「それを笑ってはいけない」という、「今いらん優しさ」が、その「笑い」の妨げになっているんじゃないのか。
「わかってない人なんやから」って思って「笑わない」ことが、逆に、その「笑い」を潰してるんじゃないのか。

てか、もしかしたらなんばらぼんは、障害のある頭のどっかで「ウケたw」とか思ってほくそ笑んでたかもしれんからねw


[「笑い」においての「障害」について。その2]の続きを読む
  1. 2011/07/06(水) 01:08:17|
  2. 思うこと(「笑い」)

「ハズレ」(その愛と、そして笑い)

さて、カテゴリー再編集の途中ですが、それはそれとしてやっていくとして。

先日、店で先輩のショウさんが突然こんなことを言いだした。


「なあ、りちさん? 今から宇宙飛行士になるのってやっぱ難しいと思う?」


私「難しいでしょそれは! 前に何かで聞いたんですけど、宇宙飛行士って虫歯あったらなられへんのですって」
ショウさん「そうなん?ほな俺なれるわ。俺、虫歯一本もないし」
私「マジっすか?虫歯一本もないとかそれはもうなれますよ確実に宇宙飛行士に」


っていうか 君ら、そこ??? 問題は、「そこ」???


もちろん、私もショウさんも問題は「そこ」では、「そんなことではないこと」はわかっててやってます。
宇宙飛行士の人らは日々凄いトレーニングをしててごっつ体力あるとか、当然英語もペラペラで頭もいいとか、
そんなこんなことも、もう全~~部わかってて、でも、「あえて、そこ(虫歯のあるなし)」っていう。
まあ言うたら、そんな「ネタ=外し」を、お互いわかっててやってるわけですね。
だから逆に「ツッコミ」も要らない、何故なら心の中でツッコミ合いながら「わかってて」やってるから。

だが、世の中には、そうした「ネタ(外し)」をネタだと気付かない人もいて、
そういう人にうっかりこういうネタ(外し)を振ってしまうと、もう思ってもみなかった大変なことになる。

「夢は叶う~」 とか、なんかそんなん言いだしますからね。



「諦めなかったら夢は叶うよ!」

「夢は叶えるためのものなのだから!」 




「外し」もここまでくるともはやそれは「外し」ではなく、もう「ハズレ」です。
しかも厄介なことに、そうした人たちには「自分が今、外している」つもりがないので、その出来事はそこで終わらない。
そうしたいわば「ボケ殺し(フリ殺し)」をされ、その場はなんかどうにかやりきった(逃げきった)としても、
「そうして潰されたネタがあったこと」をやっとようやく忘れた頃に、その辛い思い出をまたほじくり返してこられるのです。

「前に言うてた宇宙飛行士になりたい夢はどう?進んでる?」




もう なれ!!!

もうおまえが宇宙飛行士になれそして夢を叶えろ!!!





でもねえ、そこでそうはなかなか言えないんです。
何故なら、そうした人のもう大概は、ほんまに「ええ人」 なんですよ。
他人の幸せをもう自分のことのように本気で願っているという、もうほんま「ごっつええ人」。

っていうことを踏まえて、
さて、今日の本題。


と、そんな「ハズレ爆弾」、もとい、「ごっつええ人」が、うちの店にも若干一名います。
それはズバリ、先輩の「キョーコさん」です。

キョーコさんは私のように「稼ぐために働いている人」ではなく、「健康維持のために働いている人(本人談)」なので、
週に一回か二回しか出勤しておられず、なかなかキョーコさんとシフトが一緒になることがない。
だから私はキョーコさんと「たまに会える、一緒に働けるその日」が嬉しくて、もうめっちゃ楽しみなんだが、
彼女のひとつだけ困ることは、「外しでなく、ハズレなところ」なのである。

彼女はそうして久々に会うたび会うたび、「ビックリするアイデア(考え)」を提案してくれます。
私にしたらそれは全部「ハズレ」なんですが、だがキョーコさんはいつも真剣なのです。
余談だが、彼女はちょっと前、私に、

「私考えたんやけど、今からでもりっちゃんはもう占い師になったらいいと思う」

とか、突然そんなことを言ってきた。てか逆にどんな進路アドバイスやねんそれは!
「占い師になりたい」とか一個も言うたことないわ! つーかそもそも占いとか信じてへんわwww


話戻って。


と、そんな「ええ人」のキョーコさんに先々週久々に会って、するとまた突然こんなことを言われました。

「私考えてたことがあるんやけど、りっちゃんはやっぱり社員になるべきよ」


私「は???」


っていうか、そんなんそもそも私(バイト)がそれは決められることじゃないじゃないですか。
それは会社(本部)の人事部が決めることじゃないですか。
「私、やっぱり社員になるって決めた」とか、バイトがそう決めてそうなるもんじゃないじゃないですか?
だがキョーコさんは「でもりっちゃんは絶対、バイトを辞めて社員になるべきや」と俄然強く言ってきた。
よって、私はキョーコさんが「そう考えた」その理由を聞いてみた。

キョーコさん「だってりっちゃん、めちゃくちゃ仕事熱心やん?そんなりっちゃんと、言われたことだけやってるような私が同じバイトやなんて世の中は間違ってると思うわ」
私「っていうかそもそも(会社と)そういう(バイトっていう)契約で、私はここで働いてるわけですから」
キ「だけど社員になったら有給だってあるし、そしたらりっちゃん今みたいに、休んだらお給料減るからって体調悪くても持病の状態が悪くても無理して出勤したりとかしなくて良くなるやん?」
私「まあそら給与面だけで見たらそうですけど…でも体調不良で急に休んだらスタッフに迷惑かけるんはバイトでも社員でも同じじゃないですか?っていうか逆に店とバイトを管理する社員の立場で急に休んだら今の立場で休むよりさらにもっとみんなに迷惑かけるじゃないですか」
キ「……。りっちゃんはえらいなあ~ほんまに関心するわ…。やっぱり社員になる人は言うことが違うわ…」
私「だ か ら www」

この会話のおそろしいところは、これがネタでなく(キョーコさんにとっては)ガチであるというところなのだ。
例えばこれをショウさんとネタでやってるんやったら私も、「てかむしろ社長になりますわw」とかそうさらに「外す」けど、
ここでそんなことを言ってしまうとキョーコさんは「りっちゃん(私)が社長になるその日まで」ずっと応援し続けるだろう。

よって私は「今もう全然自分がおもしろくないこと」を自覚しながら、このハズレのルートを本線(軸)に戻した。
「外してなんぼ」の芸人にしたら、「本線に戻すこと」ほど、やってて恥ずかしいことはもうないんですけど。


もし仮に、キョーコさんがそうして言うてくれるように、私(仕事熱心なバイト)を社員に昇格することを会社が検討するとしても
もう37歳で、これまでどこぞの支店長や店長をやっていたという経験、いわゆる管理職経験のない私は、「無い」です。
その同じ条件(仕事熱心なバイト)なら、大学生四回生(これから育ててもたくさん元を取れる)を引っ張りたいでしょう。
そして私にしても、もし、ここの社員になったら、もう今の、「今までの」ようにはいかない。
片親で子ども育てて、さらによくわからない病気を持ってることについて多少配慮はしてもらえたとしても、今までみたいに
「日曜は休ませてください」だの「朝から夕方までの出勤にしてください」だの、そんな我がままな希望は出せないし
他の社員さんと同様に「円滑な運営重視」で、朝から出たり昼から出たり閉店までいたり、色々な働きをしないといけなくなる。
確かに、片親でも晩の10時、11時まで仕事しながら子どもを育ててる人もいます。中には明け方まで働いてる人もいる。
でも私は、それは出来ないんですよ。中1・小2の娘らだけを晩、家に置いて仕事に行くことは、私には出来ない。
と、そうした「メリット・デメリット」を踏まえた上で、今は、「この現状」が私にとってはベストな状態なんですよ、と。


私のその話を聞いてキョーコさんは「そう…」と押し黙った。なので私は、(なんか逆に悪かったかな…)とも少し思った。
だが、その一分後、キョーコさんはまたしても驚きのアイデアを打ち出したのである。


キョーコさん「りっちゃんはやっぱり彼氏くんと結婚するべきよ。だって夜には彼氏くんも仕事から帰ってくるんでしょう?」

私「てか なんじゃその結婚の理由 そしてきっかけwww」




私ももうこの歳なので、っていうか逆に「歳」とか関係なく「性格」として、

波打ち際、彼氏さんに追いかけられて逃げる私。
「ウフフ♪ こっちよこっち!私を捕まえてみて!」
 

とか、

ラベンダー畑で私をお姫様抱っこする彼氏さん。
「君がどんなに嫌がっても、僕は君を離さない!」


とか、

そんなことが結婚の理由やきっかけになるとは思っていないし、逆にそんなものやそんなことは望んでもいない。



深夜。

国道の脇で、言葉と心の諍いをしている私と彼氏さん。
すると突如、走り来る大型トラックの前に彼氏さんが飛び出し轢かれかける。
その出来事にもうただただ息を飲むしかない私に向けて無事だった彼氏さんが側頭部から振り返り、
涙と共に大量の鼻水を垂れ流しながら


「僕は死にましぇん!!! 僕は 死にましぇーん!!!」

「あなたが! あなたがぁー! 好きだからぁーーー!!!」



武田鉄矢さん浅野温子さんごめんなさいごめんなさいもうしません。



話戻って。


にしても、そんな私にしても、そんな理由やきっかけでの結婚(再婚)は「無いわ~」と思ったので、


「そんな結婚式なんかどこの教会も指揮ってくれないっすよ!」
「逆にその式でうちらにその宣誓を誓わせる牧師さんに痛み入りますよ!」



と、もうボケたら、いっそもうそうしてボケたったら、それは見事にスベった。

「なんで?」って、普通にそう聞かれた。



もう死にたい切腹する誰か介錯してくれ。



キョーコさん「りっちゃんは幸せになるべきなんよ!こんなに何事にも頑張ってるんやから!」
私「なんかありがとうございます…てか私って今なんかそんなに不幸せそうに見えますかね?w」
キ「りっちゃんにはほんとに幸せになって欲しいんよ!頑張り屋のりっちゃんにはその資格があると思うのよ!」


もう、どうしたらいいんだろう? このことは。
「いつまでも落とさせてもくれへん」とか ほんま勘弁してくれw





ひとつだけ言えることは、キョーコさんはほんまに「ごっつええ人」です。
こんなに他人の幸せについて考えられる人って、ほんまなかなかいない。
ハズレやけど。全部が全部「ハズレ」やけど「困る」けど。

そしてもうひとつだけ言えることは、

そんな「ハズレ」に飲まれてるうちは、私の笑いは「まだまだ」だということなんだろう。
  1. 2011/06/21(火) 02:48:28|
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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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