どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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忘れないでほしい・2

さて、 この 続きです。

そのお婆ちゃんのことは、私らがここに引越してきた当初から見かけていた。

何故なら、そのお婆ちゃんは、
家の前に風呂用の椅子?を置いて、日がな一日そこに座ってひなたぼっこをしてはって
そしてその道(そのお婆ちゃんの家の前の道)は、どこかに出かける時にほぼ必ずうちらが使う(通る)道だったので。

そのお婆ちゃんがちょっとボケてはるんやろなっていうのは薄々わかっていた。
表情にあまり覇気がなく、視線も表情もほとんど動かず、動かさずに、もうひたすら「ボーッ」としてはったんでね。
そしてさらに、…こんなん言うとあれやけど、こうならはる前はわりときつい?ヘンコ?な人やったんやろなと、なんとなく思った。
やっぱそういう人柄ってか、どんな生き方してきはったかって、顔つきでわかるじゃないですか?特にお年よりは。
ずっとニコニコして人生を生きてきはったんやろな~って人は、歳いっても見るからにかわいい。
かなり年配の人に対してこんなん言うと失礼やけど、その顔つきが、なんかもう「かわいい」。

と、まあそういうのもあって、あえて特に積極的に話しかけたりすることはなかったんですが、
ただ、私らがここに引越してきたのは真冬の季節やったんで、
「ずっと外出てて寒ないんかな~?お婆ちゃん、風邪ひきなや~」
って思って見てたらたまたま目が合ったりすることがあって、そんな時はちょっと会釈するっていうその程度だった。

そのお婆ちゃんと最初に知り合い?になったのは、下の娘のもも(当時3才、保育園年少組)でした。
その道で、いちごとももと彼氏さんとで遊んでたら、なんかももがトコトコと歩み寄って話しかけていったみたいで
そしたらそのお婆ちゃんも、ももの話相手をしてくれてはったから、彼氏さんはてっきり、
うちらがここに越してきてからの間で、もうすでに交流があるお婆ちゃんなんだ、と思っていたらしい。
っていうわけで、ももを連れて歩いていると、ついでに横にいる私のこともなんとなく認知してくれはったようで
それがきっかけで、それから私とそのお婆ちゃんは、会うたび必ず挨拶を交わすようになった。

と、そんなごく最初の頃は、ちょっとボケてはる感じではあったがまだわりと会話があったんですね。
どっか出かけるのに(ちょっとええ服着て)家族で歩いてると「どちらへお出かけ?気ぃつけてね」言うて見送ってくれはったり、
いちごが一輪車の練習をする周りをももが走り回っていると「あれまあ、お嬢、転びなさんなやー」とか言うて案じてくれはったり。

でも、いつしかお婆ちゃんからのそういった語りかけはなくなり、逆に私が
「だいぶ暖かくなりましたね~」とかって話しかけても、全く上の空で聞いてはらへんことが多くなり、
そのうち、「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」っていう挨拶だけにしか応答がなくなり、
そしてついには、そうした挨拶を交わしても、もう次の瞬間には忘れてしまわはるのか、
「本日二回目」で会っても「あら、こんにちは」と今日初めて会ったようなニュアンスで挨拶をしはるようになったので、
多い時で、私は一日6回、そのお婆ちゃんと「今日初めて会った挨拶」をするようになった。

その頃は、保育園にももを通わせながら家で仕事をしていたので、
① 朝、ももを保育園に送って行く時。
② 保育園に送って、家に帰ってきた時。
③ 午後、スーパーに買い物に行く時。
④ 買い物から帰ってきた時。
⑤ 夕方、ももを保育園に迎えに行く時。
⑥ ももを連れて、家に帰ってきた時。


そして今では、なんでそうなったのかはよくわからないが、
徒歩で出会う時は、お婆ちゃんは私を認知できないみたいで、徒歩で挨拶しても存在に気付いてもらえなくなった。
ただ、自転車で通りすぎる時に挨拶をすると、何故か必ず応答してくれはるんですよ。
しかもそれが、なんかもうごっつええ笑顔で。
例えるならそれはまるで、「憧れの大学生(男性)さんに会った女学生」のような、そんなはにかんだ笑顔で。
てかほんまに、自転車の私が挨拶する時、そのお婆ちゃんはなんかそういった思い出?が甦ってはるんかもしれんけど。


私は、そうした人(ボケてる人)に対してどういうふうに接するのがいいのかわかりません。

そうなる仕組みについて勉強したこともないし、そういった人のサポートの仕方を学んだこともないし。
だから、私が今しているそういった交流の仕方(自転車の君、の挨拶)が正しいのかはわからない。

「お婆ちゃん、私よ?私。わかってる?」とか言うて、もっと食い込んでいくほうがいいのか、
ではなくて、例えばもっと食い込むにしても
「キンモクセイの匂いがしますね~」とか言うて、五感のほうに食い込むほうがいいのか。


ただ、私がひとつだけ思うのは


「忘れんといてほしい」


私にはそのお婆ちゃんのボケの進行をなにか少しでも遅らせるような技術(?)はないし
そもそも、お婆ちゃん自身が実際にそれを望んではるかどうかもわからないし、
てかもっと言えば、「それは(その研究をしようとしてる)あんたらの自己満足ちゃうの」っていう話かもしれないし。

だから私は、完治しないそれ(ボケ)をちょっと遅らせるためにあーだこーだ言うてはあれもこれもと覚えておかせるより
そうしてたくさんの色々を忘れていく中でも「これだけは忘れへん」ってことをどうか忘れんといてほしいんですよね。

…っていう私のそんな思いも、逆に言うたら「自己満足」な話なんかもしれない。
本人のほんまのとこなんか、本人以外の誰にもわからんし(まして本人はボケてはるし、いよいよわからん)。



今、ふと 「アルジャーノンに花束を」(ダニエル・キイス著) を、思い出した。


話戻って。


私は今日も明日も明後日も、自転車でその道を通るたび、そのお婆ちゃんに挨拶をし続けます。
でもいつか、「自転車に乗った私」が挨拶してもお婆ちゃんの応答がなくなった時には、私はもう挨拶をやめます。
それは何故ならば、そうなった時は多分、そのお婆ちゃんにとって
「もっと忘れたくないこと」が何か見つかったのであろうから、その邪魔を、私はしたくないんですよね。


「忘れんといてほしい」



ただもうそれだけ。


余談だが、
どんつきを読んでくれているツレらにひとつだけ言っておきたいことは


私が晩年ボケた時に「自転車に乗って挨拶する人」にだけ何か反応を示したら、
それはきっと「あのお婆ちゃんとのこと」を思い出してる時かもしれない。


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  1. 2010/11/19(金) 01:00:11|
  2. 「こっち見んな!!!」

忘れないでほしい

さて。


ずっと内緒にしていたが、私はとある男性から「ぜひとも後妻に来てほしい」と、熱烈にプロポーズをされ続けている。


お相手は、うちの店の常連客の 80才のお爺ちゃん なんですが。


なんか、私が(十年以上?もっと前?)に亡くなった奥様の若い頃の感じに似てるんですって。
目元が涼しいべっぴんなとことか、鼻っ柱の強そうなとことか、打ったら三倍にして返ってくるとことか、が、よう似てるらしい。
ちゅうか、ひとつめはまあいいとして、あとのふたつはどう考えても私に対しての悪口にしか思えないのだが…。

とまあ、なんかそんな感じで、そのお客さんは週に一回は必ず来て、私を贔屓にしてくれているんですね。
てか、贔屓にしてくれるっちゅうても私はホステスではないんで、チップが貰えるとかそんな良いことはなく、むしろ逆に
「(病院の検査の)数値がまた悪なってたわ」とか「うちにしつこいねずみがおってなんぼしても捕まらへん」とか
なんかそんな愚痴を聞いては
「それはえらいこっちゃな~。なんでやろな~?お父さんのフェロモンがねずみを寄せてるんと違う?w」
とか言うて、相づち+返しをしないといけないので、贔屓にしてもろて良いことがあるどころか、逆に、
そうしていちいち捕まっては仕事の手を取られて若干めんどくさいとこもあるにはあるのだが
でも変な話、そうして生き生き揚々としてはるそのトークのお相手をしていると、私自身も活性化される。
相手が誰であろうとも「頂いたら即ち返す」のトーク(笑い)を怠ってはいけないという、是、日々精進の思い。


てな感じで。

私はそういったタイプのお爺ちゃんお婆ちゃん(おっちゃんおばちゃんも)にはわりとウケがいいんですよね。
体は、まあそら歳が歳やからそこそこガタは来てはるけど、頭はしゃんとしてて、しゃべりもしっかりしてはって、
男性の場合、「エロと笑い」を忘れておらず、女性の場合、「毒舌と笑い」を忘れていない、みたいな方々には愛される。
よって、「愛人」「後妻」の口と、「いい歳して今だ独身のうちの息子の嫁」の口には引く手数多なのだが、
残念ながら私はそのどれにも関心がないので、「では来世で(笑)」と、その場を濁しているのだが
それがまたそんな方々にとってはツボにハマるようで、「あんたとしゃべると元気になるわw」と、なかなかの好評を頂いている。


と、そんな私が逆に苦手なのは、

「本意気でボケているお爺ちゃんお婆ちゃん」

なのです。


…とかって書いたら、

ボケている身内がいる読者さんはもう早速もって

「りっさん、最低や!!!」

と憤るかもしれないが、なんか落ち着け。そして私の話を聞け。


かつては「瞬間湯沸かし器」というミドルネームまで拝命した「キレ屋」の私に対して、概ねの方々の印象は
「りっさんはすぐキレる」 「りっさんは怒りの沸点が低い」といったものであろうと思うのですが、私は意外とキレません。
私がキレる時は「そんなん、常識的にしたらあかんことやろが?」っていう時だけなんで、
だから例えば、本意気でボケている人がなにか常識を逸脱するようなことをしても、私はそこではキレません。
何故ならば、こんな言い方したらあれやけど、その人はもう人間の常識を超えてるとこにいってる人なんで
そんな人に対して、「人間の常識」を追求して、それができない・できてない、と言って怒ることは私はしない。
てか、逆に私はそういった人たちが今困っていることを「早く解決しよう」と思うんですよね。

例えば。

「買うべきもののメモを取る、取った、そしてそのメモを持ってきた」ことまでは覚えるけど、
「いざ来店した時に、そのメモを何処にしまったかが思い出せない」と言って困っている(ボケてる)人がいた時、
私は直ちにその「失ったメモ」の捜索活動に入ります。
何故ならば、ボケてるこの人が何処にメモをしまったかを思い出すのを待つよりも、
私がこのボケてる人の身の周りからそのメモを探しだすほうがもう絶対に早いので。
と、そうして一刻も早くその行方知れずのメモが見つかったら、その人も早いこと安心できるじゃないですか?
「なんやここにあったんや?良かった良かったー」って、そんな話になるじゃないですか?これにて一件落着。


だが、「りちさん、それは違う」と、店の後輩のタケ(本職は介護士)に言われた。


私「何が違うねん?本人さんが思い出せへんって言うてはるのに、それを思い出せ!っていうほうが酷な話やんか?」
タケ「だからって、勝手にあちこちカバンとかポケットとか探られたら、されたほうは不安になるじゃないですか!」
私「勝手には探ってへんがな。開けますよ~?って、了解得てからしてるがな」
タケ「…一生懸命思い出そうとしてるその人の気持ちはどうなるんですか?」
私「てかすでに思い出せへんでボケてしもてるねんから、実際問題としてこういうことになってるんやんか」
タケ「でも少し待ってあげたら…もしかしたら、思い出すかもしれないじゃないですか!」
私「もし今それができたとしても、それは結局あんたの自己満足な話なんとちゃうの?」
タケ「それは…そうかもしれないですけど……」


涙ぐんでいるタケを見て、私がひとつだけ思ったことは


私がしてることも、やっぱり「自己満足」なんかもしれん、と。



私ら母娘がこの今の家に引越して早や三年になりますが、この三年間、
朝昼夕晩、会えば欠かさず挨拶をしてきている、「とある認知症のお婆ちゃん」が、私には、いるんです。


続く
  1. 2010/11/18(木) 02:40:05|
  2. 「こっち見んな!!!」

24時間テレビに思うこと・2

さて この 続きです。


そんなある日、「欽ちゃんが24時間テレビのギャラを全額寄付しはったらしい」という話を知ったんですよね。
いつやったかチャリティマラソンを走らはった年があったじゃないですか?多分その時のことやと思うんですが。


スゲーぜ大将!カッコイイぜ、男だぜ!


でもね、ふと思ったんです。
逆に、24時間テレビの出演者の中の何人が、実際に、欽ちゃんと同じように「それ」ができるのだろうかと。
だっておそらく番組契約で仕事してるタレントとかアイドルって、思いのほかほんま少ないと思うんですよ。
そら、テレビ局と事務所は「このタレントはこの番組1本(一回)でいくら」って番組ごとの契約をしてるでしょうけど、
タレント自身は給料制やったり年棒制で事務所から給料貰ってはる人が多いと思うんですよ、師匠クラスの大御所以外は。
だから実際、「自分はこの番組にナンボで出てる」とか知らないまま出演してるタレントが多いと思うんです。

しかも24時間生放送に出続ける(さすがにちょっとは仮眠してはるみたいやけど)ってなったら
売れっ子タレントやアイドルの体預かってる事務所にしたらその前後の仕事抑えたり控えたりもせんならんやろうし
ってなってくるともう「24時間テレビっていうこの番組だけ(ノーギャラ)って話」ではなくなってくるじゃないですか。

っていうかそもそも「チャリティ番組でギャラが発生することが人道的に云々」っていう話よりも、まずは
(そうしてギャラが発生してでも)やっぱ影響力のある人に出演してもらわないと番組自体が注目すらされないわけで。

例えばですけど、私が「ノーギャラでいいっすよ」って言うて、24時間テレビのパーソナリティをしたところで
誰が24時間テレビを観てくれる?誰が武道館まで来てくれる?誰が応援ファックス送ってくれる?
ええとこツレや親戚がちょっとファックスくれて、関東在住のツレの何人かが武道館まで来てくれる程度ですよ。
スポンサーがっかり、準備したスタッフもがっかり、そして何より
「こういう病気があることを世間の人にも知ってほしい」と願う人たちがもう一番がっかり。
ってなると思うんですよ。だから、問題は「そこ」じゃないんかもしれんなあって思って。

っていうかもっと言うたら、
「チャリティ番組なんやからノーギャラでやるのが当然やろ」って全部が全部そうなってしまったら
「テレビ離れでスポンサーがついてくれずテレビ局自体にカネがない」このご時勢、それはそれで別の問題が起きるかもしれない。

変な話、頭に「チャリティ」って付けといたら、もうそれは「チャリティ番組」にもなれてしまうんで
下手したら新聞のラテ欄(テレビ欄)が「チャリティだらけ」になるかもわからないですしね。


チャリティ・月9ドラマ
チャリティ・コントバラエティ
チャリティ・ニュース



とかね。



ル~ルル ルルル ル~ルル……
「みなさまこんにちは、チャリティ・徹子の部屋です…」




黒柳徹子さんごめんなさい。もうしません。




「チャリティ~~~アターックチャ~ンス!」




児玉清さんごめんなさい。ほんまにほんまにもうしません。





話戻って。


募金のことにしたって、例えば日テレが
「24時間テレビをやったつもりで、それにかかる費用の10億をまるっぽ寄付しますわ」
って、したとして、まあそんなことは会社の上層部のOKがまず出ないでしょうが、もしもそれが出来たとして、
そら確かに「話は早い」かもしれんけどそれがほんとに喜ばれるんかなあって。
そらどんなカネでもカネはカネなんで、困ってる人にしたらそら嬉しいかもしれんけど
同じ10億の寄付でも、多くの人の応援と善意が積もり積もっての10億の寄付、のほうがやっぱ嬉しいんちゃうかなって。
だから、「10億かけて10億集めるって遠回りやん、一体なにがしたいねん」って話じゃないんですよね、きっと。
あの番組をやることで視聴者に「募金」でなく「募気(ん)」を呼びかけてるんですね、「気持ち」を募りたい。
それこそ、テレビ(メディア)はボランティア団体じゃないんですから「伝えること」が仕事、使命であり
タレントにしても「何かを表現すること」が、その才能を選ばれた彼らの仕事であり天命だと思うんで、
それらが組み合わさった形で生まれたのがあの「24時間テレビ」というチャリティ番組なのではないかと。

逆に言うたら「誰も損はしてない」わけですし。

その企画に賛同したスポンサーは自分とこの会社の宣伝にもなるからとその番組にカネを出し
そうして集めたカネでテレビ局は「伝えたいことを伝える番組」を創ることができる。
それに起用されたタレントは報酬を貰うことで仕事として手を抜かずに「表現」をし
その結果、「そんな風に苦しんでいる人がいるなんて知らなかったこと」が世間の人々に広まり、
そのことで、多くの人々の気持ちを募ることに成功し善意の募金も集まって、困ってる人たちが助かる。


なら、もうなんかそれでいいんじゃないかと。
「その裏」を突き詰めて、私が怒ることもないんじゃないかと。



今回の24時間テレビについて「ヤフーニュースのコメント欄がなんかめっちゃ荒れてた」という話を聞いた。
それは私が長らくの間、「なんとなく不快感」を拭えなかった時の思いと同じようなコメントも多かった。
「あんなもん慈善ちゃうわ!24時間テレビは偽善じゃ!」みたいなね。
そうね、そうね、わかります、めっちゃわかりますよ。でも私はもう「そこ」を越えた。なんか越えた。

そんな私が今ひとつだけ言いたいことは


「各地の募金箱置いてるとこをいちいち中継すんの、あれ、やめてくれ」


もし自分がそこに見切れて(映りこんで)しまって
「りっさん募金行ってたやろwテレビに映ってたでw」とかツレから言われようもんなら、私はもうその場で自決する。
テレビ観て感動して今すぐになけなしの小銭を募金したい気持ちが高まっても、あの「ランダム中継」がいちいちあることで、
それがよもや身内にバレた時のことを思うともうほんま恥ずかしいので、なんか躊躇してしまうんですよ。

「今動いた心」のまま、募金箱めがけてまっしぐらに走れた「幼い頃の私」が、なんだか眩しい。


逆にもうちょっと経験値を積んだら、今の「ここ」も越えることができて

「うん、行ったよ。」

って言えるようになるのかもしれんが、それにはまだ少し時間がかかりそうだ。




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  1. 2010/09/01(水) 23:45:30|
  2. 「こっち見んな!!!」

24時間テレビに思うこと

さて。

先日毎年恒例の24時間テレビ~愛は地球を救う~のオンエアがありましたね。

番組開始と同時に先の記事で書いた飲み会があり翌日も大方寝てたんで、私はほとんど観てませんが、
はるな愛ちゃんがチャリティマラソンを走ってたんで、いちごは気にかけて観てたみたいです。

てか、フジの27時間のほうでも最近なんか走ってるけど、あれ、なんで


「(今年流行のタレントが)なんか走る」


が、定番になったんでしょうね?


「まあ、スポーツ選手でもないタレントがなんかちょっと練習してできることっていうたらマラソンになるんかなあ~?」

と言ったら、ガチンコのマラソンランナーのいちごさん(上の娘)に


「マラソンをナメるな!」


と、私はもうおもっくそ怒られて、ごっつ叱られた。


い「24時間テレビで走るマラソンはレースと違うからタイムを競う大変さはないにしても、あれだけの距離を走り続けるってもうほんまにしんどいねんから!しかもアスファルトの上を走るっていうのはグラウンドとか芝生を走るのと全然違うし、足痛いし、膝も痛めやすいねん!芸能界の仕事もしながら本番までにどれぐらいトレーニングしてはるか知らんけどあんなん無茶やし。だから本番までに怪我とか故障をしてしまって、万全の体制で本番を走れないことになるねん!なんぼいいコーチがついてはってもはっきり言ってもう無茶やし。でも、それでも、今走ることをしたい、続けたいって気力で完走しはるってもうほんまに凄いことなんやから!それは自分との戦いやねん!てか、ママ、マラソンのこと、どこまでわかってんの!?」
私「ごめんなさい。そんな本気でマラソンしたことないので正直わかりません。なんかわかったようなことを言うてほんますんませんでした」



今回のあの「チャリティ・マラソン」は、素人目の私が垣間見ても、愛ちゃん、かなりしんどそうでした。
普段あれだけサービス精神旺盛なはるな愛ちゃんが沿道の声援に目もくれないって、もうよほどやったんやと思う。
てか、たかがタレントに「気力だけ」で長距離を走らせるあの恒例イベント、もうそろそろやめてくれ。
いちごさん(ガチンコのマラソンランナー)がそのうちマジでガチギレする前に、もうそろそろ「その習慣」をやめてくれ。



さて。



てなわけで「24時間テレビ」について。

私はこう見えて(どう見える?w)結構涙もろいので、
誰かがなんか頑張ってるのを見るとすぐ感動して、そしてすぐもらい泣きします。
それこそ、24時間テレビのスタッフにしたら「めっさええ客」やと思います。

あの番組は私が小学生の頃からああして放送してましたから、CM入りの前に番組パーソナリティが
「子どもたちに愛の手を!」などと叫んでCMに入ると、もう大急ぎでなけなしの小遣いを近所の募金箱に持って行った。
実家の近所の某大手自動車メーカーが24時間テレビの募金箱を設置してたんで、その感動のままにそこに走って行ってた。
と、なんかもうそれぐらい、「24時間テレビ」が訴える「感動」にハマってた時期もありました。
24時間テレビのスタッフにしたら、まさに 「めっちゃオイシイ客」ですよね。



そんな私が24時間テレビにある疑問を持ったのは、私が思春期に入った頃でした。


「24時間テレビの出演者は何百万というギャラを貰ってあの番組に出演してるんやって」という話を聞いたんですよ。


「てか、なにそれ?」


ドブ川の水飲んで生きてる発展途上国の子どもらやハンディを持ってる子どもらの姿に「ガンバレガンバレ」と泣いて、
それを観て泣く視聴者に「愛の手を!」って言うて募金を募ってるくせに、自分らは裏で莫大なギャラを貰ってるとか、


「大人って、なんてずるいの」と。


まあ今はもうそれを「ずるい」とは思いませんが。
自分がした仕事に対しての報酬を受け取るのは労働者として当然の権利なんで、だからもしも、
今「24時間テレビ」にハマって感動して「お風呂掃除で貯めたお小遣いを募金する」と走るうちの娘らが
いつかその事実を知って、「大人はずるい!」と言いだしても、今の私はそれについて「社会人としての説明」ができる。



ただ。



大人や社会人になった今はそれを「ずるい」とは思わないが、
でも、その事実についての「不快感」的なものが、私の中には、なんかずっとあって、
感動するし、もらい泣きすることもあるけど、どこか「あの番組」を斜めに見てしまうんです。



そもそも「その影でカネ儲けしてる人がいる」とか、「そこに何らかの利権が発生している」ような
そんなチャリティ活動やボランティア活動は「慈善事業」ではなく、「偽善事業」やと私は思うんですよ。


だからあの24時間テレビにしても、あの番組をやることで何かしら儲けているやつが一人でもいる限り
「頑張ってる人のその姿」には感動して泣くには泣いても、その番組自体は、やっぱ「斜め」に見る。


番組終了までに毎年大体3億ぐらいの寄付が集まるが、
番組終了後の募金も合わせて総額で10億ぐらいになることも多々あるようで、だがその一方で
出演したタレントのギャラなども全部入れてあの番組自体の経費が10数億かかっているとも言われている。


そこで私がひとつだけ思うことは

てかほな、日テレがその10数億のカネを寄付したら話早いんちゃうの?
「愛」を謳い、またそれを人に募るのならば、まずは君の「真摯な愛」を魅せてくれ。




そして、もっと言うたら
あの番組に出演してるタレント全員を「今だに」斜めに見てしまうとこが、どうしても、なんか、あって。

ドブ川の水飲んで生きてる発展途上国の子どもらやハンディを持ってる子どもらの姿に「ガンバレガンバレ」と泣いて、
それを観て泣く視聴者に「愛の手を!」って言うて募金を募ってるくせに、自分らは裏で莫大なギャラを貰ってるんやね~って。
逆に言うと「そんな不便ながら頑張ってる人を食い物にしてるおまえらって、カネの亡者やんな」って思って。



昔むかし、多分それこそ「ひょうきん族」をやってはった頃やろうと思うんですが
さんまさんに24時間テレビのパーソナリティのオファーがあって、さんまさんがその時に言わはったそうです。
「ほな俺のギャラを全額寄付しといて。(ギャラはいらん)」と。

日テレ側「いや、それは困ります」
さんまさん「なんでやねん!チャリティ番組に出てるタレントがギャラ貰うとかおかしいやろ!それやったら俺はやらへん」

ってな話で、若かりし頃のさんまさんはそのオファーを蹴らはったそうで。


「さんまさんのその思い、なんかごっつわかります」



てなわけで。


私はもうだいぶ長いこと、「24時間テレビ」を放送してる日テレや、
もっと言うとそれに出演するタレントもろともを「慈善でカネ儲けする偽善者集団」と思って、
「24時間テレビ~愛は地球を救う~」という番組を、なんか「斜め」に見てたんですよね。



続く
  1. 2010/09/01(水) 03:22:19|
  2. 「こっち見んな!!!」

行く年・来る年 その2

さて この 続き。


さらに「行く年」、に思うことはやっぱこないだのクリスマス会かなあ。

先日、 例の ももの保育園のクリスマス会があったんですよね。

母体が教会であるももの保育園では、クリスマス会は礼拝として神聖に執り行われます。
だから、明かりを消して祭壇の上のろうそくに火を灯すとこから儀式が始まり
そこにいる全員が目を閉じて手を組み、神様に感謝の祈りを捧げる黙祷をします。
その後、園長先生が生誕祭(クリスマス)についてお話をされ、
その後、その教会の牧師先生がお見えになって、
聖書の中から子どもたちにもわかるような例えを持って何かお話をしてくださる。

保育園の保護者の中にはこの儀式について、正直、
「毎年毎年もうええって。子どもの劇を観に来たんや。てか、うち仏教やし」
って、ちょっとうんざり気味のやっつけ仕事になってる人もいるようですが
私にとっては逆に、てかそれは逆に順当に、その礼拝こそがメインなんですよね。
いや、うちも仏教ですけど。てかもうどの家もほぼみんな仏教ですけど。

なんちゅうか、

年に一回あの礼拝をすることによって、なんか自分がクリアになるんですよね。
「今年もこうしてクリスマス(私たちの救い主である神の子イエス様がこの世にお生まれになった日=神様からの愛を私たちが感じることが出来た、その素晴らしい日)をお祝いすることができる喜び、感謝」
について、その祈りを神様にお捧げすると、ものすごく清々しい気分になるんです。年々、歳を増すごとに。

いや、わかってますよ。
ろうそくの火がおごそかに揺れているだけの礼拝中から、
終わったらパッと電気がついて目の前が明るくなる→晴れた気になる、
っていう視覚効果?的な印象も関係しているのではないか、ってことは。


っていうか、なんて言うんかなー。


ぶっちゃけ、毎日毎日全てに感謝して生きているような聖人ではないですから私は、
そら、世の中にはそれを苦労せずにやり遂げられる人もいるのかもしれないし、
私のツレらでも年がら年中全てに感謝して生きている人間もおるし、それは凄いと思う。


ただ、私にはそんなことはできない。


いや、いいことがあった時は、それはわりと簡単に出来ると思うんですよ。
自分が「あー幸せやなー」っていう状態やとね、感謝のひとつでもしてみたくなるし。
ただ、問題は悪いこと・嫌なことが起きた時なんですよ。
そんな時は「感謝(笑)」とか、なんかもう鼻で笑ってしまいますからね、私は。


嫌なことやムカつくことがあったりなんか腹立つこと言うようなやつがおったら、


アホぬかせやカス。  とか
このボケほんま…!(いてまうど!)。  とか
いっぺんおまえの頭の中が見てみたいわ!  とか


正直思いますからね、それは。



そんな時にまで、

こんな人間にはならないようにという戒めを、
神様が、或いはこの人自身が、私に与えてくれているんだ



とか、そんな感謝の思いをいついかなる時も持って私はよう生きられませんし、
ちょっと時間が経ってから「まあこれもいい経験や」と消化することはあっても
毎日毎日全てに感謝しながら生きて、
さらにその感謝を誰かにフィードバックするということ(祈り)をするのは私には難しい。


余談ですが、
某宗教の毎日の勤行とかほんまようやるなと思いますしね。ツレにもわりといますけど。
私にはできないですよ、毎日お題目を上げるとかもう無理ですね。
ただ、そういう「祈り」についてはなんか少しわかるところもあるんですよ。
それは「基本的に葬式と命日と法事と盆正月お彼岸の時しか仏壇やお墓に参らない」という
「いわゆる仏教」の家庭に育ちながらも、幼少の頃にちょっと「神教」もかじってたからかもしれないが、
毎日そうして「祈り」が出来るということは、常にどこか心に余裕があるんやろうと思うし、
いや、そら「苦しいからなんか助けて~」とかで祈ってる人はなんかあかんと思いますけど
前向きな意味で「祈り」を続けている私のツレらは、
そんなことは絶対できない私より、なんか心が広い人間なんやろうなとも思うし。




話戻って。



さて。


そんな私が、怒りも照れも、「笑い」すらもむしろ忘れて、
本当に神聖な気持ちで「感謝の祈り」を出来るのが、もものクリスマス会(礼拝)なんですよね。


ただ、ももは今年でここを卒園するので、
ももが卒園したら私はこのクリスマス会にもう来ることもないので、
てか、母体が教会なんで多分何らかのクリスマス礼拝は教会側としてやってはるやろけど
そこにわざわざこれからも行くほどのやつではないことは自分でわかっているので
逆に「年に一回」やからそれが出来ていたのであって、その機会がなくなったら
「来年から、なんかどうしよう?」って、そうも思ったりして。


そんな感じで、
私は、「今年が祈り納めになるな」っていう気持ちで神様への祈り(礼拝)をお捧げした。



「子どもたちが健やかに成長していることを感謝致します」
「私の後ろで半分寝てるこの彼氏さんと、私たちが出会えたことに感謝致します」
「素晴らしい友達に恵まれたことを感謝致します」
「今、私が生きていることを感謝致します」
「私に出会ってくださった(一部を除く)全ての人々に感謝致します」
「イエス様のお名前によって、このお祈りを神様にお捧げ致します」




またしても実に清々しい気持ちになりました。





ただ、この日この後、飲み会したんですけどね。



志村、神聖!!!



ももの保育園ママ友始まりで出会った、
漢字は違うけど、私と名前が一緒の一個年上のツレ「りぃちゃん(仮名)」の家で、
保護者会役員仲間のミワちゃん(下の弟の元カノ)も一緒に飲んだ。

りぃちゃんのお母さんは「京都のおばんざい飲み屋」を経営しながらりぃちゃん達三人姉弟を育ててくれて、
お父さんはある日突然2000万の借金を置いて蒸発したいわば「ろくでなし」だったらしい。

りぃ「母親が水商売してたのに私は母親の酔ってる姿を一度も見たことないねんな~。法律とか知らんからさ、借金取りに脅されるがままに蒸発した夫の借金も母親が完済したしな。私も就職してから少しは助けたけど」
私「てかそれ、オカン女前(男前的な女に対する関西の誉め言葉)すぎるやろwww言うたらあれやけど当時でその金額やったら子ども連れて心中してもおかしないで」
りぃ「かなり女前やんな?w」
私「てか、むしろりぃちゃんのオカンとなんか飲みたいわwww」
りぃ「いや、オカン酒止めたからwもう70やからwwwって今も弁当屋でおばんざい作り続けてますけどww」
私「よほど料理が好きなんやろな、お母さん」
りぃ「多分そうやと思う。小さい頃から色々料理を教えてくれてさ~。私も料理するの好きやったから、それがほんまに楽しくて、嬉しくてさ~」
私「料理好きな子は好きやからなwwwいちごもなんや言うては台所をうろうろしてるわw」


そんな「りぃちゃん」のおもてなしは、
安くて早くて簡単な中で独自の工夫がしてあって、さらに栄養も抜群の
「おかずにもなるし、おつまみにもなる」っていうアイデア料理ばかりでどれも美味しくて
三ツ星レストラン(笑)とかが裸足で逃げ出すような愛情のこもったおもてなしだった。

よって、私はなんか飲み過ぎて、
帰りがけにももにジャンパーを着せようとして有り得ない体勢ですっ転んで
左の頬骨を床でダイレクトに強打してみんなにだいぶ心配をかけたが、
一緒に飲み会に参加してた彼氏さんの保護によって、なんか無事に家まで帰ってきていた。


と、まあ、昼間どんだけ礼拝を捧げても。私なんか所詮そんなもんですよ。




話戻って。




私にとっては一年に一回、なんか総決算でまとめて感謝するぐらいの礼拝が多分向いている。
でも、ももが今年卒園するので、それも来年からどうなるのかと思ってたんですが、
今年も、彼氏さんのご実家から「(年末の)お餅つきに帰っておいで」とお誘いをいただきました。



そやった!

クリスマス礼拝が来年から出来なくなっても、この時期これからも毎年、
感謝の祈りを捧げられる神(彼氏さんのお母さん)が、居はったんやった!




よって今年もまた年末、いちごとももを連れて彼氏さんの実家に帰ります。


来る年のことは来てみないとわからないので、また来てから書きます。


皆様、良いお年を。

   
   
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  1. 2009/12/24(木) 01:15:06|
  2. 「こっち見んな!!!」
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京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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