どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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わきちゃんの「輝期」

さて。

先日、娘のいちごとももが「ママが子どもの頃に流行った歌、うたって~」と言うので、
懐かしの「わらべ」の 『めだかの兄妹』 を歌ってやることにしたんですよ。しかも、大サービスの「振り付き」で。

私「♪めだか~のきょうだいがー か~わのなか おおきくなった~ら なんにーなーる…♪」

もも「はいはい、はーいっ!ももちゃんは、まぐろになるとおもいますっ!」

いちご「アハハw 違うよ、ももちゃん。大きくなってもめだかはめだかのままだよ!」 

お、オチまで全部言われた…。 まだ1フレーズしか歌ってないのに… orz


「続きを歌ってくれ」とせがまれましたが、その状況で私はよう続きを歌えませんでした。歌えるかそんなもん!!!



さて。

台風が来ていたので、「以前、私の頭上に雷が落ちた話とそれにまつわるおっさんネタ」を書こうと思ったんだが
その前に書きたいネタというか、「書いておきたいネタ」を思い出したので、「亀ちゃんと、落雷騒動」のネタはまたいづれw
てな感じで、今日の本題。


だいぶ前に、「モテ期」 とかいう言葉が流行したことがありましたよね。
その当時、モテないやつらどもの間では、「俺には私にはないぞ!いつだ!?」とかそんな波紋も呼んでたようですが。
と、そんな有るような無いような「モテ期」と違い、「輝期」こそほんま、「誰でも必ず一度はあること」と、私は思うんですよ。
まあ、今りっさんが勝手に創った言葉なんですけどね、「輝期」。


【輝期 かがや-き】
何を言っても、何をやっても、なんかウケる時。その瞬間。その時期。



「でもりっさん おもろいやつはいつでもおもろいし、おもんないやつはやっぱいつまでもおもろないでww」 って?



ところがどっこい(昭和死語)



私は、「いつも全くおもろないやつ」が、もうドッカンドッカン笑いを取っているその「期」をこの目で確かに見たのだ。
ちなみにその「普段そのいつも全くおもろないやつ」がもうどれぐらいおもろなかったか?というと、

「決して人間的に嫌な人ではないんやけど彼の全くおもしろくないネタを聞きたくないから話しかけられたくなくて、人々が彼とのその接触ごとを避けていく」

ぐらいのレベルのひどいおもろなさで、彼が放つどのネタも「スベってる以前にスベってる」みたいなものばかりで、
「笑い」というコミュニケーションのプラスアイテムが、むしろ逆にお荷物になってしまっているという、なんかそんな人だった。

お待たせしました。
「その人」は、私が昔勤めていた会社の同じ課の二個上の先輩で、あだ名は「わきちゃん」といいます。
私が入社した当初はアートワーク担当(トレース作業)をしてはったんだが、途中で暗室担当(フィルムの)に異動しはった先輩です。

黒縁眼鏡のずんぐりむっくり体型で、冴えない笑いもさることながら、なんかもの凄い衣装センスの持ち主で
「縦じまの細いストライプのシャツの下にアーミー柄のパンツを履いて、赤いバンダナを巻く」とかそんな格好を好んでしていた。
え、何?「そんなん、アキバ行ったらなんぼでもおるやんw」って?

でもそれ、1995年ぐらいの話なんですよ?
あの時代に「アキバ系」というノリやファッションがあったか?


と、そんな早くから「独自の意識」で、彼はそれをやっていたんです。秋葉原ではない、ここ京都で、「独り」で。


あ、関係ないけど、わきちゃんと同期の男の先輩でヤマダさんという人がいて、その人も凄いセンスを持ってはりましたね。
ねずみ男みたいな顔してんのに服装が常に「長渕ルック」だったんです。もちろん、ロック音楽とかバンドとか一切やっていない。
で、そのヤマダさんがある日、銀色の派手なペンダントを着けてきていたので、よく見たらもう思いきり

S E X

って、書いてあったので、不覚にも笑ってしまった。


ちゅうかアンタ 「間違いなく」 童の貞やろ?www
ちゃんと「意味」をわかって 「そのペンダント」を着けてんの???www



話戻って。


と、そんな「わきちゃん」のネタの何がおもろなかったか?というと「外し方」がなんかヘタだったんですよ。
「おもしろいことを言おう、言おう」としてるのはわかるんやけど、「外すところはそこじゃないやろ?」、みたいな。
「っていうか、軸となる部分(基礎)の線路自体がすでに最初から寸断されてしまっているぞ?」、みたいな。


急ぎの仕事でみんながバタバタしてる時に

「みんな! キラ~ン☆ 僕のこの はやぶさの剣 を使うといいよ!」

ってボケてくるとかね。


そんな「必殺アイテム」を持ってるならおまえが今その「はやぶさの剣」とやらを使って早くフイルムを上げろよwww



もう本当に一回、わきちゃんのしでかす笑いについて「注意」をしないといけない、と私はずっと思っていた。
でも、わきちゃんは「言うても、先輩」なんで、仕事中にはその機会をなかなか見い出せないでいたんですよね。
かと言え、仕事終わってから「(その注意のために)わきちゃんと飲みに行く」とかも正直キツイ。っていうかだいぶキツイ。

と、そんな折、仕事の一環として仕事しながらやっていた「品質管理向上発表会」的なもののチーム打ち上げがあって。

あんまり活動に活躍してくれてなかったからその存在を忘れてたけど、
私が当時所属していた兄貴(笑いの師匠)率いるそのチームにわきちゃんも居たので、わきちゃんもその打ち上げに来た。
「打ち上げ」言うたら酒も入るので、これは「わきちゃんの笑いにモノ申す大チャンス」だなと私は思った。
だが、このよきタイミングに当たって、もう全く同じことを兄貴も考えてはったみたいで。


兄貴「わきちゃん、笑わそう笑わそうとするから逆にスベるんちゃうか?w」
わきちゃん「でも僕が普通にしゃべる話なんか、なんにもおもしろくないですし…」
兄貴「例えば、最近ビックリした出来事とかないの?」
わき「最近ビックリした出来事…。会社の帰りにバイクで赤信号を停まってたら、後ろのベンツからヤクザみたいな丸坊主のおっさんが降りてきていきなり頭をボコボコに叩かれ続けたこと、ぐらいですかね?」

なにその奇跡体験!!!(全員爆笑)

私「え、その、頭ボコボコに叩かれ続けてる間はどうしてはったんですか?抵抗しなかったんですか?ww」
わき「信号が変わるまでそのまま前を見てじっとしてましたよ?手を離したらバイクが倒れてしまうので」
私「いきなり道の真ん中でヤクザみたいなおっさんに頭をボコボコに叩かれ続けながらも微動だにしないバイク乗りwww」
わき「まあそういうことになりますね。ただ、僕はヘルメットしてたから見た目よりかは全然痛くなかったんですけどね」

そういう問題か!!!(全員爆笑)

兄貴「ええやんええやん~!おもろいネタ持ってるやんけ~!他には何か出来事ないの?」
わき「他に…。あ、こないだ角の自動販売機で千円札でジュースを買おうとしたんですよ。で、お金入れてボタン押して、あれ~?なかなか出てこーへんなあ?って思って待ってたら、中でなんか変な音がしてるんです。ブイーン…って。なんやろな~?壊れてんのかな?って思ってたらしばらくしてゴトンって言うて、何故かアクエリアスの2リットルのペットボトルが出てきたんですよ。そんな2リットルも飲みたいほど喉渇いてないし、しかも僕は炭酸が飲みたかったのに」

ダブルパンチじゃないですか!!!(全員爆笑)

私「っていうかそれ、わきちゃんがただボタン押し間違えただけと違うんですか?ww」
わき「それは絶対ないんですよ!だって2リットルのボタンってちょっと大きいじゃないですか?いくらなんでも間違えないですよ!」
私「え、ほんでその2リットルのアクエリアスはどうしたんですか?w」
わき「しょうがないから仕事中にちょびちょび飲んで、帰るまでに全部無くならしましたよ」

結局、飲んだんかい!!!(全員爆笑)


その日のわきちゃんは本当に輝いていました。もう何を言ってもドッカンドッカンウケていた。初の家族ネタまで披露していた。
まさかわきちゃんの笑いに普通にツッコめることがあるなんて思いもよらなかったが、どのネタもちゃんと成立していました。
きっとこれでコツを掴んでくれたに違いないわきちゃんにもう何も言うことはない、と私は思いました。
だが、その翌日には、わきちゃんはまた全くおもろなくなっていたのだが…。

よって、あれこそがわきちゃんの「輝期」だったんだろうと思う。あまりにも短すぎる「わきちゃんの輝期」。




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  1. 2011/07/21(木) 23:15:03|
  2. 思い出のネタ(社会人編)

私が兄貴を慕うわけ・2

さて、この 続きです。

そうして今年度のお楽しみステージで、私は「パフィーとか」をやることになった。

ちなみに、なんでかわからんがその年は「恒例の対抗戦」でなく「有志のステージ」とされ、
出場義務はないがそんなことは関係なく、私は「変わらず、出る」つもりだった。

話戻って。

だがその相方を探すにあたり、同期(相棒)のともはその頃、仕事をしながらまあまあ本気で趣味のバンド活動をしていたので
そっちのほうのスタジオ練習があったり、土日のたびに京都や大阪でライブをやったりと、なんや忙しくしとったんですね。
なので私は、当時週末しょっちゅう一緒に飲みに行っていた、同じ課の一個上の「まあきいさん」という先輩に声をかけた。

まあきいさん「え、パフィー?しかも兄貴さんプロデュースで?w…ようわからんけど、なんかおもしろそうやからやるわw」

と、そうしてひとつ返事で快諾してくれはったんで、まあきいさんと私による「パフィーとかやるコンビ」が結成し、
とりあえず、ほな「アジアの純真」でも歌って踊ろうかいな、ということと、
揃いの衣装(デビューの頃の)と、あの髪型のカツラを用意せんとあかんな、というところまで話が決まった。

余談だが、衣装揃えのほうはもう全然楽勝でした。
なんせ印刷もやってる会社だったんで、当時パフィーが着てた「水色の無地のTシャツ」を適当に二枚買ってきて、
製版課に協力してもらって自分らで胸元のプリント版(Paffy & co...だか何だか)を作り、課の上司にお願いして、
退勤後の作業室で即席の手刷りで印刷してもらった(←ちなみに、これを人に売ったら「偽造販売」という犯罪になる)。
あと、下はそれぞれ自前のジーパンでいけたんで、別段準備もいらなかったし。
問題は、あのロング・ソバージュのヅラ(ウイッグ)探しのほうでした。あれはほんまに難儀しました。
当時は今みたいにウイッグやエクステ(?)が一般的ではなく、休みのたびにせんどあちこち探し回ってもどこにも置いてなかった。

私「意外と おしゃれ洋品店 になら、それらしいものがあるかもしれないですね…」
まあきいさん「なにそれww」
私「ほら、ちょっと寂れた商店街の隅っことかにあるじゃないですか?客入ってんの一回も見たことない、豹柄の服着てるおばはんがやってるような店?ああいうとこにやったら逆にあるかもしれんな?と思って」
ま「あーなるほど、 おしゃれ洋品店 なwww」
私「ただ、あったとしてもロングソバージュのヅラがあるか?ってのが微妙ですけどね。それもう本気やん!っていう、 レディースアートネイチャ~ みたいなやつしかないかもやしww」

とか言いつつ「そういった店」にまで行き着くしたがそれでも見つからず、いわば「ヅラ難民」みたいな日々を過ごしていた。

そんなある日、誰か先輩やったか後輩やったかが「京都駅の近くの○○ビル(ファッションビル)で見かけた!」という情報をくれ、
もう大急ぎで次の休みにそのビルに駆けつけ、やっとそこでパフィー(亜美ちゃんと由美ちゃんっぽい)ウイッグを入手した。
おそらく、まあきいさんと私は延べ三ヶ月ぐらい、ヅラを求めて放浪していたと思う…。あ、仕事もしてましたよww


話戻って。


と、そうしてこちらはもう着々と「パフィーとか」の準備を進めているのに、
当のプロデューサー(兄貴)からは、もう一向に「稽古の呼び出し」も「演技指導の呼び出し」もなかったんですね。
よって、不審に思った私は「なんかボケましょか?w」と、こちらから兄貴にお伺いを立てたんです。
だが兄貴はそこで、もう到底「兄貴(笑いびと・笑いの神)らしからぬこと」を言ったんですよ。


「いや、おまえらはボケんでいい」
「おまえらはもう 普通~に、パフィーを歌って踊ってしたらいい」



私「普通に…。てか、え?おまえらは、って他に共演者がいるんですか!?」
兄貴「共演者というか、特別出演というか…」
私「なんなんすかw誰なんすかw聞いてないwww」


と、そこで初めて知らされた今回の全貌(兄貴プロデュース)とは。

君らが「パフィーとか」をやってる舞台の後ろを、社長と専務のお面を付けたやつが、なんかちょっと横切ります、と。
「この子ら何してんのかな~?パフィー?知らないなー?」みたいな感じで見ながら、社長と専務が横切って行きます、と。
客席が笑います。でも君らはそれに動じず「普通に」パフィーをやり続けます、と、今回のステージはそんな内容です、と。

私「えっと、色々聞きたいんですけど、まず社長と専務のお面っていうのはなに?w ないですやん?そんなん?」
兄貴「そやねんな~。ないねんな~…。 だからそれはもうコレから作ろうと思う」

と言いながら兄貴が取り出したのは、年に数回発行される我が社の「社内報(総務部広報刊行)」で、
兄貴が指さしていたのは、新春号の「新年の挨拶(社長・著)」に横に載っていたおよそ3センチ角の社長の顔写真だった。

兄貴「ここから拡大コピーしていって、でっかいお面を作ろうと思ってんねん。70センチ角ぐらいの」

私「ぜったい 怒られるって!!!www クビなるわクビwwwww」 


すると兄貴は、「だからや! だから、そこで、おまえらの力が必要なんやんけ!」と言った。
それがパフィー、つまり「若い女の子二人組メインのステージ上でのこと」でなら、それは「絶対に」怒られないはずだ、と。
おそらく昨年度の宴会で私とともがやった「パンチラダンスの優勝」を逆手にとって、その悪巧みを思いつかはったのでしょう。
なるほどな、そういうことか。 いやはや考えはったな、さすが兄貴……。


私「要するに、うちらは、 鵜飼いの鵜 なわけですね?鵜飼いの兄貴の笑いの  になれと?」
兄貴「君らは後ろで起きている出来事は何も気にしないで、前で歌ってたらいいからw」


私「ほんまに鬼畜やで このひとwwwww」 


もうそれは言葉のアヤでなく、この人はほんまに「笑いの鬼畜」やと思いました。笑いのためならなんでもしはる。
いや、「なんでもしはる」っていうか、「この笑いにクレームが来ない方法でのやり方」を、もうなんでも考えはる。
って、それもうほんまにプロデューサーやん! 悪いけど本家の「奥田民生」を越えたで、「コスさ(ズルさ)」ではwww


話進んで。


兄貴の作った「社長専務のバカでかいお面」の出来がもうあまりにもナイスなおかしさだったので、兄貴と私は爆笑しました。
それを被るともうたちまち誰もが、「社長と専務の顔で、四頭身」ですからね。
もう「Dr.スランプアラレちゃん」に出てきそうな「社長くんと専務くん」ですからね。「んちゃ!」ですよ、「んちゃ!」。
しかもアピールしまくりのそのでっかい顔(お面)は「イマドキ、白黒」だというその重ね重ねのミスマッチ・シュール。
って、もうそうなると、「チョイ役出演でこのクオリティはもったいないのではないか?」ということで(←さらなる悪ノリ開始)
兄貴は夜な夜なその「社長と専務のバカでかい白黒お面」を、なんとトータル10体(社長と専務のコンビで計5セット)も量産し、
当初は「アジアの純真」をパフィーとか、が歌って踊ってる中を社長と専務が通りすぎる、で終わる予定だったはずが、
二曲目「サーキットの娘 with 社長専務ダンサーズ」(←メインイベントwww)を、なんかやることになった。



その年の慰安旅行の「お楽しみステージ」は、史上初の「笑いのステージ」だったと思います。


入社一年目と二年目の女子社員が歌って踊るバックで、
スクールメイツ風のダンスをする「10人の社長と専務たち」。



中小企業といえど、当時150人ぐらい社員がいました。関西では、特に「その業界」では、かなり名だたる企業でした。
と、そんな会社を取り仕切るツートップ(でっかいお面)が、「はにかんだ調子でボックスを踏んで踊る♪」という異常事態。


「あいつらムチャクチャしよるwww」


とか、もうみんな口々にそんなん言いながら、腹かかえて、手叩いて、もう泣いて笑ってました。
私がステージ上から確認していた限り、笑ってないやつは一人もいませんでした。
社長専務本人も、そら「70センチ角の自分らの顔」には一瞬ビックリしはったけど、やっぱ笑ってはりました。
あれはもうほんま夢のような「笑いの祭典」でした。天才兄貴の「笑いの祭典」。

そして、兄貴(プロデューサー)が「おまえらが前面に立っている限り、大丈夫や」と言っていた通り、
その笑い(悪ふざけw)に対して、誰もなんのお咎めもなく誰もクビにもならず誰も左遷されなかった。
てかそれどころか、そのステージ後の集合写真が次号の「社内報」のトップに掲載されましたからね。
「ホンモノの社長専務を囲んでの、パフィーと でっかいお面の社長専務10体 の集合写真」が。

余談だが、
その写真を社内報のトップに掲載したのは、総務部の某係長(おとなしく真面目なイエスマン)だったのだが、
彼はそのステージの間中、まるでカメラ小僧のようにもう大喜びで「でっかいお面の社長と専務」の写真を撮りまくっていた。
自分には一生かかっても実現できないとんでもない「笑い」を見て、もう胸が踊ったんでしょう。それでいいんだよwww


話戻って。


その集合写真に、裏方の兄貴(プロデューサー)は載っていませんでした。
この壮大な企画を発案・構成し、キャスティングし、「社長と専務」にスクールメイツダンスの演出をつけたのも全部、兄貴なのに。

でも兄貴はそのことで何も言いませんでした。「あれは俺の手柄なんやで」みたいなことをもう一切言わなかった。
だからもしかしたら今でも、あの壮大なステージが「兄貴の仕業」だったことを知らない人もいるかもしれない。

と、そんな兄貴は、その社内報のトップページを見て爆笑していました。

「おもろかったな~!傑作やったな!」 



もうめちゃめちゃいい笑顔で。



そんな兄貴を見て私がひとつだけ思ったことは


「鵜飼いの鵜」でも なんでもいい。なんでもやる、逆に 「したい」。
この 笑いの天才・兄貴と ずっと一緒に 「笑い」をやっていたい。



私はその当時まだ若くて(ハタチぐらい)、正直自分が「パフォーマー」として前に前にも出たかったし、
自分がそれをしないと、前に出ていってやらないと、「自分の笑い」はできないもの、とも思っていたんですね。
でも、兄貴のその手腕を目の当たりにして、「こういうやり方(表現)もあるんやな…!」と思ったんですよね。

それから会社を辞めるまでの数年間、私はなんのかんのと表立ってやりましたけど、でも自分の中に、
「いつか私も兄貴みたいに、裏方(演出)がやりたい」という意識・思いが強く芽生えたのも事実で
会社を辞めてからの話にはなるが、脚本とかコントとか書き出したのも「あの時の影響」がかなりあると思う。


てなわけで。

兄貴と一緒にやった企画の中で一番覚えている、強く残っているのは、「あの出し物」のことなんですよね。
そして、だから、私は兄貴を「笑いの師匠」と慕い、私は兄貴を「兄貴」と、そう慕うのです。



もうほんま勝たれへんわ。そもそも追いつける気がしない。
だって、ぜったい 頭おかしいもん、あの人www



[私が兄貴を慕うわけ・2]の続きを読む
  1. 2011/06/29(水) 00:59:08|
  2. 思い出のネタ(社会人編)

私が兄貴を慕うわけ・1

さて。

今日はいきなり本題です「私が兄貴を慕うわけ」。

兄貴というのはもう「どんつき~」ではおなじみの「笑いの師匠」こと、元・会社先輩であり現・親友の男性なんですが
そういや、私が兄貴を何故「兄貴」と慕うのか、ということを詳細に書いたことがなかったんじゃないか…?と思い、
もう思いきり「今さら?」なんだが、「今さらw」なんだが、改めて今一度書くことにしました。

兄貴をひとことで言うと、「根が真面目で心のあたたかい人」です。
そしてもうひとこと付け加えるなら、「三度の飯より悪ふざけが大好きな人」です。

私が兄貴に出会ったのは私が高校を卒業してすぐ入社した会社で、兄貴は私が配属された課の四年目の先輩でした。
当時、兄貴は入社五年目ぐらいまでの「若手」のリーダー的な存在で、課長以下役職者の上司からも一目置かれていた。
と、そうした仕事面でもそうですけど、それに加えて、兄貴は「その課の笑いを築く人(ムードメーカー)」だったんですよね。
なんせ、兄貴がいるとこいるとこ、行くとこ行くとこで、常に「笑い」が起きている。

それまで学生時代、私もそこそこ「笑い」が取れるほうやったので、私は「笑い」にはまあまあ自信がありました。
ちなみに、入社一ヶ月目ぐらいで開催してもらった新人歓迎会で、うちら新人が何か一発芸をやることになったんですが、
「こんなことぐらいしかできませんけど…」と、得意の「欽ちゃん走り」で会場を走り廻ってやったらめっちゃウケて、
もう早速「久本(マチャミ)」というミドルネームがついた。つーかそれ、高校の時からもうずっと言われてきてるけど、またかw

ただ、学生と社会人の「笑い」の一番違うところは、ここは「学校」ではなくあくまでも「職場」であるということで
私が入社当初やっていた「笑い」は、今思うと「学生ノリ」の延長で、先輩や上司にはまあまあ失礼なことも言うてたと思う。
と、そんな学生気分のまんま「笑い」をやってる私に、「職場で笑いをやる(とる)こと」を教えてくれて、
私を「職場で通用する芸人」として鍛えて育ててくれたのが、兄貴=笑いの師匠、だったんですよね。
って、これを兄貴に言うと、兄貴はいつも

「いや、俺はなんもしてないからw 俺はそんな大した人間じゃないからw」

とかそんなん言わはるんですけど、「兄貴」なくして、「今のりっさん」はないんですよ。これはもうほんまマジで。
今私がどんな職場でもどんな集まりでもどんな会合でも「笑いの天才」として君臨しているのは全て兄貴のおかげなんです。
もっと言うと「私の笑い」が今ここでウケてるんじゃないむしろ「兄貴の笑い」が今ここでウケているんだ、と!!!


「ちゅうか、おまえはwww もうほんまええ加減にせえよ???www」


という兄貴のツッコミがなんだか聞こえた気がしたのでもうこの辺でやめとく、これ以上やると逆に怒られるww


話戻って。


兄貴はまあまあかなり人見知りをする人なんで、最初はあんまり自分からしゃべりかけてはくれませんでした。
よって私は、逆にもう私のほうから「○○さん、○○さん」と、なんや言うては兄貴にちょっかいを出して行った。
ないしは当時、「りっちゃんは、○○さんのことが好きなんじゃないか?」と思っていた人もいたと思う。
って、もうそれぐらい私は、用もないのに無理から用を作って、兄貴にいちいちまとわりついて行った。

と、そうして兄貴の近辺をちょろちょろしてるうちに、兄貴が、
「なんやねんもうおまえはw」とかそんなことを言いながらも、次第に私に、
「兄貴の笑いのコマ(弟子)の役割」を与えてくれるようになったのである。


もうなんという「胸熱」。 (胸が熱くなる、の意)


例えば、朝礼の時。
課の全体朝礼は、うろ覚えだが確か週に一回(月曜日)だけで、それは課長が指揮ってはったんですが
それ以外の日は、各チーム(班)のリーダーが指揮ってやってはったんですね。
そして当時兄貴もその「各チーム」のリーダーの一人だった。
会社の新人研修、さらに課の新人研修(具体的レッスン)を終えた私が最初に配属されたのが兄貴のチームで、
その「チーム朝礼」の前、兄貴は時折、私をそっと呼び寄せてはこんなことを言ってきた。

兄貴「おまえ、俺が朝礼中に『腕上げたな』って言うたら、こうやって腕上げろよ?」
私「はい。…え、こうですか?」
兄貴「もっと堂々と自信持って高らかに、こう、な」
私「こ、こうですか???わかりました(←わかってない)」

~そして朝礼中~

兄貴「(仕事の話)…と、そんなわけでこのチームにも新人が入ってきたわけですが、新人の君らも、二年目三年目の君らも、それぞれに成長して、『おっ?こいつ、腕上げたな?』 って言われるように…」
私「(あ、来た! 『腕上げたな』 や! …と、高らかに腕を上げる)」


兄貴「よしよし、腕上がったな! …って、その腕と ちゃうわ!!!」


すると、それまで(真面目な仕事の話に)緊張がちだった同期(新人)も、
リーダー(兄貴)の話に真剣に耳を傾けていた二年目三年目の先輩らも、みんなそこで爆笑して、
チームがなんかとてもいい雰囲気で、その朝礼後、それぞれの仕事を始めていったのだ。


そうか! これか!
これが、 「メリ」 と 「ハリ」 か!



その後、ほどなくして私は別のチームに転属することになり、ほんでそれがまた、
歴代通称「アマゾネス軍団」と呼ばれていた、「女が女丸出しの争いをしている、女しかいないチーム」で、
そのチームの女帝(ボス)に対し、私はもうのっけから一切全く媚びへつらわなかったので

「ふ~ん? なかなかおもしろい子が入ってきたじゃな~い?(笑)」

とか言われつつ、その女帝とだいぶ戦って最終勝った(その変な空気を変えたった)んですが、
まあそのネタは今はいいとして、需要があればまた別記事で書くとして、ともあれ、
その最初の三ヶ月を「兄貴が率いるチーム」に所属できたことで、私はたくさんの「笑い」を兄貴から学びました。

それを「三大則」にまとめると、

① ここはあくまでも職場なんやから、「笑い」は、「仕事のエッセンス」であらねばならない。
② 下をイジるにも上をイジるにも、みんなが笑える「大きな笑い」をやらねばならない。
③ 朝一のネタは、変にひねるな。むしろもう「ベッタベタ」でいいぐらいである。

ちなみに、この③については兄貴から「実際の経験に基づくアドバイス」がありました。

兄貴「昔、大雪の日に朝礼で 「今日はシュプール号に乗ってきました!」 言うたら見事にスベってなw」
私「ハハハ! 兄貴でもスベったことあらはるんですねwww」
兄貴「もう思いっきりスベったっちゅうねん!俺がボケてることにすら気付いてもくれへんww 朝一はみんなまだ半分頭寝てるからひねったらあかんねんな?だから朝礼ではもうベタがええんやろな?」
私「なるほどww勉強なりましたwww」


兄貴とはもうほんまにいろんな企画をやりました。
人集めてバーベキュー行ったり、フィールドアスレチック行ったり、海行ったり。
そしてそれはただ行くだけではなくて、チーム対抗でゲームしたりとかの「現地イベント」も用意・準備してね。
と、そんなん好きなやつはもうほっといても来ますけど、そんなんあんまり苦手なやつもなんか来てました。
多分、兄貴がうまいこと誘い出さはったんやろと思います。きっと「来るだけ来てみ?」みたいな感じで。
そして来たからには兄貴はそいつをほっとかないし、次回はノリノリで「行きます!」言えるようにして帰してはった。

当時付き合ってた彼氏と撮った写真は一枚もないが、兄貴と一緒に写ってる写真は山のようにある。
ってそれぐらい、私はいつも兄貴とおもしろおかしくツルんでいた。


そら、付き合っても付き合っても 彼氏と別れるわwww
あの頃 私の恋愛が続かなかったのは 「兄貴のせい」 やwww




と、そんな数々の企画の中でも私が一番覚えているのは、私が入社二年目の時の慰安旅行の宴会(出し物)です。

当時、毎年慰安旅行のたびに「各部署対抗・お楽しみステージ」で何か芸をやるのが通例だったんですよね。

ちなみに私が入社一年目の時のそのステージには、兄貴は先輩の主任さんと出場しはって、
一曲目は「みんなが知ってる会社の人をイジる替え歌」で、
うちの課長(手短に言うと・結論から言うと、が口癖だが、実行された試しがない)の話が長すぎるだの、
購買部の○○(誰もが恐れる、口うるさいおばちゃん主任)の口数が多すぎるだの、
営業の○○(字が恐っそろしく下手で、伝票が全く読めない)はとにかく綺麗に書けりゃいいだの、
そんなことを好き放題言って(歌って)いちいち爆笑を取り、
二曲目は「みんなが知ってる仕事(作業)の大変なことあるあるの替え歌」で、
バックにヘンテコダンサー(うちの課の男性陣)を従えて、これまた爆笑を取ってはりました。
他の部署の出場者も、その年に一回の対決にもう相当力を入れてきていて、
例えば、大阪の営業部は「ヒーロー大集合」と銘打って、全員総出で全身を絵の具でペイントして、
入れ替わり立ち代わり色んなヒーローが上手から出てきては下手に捌けていく、っていうネタをやってはった。
「レレレのおじさんがほうき持って出てきたと思ったらマグマ大使がそれに飛び蹴りかましながら出てきたのをデビルマンがチョップで倒す」
とか、なんせもう散らかりまくりのグッチャグチャでしたが、そんな「五分間の力技」もおもしろかったし、
例えば、開発系の事業部(競馬好きが多かった)は自作の馬のかぶりものをかぶって会場内を走り回ってレースをしはって
「走りながら社長のお膳引っくり返すんちゃうかw」と、見ててヒヤヒヤするほどの本気度でそれもまたおもしろかった。

ちなみに私は同期(相方)のともを誘ってパンチラダンスをしました、女先輩二人にバックで歌うたってもらいながら。
うちの課からは兄貴らが出てはるんで、逆に私らはもう出なくてもいいんですが「なんか出たかった」ので。
ともと相談して、「兄貴に笑いで勝つのは無理やから18歳の新人の女の子という武器を利用したろ」→「パンツ見せたろ!」と。
わざわざ高校のツレ(元テニス部)にアンダースコートまで借りたからね、もうアホですよww
だがそれにまんまと食らいついて二回アンコールしたおっさんらもとい幹部連中も、もうアホですよww
そしてさらにそれ(パンチラダンス)で、なんとうちらが「優勝」してしまったので、うちの課の上司は他部署の出場者に

「反則反則wwwあんなんもう反則やわwww」

とか言われたはったが、上司からは「おまえらでかした、ようやったwww」とお褒めの言葉をいただいた。

その年の二位は大阪営業部(ヒーロー大集合)で、三位が兄貴らでした。
でも、ただひとつだけ言えることは、
うちらにしても大阪営業部にしてもいわば「色モン」ですから、実力で言うとあれは(三位の)兄貴らの優勝やった。



話戻って。



兄貴との数々の企画の中で私が一番覚えている、私が入社二年目の時の慰安旅行の宴会(出し物)のこと。


きっかけは兄貴のこんなひとことでした。

兄貴「おまえ、今年の慰安旅行でまたなんかやるんけ?」
私「ええ、まあなんかはやろうと思ってますけど」
兄貴「ほなパフィー(当時流行っていた)とかやれよ」
私「あ、はいわかりました。…え、てか、兄貴は何しはるんですか?」
兄貴「俺は今年は裏方や。まあ言うたらプロデューサーやなw」
私「なんすかそれwwwでもまあ、はいわかりました。ほなパフィーとかやります」

だがその時の私は、まだなんにもわかってなかった。
この「プロデューサー」が、まさかあれほどの悪ふざけをプロデュースする気でいるなんてなんにも知らず、

「そんなパフィーおらんやろwww」

みたいなこと(兄貴の考えたネタ)をなにかやらされるんだろうなw ぐらいの感じに、私は思っていたのです。


つづく。
  1. 2011/06/23(木) 03:17:34|
  2. 思い出のネタ(社会人編)

「ボス」の思い出

さて、先日。

近々ももが学童の日帰り遠足で京都の北のほうに行くんだが、それに伴い、学童の先生から
「もし雪が残ってたら雪遊びをするので、濡れてもいい服装の準備をお願いします」
というお達しがあったので、ももと私は
「保育園のお泊り保育で買ったあのスキーウエアはたいそう(大げさ)か?」
「なんぼ北部でも市内ならもうそない雪もないやろし、かさばるからやっぱジャンパーで行く?」
とか言いながら、普段あまり着ない服を収納しているクローゼットの中を漁っていた。
すると、もも(&いちごも。お下がりなので)が小さい頃に着ていたジャンパーがひょっこり出てきて
それを懐かしくおもしろがったももが小さくなったそのジャンパーを無理から着ながら、
「ママ見て~w うでがみじかくてちょんちょこりんやあ~♪」と笑っていた。

相変わらず小さいけどやっぱ確実に成長してんねんな~と改めて思いつつ見ながら、
私はその一方で、「とあるジャンパー」についての出来事をふと思い出した。


さて、てなわけで今日の本題。

昔、まだ私が会社に勤めていた頃、巷で一時「ボスジャン」なるものが流行っていた時期があったんですね。
サントリーの缶コーヒーの「BOSS」ってあるじゃないですか?
あの缶コーヒーのロゴとマーク(おっさんの顔)がバックプリントされた中綿入りのジャンパーなんですが、
なんか、缶コーヒーについてるシールを何枚か集めて応募したら抽選でその「ボスジャン」をプレゼントします、
とかいう企画をサントリーがやっていて、でもそれがまた全っ然当たらへん・当たったやつ聞いたことない、という
まあなんかそんな難易度?の高い懸賞やったんですが。

当時、うちの会社には食堂ともう一ヶ所の計二ヶ所にサントリーの自販機が設置してあって
休憩の時とか、仕事の合間にタバコ吸う時とかの飲み物を買うのにそれらの自販機を利用してたんですが
二人ほどの先輩が「ボスジャン応募するから、シール要らんやつ、シールくれ」って言うてシールを集めてはったんで
喫煙コーナーの隅に応募用紙(シール貼る台紙)をぶら下げて全課を挙げてBOSSのシール集めをしてたんですよ。
ちなみにそのうちの一人は、私の「笑いの師匠」こと兄貴先輩やったんですがw

話戻って。

缶コーヒーノイローゼだった私は毎日1~2本は必ず缶コーヒーを飲んでいたんだが、特に銘柄に拘りはなかったんで、
その期間はジョージア(コーラの自販機もあった)ではなくあえてBOSSばっか飲んで兄貴を全力で支援していたんですね。
てかまあ、もうまんまと(懸賞やってる)サントリーの思うツボっちゃ思うツボなんですけど。爆

と、そんなある日、なんかコーヒーの味がいつもと違う感じがしたんですよね。
苦いっていうか渋いっていうか、なんか飲んだ後味が悪いような不味いような。
ただ、私は元々コーヒー通ではないので(なんせ缶コーヒーで満足するぐらいやし)それに自信がなく
一緒にタバコ休憩してた上司に「ちょっとこれ味おかしくないっすか?」って一口試飲してもらったんですよ。
その上司はコーヒーはブラックでしか飲まないというちゃんとした?コーヒー好きの人なんで、舌も確かなはずやと。

I主任「おかしいってなんやねん?(飲む)……(含んで味わう)……うん、なんやちょっとおかしいな?」
私「でしょー!?なんか変なもん混ざってんねやろか?」
I主任「おいやめろや、わし飲んでもうたがなww」
私「んなもん死なばもろともっすよ!w」

I主任は「不審な穴など空いてないか」と訝しそうに缶をあちこちからチェックし、最後に缶の底を見た。


I主任「おまえこれっ…!賞味期限切れとるがな!」

私「ええっっっ!!!」



確かにその缶コーヒーは賞味期限を一ヶ月ほど超過していた。

だが、あくまでも賞味期限と消費期限は違うし、
しかも生鮮食品じゃないんやから一ヶ月ぐらいどーってことない、と、飲んでしまったI主任と私はお互いそう慰めあったのだが
そこに、いっちょ噛み(寄りたがり)の祭り好きでデリカシーのないY係長が「なんやなんや?w」と噛んできた。


Y係長「そんなもんサントリーに電話したれ! 裁判や、裁判! 訴えたれ!w」

私「実際お腹壊したわけでもないのに訴えるとかそんなんただの輩ですやんかw」




そもそも、サントリーの商品になにか不具合があったとしてもそれがメーカーに直結してるとは限りませんしね。
何故なら、「製造元」と「販売元」は違うんで。
確かに、その自販機に品入れしてるのも三ヶ月に一回ぐらいでメンテに来るサントリーの業者ですが、
でもその自販機の販売責任者である酒屋の兄ちゃん(息子さん。私より一回り上ぐらい)もそれはしてるので
ここでもう早速サントリーを呼び出すっていうのはそれこそ「なんもわかってへんアホなクレーマー」やし、
そしてさらに厄介なことにその酒屋さんはうちの社長と共にこの地に古くから名を馳せる地主さんで、
社長が昔からご贔屓にしてはるとこなんですよね。

よって、たかが賞味期限切れの缶コーヒー1本ごときのことでやいやい言うのもどうかと思った私は、
とりあえず「今自販機に入ってるBOSSのカフェオレは賞味期限が切れている」という情報だけを皆に伝え廻しておいた。

問題のその缶コーヒーはもうその場で流しに処分したんだが、
「賞味期限切れの缶コーヒーを飲んでしまった」という精神的なダメージからか、その日は胃が気持ち悪かったけど
でも多分それは気のもんで、ってかそもそも「腹立つ」よりも正直、「ネタとしておもろかった」んで、まあええかwと。


で、その数日後、品入れに来はった酒屋の兄ちゃんに、
「…ってそんなことがありましたんでw」と、そっとさらっと話したんですね。

だが、それを聞いた瞬間、酒屋の兄ちゃんはもう一気に青ざめ、ひた謝りのだだ謝りで、
「ちょ、そんなんいいですいいです!てかあのほんまそういう意味で言うたんと違うんで!」
とドン引きして断る私の手に無理から缶コーヒー代の100円玉を握らせ(返金し)、そしてさらに、
「ただ、自分は品入れの時は必ず賞味期限チェックをしてますし、サントリーもそれは徹底してると思うんですけど…。必ず原因を調べて報告しますので、すみませんがもうしばらく待ってください」
と言った。


てかあの、ほんまに「そんなん」ちゃうねんけどwww



そして。


それから一ヶ月ほどしたある日、総務部からうちの課長に内線(電話)が来たんですよ。
「サントリーさんがりちさんにお会いしたいと訪ねて来てはるんですけど、りちさん出られますか?」と。
もうすでにその頃には「りちが賞味期限切れの缶コーヒー飲みよったw」ことなど私もみんなも忘れていて、
その笑いのブームもとうに去っていたので、私にとってはもう頭の中が「???」だらけで。


「サントリーが私に会いたいって、なんで?」
「私、サントリーでなんか不良(仕事の)出した? いや、絶対出してへんぞ?」



と、そうしてビクビクしながら応接室のドアを開けるなり、
直立不動で立っていた背広姿のオトンと同年代ぐらいのおっちゃん二人が


「この度は誠に申し訳ございませんでした!!!」


と、一斉に二人して90度の角度に腰を折って頭を下げはったんですよ。



えええっ? 何???



と、そうして「そんなことがあったこと」すら完全に忘れている私は
おっちゃんらの謝罪と説明を聞く中で「あ、あのことかw」とそこでやっとそれを思い出し、
つまり、それは、酒屋の兄ちゃんが「その原因」を追求したところ、どうも、
品入れに来てたサントリーの担当者が品入れ時に(今入ってる物の)期限チェックをせずに上から上から入れてたようで
なんしか、今こうして「サントリーの上の人」が出てくる事態になってしまったようで。


っていうか私がそこでひとつだけ思ったことは


おいコラ、ボンボン(酒屋の息子)よ?
なんで今 あんたはこの場に同席してへんねん?
あんたが私に(勝手に)した「約束(報告します)」の筋が 逆にもう全く通ってないやん?




話戻って。



サントリーのおっちゃん二人組は、
「大変申し訳ございませんでした」と、私が買ったBOSSのカフェオレ(現品)をくれて、
そしてさらに、BOSSのあのマーク(おっさんの顔)が印刷された何やら大きな紙袋を
「つまらないものですが、お詫びのしるしに…」とか言いながら渡してきた。
内心もう早く仕事に戻りたかったので、これ以上ことを長引かせたくなかった私は
「え、なんかほんますんません。あ、私なんも別に怒ってませんし、BOSSの缶コーヒーこれからも飲みますしw」
とか言いながらもうあえて遠慮なくその紙袋をあっさり受け取り、
と、そんな私(ハタチの小娘)をサントリーのおっちゃん二人組はまた90度のお辞儀をしながら見送ってくれた。


と、そうして、缶コーヒーと大きな紙袋を持って私が我が課に戻った時、私はもう完全に「好奇の対象」で。

「りっさんがサントリーにケツまくった(←まくってないしww)」 とか
「りちがキレてサントリーを呼び出した(←キレてないしwwてか逆にいきなり呼ばれたしww)」とか
「りちがサントリーを正座で土下座させた(←無いことわかってて背びれ尾びれ付けてるやろww)」とか

そんな風評被害の中、兄貴が
「ちゅうか、おまえその紙袋はなんやねん?」と聞かはったので
「なんか帰り際に貰ったんですけど、なんでしょう?」って開けてみたら
その中に入っていたのはなんと、あの、「応募しても全っ然当たらない」と言われている、
兄貴を筆頭に、みんなして「シール集め」をしているあの、「ボスジャン(紺色)」だった。



えええーーーっっっ???

なんかもう色々とごっつ「複雑な気分」なんですけど……。




兄貴「こんなんもうほなシール集めて応募するより賞味期限切れのコーヒー飲んだほうが早い話やんけwww」
私「すんません、なんかすんませんwww……てか兄貴、要ります?(この)ボスジャン?」
兄貴「そんないわく付きのボスジャンなんか要らんわwww」
私「いわく付きとか言うなwww」



その後しばらくまた、

「賞味期限切れの缶コーヒーをあえて全部飲んでからその落とし前としてボスジャンをゲットした輩のりちwww」

という尾びれ付き過ぎの噂やレッテル等(笑いのネタ)が続いたので、まあそれはそれでおもろかったんですが、
でも私は、その「ボスジャン」には一度も袖を通していないんですね。てか、「通せなかった」。

それは何故なら、その「ボスジャン」を前にすると、
私みたいな小娘に謝罪したあのおっちゃんらの姿をもうどうしても思い出してしまうので、
その責任の一切を負う・担う「BOSS」ってほんまに大変なんやろなーって思ってしまって、
「この、それ」に袖を通すことが出来へんかったんですよね、なんか。


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  1. 2011/02/02(水) 02:08:37|
  2. 思い出のネタ(社会人編)

い・け・な・い デート・2

さて、 この 続きです。

そうして、次の日曜の午後3時というなんか中途半端な時間に、私とマッチは、
当時、繁華街に出かける際の待ち合わせのメッカであった「四条河原町の阪急前」で待ち合わせをした。
私が阪急ビルの前に着いた時、マッチはビルの柱にもたれるようにして立っていて、遅れてそこに現れた私に
「ほんまに来てくれたんや?」と言ったので、私はなんかバカにされたような気がして、もうこのまま帰ってやろうかと思った。

特に何処に行くと決めていたわけでも何をすると決めていたわけでもないので、私とマッチはなんとなくずーっとブラブラ歩き続けた。
途中、マッチが「飯食うにはまだ早いし映画でも観る?」と聞いてきたが、別に観たい映画もなかったし
てかそもそも私は映画を観ることにそう興味もなかったので(今もあんまり強い興味はないけど)「映画はいいわ」とか言い、
道端で目についた雑貨屋さんとかにふらっと入ってヘンテコな帽子をみつけて被せあったりしてふざけながら、延々とずーっと歩いた。
そうして歩いてたら、たまたま中学の時の同級生に会い、
その同級生が、私の傍らにいるマッチをちらっと見て「彼氏?」と聞いたので私は「違うよ」と速攻で否定した。
でもまあ確かに、この間合い(距離感)や雰囲気を客観的に見たらこれは「デート中」に見えると思う。

しかも、私はマッチを男友達と思えるほどマッチのことを知ってるわけでもないし、てか逆に言うと、
初めて会った日にみんなで飲んで、こないだ二人で電話でしゃべったのが初めてで、さらに今こうして二人で会うのも初めてなんで、
マッチは「男友達」ではなくまだ「男の人」で、だから今、「男友達と遊んでる」んではなく「男の人と会うてる」っていう自覚が「私本人」にもある。

って、なんとなく「その違い」、わかりますかね? …ってこれどう言うたらいいんかな~?
わかりやすく言うと、「男の人(恋の対象になり得る人?)」と、「ええツレ(いい人、ええやつ)」の違い、みたいな、そんな感じかもしれない。
そして今、マッチはその「前者」にいて、だから「これは、デートなんだ」と、自覚してる上で今、私はここにいる。


てか私、なんで今日ここに来たんやろ?
私は、マッチのことが 好き… なんかな…?




マッチは俊ちゃんよりずっと会話が巧みでおもしろくて、さらに笑いのノリも合った。
(そしてもっと言うと、俊ちゃんよりかなり見た目も良かった)

だから特に何処に行くわけでもなくそうして歩きながらしゃべってるだけで楽しかったし、正直ちょっとドキドキもしていた。
でもそうして内心ドキドキしていながらも、いやいやいやでもこのドキドキは、
「このデート?について今、秘密を共有している」というドキドキからくるドキドキもあると私は思い、
これはよく言われる、「高いつり橋を誰かと手を繋いで一緒に渡ったら恋が芽生える」みたいなもんだ、と思い、
自分の中に今確かに芽生えているそのドキドキを、私は必死で打ち消そうとしていた。


余談だが、超ド級(死語)の高所恐怖症の私は、誰かと高いつり橋を渡っても100%恋は芽生えないだろうと思う。
それは何故なら、


『匍匐前進』 で しか、私にはそれは無理なので。



話戻って。


と、そうしてだいぶしばらく河原町近辺を徘徊していたらちょうど晩ご飯に適した時間になったので、「飯行く?」ってなって
「静かな店は気ぃ使うから嫌や」という私の希望により、なんかそこらへんの居酒屋に適当にプラッと入り、
飲んで食べてざっくばらんにしゃべってるうちに次第に話題が「俊ちゃんのこと」になり、マッチに、「俊と付き合うんけ?」と聞かれた。

私「付き合わへんよ。そんなんもう見ててマッチもわかってるやろ?」
マッチ「俺はわかってるけどw……でも俊はわかってへんやろな…」
私「ちゅうかさ、なんで私のベル番知ってんの?俊ちゃんに聞いたん?」
マッチ「んなもん聞けるか!www俊ん家に遊びに行ってた時に俊が、りっちゃんが全然連絡くれへんって言うから、ほな今ベル入れてみろや?って言うたら俊がりっちゃんにベル入れだしたから、それで俺はりっちゃんのベル番を暗記したんやw」
私「あんたそれはあかんでしょ……」
マッチ「最悪やろ?わかってるwそしたら、りっちゃんから電話かかってきて」
私「あ~~~あの夜か……」
マッチ「俺、横で俊とりっちゃんの話聞いててん。だから俊のケツ番を使ってベル入れたんや。俊の電話番号じゃない番号からで俊のケツ番でベル入ったら、もしかして俺(マッチ)からかな?って気付いてくれるかな?と思ってw」

私がひとつだけ言いたいことは


マッチ、それはもう「孔明の罠」だ。


いや、「マッチからや」とまでは気付かんかったけど、確かに「俊ちゃんではないこと」は気付いた。
っていうかマッチは知らんかったけど「逆に」そのケツ番を結局俊ちゃんは使用してなかったことも功を相したんだが

重ねて、私がもうひとつだけ言いたいことは


俊ちゃんに、なんか謝れ。



ちゅうか、よくよく考えたら、
俊ちゃん(親友)が口説いてる女を内緒で誘ったマッチが俊ちゃんになにか責められるかもしれんのは、それはちょっとわかるけど
俊ちゃんと付きあってるわけではなく「ただ求愛されてるだけの私」がいつ誰と会おうと、私は俊ちゃんに責められる筋合いはないのだが
その裏話を聞いた私は自分がそのマッチの作戦にハマってしまったことで、俊ちゃんへの罪悪感が一層強くなってしまった。
だからその秘密のデート?のことは一生誰にも言わずに墓場まで持っていこうと心に決めて生きてきたんだが
残念ながらその罪は、この度私のモノ書き魂に負けてしまった。てかもう「時効」ってことでここはひとつ(爆)。


私とマッチは続きの二軒目には行かず、その店を出て、その店の前で別れた。
「ぎゅってしたらあかん?」と聞かれたので即座に「あかん」と言ったら、マッチは爆笑した。

マッチ「もし、りっちゃんと俊が付き合ったら、俺もまたりっちゃんに会えるかな?」
私「私と俊ちゃんが付き合うことはないからマッチと私ももう二度と会うことはないわ」
マッチ「そうかーじゃあ今日が最初で最後か」
私「うん、今日が最初で最後」

「ほな、元気でね~」と最後に握手した時、なんかわからんけど一瞬だけ心がきゅーっと鳴った。


てか、ほんまなんやったんやろう?あのデートは。


ってな感じで。


まあなんしか、
5年ぶりに飲みに行ったんや、というツレの話を聞きながら、何故か、
大昔の「いけないデート」にドキドキしたことを思い出したwという、なんかそんな話でした。




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  1. 2010/12/06(月) 01:04:32|
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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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