どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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就職試験の思い出・3

さて。

3章に渡って就職試験の思い出を書いているわけだが、
当時の私と同じくして今、読者の皆様は「りっさんがどんな仕事をする会社の試験を受けているのか」が全くわからないと思う。
そこで、ネタバレにはなるが、先にどんな仕事をする会社だったのか知ってもらおう、確かどっかでちらっと書いたぞ?と過去のどんつき記事を探した。

ありました。 こんな仕事 をする会社(課) でした。


で、 この 続き。


午後からの面接についても、私は「先生のアドバイス」を忠実に守りました。

「嘘だけはつくな」。 

後にわかったんだが、私の同期(その年の新入社員)は14人で、同じ課の同期は7人だった。
だが、その面接は確か4~5人?での集団面接だったので、何グループかに分かれていたのかもしれないが、よく覚えていない。
その場には、社長と専務と私が受けた事業部の部長とその所属の中で私が受けた課の課長と総務部の部長がいて、面接進行役は総務部の係長だった。
だが、それ(そうだったこと)を把握したのは入社して実際に働きだしてからの話であり、面接の時は、
「そんな一気に紹介されても今日会ったばかりのおっさんらの顔と役職なんか覚えきれるかwww」と思ったので、
とりあえず、この中で一番偉い社長と、直接関係してくるであろう私が受けた課の課長と、進行役の総務部の係長の顔だけを集中して覚えることにして、
あとのおっさんらのことは後回しということで、今もう無理してインプットしない(脳内消去する)ことにした。


進行役(の総務部係長)「新聞は読みますか?」
私以外「一面記事から読み始めて、ひと通りは目を通しています」

うそやろおまえらww 毎朝そんなことしてる時間ないわ!学校遅刻するわwww
だが 私は 「嘘だけはつくな」 を遂行する。 
 


私「テレビ欄と、あと四コマ漫画はたまに見ます」
課長「四コマ漫画、わりとおもしろいな?w」
私「はい。世の中の出来事を風刺しているようなネタもあったりしておもしろいですw」


進行役「最近の社会情勢について関心のあることは?」
私以外「(なんか色々と難しいことを言うてる。アメリカがどーのとか、経済がどーのとか)」

キミタチめちゃくちゃ賢いんちゃうのww 大学行け大学! けいざいがくぶ 行けwww
だが 私は 「嘘だけはつくな」 を遂行する。 


私「私は池谷幸雄さんがオリンピックに出はったことが凄いと思いました」
進行役「い、池谷…?オリンピック…? えっと…(社長以下幹部連中の顔色を伺いつつ)どこが凄いと思いましたか?」
私「池谷さんが体操をずっとやり続けて、結果を出さはったところです。私は1年の冬で体操部を辞めてしまったんですが、池谷さんは子どもの頃に習い始めた体操をずっと続けてプロになって、それであんな凄い演技も出来るようになって、オリンピックにも出て、そのことが本当に凄いと思いました」
社長「継続は力なり、ということですね。僕もね、最初はリヤカーで行商していたんだよ。戦後間もない頃だった」
私「そうなんですか!?」
専務「今は何百人の社員がいるけど、もとは社長と2人で始めた会社だからね」
私「へー!私もがんばります!w」


進行役「この仕事の何がおもしろいと思いましたか?」
私以外「(なんか色々と難しいことを言うてる。御社のこんなところにも興味・関心を持っていますとか言うてる)」

え、何その前情報!? 私はこの会社の地図しか渡されてないぞwww
だが 私は 「嘘だけはつくな」 を遂行する。
 


私「会社見学をしていないのでこの仕事のおもしろいと思うところはわかりませんが、これからたくさん見つけたいと思います」
進行役「えっ!? 君、会社見学してないのっ!?」
私「はい。すでに締め切りが終わっていたと進路部の先生から聞いています」
進行役「そ、そうなんや…。…えっと、じゃあ、順番が逆になるけど面接が終わってから見学してもらいますか…?」
社長「そうですね。課長、それでいいですか?」
課長「そうしましょう!ぜひ見学して帰ってね。うちの課の係長にこのあと案内させるから」
私「ありがとうございますww」



そのグループで一緒に面接を受けて受かった人たち(=後の同期)はその時、

「アホやろwww こいつ絶対落ちよるわwww」 

と、思っていたらしい。(←入社後に仲良くなってからの同期飲み会で暴露しやがった!!www)


だが、私はその就職試験に合格し、その会社に勤めることになった。

会社に入ってからの全社研修も、課に配属されてからの研修も、「頭、空っぽ」で入社した私には見るもの聞くもの全てが新鮮で、
実務に就いてもわからないことだらけの中でどんどん質問し、新しいことをどんどん学び、仕事がおもしろくてしょうがなかった。


新入社員の五月病、いっさい無し の 驀進。  


そしてその翌年、私は、某一流ホテルで行われた新年互礼会の壇上で、社長から直々に「優秀新人賞」なるものを頂戴しました。


「自分がなんの仕事をするのか?」 も、わからなかった 「そんなやつ」 が、表彰されていいのか。


これはひどい社会の秩序www

だがそれが現実だったwww
 



ただ、逆に言い訳すると、私がその会社でいただいた数々の賞は私の功績ではないので。
私みたいなもんを育てててくれた上司や先輩がいかに優秀だったか?ということの、それは現れですので。



てな感じで。


「今と昔では時代が違う」とか、「私ら僕らは、アホの高卒のりっさんよりもっと高いところを見ている」とか、そんな意見もあると思います。
でも、私が今、「いいとこに決まらんかったら人生終わる」ぐらい泣きそうになりながら就職活動をしている若者たちに思うのは、

言うても、「自分が食っていけたらいい話」やんか? 

就職したらもう早速にも食わせていかなあかん家族でもいて、もうよくよく仕事を厳選しないといけないのか?
まあ、ほぼ、ほとんどが、ないでしょ。
在学中に子どもが出来てすでに学生を結婚している人や、病気やなんかで仕事が出来ない親や身内を抱えているという人以外は、完全にあなたの自由。
だから、先の先の先まで考えて今よう動けへんなるよりも、「そこからスキルアップしていったるねん」っていう踏み台ぐらいの感じで、
「まだ一歩も社会に踏み出してない」時からあれこれ考えすぎんと、もっと柔らか頭で取り組んだらええんとちゃうかな?と思います。
そしたら、逆に、君らの求めている「自分のやりたいこと」とやらも見えてくるんちゃうかなー?って思う。
それこそ、「今と昔では時代が違う」ので、ひとつの会社で一生勤め続けるのが当たり前!の世の中では、もうないんですから。
生きる道はひとつじゃないですから。
生きてるうちにどんどん枝分かれしていったり、最初思ってたのと全く違う道を歩んでいったり、そんなんしますから。
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  1. 2012/02/23(木) 23:31:32|
  2. 思い出のネタ(学生編)

就職試験の思い出・2

さて、 この 続き。

と、まあそんな感じで、まずは会社見学に行くことになった。

…の、はずが。

何の手違いがあったのか知らないが、結論だけ言うと、「会社見学の締め切りが終わっていた」。
と、ほんまに「その結論だけ」を進路部の先生から聞かされた私はもう笑ってしまったのだが、先生は何か責任を感じたのか
「先方にお願いして、なんとか試験までに会社見学させてもらうか?一回頼んでみようか」 と言ってくれたんだが、私は
「でも会社見学してもしなくても私がその会社を受けて受かったらそこで働くことはもう決まってるんでしょ?ほなもういいですわ」 と言った。


だって、そうやん?
そもそも最初から、この就職(試験)について 私に選択の余地はなかったんですから。
なんか 勝手に決まってるんやから、 「見学」 も なにもないですやんwww
 



余談だが、
後に聞いた話では、その会社を推す(てか勝手に決定するwww)にあたり、進路部の先生も先生なりに結構いろいろ考えてくれたはったらしいです。
「あいつほんまに数学に興味ないし実際できひんから、経理とか事務は絶対やりたがらへんやろな」とか
「やたら仕事以外の規則がうるさい会社やったら、キレて辞めてまいよるかもわからへんしな」とか。
てかどうでもいいけど全部消去法じゃねーかよww



話戻って。


と、そうしていわば「丸腰」で就職試験を受けることになった私が、その進路指導部の先生からひとつだけ言われたことは


「嘘だけはつくな」 と。 


「おまえがいかに出来損ないの学生なのかはもう内申書の成績と欠課日数でバレてるんやから、とにかく嘘だけはつくな」と。
「試験会場に行ったら他の受験生がめちゃくちゃ賢そうに見えると思うし実際におまえよりみんな賢いと思うしおまえは一人だけアホな回答をすると思う、だが嘘だけはつくな」
「わからんことはわからんって言うたらええからとにかく嘘は絶対につくな。嘘をつくとその嘘の取り繕いをすることになって嘘ばかり言うことになる」と。



てか もうほんま、こんな 「就職試験対策の指導」 ってある???




てなわけで。


普段通り、ふざけてツレらや先生らと遊び倒している学校生活と、先輩や同僚とふざけながら働き倒すバイト生活を送っていたら、試験の当日を向かえた。

家からチャリで行ける距離なんでチャリで行くことにしたんだが、いざ着いたら乗ってきたチャリをどこに停めたらいいのかわからなくてちょっと迷った。
いや、社員用の駐輪場は建物の裏にあるみたいなんは見たらわかるんですけど、私はまだここの社員じゃないし。
かといって、会社の前に横付けしとくっていうのも変じゃないですか。スーパーに買いもんに来たオバハンやないんですから。
…とか考えながら辺りをさまよっていたら、近くにちょうど、まあまあボロい二階建ての木造アパートの駐輪場があったので、
その屋根も囲いも何もないむき出し停め放題の駐輪場に、ちょっと試験の間だけ、チャリを停めさせてもらうことにした。


試験は、いわゆる一般教養と、美術というか技術というかなんかその仕事に関するっぽい試験と、作文と、面接がありました。

午前は、面接以外の筆記試験でした。

得意な国語に関しては、私はおそらくパーフェクトに近い回答を魅せつけたと思いますが、
数学はもう本当に相当ひどかったと思う。多分100点満点中の10点分ぐらいしか正解がなかったと思います。
今でも覚えてる数学(っていうか算数レベル)の問題で、
「40人の生徒の60%が学校を休みました。さて、休んだのは何人?」
みたいなんがあったんですが、私はもう間髪入れず、「24人!」 という回答のみをしました。

40人の半分は20人やろ?
でも60%って言うてるから、40人の4繋がりでちょっと4人ほど足して、24人ぐらい!
 


と、そうした「このイメージが当たればラッキーなんやけどww」という感じでスラスラと問題を解いていったんで、数学はもうめちゃくちゃ時間が余った。

と、そんな国語と数学以外に関しては、その出来高の感触どころか何の科目があったかすらも覚えてないが、英語の試験もあったと思う。

っていうか、私は何でそもそも「他にどんな科目の試験があったか?」すら覚えていないのか?と今よくよく考えてみると、
私はその試験を受けるにあたり、一切なんにもその「試験勉強」をしなかったからだと思う。
もし、その試験の勉強をしていたら、少なくとも「どんな科目の試験があったか?」ぐらいは、20年後の今でも覚えていると思うので。

そうして一般教養の試験が終わって、ちょっと専門的な「絵を描くパズル」みたいな感じの試験があって、最後に作文の試験があった。
テーマは、「顔」 だった。

「顔」 ってかー。 またこれ 「広いとこ」 持ってきたな~?
原稿用紙 1枚(400字) で、「顔について、今なんか書け」 と 言うてくる。 
こんなもん 下手したら 話、散らかりますやんかwww


とか思いながら、

「顔には目とか鼻とか口があって、それらは単独の働き、例えば目なら物を見る、鼻は呼吸、口は物を食べるのと発声をするなどがあるが、それとは別にそれらの部位を総合しての働きも顔にはある。それは表情を作るという働きだ。ヒトとして生きる時に必要なのは単独の働きだが、さらに人間として生きるにはそうした総合的な働きも必要であると私は考える。ヒトとしてだけでなく人間としても生きたいと願う私はそうした顔に出来る総合的な働きをも大切にしたい。だからまあ何が言いたいかと言うと、笑ろとけ笑ろとけwww」

みたいなことを書いた。



と、そんな感じで午前の試験がすべて終わった。

ここまで私は、進路部の先生の指導を忠実に守っている。

大丈夫だ。


合否はどうであれ 「嘘だけはついていない」 ぞ。 



続く。


  1. 2012/02/18(土) 01:21:42|
  2. 思い出のネタ(学生編)

就職試験の思い出・1

さて。

朝から午後の半分までを今の店で働くことになってから、掛け持ち先(前の店)での勤務時間が以前より延びた(出勤が午後半分からなので)ことにより
今までは17時で交代していた夜番の大学生たちと絡む(一緒に仕事をすることで話す、交流する)ことが多くなったのだが、
親(先輩)の欲目を抜きにしても、うちの店の大学生バイトの女の子はみんな、美人または可愛い顔をしていて、とても見栄えがいいんですよ。
なので、いつやったか、私はそれについて誉めたことがあるんですね。

私「夜番の子らはほんまべっぴん揃いやわ~。 店長、顔で採用してはんのとちゃうか?w」
Aちゃん「私もみんなかわいいなと思いますw」
Bちゃん「思う思う!でもさすがに顔で採用してはるってことは…w」
Cちゃん「うん、それはないと思うけどw」

あははいやいやそれはまあこっちも冗談で言うとるわけやけれどもそんな私がひとつだけ言いたいことは今誰一人としておのれに謙遜をしない件。


おまえら全員、横一列に並べ。 端から順番に頭しばいたるからwww 


余談だが、先日薬剤師パートの兄ちゃん(夜番)ともその話(うちの子らはかわいいよなw)になり、兄ちゃんはこんなことを言っていた。

「ここは熱帯雨林ですわw 僕の掛け持ち先なんかオアシスのない砂漠みたいなもんやもん。僕が入った時はまだ針葉樹林ぐらいの、いわゆる日本の山ぐらいの、そんな潤いはあったんやけどその潤いたちが結婚退職したもんやから、ま~~~もう今は枯渇がひどいもんですよww」

あははなかなかうまいこと例えて言うけど私がひとつだけ言いたいことは逆に君はこの店で私をその砂漠のほうにカウントしてるやろ?っていう話。


おまえは一番最後に並んどけな。 最後にでっかいハリセンでしばくからwwwww 


と、まあそんな彼女たち(と、今全く話題に上ってない彼らたち、総じて大学生)は、3回生になるとボコッとシフトに入らなくなる(出勤しなくなる)んですね。

理由は、「就職活動で忙しい」。

「就職活動って君らまだ3回生やんかー」と、彼らと関わりだした最初の頃(私がその店に入社した頃)は言っていたのだが、
そうして彼らと関わりだして丸3年、入れ代わり立ち代りする大学生バイトらのその就職活動を傍らで見守ってきてわかったのは、
「逆に4回生になってもまだどこも内定取れてなかったら、それはもう自分的にだいぶやばい状況・・・」 らしく。
って、何故それがわかるかと言うと、そうしてどこも内定が取れてないまま4年目の春を迎えた子らは、なんかあんまり「芯から」笑わなくなってくる。
私の放つネタに爆笑してはいても、「なんかこいつ、別のことで心に引っかかりがあるな?」っていうのを、笑いの天才の私は感じてしまうんです。

ハタチそこそこの頃なんか元気でイケイケでいい年頃やのに、そんな彼ら彼女らがたまに店に顔を出しては、休憩室で、
難しい顔、半分泣きそうな顔、をしてレジメの資料を読んでるのを見ると、「もうやめてまえや!そんな活動!」と、私は言いたくなってくる。

「バイトは夜なんやから夜に面接行くことなんてないやろ? バイトも普通に入りいや。それもまた気分転換になるんちゃうか?」
とかも言ったことがある。
でも、あれもこれも聞いておこうで50社とか100社とかのセミナー?だかを昼間受けに行くから、夜にはもう神経が磨り減ってバイトするどころではなくて、
と、そうしてあれこれ聞けば聞くほどに、「自分がいったいどんな仕事をしたいのか?」がもうわからなくなってきて、ずっと胃薬ばっかり飲んでいると。


てか、働く体はひとつしかないのにあっちもこっちも顔出すから、そうなるんちゃうのか。


てか、もっと言うと、


「自分はほんまにどんな仕事をしたいのか?」ということよりも、
「頑張って学校で勉強してきたことで就ける最も待遇のいい仕事は何か?」に、なってないか?




と、そんなことを考えていたら、私は自分が就職試験を受けた時のことを思い出した。
彼らは今「自分が何の仕事をしたいのかわからない」と悩んでいるが、
私は当時「自分が何の仕事をするのかわからない」まま、就職試験を受けたんですよね。



てな感じで、今日の本題。


就職試験の思い出。


私が高校卒業(見込み)で就職試験(入社試験)を受けた時は、もうほんまにめちゃくちゃな話でした。時は平成4年。
バブルはとっくに崩壊していたが高卒でもその業界関西トップクラス企業(私が受けた会社)の窓口があったんで、まだその名残りが薄っすらはあったのかもな。

余談だが、私はわりと早い頃から大人社会(遊びの面での)に出てたんで、かなり年上の人と話しても「その話わかりますw」ってついていけることから、
「いわゆるバブル組(バブルの時に収入を得ていた人ら)」に同世代と勘違いされることも多いが、世代的には違うんですよ。
バブル全盛期は私が中学生から高校に入ってすぐぐらいまでだったんで、私は収入面でのバブルの恩恵はほとんど受けていない。
私がバブルで受けた恩恵と言えば、羽振りのいいアニキやアネキ(当時社会人の諸先輩方)に、ディスコ(←死語)へ、歳をごまかして連れてもらい、
「祇園のマハラジャで俊ちゃん(田原俊彦氏)がフロアの真ん中でスポットライトを浴びながら踊っているのを見ました」ぐらいのもので。
足振り上げながらターンする時、ほんまに 「ハッ!」 って言うてはったから笑いました。「教師ビンビン~の、あれ」 のまんまでした。


俊ちゃんは いつでも どこでも オフですらも 「俊ちゃん」 だった。

あれぞまさに スーパーアイドル!!! (違  
 




話戻って。


そもそも、私は高校(学校)を卒業したくなかったんですよね。
何故なら、ここで、ツレらとこのままこうして「思いついたことを実践してみるww」ということをずっとやり続けたいと本気で思っていたから。
だから3年生になってしばらくしてから突如始まった担任&進路部の先生による進路指導に対してもアホなことばっかり言って、ふざけた調子で取り組んでいた。
担任の先生は、「おまえなー。自分の将来のことなんやから、真剣に考えろよ~w」と苦笑いしていた。
だが、進路指導部の先生はそれを「苦笑い」では許してくれず、なんといつの間にか勝手に私の就職先を決めていたんです。

文化祭の演劇の稽古してる最中(夏頃)に、校内放送で進路部から呼び出しをくらって、行ったら、


「来週、おまえ 会社見学。 さ来週、入社試験があるから」


と言われ、その会社の地図とか、会社の概要を印刷した書類を渡された。


先生「おまえみたいなもんにいつまでも学校に居られたらこっちがかなわんのや!就職決めてさっさと卒業してくれ!俺は何が何でもおまえをこの学校から卒業させるからな!」




っていうか、こんな「進路指導」ってある???

「厄介ばらい」 と言うんじゃないのかそれはwwwww




将来何がしたい?とか、どんな分野の仕事がしたい?とか、そんなことはもう一切聞かれることがなしに、
私が学校を卒業した後に働く予定の会社が、いつの間にかもうすでに決まっている、というこの「本人、驚き!」の事態。

ちなみに、私がその進路部の先生に「その会社はなんの仕事をする会社なんですか?」と聞いたら、先生は
「それが、俺にもようわからんのや…」と、のたまった もとい仰ったので、私は爆笑した。
「なんでそのよくわからない仕事をしてる会社の入社試験を私に受けさせようと思ったんですか?」と聞くと、なんとそのオススメ理由は、


「10年ほど前におまえみたいなどうしようもない早く卒業してほしい生徒がいてそいつがこの会社を受けて受かったところこれがよく頑張って働き今では主任になってるらしい。だからおまえもイケるんちゃうか?と先生は思った」 



もう まったく 納得できひんねんけど その理由wwwww 



だが、変な話かもしれないが、私は逆にその先生の暴露話を聞いて、ある種の観念をしたんですよね。


なんや言うてもいつまでも学生のまんまではいられへんにゃし、
ていうか今ですら、出席単位ギリギリまで授業ブッチ(サボる)して、それがバレてるオトンに
「まともに授業出えへんにゃったら、遊びに行ってるようなもんなんやったら、もう学校辞めて働け!!」
と胸ぐら捕まれて言われてるぐらいなんで、学校おもろいからダブるとか言うたら、もうボコボコにいかれるに決まっている。

そして私も、社会に出ることに対しての恐怖心とか、そんなんがあるわけではない。むしろそういったものは一切ない。
何故なら、私は高校生だてらに月10万以上稼ぐようなアルバイトの仕方をしているので、「社会で働く不安」っていうのは全くないし、
「どんな仕事をするにしろ、りっさんはそこそこやるで」っていう、なんとなくの自信がある。
ホテルのベッドメイキング焼肉屋喫茶店ガソリンスタンドお好み焼き屋などなどなど、色んなバイトをしてきたが、そのどこでも
社員さんやチーフ、店長や管理職の人が高校生バイトの私なんぞに「これどう思う?」と相談してくれるような働きぶりを私はやれてきた。
最初その仕事らに就いた時はただの足でまといでしかなかったけど、「どんな仕事をするにしろ、私はそこそこやれてきた」。



ほな。 いっちょ、 就職するか~  



結論から言うと私を採用してくださった当時の社長と部長と課長と人事部の方々には、ほんまに申し訳ない話なんですが、
私はそんな感じでなんの緊張感もないまま、自分がどんな仕事をするのかも全くわからないまま、入社試験を受けに行った。

そしてこれも結論からになるが、その会社は確かに特殊な仕事をしていたので(ただ、その完成品は多岐に渡って人々の暮らしに密着している)
あの会社の仕事内容を熟知してそれを学生に説明するというのはそれこそあの仕事をしている人にしか出来ないと思うので、
あの時「(仕事内容が)ようわからんのや」と言った進路部の先生は教師の怠慢でも何でもなく、あれは大正解だったと思う。



続く。
  1. 2012/02/12(日) 02:04:30|
  2. 思い出のネタ(学生編)

文通の思い出・2

今日12月31日は仕事納めでした。年始は1月2日から出勤です。

年末年始感、ゼロwwww まったく普段通りの「中1日休み」wwww 

よって、実生活同様、ここ「どんつき~」も、普段通りの通常営業です。

てなわけで、 この 続き。


ユカちゃんは字こそ下手くそで読みづらいが、性格はとてもわかりやすいストレートな子だった。
一番最初のその返信からもう早速、
「私は勉強ができないのでお母さんが無理やりゼミを受講させたんだけど私はゼミとか全然やりたくないし勉強が嫌いだし早くやめたいです」
と、受講のきっかけと自分の赤裸々な気持ちを明かしてくれたりするような子だった。
その告白は、「ユカちゃんが全然やりたくなくて早くやめたい学研ゼミの文通欄」で知り合った私にとっては心中複雑なものもあったが。

私とユカちゃんは当初かなりのハイペースで手紙をやりとりしていたと思う。
1ヶ月ちょっとのやりとりの期間で「もうお互いの暮らしがバッチリわかった」ぐらいのそんな密度でした。
そもそもゼミの文通欄で知り合ったので最初はそのゼミの話(あの問題難しかったね、出来た?とか)が多かったが
だんだん内容が「中学生女子の友達同士ならではのプライベートなこと」に及んできて、
学校の若い男前の先生のことや今自分には好きな人がいるとかいないとか「もう親には絶対に読まれたくない」ようなことも書き合い。
ユカちゃんがほんまめちゃくちゃストレートに来てくれて、そして私もストレートにはストレートに返すんで、
余分なやりとり(牽制球)がなかった分だけ、その期間内でたくさんのキャッチボールが出来たんだろうと思います。

と、そうこうやりとりしているうちに、
ユカちゃんは「もうどう読んでも素行がよろしくなさそうな2年生女子の先輩」の話をよく話して(書いて)くれるようになり、
「同じ学年の女子に嫌われて意地悪されてたけどその先輩が私に意地悪した子を呼び出してくれてそれからは意地悪されなくなったんよ」
とか書いてきたので、私はなんかちょっと嫌な予感がした。

ユカちゃん、もしかしたらその先輩の素行につられて「不良少女」になるかもしれん。

その予感が確信に変わったのは、ある日突然ユカちゃんが「無理からの丸字」を使いだしたことだった。

…って、丸字って平成死語ですか?いわゆる「漫画字」なんですが。あ、もしかして漫画字も平成死語ですか?
えっと、どう言うたらいいのかなー。思春期の女の子がいちびって書くような遊び文字の字体(書体)なんですが。
今で言うと 「ゎたしゎ」 みたいな?あの書体がようわからんしうまく書けんのだがww
まあ、あそこまで解読不可能なアホそう状態ではないが、昭和後期の頃のあんな感じのふざけた字体と思ってもらえば近いですかね。
ただ、ユカちゃんの場合はそもそも字が下手なので、そのユカちゃんに漫画字を使われるともうほんまに解読が難しく、
これはもしや国家機密レベルのことが書いてあるのか??と思うような謎の暗号文みたいなことにところどころなっていた。


友達の私には謝らんでいいけど、むしろユカちゃんは「漫画」に謝れw 


「名は体を表す」といういにしえより伝わる言葉があるが、私はそれを自分の経験から「字は体(行動)を表す」と解釈している。

これは小学生の高学年から中学生の、特に女の子を育てている(いく)親はちょっと頭の隅にでも置いておいてほしいが
「字を(例え下手でも下手なりに)丁寧に書いていた子が字をふざけて崩して書きだしたら、なんか調子に乗ってきている」。
まあそれも一時的な流行りというか「今のいちびり」で、大概は「こんな字体では社会で通用しない」と気づいて改め直していくのですが。


話戻って。


ユカちゃんのその「国家機密レベルのことが書いてありそうな暗号文」は、いよいよほんまに「機密事項の内容」になっていった。
「先輩に誘われて親に内緒で学校さぼった」とか、「今度ばばあ(お母さん)がうるさく言ったら先輩の家に家出するんだ」とか。


おいおいおい。 なんかユカちゃん急激に穏やかじゃねーぞ・・・  


よって私はなんとか話を元に戻そうとして、もう今から思えば完全にKYwwwなんですがこんなことを聞いてみた。

私「ところでユカちゃん、最近ゼミはやってる?」
ユカ「全然やってない。6月号からやってない。それより先輩と撮った写真送るねー」


ま さ か の !!!
まさかのユカちゃん、2ヶ月ですでにリタイヤしてた!!! 

しかも送られてきた写真の先輩、なんだこのダンプ松本www
一年違いとは思えないほどに「ガラ悪そう」なんですけどwww



あれが何月頃だったかは覚えてないが、ユカちゃんとダンプ松本もとい先輩が「半袖のミキハウスのTシャツ(当時のヤンキー御用達)」を着て
斜めの角度でヤンキー座りして向き合って写真に写っていたことは、はっきりと覚えている。
しかも、もう時効やろから言うけど、ユカちゃんもダンプも明らかにその手にタバコを持って、ダンプは吸ってもいた。
っていうか今思うとあんな写真、よう写真屋も「それを普通に現像」したよな?ww「昭和」、おそるべしwww

つまり、ユカちゃんは中学に入学してから「ものの3~4ヶ月」で、「そこまでいった」のである。
私も3年間をトータルすると若干のヤンチャもしましたが、まだ初々しい頃のあのことはまあまあショッキングでした。
しかも友達のユカちゃんがそうなったという。




話、かなり進んで。



実際にユカちゃんにとって刺激的なことを持ち込んでくる人々に私は勝てず、ユカちゃんはどんどん転落していった。

ユカちゃんから最後に来た手紙は
「学校でタバタバ吸うとったら先生に見つかってから処分くらってね。博多の婆ちゃん家から博多の中学に通うことになったん。親は山口で私だけ博多に行くん。これ、新しい住所ね。また手紙ちょうだいね。りちちゃんの手紙好きやけ。今度の中学は規則かなり厳しいんって。続かんなら辞めてやるけどね」

「文通」って、「文字だけのやりとり」って、ほんまに無力だなと思いました。
新しい住所も教えてくれたけど、「また手紙ちょうだいね」って言うてくれてるけど、私は結局なんにも出来なかった。



よって、結論。



私が「文字」で出会った友達に

てかもう「直」で話そうぜ?会おうぜ?www 

ってなるのは、「ユカちゃんとのあの文通の苦い思い出」による学びも、それは多いにあると思いますわ。

  1. 2012/01/01(日) 02:43:57|
  2. 思い出のネタ(学生編)

文通の思い出・1

さて。

昨日次女のももが(長女いちごが始めたのにつられて受講している)チャレンジ(通信学習)の今月のテストが出来たから、と
「ママ、また封筒書いて送って」と、言うので、「はいはい」と、私はそれを受け取った。
ももが寝た後ふと解答用紙を見てみると、隅っこに「先生とのおたよりこうかん」みたいな欄があり、ももはこんなことを書いていた。

「わたしのなまえを赤でかかないでください。」


なんじゃその 「おたより」 !? www  


いや、なんとなくはわかるんですよ。「時期(年齢)的に」、なんとなくはね。
おそらく学校で「赤で名前を書いたら死ぬ」とかそんなこわい話・まやかしが流行っているんだと思うんですよ。
そやけどおまえ、無茶を言うたるなよ!無茶を!


その相手は  「赤ペン先生」  やねんぞ!? wwwww 


ももの担当の赤ペン先生がそれに「ピーン!」と来てくれたらいいが、これはなかなか難しいなぞなぞだと思ったので、
私はもうよほど「(意味不明なことを言っている娘について)親からの注釈コメント」を入れておこうかと一瞬思ったが、やはりそれはやめた。
何故なら、
ここは「ももと先生のおたより交換」のスペースなので、伝わらないことがあればそれが伝わるまでももが自分の言葉でやりとりすればいい。
それはももにとって、いつか社会に出るための訓練であり、また、それが自分の経験値にもなるのだ。
逆に赤ペン先生にとってはある意味苦行かもしれんが仕事なのでどうか頑張ってください。
うちのももを今後ともどうぞ、何卒宜しくお願い致します。



てな感じで、今日の本題。


もものその「おたよりこうかん」から、私はとある出来事を思い出しました。

実は、私も中学1年生の入学当初から半年ほど、学研の通信教育講座を受講していたことがあるんですよ。
なんか近所のおばちゃんが「学研のおばちゃん(配達員)」をやってたとかそんなんでうちに現物持ってセールスに来て。

私はここ「どんつき~」でももう何っ回も言うてますが、小学生の頃は「神童と言われるレベルの秀才」だったので、
なんぼそのオバハンに「中学に入ったら自宅学習だけでは追いつかないよ」みたいなことを言われても内心鼻で笑っていたんだが
私が注目したのはテキストの内容そのものよりも付録、もっと言えば「目録」だったんですね。
「毎月テストを出してシール集めたらかわいいレターセットとかをタダで貰える!」っていう。
よってオカンにはもうそれをビタ一文悟られないように「すごくその勉強に興味がある感じ」でそれを受講させてもらうことに成功した。

余談だが、
いちご(後にももも)が「友達が(姉が)やってるチャレンジを私もやりたい」って言い出した時、私はズバリ言ってやりましたからね。
「あんた、付録が目当てやろ?w」と。
「そんなんじゃない!」と真っ向否定して子どもの頭で考えられるだけの色んなことを言い訳してましたけど、だが経験者は知っているのだ。
友達と遊ぶほうが楽しい小学生や中学入学仕立ての子どもがなんの見返りもないのにそんなん受講したいとか、まあ言いませんからww



話戻って。



その当時、私が受講していた「学研ゼミ」だったかにはテキストの他に毎月「勉強ひと休みの読み物(小冊子)」が付いていて、
そこには「中1のみんなは、どんな部活に入った?ランキング(会員アンケート調べ)」とかが載っていました。
あと、会員広場みたいな「自由投稿のページ」もありましたね。投稿テーマとか一切なしで好きに自由に書いてもいいとこ。
そこで自分の日常を紹介するやつもおり、先生や親や先輩への文句を綴るやつもおり、笑い(笑わせ)に徹するやつもおり。
今になって思うと、ああいったスペースがいわば「mixi(=会員限定的の中での表現欲)の始まり」だったのかもしれない。

と、そんな中、私がその小冊子で着目したのは「文通コーナー」でした。



「文通コーナー(笑)」 



もう今や多分「死語」だと思うが、そして平成生まれの読者さんらには「もう全く考えられない危ないこと」だと思うが、
大体1970~1980年代の子どもの間ではその「恐るべきコミュニケーションツール」が当時普通に発達していたんですよ。

やり方は至極簡単です。

① 子どもが、「色んな人と友達になって色んなことを話したいな」と、思った。
② よって、「雑誌の文通コーナー」に自分の住所氏名を記載して、「自分と友達になってもいい(文通してもいい)」と思う人を募る。
③ すると、「それを見たどこかの全く知らない誰か」が、自分に手紙をくれる。
④ そうして、「文通(友情)」が、始まる。



最初から 出し過ぎ やろ。
ざっくばらん が 過ぎるやろ。

だが 「あの頃(笑)」 は そうだった。
 




って、そうして自分が子どもの頃に文通(=めっさ危ういコミュニケーションツール)を利用して友好を図っていたのにも関わらず、
「いんたーねっつを自在に扱う今の子は危機感がない!」と目くじら立てる人は、過去の自分を思い出したらいいと思う。
「昭和の子のほうが平成の子よりだいぶ危機感のない雑な子どもだったこともあったなw」と、思うこともあるかもしれない。



話戻って、小冊子の「文通コーナー」。


全く見ず知らずの人と文通をして友達になるには、送る側にしても何かしらの「共通項」がないと難しい。
よって私は、そのコーナーに数いる「お手紙クレクレ厨www」の中から吟味して、
「ユカちゃん(仮名)」という山口県在住の女の子に手紙を送ってみた。

理由① 自己紹介があっさり・さっぱり・媚びない感じで、なんか好きだと思った。
理由② オトンの実家が山口県なので、もしかしたらいつか帰省とかで会えるかな?と思った。


そうして手紙を送ってから返事が来るまではわりとドキドキしました。毎日学校帰りにポストを開けて見ていた。
そしたらやっと10日後ぐらいに、ユカちゃんからの返事が来たんです。



だが、その封筒の宛名書きを見て、私は若干引いた。


何故ならそれはもうまるで「小学生低学年の子が書いたみたいなおそろしい下手くそな字」だったからだ。


こんなヘタクソな字を書くやつがよくも「文通コーナー」に投稿したよな…? 



でも返事が返ってきた以上、私とユカちゃんはもう「友達の始まり」ですから、
この「おそろしく読みづらいユカちゃんの字もろとも」を、私は背負っていかねばならないのだ。


続く
  1. 2011/12/28(水) 02:02:23|
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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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