どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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「ある男性」がもたらした、我が家の災難について。(追記あり)

さて、先日ある男性のことで我が家の親子関係(私と長女・いちご)が崩壊しかけました。


いちご「ママは私らといるより あのおじさんのする話のほうが楽しいんやろっ!?」

私「だから あのおじさんのことは そういうレベルの話じゃないねんって!!!」




え、一体なんの話? あのおじさんって誰? てか何その揉め事…???

と、今、読者の皆さんの頭の中はざわめきとハテナマークだらけでしょうが、ことの次第を最初から説明をしますと……。


「あのおじさん」こと、その男性と知り合ったのはごく最近で、場所はインターネットのツイッターでした。

私は以前ここでも書いたように、先月(2月)からツイッターに挑戦し始めました。
でもその目的は「やらず嫌いをなくす、とりあえずチャレンジしてみる」っていうことだけだったので、
「とにかくアカウントを取ってツイッターデビューをした」というそのことだけで自分の中でもう大半が満足しており、
どこの誰だかわからん人々と自分の共通点(興味など)を探し、その繋がりを求めて積極的に交流していくこともせず、
私が直接自分のアカウントを教えたツレ(リアル)数名とフォローし合って、ログインのタイミングが合えば時折絡んだり、
あと、好きな芸人さんや放送作家さんを数名フォローして、彼らが放つおもしろい発言(ツイート)に笑ったり、
あと、私の発言をどこかで見かけたのか向こうからフォローしてきた全く知らん人をお返しでフォローしとくみたいな感じで
もう全くそのコミュニケーションツール(ツイッター)の「本来のそれ」を使いこなしてはいなかった。
と、そんな時にあの東日本の地震が起きて、関東の親戚やツレと連絡が取れず、関東地域の報道も全くされない中
現地の情報(被害状況)を求めて、見ず知らずの関東在住のユーザーさんの発言とかを読んだりしていたのだが、そんな中、
私がフォローしていたとある放送作家Uさんが、誰かと「こういう時のお笑いの役割のこと」を語っているのが流れてきたんですよ。
ツイッターをしたことがない人にはピンとこないかもしれないが(私も最初よくわからなかったんで)
私がフォローしてる人が誰かとオープンの設定で会話してると、それはその人をフォローしている私にも読めるんですね。
だから、私がフォローしているUさんがそうしてオープンでしている会話(自分のフォロワーさん=私にも読んでみてほしい?会話)は、
「Uさんが会話しているその相手」を私はフォローしていなくても読めるんです、ってまあなんかそんな感じ。

話の内容から多分、その相手の人もUさんと同じ業界の人なんだろうなと思ったんだが、
Uさんが話しているその人のプロフィールを辿ってみると、やはりその人は大阪で放送作家をしている人だった。
なので、二人のその会話が終わったあと、私はその人をフォローし、意を決してその人に話しかけてみた。

「先ほどUさんと話してはるのを見かけまして、私もこういう災害時に笑いをやることについて考えてしまいます。今は笑わせてくれる人よりも優しい言葉で癒してくれることを求める人のほうが多いのかもしれないなと思うと、笑いを躊躇してしまうのです」

というようなことを話しかけた。
何故ならそれは、 先日の記事 で書いたように私にはそのトラウマがあったから。

するとその人はもしかしたら私を、「こういう時の笑いについて否定的な考えを持ってるタイプ」だと思われたのかもしれないが
「今笑う気分じゃない人まで無理やり笑わせるということじゃないんです。笑う気分じゃない人に対しては、ただそばにいて話を聞いてやる。そういう使い分けはしていますよ」
みたいなことを返してきたので、(あ~もう絶対誤解されてるわ、くっそー!114文字の壁はでかいなー)と思いつつ
「わかります。笑いをやる人って実は周りが思ってる以上に神経とがらせてるとこありますよね。むしろそういう部分がわからない人ほど、こんな時にお笑いなんて不謹慎だと怒るのかもしれませんね」
というようなことを返したら、(なんや自分「こっち側」なんかいや?それやったら早よ言えやw)って思ってくれはったのか
「そうかもしれませんね。でも僕らはそういう人らになんと言われようとそれで笑って元気になってくれる人がいるならもうとことんやりますよ。芸人はみんなそういう覚悟を持って笑いの仕事をしています」
というようなことを返してくれて、「私も笑いの力を信じてます」みたいなことを返して、
するとその会話を終えた後、すぐ、その人(以下バスコさん)が私をフォローし返してくれはったんで、
「ああ良かった。私の笑いに対する思いがちゃんと伝わった」と私は思った。いや、わかりませんけどね?w

と、そうしたことがきっかけで、
私のタイムライン(ログインした時に自分がフォローしてる人たちの発言が流れる)にバスコさんの発言が流れるようになり
するとバスコさんは先日の会話で言っていたように「覚悟を持って」ボケまくりの発言をばんばん飛ばしていた。
フォロワーの多い芸人・作家さんらが被災地の声とか家族の安否情報を求める声を公式リツイートしまくる(自分のフォロワーに広める)中、
バスコさんはもうただただ、あの手この手でひたすらネタ(ボケ・ツッコミ)をずっと発言していた。

あ、ひとつだけ誤解してほしくないのは、
私はそうしてフォロワーの多い芸人さんが公式RT(リツイート)をしまくらはるのを責めてるわけじゃないんです。
その情報をその人が拡散したことで実際に避難所に物が届くようになったり、家族が見つかったりした人がたくさんいたので。
でもそれも「今自分に出来ること」なら、バスコさんがずっとしているこのボケ(笑い)も同じく「今自分に出来ること」であり、
バスコさんの「笑いに対する思い」はもうハンパないと思って、私はバスコさんがどんどん好きになっていったんですね。

っていうか、私自身もバスコさんのネタツイート(笑い)にかなり救われましたからww

私は今回の地震での被災者ではないけど、「買いだめ騒動の抑止」と日々戦う中で正直ストレスも溜まってはいた。
もちろん、一番ストレス溜まってはんのは「買いに来たのに商品がないやん!」というお客様たちですが、
そういう人らのその衝動の裏側や奥にある「本当の不安」と向き合う私ら(売る側)もだいぶしんどかった。
こんなん言うたら「生きるか死ぬか」の暮らしをしている被災地の人にもうめっちゃ怒られるかもしれんけど、
今はむしろ「日本全部が被災地」みたいなとこもある、と私は思うんですよね。
例えば「(自粛ムードにつき)人生かけて準備してきたイベントが中止になった」という人も少なからずこの災害を被ってるわけやし。


話戻って。


と、そんな感じでバスコさんの放つ114文字のネタに笑いの恩恵を受けている中、
ある晩、彼が「ブログを更新しました」というお知らせ&そのURLを発言(ツイート)したんですね。
そういえばプロフにブログのURLも載っていたけどバスコさんのブログはそれまで読んだことがなかったことを思い出し、
限られた114文字の中でこんだけ笑わせてくれるバスコさんのブログはもう爆発的におもしろいだろうと思い、逆に私は
「その笑いを究極に必要とする時までのお楽しみにしよう」といわばそれをお取り置きすることにして、
あえてその場ですぐには読まなかったんです。
だが、買いだめ騒動の早期鎮静化に向けて全力で戦う日々の中、「その時」はすぐに来た。

普段なら、仕事終わってから休憩室でスタッフ同士アホな話でもしてなんか盛り上がって「今日をリセット」してから帰るんだが
もう誰もがしゃべり疲れて(買いだめしたいお客さんの話聞いて説得し続けて)クタクタになっていたその日、
私は不覚にも「この店の芸人」でありながら、みんなを笑わせることよりもう自分が誰かに笑わせてほしかった。
だから私は、休憩室でタバコ吸いながら、携帯でバスコさんのブログにアクセスした、いや、「してしまった」んですよ。


するともう最悪なことになった。


「そこまで笑わせてほしかったわけじゃないわ!www」と、逆にキレたくなるほどもう笑いが止まらないんですよ。
しかも「どんつき~」で長文書いてる私が言うのもなんやけど、バスコさんの「モノ」も、もうとにかく長いんですよ。
しかも笑いのクオリティがずっと高いまんまダーッて行くから、途中で読むのをやめることもできない、いや、「したくない」という。


もう完全に今自分がKYな自覚はあった。

みんなもう笑う気力もないほどクタクタになっている中で、
奇声にも似た笑い声を発し口から泡を吹きながら腹を抱えてよがり笑い続け、
しまいにはバランス崩して椅子から落ちてそれでもまだ笑い続けるという。



「もういっそひと思いに殺してくれ!」とすら思った。

そうして壊れた私のことをスタッフのみんながもう明らかにちょっと引きながら恐々と見ていて、
だがそうして「なんか壊れてしまってる私」に、なんとかツッコんでくれる心優しい後輩もいた。
「今、透明人間がりちさんをこちょこちょしてるから見守っていてあげて!w」


そう、まさにそんな感じ!
なんかおまえわかってくれてありがとう!!!



もうほんま例えるなら、「こちょこちょする(くすぐる)のをどんだけ泣いても絶対に止めてもらえへん」みたいな悲惨な状態でした。
よって、「なんかちょっと犯されたみたいな経験」をした私は、もう二度とバスコさんのブログを人前では読まないと決めた。
よって、家にいる時(人前でない場所)の「自分の自由時間の時」にだけ、それを読むことにしたんですね。

だが、その殺人的なおもしろさのそのブログは我が家の家庭(親子関係)をも壊しかけてきた。



ある日、長女のいちごと次女のももがまたしょうもない姉妹喧嘩をしていたので私はそれを注意したんですね。
すると、そこから話がこじれにこじれて、長女のいちご(口達者)がなんかしらキレてきたんですよ。


いちご「ママは私らといるより あのおじさんのする話のほうが楽しいんやろっ!」


「え?なんの話???」って私はなって、聞けば、
「こないだその作家さんのブログを読んでる時ママはいちごが今までに見たこともない大爆笑をしていた」
「いちごやもも(次女)といるよりもママはその作家さんのネタのほうがおもしろいんやろ!」と。


普通(?)、母親は子どもにこんなん言われたら、

「そうか…。子どもはなんか寂しかったのかも……」 とかって

もう直ちに「バスコさんのブログ読むのを自粛」みたいになるんかもしれんが、
だが「笑いのキチガイ」である私はそう簡単にそうはならんのだ。

私「いや、それは話が違うやんか?」
い「何が違うの!?」
私「笑いの質が違う…ていうかもう土俵ごと違う」
い「じゃあいちごのギャグはおもしろくないの!?」
私「正直言うと、あの作家さんのギャグほどはおもしろくはないな」
い「じゃあママはいちごらといる時は楽しくないのっ!?おもしろくないのっ!?」
私「いや、楽しいよ?おもしろいよ?」
い「でもあのおじさんのブログ読んでママはあんなにも爆笑してたやんっ!?」


私「だから あのおじさんのことは そういうレベルの話じゃないねんっって!!!」



ちゅうか、りっさんも折れたれよw 「大人」なんやから、「母親」なんやからw

……って思います?



嫌ですよ!!!



何故なら、ここで「大人やから」「母親やから」と、折れてやるということは、
「自分的に死ぬほどおもしろいと思うことがあっても、大人なので、母親なので、子どもに気を遣って爆笑してはいけない」
という、もう全くもって謎の謹慎にも繋がっていくからです。それは子どもが成人して対等の立ち位置になるまで、もうずっと。



そんなん嫌ですよ!!!




話戻って。




親の私が言うのもなんですが、私が鍛えてきたいちごの笑いは小6にしてはなかなかのものです。
昨今インターネットで流行ってる「ACのCMパロディネタ」を彼女は早くから思いつき、家で独自に披露していた。

「勉強しろ!」って言われると、勉強しない。
「片付けろ!」って言われると、片付けない。
「もう好きにすれば?」って言われると、慌ててやる。
こだまでしょうか?…いいえ、反抗期ですw

と、そんないちごのことなんで、もう近い内にバスコさんのブログを読ませてやろうと思っている。そしたらわかる。
それを読んでも爆笑するなということがもうそもそも「無理難題である」ということが、笑いのわかるいちごにはきっとわかる。

そして、もっと言うと
「ママから的確な注意を受けたことの引き合い(ママをなんとか言い負かすための論点のすり替え)にそのことを持ち出した」
そんな自分の愚かさすらも、その圧倒的な笑いの才能を前にしたらそれは同時にわかるわ、と私は思っている。



とまあそんな感じで、

我が家の親子関係まで危うくなりかけた「ある男性(あのおじさん)」こと、バスコさんのブログはこちら。

(追記)

私が職場で読んでヒドイ目にあった記事はこちら。
馬券負けた奴の発言はどれだけ凄まじいか?の考察⑤(パソコン読者用)
馬券負けた奴の発言はどれだけ凄まじいか?の考察⑤(携帯読者用)

いちごとの親子関係が崩壊しかけた記事はこちら。
木下さんは何者か?の考察~ベスト版⑧~(パソコン読者用)
木下さんは何者か?の考察~ベスト版⑧~(携帯読者用)

個人的には、パソコンより携帯から読むほうがさらにおもしろかったです。
マシンガンのようにたたみかけるネタが行間無く襲ってくる視覚効果も相まって、もうどこにも逃げ場がありません。


そしてその「バスコさん」ことクソッタレ作家wwwの村瀬健(たけし)さんは、

「楽しく生き抜くための 笑いの仕事術」

「一瞬で一生 人を引きつける話し方」

という二冊の本も出してはります。


アマゾン通販
最新刊「楽しく生き抜くための 笑いの仕事術」


ちなみに、そうして我が家の親子関係まで崩壊させそうになった「彼の引きつけ(魅きつけ)」に尊敬を抱いた私は、
インターネット通販の到着を待ってられず、二条駅ビルの中にある大垣書店で買って早速拝読しましたw

読んだ感想は、これは「いわゆるハウツーもん(何をちょっと上から言うてんねんw的な)」ではなく、もう
村瀬健さんのエッセイ的な「とても丁寧で誰にもわかりやすくおもしろい、笑いの本」だと私は思いました。
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  1. 2011/03/25(金) 01:45:49|
  2. どんつき(ひと)

売っているのに「買ってはいけない」と言う店。・2

さて、この続きです。

と、始まりはそうして「東京の娘に送る」という人が数名来て、水とトイレットペーパーをごっそり買って行ったことだった。

でもその日はまだ
「まあ気持ちはわからんでもない。宅急便が関東行きの配達再開したから、きっと気が急いてはんのやろ」
みたいな生暖かい感じもあったんですよね。「しゃあないなあ~」みたいなね。
しかも店頭にもまだ半分ぐらい商品残ってたし、店頭に出しきれずに倉庫に保管してる在庫も何ケースかあったし、
さらに、一昨日発注した分が確実に二日後に入荷するんもわかってたし。

と、そんな感じでその日は退勤して、そしたらその晩に静岡で強い地震があって関西もちょっと揺れたので
「昨日の地震で慌てはった人らが早速開店前からずら~っと並んではらへんかったらいいけど…」
とか思いながら、翌朝出勤したら、昨日夕方(退勤時)の時点で半分ぐらい残ってた店頭の水とボックスティッシュが空になっていた。
聞くと、うちらが退勤した後(夕方)から閉店まで(晩)の数時間で残り半分も全部完売してしまったらしい。
普段一ヶ月に数個しか売れない保湿剤入りの高級ティッシュまでも、もう全部、「全部」ないのだ。

「ええっ!?もう???」と私らは言った。っていうか、数日前にも(「東京のそれ」で)私はこの台詞を言ったばかりだ。


なにこのデジャブ。


しかもそれはうちの店だけでなくどこも昨日一日でその状況になってしまったようで、
朝一で早速本部から購買(販売)制限=各商品につき一人各何個まで、が発令されたので
私らは開店前にそのお知らせの紙を貼り倒すと同時に倉庫にある店舗在庫を担ぎ出し、
もう怒涛の勢いで店頭にガーっと並べて、とにかく商品棚をパンパンに埋めた。
何故なら、昨日までそうして普通にあったものがたった一日で空っぽになってるのを見たら
何気なく来はったお客さんまでもうビックリして焦ってしまわはるかもしれない(→二次災害勃発)からだ。

タケ(後輩)「でもこれ全部出して一気に売れたらどうします?…やっぱちょっとだけバックに残しときますか?」
私「微妙。正直かなり微妙。…でも思うんやけど今この状況でちょっと残しとくって、それは隠しとく?ってことやんか?私はそういうことはしたくないわ」
タケ「ですね…。物はいっぱい有るから大丈夫ですよ!ってことを伝えて実際に目でも見てもらって信じてもらわないと」
私「それ、そこや!だからこっちも腹割っていかんとあかん、姑息なことしたらあかんねん。ここでパニックなんか起こさせてたまるか。ついてこいや!」
タケ「ラジャー!www」


って言うて開店したら、なんと午前中でその「今有るありったけ出した水・ティッシュ・トイレットペーパー」が完売してしまった。

個数制限の数を数十分単位で見直してさらなる個数制限をかけていったにも関わらず、ものの見事にもう全部なくなってしまった…。


タケ「(大激怒)だから残しとこうって言ったのにいきなりピンチじゃないですか!おまえはバカか!!!」

私「正直すまんwww でもおまえも 『ラジャー!』 言うたやないか!!!ww」




それからはもうあの数年前の「新型インフルエンザ大流行@関西」の時のマスク騒動を彷彿とさせるドタバタだった。
ただ、あのマスク騒動の時と今のこの騒動は根本的に違う。

あのマスク騒動の時はほんまに、「その物」自体が無かったんですよ、完全に製造が追いつかなかった。
何故なら、あの時は今ほど「マスク文化」が世に浸透してなかったので、マスクは日用品ではなかったんです。
「よほど意識の高い外来診察医」か、「給食当番の子ども」ぐらいしか日常として消費していなかった。
花粉症の人ですらも日々マスクなんかしてなかったぐらいでしたからね。
逆に、「常にマスクなんかしてるやつはよほどの潔癖症ww」って感じでしたから。
それが、関西での新型インフルエンザ大流行によって
「感染防止・予防のためにもマスクはしたほうがいい」ってテレビで言うたのもあって
普段「必要に応じて」のそのちょっとしか作ってなかったものを「絶対必要」とする人が莫大に増えて、
「この期に及んでマスクしてない奴とかキ○ガイ」みたいなほどに一気になったので生産ラインが追いつかなくなったんです。

余談だが、当時東京のツレが渡航用に買い置きしてたマスクを送ってくれたんはほんま助かった。
私は会社からマスクが支給されてたけど(お客様に感染不安を与えないように従業員はマスク着用するべしと)、
でも一般にはマスクが行き届かなかったので、マスクしてないとバイキン扱いみたいなことになってもいたので、
東京のツレが送ってくれたその備蓄マスクのお陰で、私のツレがだいぶ助かった。臆することなく仕事に行けた。

話戻って。

だから、あの騒動の時は「何の答えも出せないわからない私ら(店員)」はもうただひたすらに謝るしかなかった。
「わかりませんすみません申し訳ございません何もわかりませんご迷惑おかけします」とただひたすらに。


でも、今回はあの「マスク騒動」の時とは違う。

何故なら、物はちゃんとあるんです。

ちょっとだけ、ちょっとだけ待ってもらったら随時入荷もする。てか明日にはもうまた入るのがわかっている。
だからこんなもんはいわば全然大したことではない。「物が不足してる」んではないんですから。
でもこのパニックがエスカレートしたら、逆に「その情報」を詳しく伝えられなくなるんです。何故なら、
「明日入るって聞いたから」と、パニック状態になってる人が朝から大勢殺到して数時間でそれらが完売したら、
「明日入るって聞いたから」と、いつも通りのペース(暮らし)をしてる人がいつも通り昼から買い物に来た時にはもうすでに何も無いと。

「あんた明日入るって言うてたやん?嘘なん?」
「いえ、嘘は言うてませんし確かに今朝入荷したんですけど、でも朝の内にもう全部売れてしまったんです申し訳ございません!」
「ええっ!朝のうちに全部???…ほな次はいつ入るの?」
「次は○日後の予定です。ほんますんません!」
「わかった。ほなまた○日後に来るわ…ほんまに入るんやね?」
「大丈夫です入ります!何度もご足労おかけします、誠に申し訳ございません!」

だが、「入ったけど朝の内にもう売れたこと」を一度知ってしまったその人はもう昼過ぎには来ないかもしれない。
次回はもう朝一で来るかもしれない…。って、そうして並ぼうと思えば開店前から並べる時間のある人は逆にまだいいけど、
「仕事や学校や家庭の事情で、もうどうしてもそこに並べないけどそれがほんまに必要な人」はどうなるのかと。
その地域に住むの人々の健康の支援と暮らしの安定を支えている「その町のドラッグストア(売る側)」にしたら、
実は次の入荷日もちゃんとわかってるんやけど、パニックレベルを見ながらあえて情報を伏せとかんとあかんことになる。

「物はちゃんと有りますから大丈夫ですよ。また近々そのうち入ります」

みたいな、そんな抽象的なことしか言えなくなるんですよ。パニックが拡大しそう、するほどに。
そうしてそのパニック(騒動)が拡大・エスカレートするほどに、もうほんまに物流が追いつかなくなって、
もうほんまのほんまに、「次の入荷がいつになるのか私ら(店側)としてもわからなくなる」、物はあるのに。

関西のドラッグストアの「水・紙」は、今ここ。


日用品は「安い店」から無くなっていくんで、
うちの店はもうすでに「水と紙は次の入荷がいつになるかわからん」とこまで来た、たったの数日で。


でも、「比較的高い店」にはまだまだ店頭に物(商品)が山ほどあります。
こないだ某大手スーパーラ○フに行ったら、トイレットペーパー山積みであったからなんかめっちゃホッとした。

余談だが、

客入ってんの一回も見たことない近所の化粧品店がもうとっくに廃盤になっている日焼けして色褪せたティッシュを今だ、
多分なら何十年前ぐらい前から価格変動していないのであろう、「1箱300円」という衝撃価格のままで売っていた。

おっさん「ほんまに世の中紙不足なんか~?わしとこいっぱいティッシュあるけどな~んにも売れへんで?」
私「wwwww逆におっちゃんとこに置いてるティッシュが売れ出したら関西はもう本格的なパニックやわwww」


大丈夫やwww関西はまだ大丈夫やwww
この騒動は今ならここ(関西)で食い止められる、ここで食い止めんとあかん。



と、そんな私が考えたことは、「購入制限」を強いて商品の需要供給をコントロールしていくのではなく、

「なんで今そんなに要らないと思われるそれを今そんなにたくさん買いたいと思うのか」
「今それを買いまくることで、あなたは何に対して満足感(安心感?)を得るのか」


っていうそのことを、買い占めようとするお客さん一人ひとりに聞いていこうと。
だって、うちの店がなんぼ購入制限したところでその人にとって「満足」ができなかったら、その人はまた別の店で購入制限の限界までそれを買い続けるでしょ?
そんなんもう「根本的解決」ではないので、ほなもう「このこと」は一生終わらないやん、と私は思った。よって、私は

買い占めようとするお客さんに対して「なんで買うねん!」ってなるのではなく「なんでですか?」と話を聞き寄り添っていこう。
どんな理由であれどんな事情であれ、「欠品(店に商品がない)」させてしまっているのは店側の私らの責任なんや、開き直るな。
この騒動は正直まいるけど、でもお客さんにとってはうちらは加害者なんや、っていうことを忘れずに意識していこう。

と、そうスタッフに提案した。すると、みんなもそれに賛同してくれた。


「そやね。今一番困ってはるのはお客さんですもんね…」



てなわけで。


最初の数日はもうほんまにしんどかったです。


異常事態(買い占め騒動)の中で一人ひとりとそうして向き合って時間かけて話すのでレジはもう大渋滞になって

「何してんねん!!!はよせえや!!」

とかって、後ろに並んでるお客さんに怒鳴られたりもしたけど、そこはみんなでカバーし合って。

「個数制限?誰が買うても一緒やろ!おまえらは儲かるんやから有るだけ売ったらええねん!」と怒鳴る人もいた。
(…ひとつだけ言えることはドラッグストアで水と紙だけがなんぼ売れてもうちらは逆に大赤字です)
「今東京は深刻な物不足やねん!今私らは自分らのことを投げ売ってでも今は東京を助けないとあかんねん!」
(…それは自分が飢えるのすらも覚悟で?食うもん無くなって今度は四国や九州に「なんでもいいから送って!」は無しですよ?)

と、そんな「言いたいこと」は心の奥に閉じ込めて、ただひたすら謝って、粘り強く話を聞いて一人ひとりと向き合っていたら、
次第にお客さん一人ひとりの抱えている「安心できないことや不安なもの」が見えてきたんですよね。


「東北の地震以降怖くて怖くて眠れへん。南海・東南海地震もこうしていつか起きる可能性があるってテレビで言うてたからますます不安になって、どんだけあちこち廻ってどんだけ水と紙を買うても全然安心できひん」

私「そうですね、怖いですよねえ。でも南海・東南海の可能性はずっと言われてたことじゃないですか?とりあえず三日分の水と食料の備蓄と、さらに余裕があれば一週間分のそれを確保しておくこと。それが出来てれば備えに関してはもうオッケーですやん?…てかそれよりも眠れへんことが何よりしんどいですよねえ?今そんなにいらん水やら紙やらを買い続けるより、興奮と緊張を解いてくれる漢方薬でも飲んでちょっと気持ち落ち着かせはったほうがいいんちゃうかなあと思いますよ?」

「とりあえず水さえあれば人間は生き延びられるって聞いた。地震が起きたらみんな自分のことで精一杯になって人のことなんかかまえへんようになる。自分の身は自分で守るしかない」

私「確かに、人間は水があればそこそこ生きれます。でも今、水出るじゃないですか?水道水がまずくて飲めへんなら備長炭でも入れて日ごとに汲み変え汲み置きしといたらいいじゃないですか?現状、水は出るんやからどうしてもそのペットボトルの水じゃなくていい。…でも、今どうしてもその水じゃないとあかんとこで暮らしてる人らがいる。今どうしてもそれが必要じゃない人がそれを買い占めるみたいなことが拡大していったら、やっぱ自分の身は自分で守るしかないって恐怖も同時に広がってしまうんちゃうか?と私は思うんですよ。でも、今ここでそれを分け合う空気を関西から発信出来たら、日本全体でそうしていけたら、いつどこで震災が起きても誰も一人ぼっちにはならないんじゃないかな?って私は思いますわ」

「東京の娘が心配やねん。あの子は昔から積極的に人の輪に入っていくタイプじゃないから、あんな深刻な物不足の中で独りで小さい子ども抱えて一人孤立して不安で怖くて辛い思いをしてるはずや」

私「いやそれは娘さんに対して失礼やと思いますよ~?娘さんだってもう立派なオカンなんですからそこは子ども守るために逞しく生きてはるやろし。…てか、そうしてこっちから物を送るのは限界があると思うんです。こっちはこっちで生活していかんとあかんのですから、それを継続しながらそうして異常なほどの量を一気に送るとかしてたら、いずれこっちの暮らしが成り立たなくなる。そうなったら逆にもう何も送ってあげられなくなるじゃないですか?…思うんですけど、そんなに心配やったら娘さんに一旦京都に帰ってくることを提案してみはったらどうでしょう?娘さんがそばにいれば安心でしょう?受け入れ先の実家があるならそこに帰るのもひとつの手段やと思いますし。でも娘さんがそこで『確かに物はないけどいよいよ京都に帰るほどじゃないから大丈夫やで~』って言わはったらそれは『親元離れてのこの事態でも助け合える仲間がいるから大丈夫やで~』ってこととちゃうかな?って思うんですよ。今そうしてそれ急げ!って段ボールいっぱいに物を送る前に一回その確認をしてみはったほうがいいんちゃうかな~?と私は思いますわ」


でも、それでもやっぱりやたらめったと買う人は買う。

今要らんのはわかったけど、でも「一人何個の限界」まで買うて行かはる人もいるにはいる。それはもう止められない。
でも、そうして話を聞いていったら「ちょっとよく考えるわ」ってなる人のほうがもう圧倒的に多いんですよね。
「話聞いてもらって、なんかラクになったから」と。

そしてさらに、普段来てくれてる常連客は「この騒動」に全く追随しなかった。
むしろ「いつも来てる客」ほど今のこの状況(店が急激に商品を欠品させてしまってること)にめちゃくちゃ怒っていいとこなのに、
てか、私ら店員にしたらぶっちゃけ「あなた(いつも来てくれてはるお客さん)」をこの騒動に巻き込んでしまうことが一番申し訳ないのに、
「またそのうち入るん?ほなまたそのうち来るわw」と、私らの言うことを完全に信じて、騒がず暴れずに居てくれて、
「まあ最悪は新聞紙切ってお尻拭いたら済む話やから、かまへんかまへんw」とか言うて私ら(店員)を笑わせてもくれる。

「次はいつ入るねん答えろ!約束しろ!」っていう詰問を浴びてだだ誤りのひた謝りしている中、薄毛のおっさん(常連客)が

「わしは紙よりも髪のほうが心配や、っちゅうねん!」
「紙なんかまたなんぼでも作れるがな~せやけどわしのこの髪はこれもうずーっと1本も生えてこーへんがな!」


とか言うて、殺伐としたその空気を笑いで和ませて、この店(私ら)を助けてもくれはる。



そろそろ答えが見えてきました。



震災のパニック、飛び交う情報、個々に感じた不安、マスコミの煽り、…と、もう様々な要因が絡みあって、
東京・関東はあの異常な「買い占め・買いだめ騒動」になってしまったんだと思いますけど、結局は、

店員とお客さんのコミュニケーション不足や信頼関係の不足からあんなことになったんかな?

と、私は思った。


副店長「人口多い東京でこうしてパニック状態で殺到する一人ひとりのお客さんと時間かけてトークして、そこから信頼関係を築いてそれを止めるなんてことは難しいわ。京都やから出来ることや」
私「かもしれないですね。同業者に限らず今関東で販売の最前線にいる仲間が自分の無力さから鬱にならんかったらいいけどなー…」
副店長「俺もそれがかなり心配やわ」
私「でも人口が多いだけに見るに見かねて店を助けてくれる客の人口もやっぱ同じく多いんちゃうかな?という思いも私にはありますわw」
副店長「りちさん、それは理想論やで」
私「ええ、理想論ですよwでも実際たくさんの常連さんが私を助けてくれて、たくさんのテンパってるお客さんも私の言うことを最後には信じてくれた。多くの客と向き合うのは大変やけど多くの客と向き合うと多くの反応もあると私は思うんですよ。ピンチはチャンスですよ!」
副店長「てか…アホでしょw」
私「ええ、私はアホですよw…ってこんな考え方は嫌いですか?」
副店長「…その考え方が嫌いやったら僕はこの仕事をしていないと思う」


話戻って。


もし、どんつき読者の皆さん…はしてないと思うけど、
もし、どんつき読者の皆さんの家族や知り合いが「買い占め・買いだめ」になんか燃えてはったら、

「そんなことにはもう全く意味がないこと」
「逆に今それをしたら何もかもが狂って、後々自分もしんどくなること」

を、どうか教えてあげてほしい。



店員は「いつとか言えないけど近々入ります」と、必ず言っているはずです。
パニックが拡大しなかったら、その店員の言う通り近々いつか必ずまた入荷します。
どうしてもその店員の言うことが信じられないなら、逆にりっさんの言うことを信じてほしい。
りっさんを信用してくれ。


物はある。あるから。

今ある物を今必死こいて奪い合わなければ物はあるから、焦らなくても大丈夫です。





[売っているのに「買ってはいけない」と言う店。・2]の続きを読む
  1. 2011/03/22(火) 03:15:16|
  2. 仕事ネタ(現職)

売っているのに「買ってはいけない」と言う店

さて、今日の記事を読むにあたり、ひとつだけ皆さんに約束してほしいことがあります。それは、

慌てず騒がず、最後まで私の話を聞いてください。

もうテレビでも報道されてるんで皆さんもご存知かと思いますが、
現在、東京及び首都圏都市部で深刻な買いだめ買い占め騒動が起きてるそうで。
ペットボトルの水、トイレットペーパー、ティッシュ等の日用品から、子どものオムツ、粉ミルクといった育児用品、
カップ麺やレトルト・缶詰め食品などの常備食や、懐中電灯、電池等の非常用品などありとあらゆるものが、
なんかもう尋常じゃない品切れ状態になっているそうで、ところによってはもうほんまに一切合切、店に商品が「何にも」ないと。
恐らく、今回の地震や今だ続く余震の恐怖から、みんなもうパニックになってしまってはるんやと思うんですよね。
しかも、関東(電力)地域は普段以上の節電や計画停電をしつつ生活してはるんで、
色々常備してないと不便で不安で安心できない、その気持ちもようわかる。

ただ、どう考えてもそんな一気に、そんな急速にそこまでの事態になってしまうんはおかしいんですよ。
何故なら、関東の「普段の暮らし」の分の供給は、地震後も問題なく動いていたはずなんです。
そら、東北~関東地域の道路が寸断されたり割れたりして使えなくなってしまってるから、確かに物流は悪くなってるやろけど
でも、考えてみてください。日用品って使う量はもうほぼ安定・一定してるじゃないですか?
だから製造する側はずっと「使う分」は作ってきてるし、通常通り使う分はストックがあるわけですよ。
まあ確かに、日用品と言えどこの時期は花粉症とかでティッシュの消費量が若干増えたりはする、とかはあるやろけど、
でもそれも見越した上で向こうだいぶしばらくの物はすでに製造できてるはずなんです。
だってどこの誰が「明日」要る分を「今日」作りますか?
逆にそんな「注文受けてから竹を切りに行く、こだわりの手作り扇子」みたいなことやってる製造会社がどこにあるのかと。
だから物はあるんです。ただ、さっきも言うたように物流がちょっと混乱してる(ちょっと遅れる)ただそれだけのことなんです。
もっと言うたら近々出荷の分はもう配送センターまでとっくの早くに届いている。
それを個々の店に届けるトラックがちょっと遅れてる、それだけのことなんです。

よって、仮に製造工場が潰れたからといって今すぐになんでもかんでも無くならないんです、もう「作って」はあるから。
確かに、地震で操業できなくなった製造工場もたくさんあるだろう。
だから、ひょっとしたら物がほんまに不足してくるかもしれん。でもそれはもっと後のことなんです。
だが日本のとてつもなく凄いところは、日本の優秀な企業戦士(ジャパニーズ・ビジネスマン)たちは、

「工場ごと潰れてもーたんやから、もうわしらの力ではどないもこないもならんがな」
「せやせや。今は家でお母ちゃんの乳でも揉んで待つしかないで。静観や、静観の心や」
「違うねんな~おまえらってほんまにアホやわ~全くわかってないわ~。…つまりな、国が悪いんや」


とかそんなん言うて、もうかれこれ30年か40年ぐらい「大変なものごと」を全部、「静観」や「人のせい」にし続けて、
「ずーっと変わらないその場所で、毎日毎日ホッピー(若い子ら、知ってる?w)飲んでるだけ」、みたいなおっさんらとは違い、
…ってそんなおっさんらと酒飲むともう殺人レベルのネタの宝庫なんで、個人的にはそんなおっさんも好きだがw
昼飯も夜飯も、なんなら翌日の朝飯も抜いてでもストックのある内に「潰れた工場の代替工場」を死に物狂いで探してくるという、
…って逆にその精鋭たちの働きすぎもどうかと思うけどw死ぬな生きろ!w
と、そんな、世界に誇る勇気と信念とバイタリティーに溢れる勇者たちの集団なので、そう簡単に日本は引っくり返らないのだ。
てか、もっと言うたら、

逆に、こんな最中にでも仕事に出てるあんたの旦那こそが、
今もう、必死のパッチでこのことを立て直そうとしてるねんから。


だから、「この世の末」とか「日本終わる」とかってビビって、必死こいて買いだめしなくても全然いいんです。
朝、少し心配はあっても、やっぱり笑って旦那を見送るように、もういつも通りにしてたらいいんです、と。


だが、そうは行かなかった今回のこの騒動。


実は私は、テレビで報道されるぐらいのこんな超ド級の異常事態までになる前に、その情報を少し聞いていました。
何故なら、うちの店みたいに全国展開してるとこは「その業界」の話はもう雑談的に入ってくるんです、これはどの業種もやろけど。
「どこそこ方面の○○(同業店)で、何やらがべらぼうに売れだしてるらしい」とか、もうどっかかしらそんな情報が入ってくる。
なので、東京で水と紙が急激に売れ出してるって話も実は少し早くに聞いて知っていて、だから、うちら(関西)は
「そら~もうみんな不安なんでしょうねえ~毎日怖い思いしてはるやろし…気の毒ですわ~」とかってしゃべってたんですよ。
でも、もうすぐさま発注配送をセーブして関東店に商品を回すようにしたれ!みたいな指示も特に出てなかったし、
しかも「水売れてる」言うても東京及び関東地域は、北関東で一部断水してるとかあっても概ねの地域が蛇口ひねったら水も出るんで
まあその混乱的な購買意欲もいっときのことで、しばらくは「ちょっとは」品薄になるやろけどすぐ戻るやろ~って見解やったんですよ。
ところがもう、次の日かその次の日には「あかん!なんもあらへん!」って話になってきて、「ええっ!?もう???」っていう。
言うたら、「多少混乱しても、概ねが普通に暮らしてたら大丈夫な供給レベル」を二日か三日で急激に越えてもうたわけです。
物が一気になくなったわけじゃなくて、「物はあるけど店に届くのがいつもより遅い」が、誰もかれももう待ってられずに。

Aさん「いつもより水が少ない…。そうか!地震で物が足りなくなったんや!次いつ入るかわからん、水を5ケースと、あとトイレットペーパーも有るだけ買うとこ!」
Bさん「トイレットペーパーあらへんやん!あっ!さては地震で物が足りなくなったんや!トイレットペーパーはないけどほな代わりにティッシュを今有るだけ買うとこ!」
Cさん「え、ティッシュもトイレットペーパーも無いの?しかも水もあらへん!これは大変な事態や!ほなとりあえず赤ちゃんのオムツ2つ?…いや4つ買うて、そしてこのことを早速ママ友に教えてあげよう!」
と、そうした情報を聞いて駆けつけたDさんEさんFさんGさんが店に着いた頃には、
なんと一番最初に来て慌てたAさんが早速もう自分の娘のYさんに

「あんな大地震の後やから今、東京には物がないねん!」
「あんたも今の内に今有るもんを有るだけ買うときや!」


と、自分が感じたこと(主観)を「ニュース(情報)」としてブッ飛ばしており、オカンにそう煽られたYさんはYさんで、
さらにそれを自分のママ友に「ニュース」としてバラまいて、先にもう有るだけなんでも買い漁ってしまっていた後で、
「まだちょっとは有るはずのオムツ」すらもなく、もう絶望的な恐怖不安に陥ったDさんEさんFさんGさんが
今どうしても必要でもないのに「乗り遅れた不安」を解消したいことから「今ここに有る粉ミルク」をあるだけ買い占め、さらに
「隣町の店にはティッシュは売り切れやけどオムツはまだあるらしいよ!」という情報を別のママ友から得て、
隣町の店で、「それが今得られなかったことが不安でならなかったオムツ」を、もう有るだけ買い占める。

と、そんな昼間の騒動を全く知らず、普段通りの生活を今日もしていた夫婦共働きのEさんが、
「あ、トイレットペーパーもうじき無くなるし買うて帰ろ」と、
いつも仕事帰りに立ち寄るそのドラッグストアに寄った時には、もう、紙類は一切合切なく、なんかしらんけど水もない。
「これは大変なことが起きてる!とりあえず今いっぱいあるカップ麺をあるだけ買ってついでにレトルト食品も今あるだけ買う!」
そしてさらにEさんは普段インターネットで買い物してるのでネットでもガンガン注文したらどこも「到着未定」(←物流悪いから)
「…ひとつだけ言えることは、共働きの我が家は昼間動ける専業主婦のいる家には勝てない!」
よって、深夜に帰ってくる旦那に電話して、
「あんたコンビニでもなんでもええし食料有るだけ確保して!」とか言う。なんのこっちゃわからん旦那が
「ハア?コンビニで食料買うとかもったいないやん。スーパーで買うたらいいやん?…しかも俺、今あんま手元に小遣いないし…」
「現金ないならカードで買えばいいやろが!それぐらい頭働かせろや災害時やぞ死にたいんか!?この緊急事態にどんだけまだボサーッとしてんねんボケ!!!」
「…わ、わかりました、そしたら有るだけ買って帰ります…」と嫁に言われた通り、カード払いで
コンビニに有るだけのカップ麺とレトルト食品と「なんかとりあえずいっぱいある」牛乳と卵と弁当も多めに買うて帰る。

そして翌朝。

Aさんが昨日5ケースも水買うたのにまださらにコンビニにまで水買い占めに来たら、
Aさん「「卵と牛乳も昨日より減ってる…?」
と、振り出しよりさらに悪い振り出しに戻り、そうして様々な状況の人たちが一斉に妄想に陥り暴走し始め、

そうして翌々日。

ABCDE~~~XYZさん「もうどこにも何も売ってない!なんで???」


いや、「なんで?」や あらへんがな。
それを自分で撒き起こしといて「そこに疑問を持つ」って
一体なんやねんその 『ひとり遊び』wwwwww




まあこれは完全に私のイメージによる「コント」ですけど、多分こんな感じで始まった騒動やと思いますよ。
逆にそんなんに追随してないのにこの騒動でさらなる不便を強いられてる「普通の人ら」が最悪的にかわいそうやっちゅうねん!


関西~西日本の人ら、「関東のやつ、ほんま傑作やなww」って笑います?


まあ、笑いますよね、もう普通に。
だって「一切合切」が慌てへんかったら、「一切合切の物が無くなることなんて無い」話なんですから。
その大慌てぶりで自爆してることが、はたから見てたらもう滑稽でならない。


だが驚くなかれ、関東のそれと全く同じ現象が関西でもすでに始まっているという。
てか、もう知ってるし見てるでしょ?
今、関西の(普段買うてる安い店)に「水と紙」、実際、急激に無くなったでしょ?





うちの店の「その始まり」はこうでした。




ある日、「普通の買い置き」じゃない量の2Lの水(一気に8ケース)をカートに積んだお客さん(おばちゃん)がレジに来てね。

おばちゃん「ここ、カード(払い)いける?」
私「はい、いけますよ!(…でもその持って来た量にはちょっと引く)」
おばちゃん「(その空気感じて)…東京の娘が水が無いって困ってるから送ってやるねん」
私「なるほど。東京に娘さんが居はるんですか…。ってこの量を一気に?w逆に東京の娘さんにとって今ほんまにこの量、要りますかね?だって東京、蛇口ひねったら水出るんでしょ?」
おばちゃん「でもいつ出えへんなるかわからへんやろ!あんたや私はずっと京都にいるからそれがわからへんねん!京都の親元を離れて東京行って、旦那は仕事仕事で一人で子ども育ててる娘を思う親の気持ちがあんたにわかるか!?ずっと京都で生きてきた私らみたいなもんが!?…大きい声出してごめんな、とにかく私は孫が可愛いねん。娘はその人が好きで結婚して東京行ったんやからもう娘のことはどうでもいいわ。でも孫だけは!だって子どもに罪はないやろ?あんたもそう思わへん?」


もう どこからツッコんだらいいのか?
なんか勝手に「一緒」にされてるし、前半と後半で言うてること矛盾してるし。



「それを免罪符にしよう」としてるなら、おばちゃん汚いわw悪いけど、私はそういう情には良くも悪くも流されへん。
てか逆に「それが今なら免罪符になるかもしれない?」っていう、そういう意識は最終どこに行き着んや?


「関西、始まったな」 と 私は思った。


そして「これはやりづらい感じに行く」と私は思った。何故なら二号機は初号機よりパワーアップしてくるので。
これ、もうここ(関西)で止めんと、さらに四国や九州に飛び火すると思った。その根元からもう断たないと。
おんなじ「アホ丸出し」を各地で繰り返してる場合じゃないねん、今はもっとせんならんことがある。

よって、この騒動の拡大をいち早く収束するにあたり、販売側の自分に出来ることはないんか?と考え、
私はそれに対して、もうめっちゃ動き始めたのだった。


続く


[売っているのに「買ってはいけない」と言う店]の続きを読む
  1. 2011/03/20(日) 03:50:27|
  2. 仕事ネタ(現職)

笑いのチカラ

まず始めに、3月11日からあちこちで連続して起き続けている今回の地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
かけがえのない命、人生を、一瞬にして奪われたこと、もうめちゃくちゃ悔しい思いでしょうが、どうか安らかに…。
でもいつかは誰もが、もう誰もが、今あなたの居る「そこ」に行きますから、
だから、今はもうとてつもなく悔しくて寂しいかもしれないけど、どうか、どうか安らかに…。
そして、今だ不安で不便な生活をしておられる被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。
食事の度、「今このご飯が食べられない人がたくさんたくさんいること」を思うと私は非常に心苦しく、
「そうしてご飯食べれへん人がいるのに自分だけがご飯食べたらあかんのちゃうやろか…?」という気にすらもなりますが
復興には相当の時間がかかると思うし、それを支援していく側の私らはずっと強くパワフルで居続けなければいけない
だから、そうしてへこんでしまって、「その力」を早々に失ってしまわないように、私らはいつも通り、「しっかり」やります。

私の関東地方のツレらや親戚(従兄弟)家族はなんとか皆、命だけは無事のようで、
今だ余震が続く中、一部停電や断水したままの生活等等を送っているようですが、助け合ってやってるみたいです。実に逞しい。
その全員と連絡が取れるまでの数日間、遠く離れた関西にいる私は心配でならなかった。災害ダイアルには全くメッセージもないし。
でも、非被災地(関西もわりと揺れたけど)から被災地に電話をかけまくることはもう絶対に絶対にタブーなんで、
届くかどうかわからんけど、とりあえず、メールを各人に一本ずつだけ送って、向こうからの連絡待ちに徹し、
あとはもう祈る思いで、テレビのニュースで現地の状況や情報を得ていた。
だがどこも津波被害の大きい地域(東北地方)を中心とした報道が多かったので、関東の状況は主にインターネットで知りました。
特に、現地の人の声が聞けるツイッターは役に立った。都道府県別ユーザーがわかるサイトみたいなんがあるので、そこで。
一部、情報が錯綜したり、支援したい側(被災してない地域の人間)が先走ってしまいそうになってるところもあったけど

「いや、今それを言わんでいいやろ?」
「つーか、それを今言うことで一体誰が得すんの?」


っていう、人の不安を煽るような発言(原発批難とか政府批判とか)を垂れ流してるようなやつよりは、まだ全然いいと思った。
てか、なんなんやろね、ああいう人種。キレ者気取りか?
しかもそんなアホに賛同追随して、それを積極的に広げているさらなるアホまでいるという。
「だから原発は危険なものなんです」とか、「今の政府はあかんから政府の言うことを信じるな」とか、
今そこから動きたくても動けへんでずっとずっと怖い思いしながらもうただただ救助を待ってる人にしたら

「おまえらうるさいちょっと黙れ」 な話ですやんか?

私やったらそう思うわ、「いやもう今そんな話はいらんねんか」って。



てな感じで、さて、今日の本題。



こういう災害が起きた時、私はいつも躊躇することがあるんです。
それは、「今ここで笑いをやっていいのかどうか」。 
もっと言えば、「今ここで、傷ついている人を笑わせてもいいのかどうか」。

傷ついた心が癒される言葉(もの)や勇気の出る言葉(もの)は力になると思う。
特にここまで大きな災害になると、傷ついてるのは被災した人ばかりじゃなくもう日本中、いや世界中が傷だらけになってるし
今回の震災では、「Pray for Japan」 という、なんか世界的な合言葉的なものも生まれているらしい。
ちなみに阪神淡路~の時もそういった祈りの合言葉が生まれました。あの時は「頑張ろう、神戸」でした。


いいよ~! そういうの、凄くいいよ~!!!


私はこう見えて(どう見える?w)実はうっとおしいほど熱いやつなんで
そういった「コトバのチカラ」、みたいなものに響き、そしてちょっと泣く。(誰にも言うなよ)
「こんな時」にそうして真っ向からくるそういったものを「ええかっこしい」とか「綺麗ごと」とかは思わない。
美しい言葉を聞けば、心は美しく磨かれていく。汚い言葉を聞けば、心は醜く濁っていく。
だから、しんどい時にはもう「美しいこと」「綺麗なこと」をたくさん聞いて、心が濁らないようにしないといけないのだ。

と、そんな清き(?)思いと同様に、私には、
いわばそれと真逆のコースからの持って行き方(?)とも言える「切っては切れないもの」があるのだ。


それが、「笑いのチカラ」。


人間って、どんな辛い時でもちょっと笑ったらラクになる~っていうか気も紛れる…みたいなとこありません?
っていうか広い意味で言うと、「癒し」も「勇気」も「祈り」も「笑い」も、もう全て「紛らわし」やと私は思うんですよ。
だってそのどれを持ってきてもすぐさまにその「しんどい現状・状況」が何かころっと変わるわけじゃないし、
それに触れたことで、「自分の気の持ちよう」がなんか変わったわ~、みたいな、それは話ですやんか?

でも不思議なことにその中で「笑い」だけは、何故かなんか嫌われるんです。そして往々にして叱られる。
ダウンタウンの松本さんも著書の中で書いてはったけど
例えば、好きな子が失恋して落ち込んでる時、ミュージシャン(歌の得意な人)は歌を歌って慰める。
でも、それと同じように、芸人(笑いの得意な人)が笑いで慰めようとすると、「不謹慎だ」と怒られるという。
…って、音楽家さんをなんか「あんたらはそらかっこええよな」とかって責めているわけではないですよ?念のため。
てか、「私と同じく自分の得意な表現方法でそれをしている同志だ」と私は思ってるんで。
てか、逆にそれは音楽家さんのほうもきっと同じ思いでいてはると思うんですけど。
何故ならば、「ミュージシャンは意外とお笑い好きが多い(爆)」


話戻って。


確かに、もう今笑う気力すらも起きない人を無理から笑わせようとするのは単なる「嫌がらせ」であり、だから、
「ちょっと今まだ笑いを見る聴く気持ちじゃないから、笑いはやめて」って言われるならわかるんですよ。
「ちょっと今まだ歌を聴く気持ちじゃないから、歌はやめて」っていうのと同じ話なんで。
でもそうではなくて、なんかもう一概に「今、笑いをやる=不謹慎」ってなってしまうという。
「おもしろいけど、でも今は笑いは不謹慎!」って、なんか全部そうなってしまうという。


あれはもう忘れもしない、9.11のNY同時多発テロの時でした。
あの衝撃の出来事に、もうベッコベコに落ち込んでしまった友人がいてね。
彼は以前そこに住んでいたことがあり、そこには思い出もあり友人もいるそうで、もうベッコベコに落ちてしまった。
NYなんか一回も行ったことない私にまでそのしんどさが伝染しそうなぐらい、彼はもう「ベッコベコ」になってしまっていた。

だが、彼は普段からお笑いが好きで、しかも私の繰り出すネタを常々「おもろい」言うて笑ってくれる人なんで、
だから私は、落ち込んでる彼の気を何か紛らわせたくて、彼が好きで私も得意な分野のそれ(笑い)をやった。
洋画好きな人だったので、当時上映してたか、もうすぐするだったか、の洋画コメディをイジったネタで。

ほんなら、彼はそれでちょっと笑った後に、「でもこんな時に笑いは不謹慎やから」 と言ったんですよ。
「おもしろいけど、でもりっさん、世の中がこんな時に笑いは不謹慎や。だから笑えへん」と。


「ええ~~~っ!? てか自分、今 笑ろたやん?」

「いや笑ったけどでも今は笑ったらあかん って、それは何で???」



そらこのこと(9.11)で落ち込んでるのわかってる君を前にして私がわざとそれをネタにしたならば、君から
「その笑いは(僕に対して)不謹慎や。(僕に対する慎みがないから)それは笑えへん」と言われるかもしれん。
てか、それなら逆に話はわかる。だから、だからそこは私もチョイスしてないやん?でも、
「おもしろいと思ったけど、こんな時に笑いはやっぱ不謹慎やから笑えへんわ」って、

私が逆に聞きたいのは


その「謹慎」は、一体どこから発令されているものなのか?



「こんな時に世界平和の歌」は不謹慎ではなく、「こんな時に子どもたちの笑顔の写真」も不謹慎ではなく、
なのに何故そうして、「こんな時に笑い(笑うこと)」だけが、なんか不謹慎扱いになるんだろう?


でも、そのことがあってから、私は「災害時に笑いをやること」を躊躇したり自粛したりするようになった。
自分としては、目の前で落ち込んでるこいつをもうごっつ笑わせたいんやけど、でも
「笑いたいけど、でも不謹慎やから笑えない」っていうさらなるしんどさを逆に抱えさせてしまうなら、
私は今もうなんもせんほうがええんかな?って思って。

でもそうすると、「私やからこそ出来る、私が一番得意なそのこと(表現)」がなくなってしまう。
「不謹慎とされないことで表現している人たちのサポート」しか、もう出来ることがなくなってしまうんですよ。
「なにか自分に出来ることがあったらお手伝いしますから言うてくださいね~」ぐらいの、なんか凄く消極的な感じで。


私は「笑いのチカラ」を信じています。
「余裕がないから笑えない」、じゃなくて、逆に、「笑うことで余裕が生まれる」、と私は思ってる。
幸せなことに私の周りの人間は「そっち系の考え方」のやつが多いんで、
私がしんどい時はそいつらがなんか笑わせてくれるんで、私もこうしていつも余裕をこいて生きていけている。
「笑いのチカラ」は、素敵な詩や素敵な絵や素敵な写真や素敵な音楽と同じぐらいステキなものやと私は思っている。


てか、「笑い=不謹慎」ってなることに、私がひとつだけ言いたいのは


アホぬかせwww

こちとらもう、「よほどの慎み」を持って想い考えながらやっとんねんwww



でもその「慎み」が、悲しいかな、「笑い」という表現方法においては伝わりづらい。
何故なら、逆にそれが相手に伝わってしまうと相手はもうニュートラルに笑えなくなるので、
だからあえてそれを相手に悟られないように「笑い」という表現をやってるんですが、
それが完璧に出来すぎるほどに逆に「こいつこんな時にふざけてるわ」と捉えられるという、そんな悲しい悪作用。


先日、とある放送作家さん(阪神淡路経験者)と「こういう時こその笑いのチカラ」について語りあってたんですが、
災害時の笑い=不謹慎扱いになってしまう、その行き着く先の最も怖いとこは、
「災害にあってしんどい最中のその人が、今ちょっと笑うこと」すらも不謹慎扱いになっていくこと、なんですよね。


「そんな大変な時におまえ(本人)は何を笑ろてんねん!」 ってなること。




「そんな時でも、おもろかったら笑っていいんですよ!」



自分がしんどい時、「自分の気の持ちよう」が変わるアイテムは、いっぱいいっぱい持ってるほうがいい。
例えば、 「詩」、「絵」、「写真」、「音楽」、「二次元(←)」、「エロス(←←←)」、 そして、「笑い」。



てなわけで。


私はやっぱり、自分の得意な「笑い」を続けることにしました。
こんな時やから、もうあちらこちらで「笑い」をやることにしました。


「りっさん、不謹慎ですよ」


言うとけ言うとけ、もう一生言うとけwww
逆にその「不謹慎」は私が背負う、だからもうおまえは笑ろとけwww




「笑いのチカラ」を、私は信じてる。こんな時だからこそ。
いや、こんな時でも、もう、どんな時でも。


  1. 2011/03/16(水) 03:08:38|
  2. 思うこと(「笑い」)

「みんな、金持ちになりたいかーっ!?」

「おーっ!!!」


昔懐かし「アメリカ横断ウルトラクイズ」を彷彿とさせるタイトルで始まった今日のどんつき~ですが。


さて。

今日職場で、薬剤師さん(上司)とキョーコさん(先輩)と姉御(大先輩、しつこいけど真矢みき似)としゃべってたんですよね。
その議題はズバリ、

「どうしたら金が貯まるか」


私「金貯める言うても、扶養していかんとあかん家族がいるともう要るもんは要るじゃないですか、それはもう絶対的に」
薬剤師さん「そやねん。子どもが成長するほどカネ要るしなー。その上でさらに貯金するなら今よりもっと稼ぎを増やさんとあかん…」
姉御「でも雇われの身でそれはなかなか難しいしね~。うちも娘の塾代と部活の合宿代が…もうほんまビックリするで?w」
キョーコさん「でもお金持ってる人は持ってるよねー?この不景気を実感してない人もいるんかもしれんね~?」
私「そうなんですよ!この不景気でもカネ持ってるやつは密かに持ってるんです。でも金持ちって意外とお金使わない。逆に金持ちほど変なとこでごっつケチなこと言いますやんか?でも金持ちはそうして何かにつけていちいちケチってきたから金持ちになったんと違うと私は思うんですよ。使うとこではもうドカンドカンやってると思うんですよ、なんかもっと上のほうで。だからうちらみたいな底辺にはその金持ちのカネが廻ってこないんやと思うんですよ。要は、『ここ』でケチられてるわけなんですよ。何故ならそれは、どんだけカネ出してでもいいからそれが欲しいと思わせるものが『そこ』にないからだと思うんですよね。同じもん買うならより安いとこで買いたいっていう気持ちは、年間一億稼いでるやつも年収300万のやつも多分同じだと思うんですよね。っていうか逆に金持ちほどそれはシビアなんかもしれへんし無駄なとこにカネを落とさないという」
薬剤師さん「……なるほど…。うん、言いたいことわかるわ~」
私「ありがとうございますww…だから逆に貧乏人相手にちまちまやってても大した儲けなんかもうないんですよ。何故なら、金持ちより貧乏人のほうが財布の紐は緩いけど貧乏人はもう安モンが目当てだけでモノ買うねんから売るほうにしてもほとんど利益ない。それどころか売ることで赤字になることもある。だから逆にもう貧乏人は無視して金持ちの目だけを惹く、金持ちからドカンドカンとカネを引っ張れるような、そんな何か新しい商売を考えないと、自分が今より儲ける打開はできないんじゃないか?と私は思うんですよね」


全員「ソレダ!!!www」



もう満場一致の勢いで、っていうかまだなんにも、なんっにもそれが形になってないのになんかもう
「そこに行き着いたうちらは明日からもう大金持ちやんww」ぐらいの勢いで盛り上がったが、だがそこで姉御がふと冷静に言った。



「でもここは庶民の町の薬屋やしここで働く私らも庶民やし、自分が儲けたいんやったらまず、この仕事を辞めんとあかんことになるな…」



確かに。

そもそも、町の薬屋(一般用医薬品を販売する人間)の目的は、
購入者が医療機関にかかる前に自分の健康状態や軽度のその症状を「自分自身で」やりくりするために
それに向かうために必要で大切な情報提供(セルフメディケーションの支援)をすることであって、
「薬を売ること」が目的ではない。目的は「その人が健康であること、より健康に向かうこと」への支援なのだ。

なので、「ちょっと自分、薬依存ちゃう?自分の身体のことわかってる?」みたいな人には、もう薬を売らなかったりする。
「てか、ほんま一回ちゃんと病院行かはったほうがいいですよ?」 って、向こうから来た客をあえて帰したりもする。
…っていうか逆に薬店でいよいよ「そう」言われた人は、ほんまにもう医者に行ってください。
うちらは「あなたに見合う薬の情報提供」は出来るけど、「あなたに見合う治療」までは出来ないので。


話戻って。

たまにごく稀に、こんな下町のドラッグストアに「ブラックカード」で買い物に来る人(金持ち)もいるが
「金持ちキターwww」って言うて変にちやほやすることもないし、それはもういつも通り、
「この人に今、薬や画期的な健康食品は必要ではない」と思ったら、(儲けのための)そのご案内はせず
すると、そのお客様は「ブラックカード」で、半額の牛乳と食パンだけを購入していかれるという…。



多分、姉御の「ふと」、言うた通りやと思う。


自分(庶民)が儲けたかったら、庶民を相手にしてたらもう一生儲からへんかもしれん。
でも「やっぱ、自分はそれでいい、それがいい」って思ってるやつらが今ここにいるんやろなって思って。
「カネ儲けたいなー」「どうしたらカネ儲かるんかなー」って休憩室(ネタ)で言いながらも、
「昨日しんどい顔で薬買いに来はった人が翌週元気な顔でトイレットペーパー買いに来た」
と、ただそれだけのことでなんかテンション上がる、そんな連中(=町の薬屋さん)。



私がひとつだけ思うことは


おまえら、一生カネ貯まらんわwww



話、「タイトル」に戻って。



「みんな、金持ちになりたいかー!?」


「おーっ!!!」


その気持ちはもう、仕事をする上でどこまでもあると思います。私にもあるし、皆さんにもあると思います。

でも、仕事って、それだけじゃないと思う。
「それだけじゃない」っていう部分をお互いわかってるからこそ、それが職場で「ネタ」になる、んでしょうね。
でなかったら、もう逆に、客放置の「ただの愚痴」になるやろし、そんなん誰も笑って盛り上がらないだろう。


明日もまた、頑張ろう。
何故なら、この仕事が好きだから。
  1. 2011/03/10(木) 02:51:16|
  2. 仕事ネタ(現職)

りっさん熱いなう。

さて。

ここ最近わりと、というか、かなりうっとおしいほど「熱い」りっさんです、こんばんは。
と言っても多分見た目にはわからないと思うが。
相変わらずワックスの付け方もヘタくそでなんや変な髪形してるしね←うるせーほっとけw


もとい。


ここ最近、人から凄くいい影響を受けることが多いんですよね。多分自分の状態がいいんやと思う。
自分が落ちてる状態の時は、おんなじもん見ても聞いても「入って」こないっていうか、なんかそんなんってありません?
でも、なんか今はガンガン入ってくるんですよね、「熱い」ものが。

先日も、たまたまお互い(話せる)タイミングが合うたツレと真夜中に色々語ってたんですけど
そのツレは、「音楽をやり続けたい、音楽で飯食いたい」っていう夢を実際に叶えて今も生きてるやつなんですが
「作家(モノ書き)をやりたい」って夢を叶えられなかった(…現状叶えられてない、にしとこうかw)な、私とこいつの違いは
それについて自分が「やれる!」とか「やってみる!」と思えるぐらいまで、もう本気で努力したかどうか?やなーと思ってね。
それはこないだ夢を叶えた友達夫婦に対しても思ったんですけど、夢を形にした人はそれに向かってもう本気で努力してきたんやろね。


いや、でもりっさんな、努力することは確かに大事やけど、
でもそういう人らは、「それをやれる状況や環境」が整ってたから、やれたんやで。



って思います?



てか、正直ちょっとそう思うよな~!
だって私もずっとちょっと「そう」思ってたもん(爆)



「それをやり続けていられるそれが整ってたあんたは逆にもう 『ラッキーボーイ』 やねんで?」 みたいな。

だってそうじゃないですか。

独身のあんたはそら自分さえ生きていけたらそれでええねんから自分の好きなことを好きにやり続けられるやんか。でも私には子どもが居てる、しかも私は片親や。子どもらにはもう私しか居てないねん。子ども居てないあんたは親にとってまだ自分が子どもの立場で居れてるかもしれんけど子どもがいる私はもう自分が親の立場なんやからあんたみたいにはやれへんねん。私かってそら独身で自分の家庭やら子どもやらなんも持ってなかったら、あんたみたいに自分の夢だけを好きに追えてたよ。


え~?(笑) りっさん、それほんまに~?(笑×2)



もうそれはりっさん、「自分がやれへんかったわけ」をただただ言うてるだけやん?って。
今の話の中で、「でもそれでもなんとか夢を実現する状況を整えることをした私の話」が、もう一個も出てきてないやん?って。

って、多分そういうアドバイスはもうさんざん今までから仲間(特に創作仲間)も言うてくれてたんやろうと思う。
でも、それは申し訳ないが多分、私の頭にはあんまり「入って」なかったと思う。

確かに、すでに家庭があったり子どもを持ってたりする中で何かを続けるとか何かを始めるっていうのは大変なことです。
何故なら、それはもう自分ひとりのことじゃないし、なくなってくるし、家族の理解や協力が必要なこともたくさん出てくる。
でも、そんなん言うたら、逆に誰だってそれは一緒じゃないですか。
何故ならば、人は誰しも自分ひとりで生きてるわけじゃないんで。

例えば、私がとある(ドラマ)シナリオコンクールにホンを書きたいと思った時、それに対して本気で努力しようとした時、
その傍らには、生活(自分と家族)のためにやっている今の仕事や、子どもらの育児のことが、どうしてもある。と、そこで、
職場に、「すんませんほんますんません!どうしても叶えたい夢があるんで一ヶ月休みください!」とか
オトンやツレらに、「ごめんほんまごめんやけど、どうしてもやりたいから一ヶ月だけ子どもらのことをお願いします!」とか
そういう状況や環境の整えに対する努力が私にも必要なように、もう誰しもにそんな「努力」は要る、してるんじゃないかな、と。

例えば、(私が思うところの自由の身の)その独身のツレにしても、…これはもう完全にりっさんの憶測ですが、
「ごめんオカン!来月ライブやるからスタジオ入りっぱなしになって金かかるねん!だから食料送ってもらえたら正直助かる!」
とか、そうしてその夢を実現したいがための状況・環境をも整える努力をもしてきたから「その今」があるんやろなあって思って。
大概はそこでもうそこで(その状況に置かれたら)それを整えていくことなくもう諦めてしまうと思うんですよ。
「就職も結婚もせんと夢追ってて親に心配かけてる上に『でもそれをやりたいから食料送って』とかよう言えん」とかね。

だから変な話、逆に、
「自由の身の独身だが夢を形にできなかった人」は、子持ちや家庭持ちで夢を実現した人に対してこんなん思うかもしれんし。

家庭があって子どものいるあんたはそらええわな。最悪、嫁と子どもを幸せにしたいし子どもを育てていくことが自分の責任やからもう自分は夢を諦めますわとか言えるねんもんな。そらもう思い切り好きにやれるわな。でも俺にはそんな都合のいい保険はない。俺かって、自分の家庭があって俺を支えてくれる嫁さんが居て俺を応援してくれる子どもが居てたらまた違ったよ。もっと好きに自分の夢を追えてたよ。



って、そんな「言い訳」なんかもうやろうと思えばなんぼでも出来る。
自分をどんなケースに置き換えても、逆にもう「一生」それはやれる。



でもそれって、「そんな言い訳先行な人生」って、なんか虚しいなーって思って。
しかも、なんかここ最近凄くいい影響を受けることが多いんで、なんかもう凄くそう思ってね。

夢を叶えたそいつと、夢を叶えられなかった…いや現状叶えられてなr…な私の違いは、
「そういう全てをひっくるめた努力をも本気でしてきたかどうか?」の違いなんやと、
そんなんがもう、とてもニュートラルに「入って」きて、もうここ最近「りっさん、やば過ぎ」。

ええわ~。「この」感じ、「この」いい影響を、出来る限り自分の中で引っ張っていきたい。



りっさん、もう「やる気満々」ですよ!


…とか言うたら、


ツレA「…てかこいつ、大丈夫かな…?」
ツレB「本人はバレてへんて思てるやろけど結構アップダウン激しいからな~」
ツレC「わかるwたまに病的なコラムとか書くよなw」
ツレD「たまにでもないけどなww」
ツレE「メール無視、電話にも出てくれへん、とかあるしなw」
ツレF「てか逆にそれはもうこいつのいつものことやけどなwww」


…とか、またどうせおまえらそんなん言うて(ネタにして)笑ってるやろwww




だが、それも嫌いじゃない。爆




話戻って。



今、とにかく りっさんは熱いのだ。
実は、とある、叶えたいことがあって努力してるんですよ。
このことについて、もう「(先行の)言い訳探し」は一切せえへん。
このことの、その全てにおいて、もう本気で努力していくと。

今一度、今までの私の弱さ(足りなさ)を気付かせてくれた人らに、ほんま感謝してます。


やるわ、本気で。
私はこの夢を本気で実現したいと思うので、
もうありとあらゆる努力をするのだ、もう決めたのだ。



りっさん熱いなう。



[りっさん熱いなう。]の続きを読む
  1. 2011/03/07(月) 03:45:58|
  2. 思うこと(「生きる」)

20年ぶりに友達に会った

さて。

先日、ツレと一緒に、20年ぶりに会う高校の友達夫婦の営むカフェに行ってきました。

…って、りっさん、前者は「ツレ」で後者は「友達」なん?
っていうか、いつも友達の話する時「ツレが~、ツレが~」言うてるりっさんが「友達」って言うの、珍しくない?…って?

そう、その友達夫妻と私は高校の時、特別仲良く日々ツルんでたわけではなかったんですよ。
嫁さん(Kちゃん)のほうは実は中学も一緒やって、一時期(確か入学当初?)何故か忘れたがめちゃめちゃ仲良くなって、
それこそ毎日のようにKちゃん家に遊びに行ってた時もあったが別々の部活入ったやか何やかでしょっちゅうは遊ばなくなって、
高校でまた一緒になったけど、一度もクラスも一緒になったことないし、校舎が違ったりして校内でもあんま会わへんかった。
旦那さん(Mくん)のほうはわりと男前で、運動部の活発な好青年やったんで顔と名前は知ってたけど多分ほとんどしゃべったことないと思う。
…と、ここまでの説明でなんとなくわかると思うが、
この「どんつき~」にちょいちょい出てくる、「学校で打ち上げ花火上げたりだのなんだのと悪さばっかりするいつもツルんでたツレら」と違って、
彼らはちゃんとした「高校生らしい高校生」だったので、やんちゃ仲間のツレ、でなく、そこはやっぱ「友達」なのだ。

余談だが、
私の高校の時のツレをほぼ知ってる(面識ある・飲んだことある)その一緒に行ったそのツレは
「あんたの行ってた高校、あんたらみたいなんばっかりか?wと思ってたけど、ちゃんとした人も居てはったんやなw」
と言っていた。どういう意味や。爆


話戻って。


その友達夫婦が結婚してカフェをやっているという話は、去年の夏にとあるツレから聞いていたんですよね。
そのカフェはこじんまりしてるけど凄く雰囲気が良くて、弾き語りライブとかが出来て、その業界では有名らしいよ、と。
なので早速お店のホームページを見てみたら、なるほど、なんだかオシャレなええ感じだった。
そしてそれからしばらくした頃、…諸事情により「今は」まだ名前は伏せておくが東京に住んでた時からの「友人」が
「まだ漠然とだけど、できれば年内か来年ぐらいに関西でもライブをやりたいと思ってて~」と言うので
「ああ、ちょうどあなたに雰囲気と合いそうなお店があるよ、私もまだ行ったことはないけど」とそのホームページを紹介し
「あらほんと!ステキなお店ですね~。関西に行けたら是非歌わせてほしいな~」てな感じでその時はその話は止まり、
私も、その友達夫婦のカフェに行きたいなーと思っていたんだが、日々の生活に追われてなかなか機会がないままだった。
と、そうして月日は過ぎ、ここ最近になって「あの時のその話」が具体的なものとなって、その友人のほうから
「一度あのお友達のお店に(いついつ頃の)ライブのスケジュールを聞いてもらえないだろうか?」と連絡があり
「じゃあ一回聞いてみるけど、どういう形式でやるとかの話は素人の私が噛んだらややこしなるから直接してね」ってことで
私を覚えてくれてるかどうかも怪しい、その「20年ぶりの友達夫婦」のカフェに私は電話をしてみた。

オーナー「はい、SOLECAFEです」
私「お忙しいところすみません、オーナーさんでいらっしゃいますか?…私、○○高校で一緒だった(名字)と申します。あ、奥様とは中学高校と一緒だったんですが、覚えていらっしゃるでしょうか…?」
オーナー「(名字)さん、ですか…。ごめんなさい、ちょっと……」
私「みんなからは、『りっちゃーん!』、言われてたんですけど……」
オーナー「あー!あー!あー!!!wwwはいはいwwお久しぶりです、(名字)ですw」


オーナー、いや、Mくんにひとつだけ聞きたいことは


「りっちゃーん!」で、私の何を思い出して 今ちょっと笑ったのか、詳しく。


話戻って。


そうして聞いてみた結果、その頃のスケジュールはもうすでに全て埋まっているそうで(さすが業界で有名)
「じゃあもしまた関西にその友人が来ることがあれば宜しくお願いしますわー。私もまたお店に行かせてもらいますね~」
って感じでその電話はそこで切ったのだが、ふと
(こんなふうに、いつかまたね~で卒業したまま、もう20年も経ってしまったんだよな…)とか思って、なんか急にちょっと寂しくなった。

と、ちょうどそれと同時頃に、「りっさんの今度の平日仕事休みに会おうぜ!」と誘ってくれていたツレがいて、
先日持病が悪化した私の食事制限が解禁になったから の快気祝いな感じ?で小粋にごくさりげなく)
「あ、なんか食いたいもんあったら車出すで~」と、そのツレが言ってくれていたのを思い出し、
普段はもうよほど「何処そこに行きたい」という欲求が芽生えない、そんなちっとも『おもろないやつ』の私だが、
「行きたいところができた。SOLECAFEというお店に行きたいんや」とツレに言うと、なんとツレが
「あ、知ってるよ!誰それさん(ツレが大ファンのミュージシャン)がライブしはった時行ったんや!私も行きたい!行こう行こう!」と言った。


「縁」ってほんま不思議ですよねー。なんかおもろいな~。


てなわけで、
私はそのツレと一緒に、20年ぶりの友達夫婦が営むカフェに行ったんだが、これがもう迷いに迷った。爆

「行ったことある」というツレの勘と、私が携帯にブックマークしていたグーグルの地図検索(←でたらめだったw)が
なんかもう「悪いほう」「悪いほう」に絡みもつれ合って、なんかとんでもないところまで行ったりした。
なお、これに関しては、ライブで来るお客さんもわりと迷わはることが多いらしいとオーナーMくんが言っていたので
りっさんがここではっきりと明記しておきましょう。


SOLECAFEの行き方は、千本北大路から千本通りを道なりに北にまっすぐ。
左手に見えてくる京都佛教大学を越えて、しばらく行ってすぐの、
右手(千本通り沿い東側)の、青い屋根(日除けのスクリーン)が目印です。



近くのコインパーキングに車を停めて、パラつく雪(まだ降るか?もう3月やぞ)の中をしばらく歩いてそのドアを開けたら
ランチタイムの一番客(オープンしてすぐ行った)だった私らを、その友達夫婦が「いらっしゃいませー」と明るい声で迎えてくれた。

ここだけの話、
今日私が行くことは友達夫婦には一切伝えてなかったので、一発目にどう声をかけたらいいか、私は若干悩んでいたんですよ。
何故なら、私はもうあの頃の「りっちゃん(やんちゃなクソガキ)」とは違い、こうして今は「魅力溢れる大人の女性」なので、
私からその自己申告(紹介)をしなければ、最後までずっと「私」だと気付いてもらえない可能性が「大」なのである。

自己紹介というのはなんせ「タイミング」が大事なので、ここはもう「最初」が肝心だ。


「(手拍子しながら)ハーイ、ハーイ、ハーイ、ハーイ、りっちゃん来ましたよ?(おどけたポーズ)」




って今時漫才師でもそんな登場の仕方せえへんわ!
そんなんもう100%スベる気しかしない。



よって私は、「今りっさん全くおもろない」ことを自覚しながらも、入るなりもうごく普通にオーソドックスに
「こんにちわ~お久しぶり~。オーナー、こないだ突然電話してすんませんでした~」と、厨房のMくん(旦那さん)に声をかけ
するとKちゃん(嫁さん)が、(えっ?)てな感じで、私の顔をパッと見て「あーっ!w」と言った。


Kちゃん「こないだ誰それちゃんが来てくれた時はわからんかったんやけど今日はすぐわかったw全っ然変わってへんねw」
私「あ、そう?w…てかそれ、もうずっといつ何処で誰に会うてもそう言われるねんよなあ…」



こうして今はもう「魅力溢れる大人の女性」



話戻って。
いや、話進んで。


ほんま、めっちゃ楽しい時間でした。

「今日のパスタランチ」で私がいただいた「鶏とゴボウのクリームスパゲティ」がめっちゃ美味しかったのは
もう私がここで言うまでもないので、ぜひとも皆さん自身で「実食」し、その感動を味わってください。

ほんまに「居心地」が良かった。

私は、20年ぶりに会った友達夫妻と「あんなことあったよな~」っていう昔の懐かしい話をして
一緒に行ったツレは、そのオーナー(友達)夫妻と「こないだ誰それさんのライブでここに来た時」の話をして
友達でありオーナーなその夫妻は、「この店をやろうと思ってから今日までのこと」をおもしろおかしく話してくれて。

と、そうしていわば「身内トーク」で笑ってしゃべってたら、次第にお客さんらが入って来はって、
各々が好きな席に座って、本読んだり、窓の外眺めたり、友達としゃべったり、好きにその時間を過ごしていた。
そんな中、私らはといえば、「ほな、食べ終わったし混んでもきたしそろそろ帰ろうか…?」とはならず逆に「まだ」居た。


ランチセットに付いてた飲み物を飲んだにも関わらず、
さらにコーヒーと紅茶を単品でおかわりして、「まだ」 居たからね。





てかおまえら「ランチ」で何時間おんねん…?

「帰れや!!!(爆)wwwwwww」
 


っていう。


私はこう見えて(どう見える?w)、意外とかなりの気ぃ使いなんで、
自分が客(お金払う人)なのにも関わらず、お店、特に飲食店では、店に対してごっつ気を使ってしまうんですね。
それは「友達の店」でも同じことで、っていうか逆に「友達の店」のほうが普段よりさらにごっつ気を使う。
っていう性格なだけに、気ぃ使わんでいい(アンテナ的なもの)をキャッチする感覚が逆に敏感なんですよね。

…って、言うてる意味(伝えたいこと)わかります?
これはもうほんまわかる人にしかわからんかもしれん感覚のことやと思いますが。



話戻って。



SOLECAFEは、ほんま気ぃ使わんで良かったから「居心地」が良かった。
かなりの気ぃ使いの私がそう感じたんやから、おそらくもう概ねの人が「居心地いい」って感じると思う。
多分あれはもうあの友達夫婦の「人柄」と「雰囲気」がそう感じさせるんやろなー。また行きたいわ~。


てなわけで。



総括。




先日、ツレと一緒に、20年ぶりに会う高校の友達夫婦の営むカフェに行ってきましたら、
友達夫婦は、結婚して、二人でカフェやって、なんか楽しそうに幸せそうに暮らしていました。
もちろんそこに行き着くまでにはもう言葉にできないほどの努力をしてきたんやろうと思うけど
そんなことをもう全く感じさせない、想像すらさせない感じで、な~んか朗らかに笑っていました。
20年ぶりにまた「友達」に会えて良かった。会いに行こうと思って、行けて、良かった。

と、そんな私がひとつだけ思うことは、逆にそんな「友達」にとって、私(りっさん)はどうだったのか?と。


20年ぶりに会うて「懐かしいな~!」言うて、なんやよう話聞いたら自分、
「いや~実は数年前に離婚して子ども二人連れて京都に帰ってきましてww」
って、ちょw 自分どうなん大丈夫かいwww



みたいな感じやったか?w ならそれは正直「すまんかった」(爆)
20年ぶりに会うた二人から「パワー貰いっぱなし」のままではもうあまりに情けないので、私もまた頑張りますわ。



そして、最後になりましたが、一緒に行った「ツレ」へ。


ありがとうな。

相手があんたじゃなかったら、私は「ここに行きたい!」って思っても言わへん・言えへんかったかもしれんわ。
なんせもう君もよほどご存知の通り私は「意外と」気ぃ使いやからなw



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  1. 2011/03/06(日) 02:53:43|
  2. ツレネタ

女がバッサリと髪を切るということ。

さて。

先週、私は髪を切りました。
肩下15センチぐらいのロング(&耳から下がパーマ)から、一気にばっさりショートにした。
と言っても、仕事の邪魔になるんで普段は後ろでまとめてアップにしてたんで…
っていうか、逆にそうして毎日髪を上げないといけないのが面倒くさくなってきたんで切ろうと思ったのだ。

そもそも私は自分の髪型に特にこだわりがないんですよね。

そら、若い頃はしょっちゅう美容院行って切ったりパーマあてたり色変えたりしてた時期もあったけど
今の私の唯一のコンセプトは「なんでもええから(手入れが)ラク」という、もうその一点しかないのだ。

てか、りっさん それもう「おっさん」やんwww

って?
いや、逆に今頃なにを言っているのだ。だから私はもうさんざん言うてきたじゃないですか。


りっさんは「おっさん」ですよ。 と。


話戻って。

だが実際、美容院に行って

「なんでもええので、とりあえずラクな髪型で」

とかいう、そんなあまりに丸投げで適当すぎるオーダーでは、逆に切る人(美容師さん)が困るだろうと思うので、
特にここ数年は、(もう過去に何回か書いてるのであえて書かないが)あの「TMの店」ではなく、
割引券やら半額DMをしょっちゅうくれる、大手(チェーン)の美容院に行っているので
私が「そういうやつ(=りっさんおっさん)」であることをまだイマイチ把握してもらっていないようなんで、
準備待ちの間にヘアカタログとかをパラパラ見ながら「近い感じ」の髪型を探して「こんな感じで」とお願いしている。
よって時には「なんじゃこりゃwおまえ、写真と全然違うやんけwww」みたいなことになる時もあるが
それは個人の髪質とか、切り方は同じなんやけど最後のブローでイメージが変わったとかあると色々思うので
っていうか、ほんまにそんなこだわり自体がないんでね、嫌な顔をしたことも文句を言ったこともなく、逆に
なんか必死にフォロー(すごくステキ~!思った通り!似合ってる~!とか)をして穏便に済まそうとしている美容師さんに

いやあの、大丈夫なんで…。
「絶対にこうしてほしかった」とか、そんなんと違うんで…。


と、なんか申し訳なくなってしまうぐらいなのだ。


と、そんな私がこの度、8ヶ月ぶりに、しかもロングからいきなりショートにしようと思った理由は
「パーマあてたらラクかな?と思ったが、結局伸びたら毎日まとめて上げなあかんからめんどくさくなった」
「でもまた中途半端な長さ(ショートボブとか)にしたら、またすぐ伸びてめんどくさくなるのでバッサリいこう」
という、ほんまもうそれだけだったのだが、そんな理由では(美容業界は?)問屋が卸さないようで、
最初のカウンセリング(切る前の相談)で「こんな感じカタログ」を見せてそれ(ショート)をオーダーすると、美容師さんが、

「ええーっ!切るんですか!?」

と言ったので、私は笑いそうになった。


「切るんですか!?」って、美容院は「それをする場所」ですやんかwww


だが、そうではなくて、
その時、美容師さんが言いたかったのは「こんだけ伸ばした髪をバッサリ切るんですか!?」ってことやったようで
ハサミを入れる前も、切っていく最中もずっと「ほんまにいいの?何か心境の変化とかあったんですか?」とか聞いていた。
最初は「だいぶ伸びたんで~」と、もうまんま言っていたんだが、それでももうあんまりしつこく何回も聞かれるので
(そんな理由ではあかんのかな?納得できひんのかな?)と思って、私は必死でなにかそれ以外の理由を探し、

「最近暖かくなってきたんで、春やから切るかなー?と思って~」

とか、ガラにもなくそんなんも言ってみた。

余談だが、その前日まではほんまに暖かくなってもきてたんですが、なんとその日は午後から雨で寒さがぶり返した。
「暖かくなってきたんで~」と言った矢先に空が暗くなり小雨が降り出したので、私はもう居た堪れない思いだった。
その場しのぎの嘘をつくと、ほんまにろくなことがない…。



話戻って。


女が髪をバッサリ切るのには、何かしら「気持ちの理由」が要るんですかね?
要るっていうか求められてるっていうか、「それが有って然りでしょう?」みたいな感じなんかな?
しかもそれは概ね「苦しみや悲しみから逃げたい、もしくはそれらを清算したい」みたいな方向で。
なんかよう言うじゃないですか。「失恋したら女は髪をバッサリ切る」とかね。
逆に「髪を切ること」で解決できた気になるような問題なんかは今の私(37才のオカン)は持ち合わせてはいないのだが、
でも、なんかあるんでしょうね?「女が髪をバッサリ切ることの理由」のイメージ(妄想?)みたいなんが。
「だいぶ伸びたから切ろうと思った」という、そんなおっさん的理由では許されない「何か」がそこにあるんやろな~。

色々面倒くさくなってハゲ(丸坊主)にしたダウンタウン松本さんの気持ちがなんかわかる気がする。
彼は男性ですが、その「オシャレ」を注目される芸能人は、男性女性の大差は一般人より無いと思うんで、
そうして「いちいち髪切るたびになんか思われる・言われることに対しての対処」がもう面倒くさくなったんちゃうかなと。
「目立ちたいから丸坊主にしてみた」ではなく、「面倒くさいからもう丸坊主にした」っていう。


また話戻って。


「この場(美容院)ではそれもしゃあない(しょうがない)」と、私は思ったんですよ。
だから、何回同じ質問をされてもキレなかった。
何故なら、ここは女の髪(髪型)を主に美容として扱い、その道を駆けている人々のスペースなんで、
「(生物学的)女が、せっかく(?)ここまで伸ばした髪をバッサリ切ること」について、
散髪、シャンプー、ブロー、と担当が変わりつつ、「その気持ち(理由)」を聞かれることも、もうしょうがない。
いや、っていうか、もういっそ言うてまうか…? 伝家の宝刀、もう斬ってもうたろか…?


毛ぇなんか 切っても切ってもそのうちまた伸びてきよるねんから
言うたら、「伸びた足の爪切る」のと 同じことですやんか。





って、そんなん言えるかwww




「足の爪と髪を一緒にすんな!」という誇りを持っているであろう美容師さんらには口が裂けてもそんなん言えない。
まして「足の爪と一緒じゃない」と思うからこそ、何時間もここに居てはる人(他のお客さん)も居る中では、もう決して。
何故なら例えば、私のその究極の発言で「なにか心が洗われた!」とか言うてりっさんナイズされる人が出てきて、
今までこの店に月一回来ていた得意客がもしも減ってしまったら、そんなんもう普通に「りっさん、営業妨害」なんで。



てなわけで。


先週、私は髪を切りました。
「なんでロングからショートにしようと思ったの?云々~」のあの(美容院での)修行は越えたはずなのに、
あれと全く同じことを職場でもまたしつこくしつこく聞かれ、それについてやはり私は
「てか、ほんま邪魔くさなったから切っただけやねんけど」と、もうありのまま答え続けていたんだが、


多分 りっさん、彼氏さんと別れたな…。
ああして明るくしてるけど、バツイチ子持ち37でそのダメージはキツイやろな…。



みたいな、そんな「勝手な憶測ムード」がもう明らかに伝わり、時にそれを牽制される、そんな変な気の使われ方をしています。
病み明けなこともあるんやろけど、みんながなんか異常に優しいので、私(笑いの芸人)としては内心気持ちが悪い。


ただ髪切っただけやのになー?


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  1. 2011/03/03(木) 01:59:39|
  2. どんつき(ひと)

「笑い」においての「障害」について。

さて。

私がかねてより好きでリスペクトしたい人の一人に「乙武洋匡」という人がいるんですが、皆さんご存知でしょうか。
つーか、もう大概の人が知ってますよね。 そう、「五体不満足」の著者である、あの乙武さんです。
あの人は凄い。ほんまに凄いとしか言いようがない。
何故なら、彼はあんな障害を持って生まれてきたにも関わらず様々なことに挑戦し、その障害に負けずに生き生きと生きている。
逆に私は五体満足で生まれてきたのに、(本人いわく)五体不満足で生まれてきた乙武さんのその努力にはもう頭が上がらない。
私よりもっと生きることに困難な状況の乙武さんがそうして懸命に強く生きてはるんやから、私ももっと頑張らないと!


っていう類いのリスペクト、では、私はなくて。


私が乙武さんの何をリスペクトしてるかと言うと、それは乙武さんの生み出す「笑い」に、なんですね。

確かに、彼は見た目(先天性四肢切断)にもうインパクトがあるので、
なんか逆にそっちばっかり注目されがちやけど、あの人の「笑い」はおもろいです。
笑いのセンスあると思うわ~。しかもその「間」もいい。

私は残念ながら彼のそのネタにタイムリーに遭遇出来なかったんですが、
昔それはネットでも話題になって、今やもう伝説の「乙武語録ww」にもなってるようですが、
今と同じくその当時から、乙武さんは社会や福祉や教育のことをたくさん考え、動き、発信してはったそうで
そしてそれを聞いてて熱くなったんか「笑いのネタ振り」をしたんかはわからんが、なんか聞き手の一人が、
「(そんな素晴らしい考えを持っている)乙武さんに是非選挙に出てほしい!立ち上がれ日本(党)とかどうですか?」
と言ったそうで。
するとその発言に対して乙武さんは、


「立ち上がる足がない><」


と答えたそうで。



ワロタwwwww




「…りっさん。…そこで笑うとか…さすがに不謹慎やわ…」って思います?


そこでそうなる人に、私は逆に聞きたい。

「てか、なんでそこで引くの…?」


例えば、チビハゲデブブサイクが自分の「その特徴」で笑いを取りに行くと普通に笑うのに、
なんで手足のない乙武さんが自分の「その特徴」で笑いを取りに行くと同じように笑えないのか。
何故なら、それは彼が障害者だからだと思うんですよね。
でも、例えば眼鏡をかけている人(視力障害者)がそれをネタにすると、みんな普通に笑うじゃないですか。
いにしえのコントでの「(頭の上に眼鏡乗せてんの忘れて)メガネメガネ…」っていうあのギャグとかね。
では何故、手足のない障害者が同じくそれをネタにするとそこで笑いを謹んでしまうのか。一体何が違うのか。
そこにはおそらく「(手足がなくて)かわいそうだ」っていう気持ちになる(ある)からだと思うんですよ。
では何故そうした「手足のない人」に対しては、「(やたら)かわいそう」という気持ちが生まれるのか?

「何故なら、僕は、私は心が優しいからです。かわいそうな人を放ってはおけないのです(はあと)」



「自己満足」かwww一生言うてろwww



話戻って。

根本的な話として、手足がない障害=かわいそう、っていう気持ちになるのはそもそも
今の社会で生きる中で手足がない人らには「いろんな不便なこと」が物理的にあるからだ、と私は思うんですよ。
…っていうことを知っている・容易に想像できるからこそ、
「この人ら(そういう障害を持っている人)は、(不便だから)かわいそう」って思う、んだと私は思う。
だから、眼鏡やコンタクトやレーシックで概ね社会の生活を補える視力障害者には、その気持ちは生まれない。
でも、同じ視力障害でも盲目までいくと、それは「かわいそう」ってなると思う。
何故ならそれは「この社会で生活するのには、不便そうだ」と思うから。
近年、バリアフリーとかユニバーサルデザインとかがだいぶ浸透してきましたけど、
それでもやっぱり社会は健常者を中心に成されてるから、障害の内容によってはまだまだ不便なことがあると思います。


え、なんか急にどしたん?w
りっさん、障害者福祉に目覚めたん?www




いいえwてか、今日は「笑い」の話なんで…。



話戻って。



私が言いたいのは、「心のバリアフリーとはなんだぜ?」ってことなんですよ。



ええ言葉ですね~、「心のバリアフリー」。
でも、この言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶのは多分、「障害者に優しくしよう」的な感じやと思うんですよね。
もっと言うたら、「優しく『してあげよう』」っていう。実際、それを推奨する人はそういうふうなニュアンスでそれを説きますが。

でも、そもそもバリアフリーっていうのは、「バリアがない(バリアを取っ払ってる)」ってことじゃないですか。
いわゆるバリアフリー設計とかでも、段差やらが極力無いフラットな状態になってますよね。
ほな、逆に「優しくしてあげよう」っていう、そこ(その思い)に段差はないんか?って私は思うんですよ。
してあげる人、と、してもらう人、っていう心の関係はほんまの意味でのフラットではないんちゃうの?と私は思うんですよ。

例えば、そうですねー……あ、うん、例えば、

人がすれ違うのがやっと、ぐらいの細い歩道があったとしますよね。
で、自分の前を歩いてる人が、なんかやたら歩くんが遅かったとします。
でも、今自分は急いでいると。急いでるから、ここまでずっと走ってきたんだと。
それは何故ならこの先のバス停に3分後に着くバスに乗りたいので。
さて、その時どうします?
多分ほとんどの人が、前歩いてる「歩くん遅いそいつ」を横から抜かしていくと思うんですよね。
でも、その前を歩いてるそのやたら遅い人が、「車椅子に乗ってる人」やったら、
さて、その時どうするのか?と。
同じようにそうして、前歩いてる「歩くん(進むん)遅いそいつ」を横から抜かして行けますか?と。
多分ほとんどの人が、自分がバス一本遅らせてでも「待つ(待ってあげよう)」と折れるか、
抜きたいけどなんか抜くに抜けないジレンマにイラつきながらも「待つ(待ってあげる)」と思うんですよ。
自分が急いでることにはもう全く変わりなくても、その相手が変われば、なんか話が変わってくるという。


てか、それのどこが「心のバリアフリー」やねん?
てかもう、逆にめちゃめちゃ「心のバリア」あるやんけwww



「私は今急いでるから、歩くん遅いあんたを抜かして行くわ!」っていうことを、
誰が相手であろうと出来ることがほんまの意味での「心のバリアフリー」やと私は思うんですね。
何故ならば、「そいつ」は歩くん遅いけど、「自分」は今急いでるんやから。
そしてもっと言うと、そうして
「俺は今急いでるから遅いおまえを抜かして行くで!」って抜かして行ったやつに対して、見てる周りのやつも
「なんなんあの人!?車椅子の人を横から抜かして行くとか、なんて心無い酷いやつなんや!」っていうふうにならない、
…って、そういうのが、ほんまの意味での「心のバリアフリー」が成り立ってる社会やと私は思うんですよね。

よって、「障害者が自分の障害使ってボケる笑いには笑えへん」って躊躇うのは、それと同じことなんちゃうか?と。
「ここで笑ったら(笑ってあげたら)かわいそう」とか、
「ここで笑ったら酷いやつと思われるかもしれん」みたいな、

なんかそんな「心のバリア」が自分の中にあるから、ニュートラルに笑えへんのとちゃうか?と。



話だいぶ戻って。



乙武さんは、相も変わらず快調に「五体不満足ギャグ」を飛ばしまくっています。
でも、「ここで果たして笑っていいのかどうか…。障害をネタにするのは不謹慎かと…」って戸惑う人も(まだ)多く、
そしてそんな人々に対して乙武さんは「考え方は人それぞれだから^^」みたいなことを飄々と言っている。
逆にそこで変に気ぃ使われて笑ってくれへん人がまだいることに、乙武さんは内心残念なんちゃうかと私は思う。
「自分は(まだこの人らの心の中では)障害者なんやなあ…」
っていうことを、そのネタがスベってまた改めて思い知らされる、みたいなね。 いや、わかりませんけど。


とまあそんな感じで。



「自分には手足がないこと」をネタにしてもええやん、と私は思うんですよね。
そして誰もがそれを笑える、そんな世の中になったらええのになあ、と私は思う。
  1. 2011/03/01(火) 02:31:02|
  2. 思うこと(「笑い」)

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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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