どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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ベストオブギプス・3

さて、 この 続き。

レントゲンの結果わかったのは、左鎖骨が折れてることとその周囲の骨?も多分ヒビとかいってるやろけどはっきり写らないと。
ただ、そのはっきり写らない程度の骨はほっといてもそのうち治るけど、そしてもっと言うと鎖骨の骨折もほっといても治るんやけど
ただ、腕や脚と違って、肩は日常生活の中でどうしても、それこそ息するだけでも動いてしまうし、まして成長期なんで
変なくっつき方したら後々に響いてくるかもしれんので、生活は不便になるけどしばらくギプスで固めていくのがいいのではないかという診断が下った。

私が骨折したのはその時が初めてだったんだが、「ギプス」なるものの存在については、
テレビとか、実際にも、オカンが入院してた病院の廊下とかでそれを装着してる人を見かけたことがあったのでなんとなく知っていた。
ただ、当たり前だが私が見たことあるギプスは「外見でわかるそれ」に関してだけだったので
概ね服で隠れている鎖骨(デコルテ)部分にギプスをしている人など見たことなかったし、どうなるのか全然想像がつかなかった。
そしてそれはオカンも同じだったようだが、「不便でもちゃんと治るほうがいいのでお願いします」ということで私はギプスをすることになった。

ちなみに帰り道で吐いたことを告げると「もし頭も打ってたらあかんので念のため」と頭部のレントゲンも撮られたが、それについては全く異常はなく
「吐いたのはおそらく、鎖骨を打った(折った)痛みに脳がビックリして耐え切れなかったんだろう」とのことだった。
ってさらっと書いてるけど、「吐くほど痛い」ってなかなか強烈ですよね。
と、するとそこでオカンが、

「先生ほんまですか?(頭の)レントゲンに あ ほ って写ってませんか?w」

と言った(ボケた)ので、先生も看護婦さんもみんな爆笑していたが、私は薄ら笑いを浮かべながら内心
(やばい。オカン、ちょっと怒ってるやんw)と、オカンの放ったそのギャグに今一度、オカンがどんだけ心配したかを察したのだった。


話戻って。


その問題の謎のギプスだが、
ギプスしたことある人はわかると思うが、要はあの「乾いたら固まるベトベトネチャネチャの包帯」を巻くというのは一緒なんですよね。

まず、幅広のガーゼをさらしのように何重にもぐるぐると胸部に巻かれ、その上からそのベトベトの包帯を何重にも巻かれるんだが
その巻き方について、固める箇所が鎖骨なんでそれは当然肩にも巻かれ、ワンショルダー(骨折してる左側のみ)かと思いきや、
多分より確実な安定を保つためだろうが、両肩とも巻かれて固定され、格好的には「みぞおち辺りまでの丈短ベスト(コルセット)」みたいになった。

巻かれてる間はとにかく冷たかったですね~。トータルで2~3センチぐらいの厚みはあったと思いますわ。
あと、緊張して最初のほう息を止めてしまっていたので、結果的にちょっとキツめに巻かれてしまった感もあったが
ともあれ、そのギプスベストと私は延べ三ヶ月に渡って寝食を共にしたのである。

深呼吸が出来ず常に息苦しい(深呼吸できるほど緩かったら多分意味がないんやと思うが)
裾があばら骨に当たって痛い(丈短なので)
とにかくギプスの中が痒い(風呂に浸かれるのはギプスしてないみぞおちまでで、ギプスの下の肌は当然洗えない)
寝る時に腰が浮くので小5にして腰痛を経験(ギプスが固く厚みがあるので、横向け寝や寝返りすらもろくにできない)
当時風呂にシャワーがなかったので一週間に一回シャンプーだけしに美容院に通わせてもらうことに恐縮(そない裕福な家でもなかったので)

と、そうしてあらかじめ医者から言われていた通り「不便な生活」を送っていたが、
そうした生活の中でひとつだけ楽しかったことは、「ロボット気分が味わえたこと」でした。
鉄骨まではいかんけど、言うたら上半身をセメントで固めてるようなもんなんで、いわば「無敵」なわけですよ。

かの三原じゅん子ですら、

「ボディはやばいよ!やっぱ顔にしな!」

と、慌てて訂正しなおすであろうぐらい、もう 「ボディは無敵」 なわけですよ。


そんなボディを手に入れて、子どもが遊ばないわけがないじゃないですか。



よって、骨折当日のあの涙の反省はどこへやら、
「ちょ、ここグーで思いきりどついてみ?ぜんっぜん痛ないからww」とか言うてギプスで遊んでは、先生に叱られ、
さらに骨折のため休んで見学していた少林寺憲法教室でも
「本気で蹴ってこい!ww」とか言うてギプスをミット代わりにしてふざけては、師範に叱られシバかれていた。
っていうか、そもそも人間は忘却の生き物なんで、三ヶ月もしたらどんな状況にも概ね慣れてしまうんですよ。
逆にオカンですら、「この子は物心ついた頃からこんな子(ギプスベスト)やねん」ぐらいになってましたからね。
西友で普通に「今着てるのよりワンサイズ上」の下着とかシャツとか買うてきたりね。
ただ、その中でも前出の友達のヨッコ(公文行ったやつ)だけはなんか責任を感じていたのか、ずっと気にしてましたけど…。



そうして、気付けば季節も秋から冬になり、その生活が普通になっていたある日のこと。

いつも通り、「なんか長い棒に濡れた綿を巻きつけたもので看護婦さんにギプスの下の肌を清拭してもらうことを主目的」として、
もういつも通り病院を受診したら、主治医の先生が「そろそろ一度、レントゲンを撮ってみましょうか」と言ったので、
私は言われるがままにレントゲンを撮ってもらい、そのレントゲン結果を診た先生が
「ああ良かった、綺麗にくっつきましたね~。そしたらもう今日ギプスを外しましょう」と言い、傍らのオカンに
「そしたらお母さんは外に出て、廊下のソファでお待ちください」と言ったのだ。


そら、確かに。

「確かに」、私はこの三ヶ月間のうち後半は概ね一人で受診していた「やれば出来る子」だが、
今日はオカンも来てるというのに何ゆえ、オカンをあえて外に出す?
ギプス巻く時は同席を許したのに、逆に今日に限っては何故それを出て行かせる?


それはもう100%、これから
「よもや母親が目の当たりにしたら卒倒するようなもの凄く怖いことが始まる」
ってことなんじゃないのか、それは???



(先生アホやな~。そんなん言うたら親は不安になって逆に出て行かへんで~)と私は思ったのだが、
だがビックリすることに、そこでオカンは「わかりました。よろしくお願いします~」と言って、もうさっさと診察室を出て行ってしまったのだ。


えぇぇぇぇぇ~~~!? 
ちゅうか、オカン気付けよっ! なんで「はいわかりました」やねんって!!!
これから我が子の身の上にもの凄く怖いことが起きますよーーーっっっ!?



大人であり親となった今ではわかるんですが、あれは「そのことでオカン(親)を卒倒させないため」ではなく、むしろ、
「そのことを私(子ども)に大人しく耐えさせるため」やったんやろうと思います。もう間違いなく。
何故なら、子どもは意外と逞しく、そしてある程度空気も読めるので、
例えば、病院などでどんな怖いことをされようとそれが必要であるならば、そして親がその場にいないならもう尚更、
「取り乱さずにその怖い場面(処置)を乗り越えよう、そしたら早く終わる」と、自分の力で懸命に頑張りよるんですよね。
ただしこれは先に述べたように、子ども自身が「怖いけど、それが必要であること」を自覚認識してる場合でのことなので、
それすらわかってない幼児や小学校低学年の子どもの場合は、目の前から親が消えると逆に俄然パニックになるんで
概ね、「処置の邪魔にならないところでかつ、子どもが顔を見れる場所で待機」となることが多いんじゃないかと思います。
よって、当時小5の私の場合は、「本当は頑張れば出来るはず」のことでも、そこで変に親が居てしまうと、
「オカンになんとか助けてもらえるかもしれない」という甘えから、泣いてわめいたり暴れたりするかもしれない、
だが、そうしてどんなに怖くなって泣いて暴れようが何しようがこのギプスは取り外さないといけないので、オカンもあえて

「りっさん、ガンバ! …(笑) ←←← 」 と、席を外したのだ。



さて。


てなわけで、三部作に渡って書き連ねてきた今回の記事の、ようやくメインシーン。



「少女に何が起こったか。」


今思い出しても「変な汗」が出ます。



先生が、「13日の金曜日のジェイソン」が持ってるみたいな凶器(でかい電動カッター?)を出してきて構えました。
それと同時に数名の看護婦さんが、もう「文字通り」、私の身柄を拘束する。
そうして拘束されつつも、言われるがままに両腕を高く上げさせられ、追加の看護婦さん私が上げたその両腕をさらに拘束。
そして、左脇下、右脇下、の順に、ジェイソン…いや、先生がその凶器で「ガガガガガーッ」とギプスを切断していく。
それはもう工事現場でしか聞いたことのないような音でした。
子ども心にも、上半身には心臓や肺など人が生きるために大切な臓器がたくさんあるのはわかっていたので、
それらに近い「その箇所」に、しかも意識がある状態でその凶器(しかも電動)を当てられてるのはもの凄い恐怖でした。
その振動が身体中に伝わり、ビブラートする私の身体を取り押さえる看護婦さんの手に一層の力が入るのがわかった。
凶器を操る先生の腕も、凶器のその力に負けじと血管を浮かせている。
ちょっとでも気ぃ抜いたら「私(患者)をザックリといく」のはもうわかりきってることなんで、先生もそら必死や。
と、そうして両脇部分が切断され、残るは両肩の部分=喉元に近い部分、となった。
看護婦さん達が「私の頭を押さえる人」と「私の上腕を押さえる人」のフォーメーションを取った。
願わくば、「私の膀胱を押さえる人」も欲しいところだったが、それはさすがにいてくれなかった。

と、そこで、それまで全く無言のまま私にその凶器を突きつけていた先生が、ようやく私に話しかけてきたんですよ。

先生「りちちゃんは頑張りやさんやな~、先生ビックリしたわ。 もうすぐ終わるし、あとちょっとだけ頑張れるかな?」



先生、わかってくれてたーーー!!!


今どんだけ私が「怖い」と思ってるかを、先生はわかってくれてはる、くれてたんや、と。
もうそうなると、これは完全なる「患者と医者の信頼関係」が芽生えるわけですよ。
「先生のことをジェイソンとか思ってしまって、なんかごめんなさい」ぐらいになるわけですよ。


両肩の部分を切断する時は、正直めっちゃ怖かったです。

「生きた心地がしない」っていうのは、多分ああいうことやと思います。

そうして「先生との信頼関係」を築けても、

「喉元に電動カッターをずーーっと突きつけられていることをも微動だにしない」

というのはだいぶキツかった。しかも「両肩続けて」。片方終わったのも束の間すぐさま次の闘いが始まるという。

いわば「初産で双子産む」ようなもんですよ。
って実際「それした」人には、「一緒にすんな!ww」と怒られるやろけど、怖さ的にはもうそんなんですよ。
逆に一年でも空いたらそのことも忘れるやろけど「続け様にそれ」ですから、もうかなりの精神状態を要するわけです。


20年以上経った今ふと当時のことを思い出しても、まだ「なんか息を止めてしまう」ぐらいやからね。


と、そうしてもう全員が全員クタクタになって、ようやく私のベストギプスが取り外され、すると先生が、
「お母さん呼んで」と看護婦さんに言ったので、私はそこで「そういやオカンが廊下で待ってたこと」を思い出した。


オカン「なんや、もう終わり?意外と早かったな~?w」



私はそれまでの死闘を「このオカン」に報告するのがなんかもうアホらしくなって、
「なんぼ言うてもこのオバハンには絶対伝わるわけがない」と思って、「まあな」と半笑いしていた。
思えば、あれが「親離れ」のきっかけ的なことやったんかもしれないとも思いますね。
あの日、私が負傷して帰ってきたその足ですぐに病院連れてくれたことにはほんまに感謝してますけどね。






てなわけで。


喉元過ぎてその後も何回か腕や脚や指や骨折したりしましたが、そんな私がひとつだけ思うことは、


もう二度と、鎖骨「だけ」は折りたくない。
あの切開のあの恐怖は、人生に一回やったら「もう十分」なレベル。


[ベストオブギプス・3]の続きを読む
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  1. 2011/04/29(金) 03:07:07|
  2. 思い出のネタ(学生編)

ベストオブギプス・2

さて、この 続きです。


と、そうして「五人が連結して(学校の遊具の中でダントツに一番でっかい)ジャングルジムの滑り台から滑る」ことになったはいいが
滑り台の上の、あの「滑りだし」のスペースのところに五人が一斉に並んで座れないことに気付いたんですよね。
なんぼ小学生って言うても、(当時、学年で一番か二番にチビだった私を除いては)五年生にもなると女の子でもそこそこ大きい。
よって、先頭に決まっている(←)私以降、背の小さい順に並んで、ギリで座れる前から三人目までが先に滑りだし、
その前の三人が滑りだして「滑りだし」のスペースが空くや否や、急いで後の二人が滑って前の三人に追いつき、最終的に五人連なって


「(五人で) イエーイ ♪」 

って そんなうまいこといくかwww
 


っていう話なんですが、
もうなんの根拠もないのに、私らは「それならうまくいく!」と信じてやまず、その作戦をすぐさま実行することにした。
しかも、ヨッコの公文の時間が迫っているので、これはいわば「最初で最後の千秋楽」なのだ。

てなわけで、「滑りだし」のとこに座った私の後ろに背の順で二番目三番目のツレらが座ったんですが
私のすぐ後ろ(二番目)のヨッコが、両腕で私の腰周りをがっちりホールドしてきよったんですよ。

私にしたら、
「後ろから自分よりでかいやつらが四人まとめて滑ってきても、着地と同時に先頭の自分が「さっ」と退けば、自分も後続のみんなも怪我をしない」
という寸法があったものですから、そうして後ろのヨッコにホールドされてしまうとかなり計算が狂うわけです。
それはずばり、「自分のタイミングによる身動きが取れない」。よって私は、もうそのまんまなのだが、
「後ろからそんなにがっちりつかまれてたら着地で退かなあかん時にすぐ退けへんやん。もうちょっと緩めに掴んでーや」と言ったのだが、そこでヨッコが
「でもりっちゃんしっかり掴んどかへんかったら、りっちゃんだけどんどん先に滑っていってしまうかもしれんやん?だってりっちゃん軽いから心配やねん」
って言うたんですよ。


軽いからどんどん滑っていってしまうのが心配。

って、言うてる「意味」 がわからない。



でもその当時の私は、その意味不明の意味に普通に納得してしまったんですよね。
ああ、もうヨッコは今どうしてもこのこと(五人連結滑り)を成功させたいんやと。
しかも、ヨッコは優しいやつなんで、私がどんどん先に滑っていってしまうことで私がなにか怪我でもしないか心配してくれてるんやと。
ヨッコ、逆に「ありがとうな」と。


大人になった私が今、ひとつだけ彼女らに言いたいことは


誰か大怪我する前に みんな早よ帰れ。
そして、その忠告は 見事に的中した。




滑りだしてからと滑ってる最中のことは正直あまりよく覚えていません。
なんせもう一瞬の出来事やったんですよね、何もかもが。


もうね、速かったよ~~~ 地面に着くの。


そもそも、滑り台の遊び方やその仕組みから考えると、概ねの普通は足が一番に着地すると思うんですが、
その時、先頭にいた私は前傾前屈姿勢で上半身から着地したんですね。っていうか、叩きつけられた。
その一瞬の中でもそうして足を引っ込め(前屈し)て着地した(していた)のは、恐らく
「この五人の全体重とそれにかかる重力+α加速を今ホールドされてない足で支えるとなると多分足が折れる」
という私の瞬時の天才的判断と運動神経の賜物だと思うので、そこは自分を誉めてやりたいが、
結論として、それら全ての力を一身に請け負うことになったのは、私の「左肩」だった。

でもしばらくは痛みというものを全く感じなかったんですよ。
滑りだした時は後ろにいたはずが、何故か今は「上から乗りかかっている後続の四人」が重かったのと、あと、
上半身からの着地の際に顔と唇についた砂が口の中に入って、口の中がジャリジャリになってるんが不快だったぐらいで。

と、そうして「楽しい思い出」になるはずが、まさかの「人間ドミノ」になったことで全員だいぶ後味が悪くて
なんかもう色々居た堪れなくなったのか、発起人のヨッコが


「じゃあ、私 公文行くわ…」


と言って帰り、その場はなんか「お開き」となった。

「ほな、うちらも帰ろか~」ってなって、残った四人で教室に置いてたランドセルを取りに行く最中、
「左肩を真っ直ぐ下に降りたところの辺り」がだんだんジワーっと熱くなってきて、ジンジンと鈍く痛くなってきた。
だが私は「今さっきあんだけの勢いで打ったんやから、そら多少痛いに決まってる」と、その痛みをしばらくやり過ごしていたんだが、
でもその痛みはもう歩くたび、歩く(動く)ことたびにジンジンからガンガンと響いてくるほどになってきたんで、「ごめん、先行っててー」と、教室に帰る皆に言った。
すると即座に全員から、
「え、どしたん?」「どっか痛いん?」「おんぶしよか?」「ランドセル取ってきたろか?」と、そうして一斉にやんや言われたので、
「だから皆してそういうふうに言われるともう嘘でも『気のせいやったわ!w』とか言うてまうから、もう放って行ってくれw」
と思ったんだが、そんな私の心の思いは完全無視され、あれよあれよという間に私は保健室に連れて行かれた。


保健の先生「鎖骨にヒビが入ってるかもわからん。家帰って、お家の人と一緒に○○病院行って診てもらい、今日中に。○○病院はその場でレントゲン撮ってくれるから。それとその検査結果を学校にもご連絡くださいってお家の人に言うといてね」



そんな「おおごと」な話になるとは思ってなかったみんなはパニックを起こした。



「さこつ、って何?どこ???」
「こつって骨やろけど聞いたことないし、骨のだいぶ奥のほうやの骨やと思う!こつづい、かも?」
「奥やし痛みを感じひんのや!こつづいやったらこつづいいしょくしじつ手術せなあかんなるかも!」
「なにそれ?」
「骨の元が折れてしまった人が移植とかで骨をもとに戻すねん!」
「そんなん麻酔手術ひつようやん!」
「私のお母さん看護婦やから私は病気詳しいで!麻酔手術したら赤ちゃん産めへんなるねん!」




保健の先生「……。みんなはお家に帰りなさい。りちちゃんを保健室に連れてきてくれてありがとうな」



と、そうして、「負った人」と「その外野」が隔離され、保健室の先生と私のトークが始まった。


保健の先生「さっきも言うたけど、お母さんにこのこと言うて病院に連れてもらい」
私「お母さんに言うたら絶対おこられるwww」
先生「お母さんに怒られるようなことわざわざして怪我したんやったら、そらもうかなり怒られるかもしれんな~?w」
私「私は一人で病院行ける。だからお母さんには言わんといてほしい」
先生「先生からは言わへんけど、でも一人で病院行けるからって保険証とかどうすんの?お母さんそんな怖いんか?」
私「怖くはないけど絶対怒られると思う。…うちお母さん元気そうやけど身体悪くて去年ずっと入院してて今年ちょっと退院できて今は家で着物の裏打ちの内職してるねんけどでも病気治ったわけじゃないしまたいつ入院するかわからんし命大事にしなさいしょうもないことしてもええけどお母さんは許すけどなるべくならしなさんなって言われててだからこんなしょうもない怪我はもう絶対怒られる!!」

と、今度は私がパニックになった。

先生「そうかー。でも怒られるって思うのはあんたがお母さんに愛してもらってる証拠やと先生は思うわ。お母さんによう言われへんねんたら今すぐ先生と病院行こう。でもな、遅かれ速かれこのことはお母さんにはバレるで?w」
私「……お母さんに○○病院に連れてもらいます」
先生「うん、それがいいな。結果を学校にもご連絡くださいって、お母さんに言うといてな!w」


今の小学校教育(小学校現場)には考えられないことかもしれんが、私の小学生当時はもうほんまこんな感じでしたよ。

先生は親の顔色とか見てなく、うちらの気持ちに向き合ってくれてたんで
だから、うちらも目の前の先生にかっこ悪いとこも全て全部正直に言えてたんかなあ。



と、そうして家に帰ったら、オカンが家でいつも通り内職(反物の和裁)をしていて、普通に「おかえりー」と言ったので、
それまではもう全然全く弱音吐く気などなく、逆に「とは言っても、オカンにはやっぱこのことは内緒にしとこう」ぐらいの感じでいたのに
そんな普通な感じのオカンに会うたら、私はまたもう保健室の先生に言うたみたいに全部正直言うてしまった。



私「今日放課後、総合遊具の滑り台から調子乗った滑り方して落ちて、友達に保健室連れて行かれてんw」
オカン「wwwアホ丸出しやなあんたはwwええ友達がいてくれて良かったな~」
私「うんw …ほんでお母さん、左肩の下の辺がめっちゃ痛い」
オカン「どこ?(探る)」
私「ここ(教える)あんまきつく触らんといてな。ヒビいってるかもしれんし、○○病院で診てもらうのもいいかもしれんって保健室の先生に言われた」
オカン「今はどんなふうに痛いん?」
私「歩くたびにここがガンガンしてきて頭も痛なってきて、帰り道で二回ゲロ吐いた」


オカン「病院行こ。」

私「ごめん(半泣き)」

オカン「後で謝るぐらいやったらなんでもっと自分の身体大事にせえへんの!…ってお母さん言いたいけど、とにかく今は病院行こ。な?」

私「うん(全泣き)」




ひとつだけ思ったことは、

いつか大人になったらオカンに絶対恩返ししようとほんま思ったけど、その前にオカン死んでしまったので、恩借りたまま。



話戻って。


と、そうしてオカンと受診した、とある救急総合病院外科を受診した結果、私の故障に下った結果は


「左鎖骨(と、その周囲の骨もダメージありの複雑)骨折」  でした。



てかなにそれ治るの?っていうかどうやって治すの?
てかこの入り組んだところにある骨格関節をどんなふうにして治していくの?


前振り長くてすみません、次回やっと本編です。続く。
  1. 2011/04/21(木) 03:45:10|
  2. 思い出のネタ(学生編)

ベストオブギプス

さて、先週末はツレん家で飲み会でした。
大人12人?+子ども若干名?(←ごちゃごちゃ居ったからあんま把握してない)で。
昼の2時ぐらいからスタートだったので晩には帰るつもりだったが気がついたら翌朝で、私は寝室のベッドの中(上?)にいた。
リビングのほうで子どもらの騒ぎ声が聞こえたので、「聞こえない聞こえない何も聞こえない」とオカン業ブッチを決めこみつつ再度寝たら
次に目覚めた時はめっちゃ静かになっていたので「あれ?もしや(いちごとももに)置いて帰られたとかw」とか思いながらリビングに行くと
子どもらはツレに朝ご飯を食わせてもらっていたのだった。

ツレ「おはよー」
私「おはよー。…つーか、いつの間にか寝てたわ」
ツレ「(先に落ちるって)りちにしては珍しいよなw つーかあんた、夜中ちるちゃん(仮名)に潰されて、ううー…言うてたでww」

私「マジで?全然覚えてないw」

宴会中に自身がネタの中で漏らしてしまった情報によると、ちるちゃんは私の倍近い重量級のレディであり
そんなちるちゃんに、酔うて完全無防備の就寝中に乗りかかられていたとしたら、私はそらもう「ううー…」とも言うだろう。
ましてちるちゃんも酔うて寝ているのでその「乗り潰し」に気付かぬまま、ともすれば私は圧死していたかもしれない九死に一生。

「りっさん言いすぎやろ~~~次は起きてる時に乗り潰すぞ~~~?w」

っていう、ちるちゃんのツッコミが聞こえてきそう(くわばらくわばらw)なので、この出だしネタはここらでやめておくとしてw




さて、そんな感じで今日の本題。



問い 「全体重+重力がかかった人に乗りかかられると、人は実際どうなるか」

答え 「圧死に至る前にびっくりするところの骨が折れたりして、だいぶ大変な思いをする」




あれは私が小学校五年生の時でした。

私は今でこそ異常なまでの高所恐怖症だが、子どもの頃は高いところも全然平気で、むしろ好きでして、
登り棒の一番上の「そこは上がるとこじゃない」とこの横棒で足掛け回りをしたり(←ちなみにこの登り棒はうちらの卒業後に撤去されていた)、
電信棒(電柱)登って人ん家のベランダに進入し、そこから大屋根に上がり、屋根から屋根を伝って町内一周とかして遊んでいた。

(注)これ↑は昭和の京町家の造り・街並みを知ってるやつにしかイマイチその状況がよくわからないかもしれないが、
マンションとか鉄筋建てがほとんどなかった昔の京町家の軒は隣や裏の家と屋根が連なってたんで「忍者ごっこ」が出来たんです。
ただ、この遊びは絶対に真似してはいけませんよ?→今だ京町家の名残のある地域に住む子どもたちに告ぐ。
実際その「楽しい悪さw」をやった経験者が「だがやめとけw」言うてるんですから、それは聞いておくべき。
何故なら、そんな遊びをしていた私たちは、それを近所の怖いおっさんに見つかっては叱られおもくそにシバかれ、
そしてそのおっさんがさらに親も叱りに行き、家でもっかい親から叱られドツかれ、晩に親と一緒に町内中の家家を謝って回りましたから。
そんなもん全然「忍者」じゃないよ。もっと言うたらもはや今や普通に「不法侵入(=犯罪)」ってなるような話ですからね。
どうしても「忍者」がやりたかったら、東映太秦映画村かJAC(ジャパンアクションクラブ)に就職しろ。もう好きなだけやれるわww


話戻って。


と、そんな、高いところ大好き&ちょっとヒヤっとする高いところでの遊びが大好きだった、りっさんの子どもの頃。

あれは私が小学校五年生の時でした。

放課後、学校の総合遊具(三階建てぐらいのジャングルジム)でツレらと遊んでたんですよ。
季節は秋から冬に差し掛かる頃でした。校庭の隅にある銀杏の実がやたら臭くて。
それを各々拾い集めて来ては、あえてわざわざその総合遊具の一番高く足場の悪いてっぺんのところでその臭い銀杏をぶつけ合って遊んでいた。

と、そんな中、ヨッコ(小学校時代の笑いの相方)が、
「もう公文の時間やから私帰らんとあかんしもう帰るわ~」と言い、そしてさらに続けて


「今日の思い出にみんなでこの総合遊具の一番てっぺんから滑り台を滑らへん?」


って言うたんですよ。


「おまえ公文行かなあかんなら早よ行けやwww」って話なんですが、
今の今まで一緒におもろいことしてたヨッコは、この「おもしろい場」から抜けんとあかんなったことにあたり、
「ヨッコは最後にでかい花火を上げていきたいのかな?」って、みんな思って、それに乗ったんですね。
「おもろいなー! やってみるか!!」って。

と、そうしてヨッコを送り出すそれ(高所滑り台からの五人連結滑り)を最後にやってみることになったんだが、
さて誰が一番前(先頭)になるか?については、運動神経が高くてビビリじゃないやつ+背の順(←←←)で、

「ここはりっちゃんが一番前やろww」

ってことになり、私はその総合遊具の一番高いとこからの滑り台の連結滑りの先頭役に推薦されたんですよね。
正直、ビビってたよ。だって自分よりはるかにデカいやつを背負ってめっさ高い滑り台を滑るんですから。
ただ、でも自分の中では「そうして無理から先頭に置かれても怪我をしない・させない自信」もありました。
何故なら、先頭の自分が着地と同時に「さっ」と退いたらきっと順次いけるって自信があったんですよ。だから

「おいおいおい~~~www」


とか言いながらも、それを受けた。そしてそれ(先頭役)をやってみた。



すると。



結論から言うと、びっくりするところの骨が折れた。


「その四人分の重みと重力」に耐え切れず、私のその「びっくり部分」の骨が折れた。
その骨が折れたことのある人なんて今まで一度も聞いたことがない、それは「骨」で、
てかむしろその骨の名前自体を今初めて聞いたわ!ぐらいの箇所の「その骨」が、なんか折れたのである。

続く。

  1. 2011/04/19(火) 02:44:28|
  2. 思い出のネタ(学生編)

地デジテレビがやってきた。

さて先日、店(職場)の中を怪しげに徘徊するおっさ…、もといお客様がいらしたので「何かお探しですか?」と聞くと、
振り返ったその人は、もうどう見ても酒気帯びとしか思えない赤ら顔(推定年齢60才いくか、いかんか)で
「おかあちゃん(嫁?)に洗濯石鹸買うといて~言われて来たんやけど、どこにあるやわからへんのやー」と仰った。
「そうでしたかー。わかりづろうてすんませんね~。洗剤はこちらです~」とご案内しながらちょっと話していたら
なんでも奥様は看護師さんで、「今日は晩まで帰れへんから、アンタ昼間に洗濯石鹸買うといてよ」ってなことらしく。

客「人を犬みたいに使いやがってあのオバハンはほんまに~」
私「あはは。でもお仕事やったらしょうがないじゃないですかw」
客「まあそうなんやけどな~。わしら昼間っから酒飲んで寝てるんやさかいなw」

正直、100%無職のおっさんだと思った。もっと言うと「奥さんも苦労してはるやろな~」ぐらいに思った。
だが、さらに話しているうちにその赤ら顔のおっさんは「実は昨日京都に帰ってきたとこなんや」と言い出した。

私「へー。ご旅行ですか?」
客「福島にな」
私「福島ですか~。え、…福島?」
客「重機にな、乗ってたんや。二週間交代やさかい、二週間したらまた行くんや」

おっさんは福島の被災地で瓦礫の撤去作業をしている人だった。
行ったら行ったきりでぶっ通しで働いて、二週間したら次の班と交代して各々家に帰って…という感じで作業をしているそうで、
昨晩は二週間ぶりに福島の現場から京都の自宅に帰ってきて、そのまま布団に転げるようにして寝て、
今朝起きたらもう嫁は仕事に出ており、「起きたら洗濯石鹸買うて来といて」という旨の書き置きが残されていたと。

おっさんが、「かわいそうやったで…。ほんまに、ほんまにかわいそうやった……」と独り言のように言いながら目を潤ませたので、
私は、おっさんが見た「その場面」について根掘っては聞けず、胸の奥のもっと奥のほうが、ぎゅうう~っとなった。
そこから解放されたらもう、なんかそうして寝起きで昼間から酒でも飲まないと心がパンクしそうになるんかもしれない、と思った。

そんな私がそのおっさんにひとつだけ言いたいことは

100%無職とか思って、なんかほんますんませんでした。
人を見た目や第一印象で判断しては、ほんまにいけません。ごめんなさい。


余談だが、おっさんは
「わしの乗ってた重機が途中で壊れたんやけどあれはわしのせいやないねん。わしが乗ってた時はちゃんと動いとったんや」
「あれはきっとわしの後に乗ったカワカミが潰しよったんや思うわ。だってわしが乗ってた時はちゃ~んと動いてたんやから」
と、おっさんの会社の人間でもなんでもないドラッグストア店員の私に何故か懸命に弁明していたので、逆に怪しい、と私は思った。


とまあそんな感じで日々を過ごしているわけですが。


さて、今日の本題。

もうタイトルのまんまなんですが、
2011年7月がいよいよ眼前に迫る中、とうとう我が家に地デジテレビがやってきました。
と、ここで何故「やってきた」と形容しているかというと、それは私が購入したものではないからです。
我が家のテレビ事情をもう見るに見かねた彼氏さんがプレゼントしてくれはったんですよ。
遅かれ早かれいずれ一緒になるんだから今買っても同じことだし、と…。


…え~っと、話戻りまして。

と、彼氏さんがそうして「見るに見かねた」我が家のテレビ事情とは。


① もらい物(中古)の、10年前ぐらいに発売された27型のアナログテレビ+録画は7年選手のVHSビデオデッキ。→全然見れる。
② テレビのリモコンが壊れたのでテレビ本体の「選局」とか「音量」とかのスイッチで変換することに。→まだ全然見れる。
③ テレビ本体が壊れて受信できなくなったので、配線を変え、ビデオデッキで受信(入力)してテレビに出力することに。→まだ全然見れる。
④ よって当然、録画機能と視聴機能が連動する(=録画中はそのチャンネルしか見れない)ことに。→でもテレビはまだまだ全然見れる。

と、ここで、この平成のデジタル時代にはもはやイメージしがたい「旧式のチャンネル争い」が勃発。

いちご(長女)「もう寝るから、この後のドラマを録画したいねんけど」
私「ママはこの後のニュース番組が見たいねんけどなー」
いちご「ママがニュース見るんやったら、いちご、ドラマ録れへんやん」
私「…まあ、平たく言えばそういうことになるな」
いちご「もう~~~っ!何なん、このビデオ!?時代遅れやわっ!」
私「いや、ビデオは悪くない。どちらかと言うと完全にテレビが悪い。…っていうか、そもそも子どもが寝た後の時間に放送するドラマは子どもが見るにふさわしくない、もっと言うと子どもが見たところで理解できない内容のものやからこそ、あえてその大人の時間帯に放送しているのであって、だからその番組のターゲットではない子どものいちごが『好きなアイドルが出てるから』と、それを録画してまで見ても果たしてどこまでその作品の伝えたい意図が解るのか?という話で、それを見たいちごも『何このドラマ?』ってなるのがオチかと……」
いちご「出た、テレビ作る側の人の考え!!!…もういいよっ!大人になったらいっぱいドラマ見るしねっ!もう寝る、おやすみっ!」
私「おやすみwww」

と、そうして論点をすりかえることでその戦いに勝った私だが、長い目で見ての「勝算」もあった。
何故なら、人間、特に子どもの順応性というものはもう本当に素晴らしいので。
よって、いちごもいつしかその生活(我が家のテレビ事情)にすっかり慣れ、

いちご「ママ、菜々子(友達)の家のテレビ凄いねんで!ビデオ撮りながら同時に違うチャンネルも見れるねん!」
私「へえ~っ!それは凄いなー!?一体どういう仕組みなんやろうな???」
彼氏さん「(小声)てかそれ普通だし…」
私「(いいからここは黙ってろ)」


そして続き。


⑤ アナログ放送の画面左右に余白ならぬ「余黒」にて画面縮小。「地デジ化早く!」のテロップが定期的に流れだす。→うっとしいけどまだ見れてる。
⑥ 流れるテロップでは飽き足らず、画面右端に随時「アナログ」と表示することでさらに切迫感を煽りだす。→かなりうっとしいけどまだまだ見れてる。

と、ここで、大人が大人の社会で勝手に決めた地デジ化に、社会的弱者の子どものいちごともも(次女)がだいぶ焦り始める。

いちご「2011年7月が過ぎたら、うちの家のテレビはどうなるの?」
私「このままやと見れなくなりますね」
彼氏さん「(小声)てかすでにテレビとして見れてはないし…」
私「(うるさい、だまれ)」
もも「ももちゃんちのテレビ、ばくはつする?」
私「爆発???w 爆発はしません、てか爆発したら逆に笑うけどww」
いちご「てかママ。…ほんま、笑ってる場合じゃないし」
私「そのマジトーンやめろw わかってる、なんとかするよ、なんとかする。地デジ化のこともあんたの中学の制服のこともママがなんとかする。だからそんなやいやい言わんといてくれ、なんとかするから!」


そして、そして続き。


⑦ 受信機器としても活躍していたビデオデッキもついに壊れ、録画開始と同時に今見てるテレビ音声も消える。→チャップリン(無声映画)だと思えばいい。
⑧ もはやただのモニターと化しているテレビの映像にノイズ(縞)が出始める。→テレビの上か横を三回叩けば治ることもある。
⑨ テレビの本体の主電源を入れても起動すらしない時がある。→病んでしまったテレビの気持ちになって、その病いに寄り添っていこうよ。
⑩ ビデオの本体の主電源を入れたら入ってたビデオテープを吐き出す時がある。→「ここはブラック企業や!」ということに気付いた彼への言葉は「他にいくとこあるのかな?」


てな感じで、三年、延べ五年が過ぎ、2011年4月上旬のとある日。



彼氏さん「今週末、地デジ対応のテレビ買いに行こうよ」
私「いや、うちのテレビはまだまだ見れてるから問題ないよ、まだいけるよ。…てか、そんなお金ないし急にそんなん言われても無理」
彼氏さん「それはわかってるよw だからりちに買えって言ってるんじゃないよ」


彼氏さん「てか、もう買うよ?いいね?」
私「……。お任せします……」
 




てなわけで。


その一週間後、彼氏さんがプレゼントしてくれたその地デジテレビ+ブルーレイが我が家にやってきたんですが、
「私が主としてそこに立ち合わなくても、そこに立ち会ってくれる主(彼氏さん)がいる」という安らぎから、
その搬送の最中、私はそのかすかな物音と時折聞こえるいちごとももと彼氏さんの笑い声に癒されつつ、爆睡していました。

そうして昼過ぎに起きたら、居間のテレビが大きく変わっていた。
画面の大きさや色彩は元より、文字のエッジまで綺麗な鋭角で、とにかくすべてが美しかった。

いちごもももも、彼氏さんも、みんな満たされた笑顔でワイワイと心機一転のテレビを見ていて、起きぬけの私は
「今まで何をひとりで頑張っていたんだろう?」と気が抜けつつ、そのみんなの笑顔につられ、なんか笑ったのでした。



話戻って。



「我が家に地デジテレビがやってきた」。


私が今、子どもらにひとつだけ思うことは、

「ふたつの番組を同時に録画できる」という今のこのことが、いつか、いちごとももにとって当たり前になっていったとしても、
「ビデオ録画してる時はその番組しか見れへんかった」という、そんなことがあったことも、ずっと忘れないでいてほしい。
それをいつまでも忘れなければ、例えばこの先どんな窮地に陥っても、


「無いもんは無い。それでも尚、生きていく、いける」


っていう、自信や逞しさにそれはなると思う。
  1. 2011/04/16(土) 02:44:15|
  2. どんつき(もの)

表現者たち。・2

さて、 この 続き。

と、そんな「狭くそして超至近距離の無理からなステージ」で、
ラジカセから流れる曲に合わせてAKB(?)は元気にキュートに歌って踊っていたが、
それを観る、そして写真やビデオを撮る保護者(←しかも酔うてるww)はこの事態にてんてこ舞いになっていた。

親A「あれこれフォーメーション変えてしてるけど、この全長がアングルに納まりきらん!」
親B「あっち向いたりこっち向いたりしてたら目ぇ回ってきた…ううっ、ぎもぢ悪い……」
親C「ちょー!吐かんといてや!?…て、あんたさっきからずっと私の足踏んでるねんけど?www」
親D「ごめんww…あれ?うちの子どこ行った?もーっ!!あんたが話しかけるから見逃したやんかーっww」
親E「前の人の頭が邪魔でなんにも見えん!前の人は立つな!しゃがんでくれー!」
親F「ちゅうかあんたが横へ逃げたらええんちゃうの!」
親G「あれ?よう見たらうちの子おらへんやん。あ、そっか、うち『嵐』やるって言うてたんやった、アハハハwww」
親たち「ほな下がれ!!!wwwww」


AKB(?)諸君にひとつだけ言いたいことは

君らよりも むしろ今 こっちが 「ヘビー・ローテーション」 です(爆重)



と、そうして始まった「出し物」は、
観客に息つく間すらも与えずに、「嵐(?)」「平成JUMP(?)」とまた派手に踊って動く派手な演目が続き、
と、そこの頭の三ステージが終わったところで、
「だいぶ先ほどラストオーダーでお伺いした品物を一旦テーブルに届けたいのですが…(=おまえらハウス!)」
という店側の要望から一時ステージを中断し、とりあえず、みんな一旦、席に着いたんですね。

だが、そうして席に着いたものの、観客(←振り回されていっそう酔いが廻ってる)の熱気は冷めやらず、
「スペース的な失敗はあったにしろ、ようやりよったよな~」とか
「引っ込み思案なうちの子がお別れ会の出し物でセンターで踊るやなんてちょっと感動したわー」とか
「今年の6年生は勢いがあるわ。ここで離れる(中学で二校に別れる)のが切ないな~」とか口々に言い合い、

と、そうこうしていたら、
ラストオーダーと聞いて誰かが慌てて頼んだや知らんけど8人席の座卓に生ビール15個とか来て大笑いになったんだが、
買い占め騒動と格闘している私(当時。最近はかなり落ち着いてきたよ)としては、もう満を持して叫ばせていただいた。


「コラーーーッ!!!」

「こんなんするやつがおるから買い占め騒動が起きるんじゃボケー!!!」



しかしながら、私のその「魂の叫び」はそこでさらなる爆笑を生みだし、飲み会はさらにエスカレートしていった。
*15個の生ビールはあとでスタッフ(酔っ払いども)が美味しくいただきました。




と、そうして、また「出し物」のことを忘れて「ただの飲み会(魑魅魍魎の巣窟)」と化していく中、
なんか聞き覚えのある曲が、どこかから薄っすらと流れてきたんですよね。
多分なら「Greeeen」とかの、だいぶだいぶ前に巷でよく流れてたっぽい曲?
一瞬、「店のBGMかな?」と思って目線を店内に向けたら、
先ほどのあの「無理から」の通路ステージ付近に子どもらがなんか集まっていて、
でも先ほどのようにノリで「ワーキャー」してる感じではなかったので、「?」と思って、
私はグチャグチャに酔いまくっていく仲間たち(アホどもww)を置いて、そっとそれを見に行ったんですね。


すると、その「歌」に乗せて、女の子二人が芝居?をしていた。


その歌は、友達をなんかしら懸命に励ましてるようなメッセージ性の強い歌(歌詞)で、
その二人は、その「友達をなんかめっちゃ励ます歌(歌詞)に準えたオリジナルの芝居」をしていたんですよ。

さっきのAKBだの嵐だの平成JUMPだのに比べたら、正直その演目はもう全然地味でした。
だから現状こうして「観客」がいない。もっと言うたら「演ってること」すら周知されてない。
「ラストオーダーの品物を運ばせてくれ」っていう店側のタイミングにもある意味「邪魔」はされたかもしれないが、
「もしあの時それがなくてステージを続行してたとしてもこの地味な演目でどれだけ観客が残ったかはわからない」、
ぐらいの、そんな「地味さ」だったんですが、逆に私はもうアドレナリンがバンバン出てきたんですよ、


「こいつら熱いわ~!」 っていう。


こいつらは「観客ウケ」とかそんなんはどうでも良くて、ほんまにやりたい(表現したい)と思うことを今やってるんやなって思って。

てか、逆に自分の創りだした作品に自信があるからこそ、「そんなんはどうでもいいねん」ってなるんでしょうけどね。
わかる、なんかわかるぞ。何故なら、私も「そっち系」だったので。


あれはもう忘れもしない小学校最後の「クラスのお楽しみ会」の時のことなんですが、
当時、今や昭和の伝説である「おニャン子クラブ」がリアルタイムの大人気でめちゃめちゃ流行ってたんですね。
だから概ねの子らは「セーラー服を脱がさないで」とか「じゃあね」とかを完コピして歌って踊ると言っていた。
もっと言うと、ダンプ松本みたいなやつまでもが「私は新田恵理♪」とか言うて新田恵理に成りきってもいた。
だがそこで私とヨッコ(ツレ)ときーやん(ツレ)は、
「まんまパクってもおもろないやん。うちらはおニャン子のパロディでそれをやろうや!」と、
おニャン子クラブ会員番号8番・国生さゆりの「バレンタインデー・キッス」の歌に乗せて

「もしも、それがレズの三角関係だったら…?」

という、当時「もしもシリーズ」でお茶の間を爆笑の渦に巻いていたドリフですらもやってなかった、
「同性愛をイジるコント」を編み出して、それをお楽しみ会で上演したんですよ。
だがその常軌を逸脱した演目にはもうクラスの誰もついて来てくれなくて、私達は完全にスベりました。全員凍りついてた。
しかも、そのあまりの迫真の演技(コント)に後日、「きーやんはほんまにレズなのでは…?説」まで流れたからね。

ただ、その中で担任の先生だけが大爆笑していたんですよ。

「あんたらおもろいわ。表現者の才能があるわ」と。

余談だが、それが糧となったのか、きーやんは18で女優を目指して東京に行きよったまま、今だ連絡が取れません。
どこかで何かの女優の仕事をしてるのか、はたまた、女優の道は諦めて、東京で出会った人と恋をして結婚して出産して、子どもに、
「うちのオカンは演技スイッチ入ったら半端ないわw」とか若干引かれながら、普通に(?)オカンしてるんかもわかりませんが。


話、だいぶ戻って。


「表現者たち。」


AKBやら嵐やら平成JUMPやらの「そっくりそのままの真似(完コピ)」をしたくて、その練習を積んできた努力は凄いと思う。
私にしたら「それを自分のモノにしていくにはそこから自分流にアレンジしていかないと本家は超えられへんで?」と思うけど
でも、「好きなその人のそっくりそのまま完コピ出来た!」っていうその達成感から、さらなる表現欲が芽生えると思うんですよね。
なので、そこでAKBやら嵐やら平成JUMPやらをやった「表現者たち」にも、私は、それはそれでいいと思った。
ようやった、みんなようやったよ、頑張った。大人を圧倒してきたわ、と思った。ただ、私は、

「ウケとかノリとか流行とかは眼中になく、自分の表現を真っ向からぶつけてきたこいつら」

に、もうとてつもなく熱いものを感じたんですよ。気付いたら、なんか泣いてた。

「おまえら今ここでそんな全力出しても誰も見てへんのになんでそんなに頑張れる?もうおまえらどんだけ強いねん!おまえらアホやろ!w」

って笑いながら、なんか泣いてた。
背後から、「りっさん何処行ったー?飲め~~!!www」っていう酔っ払いどもの生ぬるい声が聞こえてきて、


「うるさいしゃべんな!ほっとけ!!」
「この感動がわからんやつは もう今、私に声をかけるな!」



という無茶な提示(ヤクザの論理)すらをも突きつけたく思い、その誘いをもうガン無視したしね。



そんな私がまあ、ひとつだけ言うとくことは、


そのステージ(誰も見てない芝居)を終えた二人が舞台を降りるや否や、
もう即座に、「握手」を求めましたよね。



私「感動した!素晴らしかった!」
少女A「え!?あ、ありがとうございます!!!w」
私「…ホン創るん大変やったろ~?喧嘩もしたんじゃないですか?w…てかあなた(励まされる少女B役)は後半ちょっと塞ぎこみすぎなとこあったけど、あれは台本通りなのか?w」
少女B「wwwwあれは、この人(少女A)が変なアドリブするからうっとしくなって反発してみましたw…しつこかったですか?w」
私「正直しつこかったwwこいつ心の病気か?この芝居のテーマはそれなのか?とすら思ったわww」
少女A・B「こころのびょうきwwwww」
少女A「今回のテーマは友情ですwもう卒業やから最後にみんなに伝えたかったことがあって…でもみんなあんまり聞いてなかったかもな?w」
少女B「でもやるだけやったし後悔はしてないww」
私「wwwwwいや、おばちゃんは聞いてたで?てかおまえら中学入ったら演劇部入れ!それか吉本行け!w」
少女A・B「うん、そのつもりwww」



話また戻って、「表現者たち。」


あの日のあの子ら(全ての表現者)に共通してたことは、


それをすることのデメリットを考えるよりも、
それをしたいと思う気持ちを最優先に考えて、各々がそれをしたのだ。



まあ、また「りっさん何言うてるかわからん」かもしれませんが、「確実に次世代は育ってるぞ」、ということが言いたかった。



  1. 2011/04/06(水) 01:27:01|
  2. 学校・PTA・役員ネタ

表現者たち。

さて。

ちょっと日が経ってしまったんですが、先日いちご(長女)の小学校の卒業式がありました。
出がけにとある重要案件の依頼先から電話がかかってきたのでその場で話しこんでいたら家を出るのが遅くなり、
猛ダッシュで学校に駆けつけたら、門の前にも続く中庭にも人っこ一人いなくて「シーン」となっていた。
「やっべー…始まってるか?」と思いつつ体育館(卒業式会場)に急いだら、途中で出会った用務員さんが
「もう今卒業生が入場するとこですよ!早く早く!」と言ったのでさらにダッシュしたら体育館の入り口で子どもらがもうスタンバっていて
「いちごのお母さん来た!w」とか「おばちゃんも一緒に入場する?w」とか色々言われ(イジられ)、いちいち道を阻まれ
「わかったからどけ、頼むからそこをどいてくれw あ、みんな卒業おめでとう!君らの友情よフォーエバー!w」
とかそんなん言いながらもう大慌てで体育館に駆け込んだら
いよいよ入場してくる我が子の姿をおさめようと、入り口にカメラやビデオを構えている保護者たちが一斉に私に注目した。


「…って、 りっさんかいwww」 

「はいりっさんのちこくでしたすんませんみんななんかほんますんません!!!w」



と、そうして私は最後の最後まで痴態を晒しめ、息も絶え絶えにやっとこさ保護者席の一番後ろに辿り着いたのだった…。


てなわけで。


全く緊張感もなく逆に大恥こいて始まったいちごの卒業式なのだが、感動というよりなんて言うか「静粛」な気持ちになりましたね。
いちごの小学校では卒業生は自分が進学する中学の制服を着て卒業式に出るんだが(私が通っていた頃からの習わし)
中学の制服を着て卒業証書を受け取るいちごを見ていて、「大きくなったなあ」というよりむしろ、「これからやなあ」と思った。

これまでは赤ん坊から子どもになるまでの「子育て」をしてきたけど、これから二十歳までは子どもから大人になるまでの「人育て」が始まる。
いわばここ(今日)がある意味「折り返し地点」なわけですよね。
例えば、いちごにしたら今までは「親(ママ)の言うことやからしゃあない」で聞いてた部分も多少(かなり?)あるかもしれんけど、
これから先は、親子である+人間同士の話、付き合いになっていくと思うんですよね。
これからいちごは「自分」というものがどんどん備わってくるやろし、親であり、一方で「一人の人間」として私を見てきよると思うんです。
変な話、今までは「(親の)ママのOKが出えへんかったから、腑に落ちないけどしゃあないし我慢する」やったことでも、
「この人の言うその理由のダメ出しには自分は納得できひん」と思ったら、私の言うことガン無視で「強行突破」しよるかもしれんしね。
…ってまあそれはそれで楽しみなとこもあるんですけどwてか私もなんやかんや「強行突破」してたんでw
話(真面目に)戻り、
だから私は、いつまでもこの子の親であり続けることと同時にさらにここからは、いちごにとって
「人として学ぶところがある人間」、「意見を聞く価値のある人間」になっていかんとあかんねんよなあーって思って。
よもや「なんやこいつ(人間的に)全然大したことないやんw」などと思われたら(バレたら?w)もうだいぶやばいのだ。
…ってなことを考えていたら、泣くとか感動とかより、なんか身が引き締まる思いになりました。「これからや、またここからや」と。

ただ、ももの卒園式の時と同じく、担任の先生が最後の学級会の時に涙ぐんで言葉に詰まらはるのを見た時は涙腺がやばかった。
こうして「巣立ちの日」に涙ぐむほどに、この子の「これまで」に懸命に関わってくれた人がいた、ということが、もうほんまに有りがたかった。



とまあ卒業式はそんな感じで終了し、さて、ここから今日の本題。



卒業式の後、午後から「お別れ会」と称した食事会があったんですよ、卒業生とその保護者(主にオカン+下の子参加も可)で。
幹事は各クラスの保護者学級代表委員さんで、場所はとある近所の焼肉屋を2時間貸切の、食べ放題・飲み放題で。
つーか、育ち盛りの食べ盛りの主役(子どもら)考えたら「食べ放題」はまあわかるけど、
「飲み放題」のオプションが付いてる時点でそれじゃもう「(親の)飲み会」になること前提やろwって話なんだが。

その会のプログラムには子どもらが自分らで企画・構成・演出+出演をするというお楽しみ演目(出し物)が用意されていて
それについては幹事さんらも「とりあえず30分の枠だけ取ってほしい、としか言われてないので何が始まるかよくわからない」と言っていた。
ただ、「なんかうちの子は嵐を踊るらしい」とか「うちはAKBをやるらしい」という噂がにわかに流出してはいて、というのは
いちごもそうだったが、この数週間子どもらが日曜のたんびに「お別れ会の練習がどーの」言うて昼間出かけてたんですよね。挙句の果てに

「インターネットでAKBが『ヘビーローテーション』っていう曲を踊ってるのんを探すのをママに手伝ってほしいんやけど、ママのパソコン立ち上げてもいい?」

とか、 もう完全にネタバレ なことを言うてきたりね。
てか逆にそんなん言われたこっちにしてみたら、「それでもまだなんにも気付かないふり」をするほうが難しいっちゅうねん!wっていう。
っていうかそもそも嵐とかAKBとか焼肉屋で(スペース的に)どないして歌って踊るん???っていう話なんですが…。
「まあでも自分らでなんかしたいって言うんやからやらせてみよかー」みたいな感じで、幹事さんらもあえて口を挟まずにいたそうで。



そんな感じで、当日。



よって、「その出し物」については幹事さんらを筆頭にもう保護者の誰もが「ノータッチ」であり、
しかも席が子どもと保護者で分離されていたことから「その出し物があること」すらも忘れ、
保護者席は普通に飲み会…というか、むしろ、

「平日の昼間っからオカンが飲み会してていいのか!?www」
「かまへんかまへん、今日ぐらいかまへんがな!もう最後やねんからwww」


という、もう逆に「普通じゃない盛り上がり(テンション↑↑↑)の飲み会」になっていた。


私がひとつだけ言いたいことは


おまえら、どんだけストレスたまっとんねんwww


まあでも普通に考えて、
その子が生まれてから今日までの延べ12年間を、ろくに自分の時間も取れなくなんかやってきたんですから
いわば「12年分のそのストレス」をここで一旦発散(リセット)するにはもう「そういうことwww」にもなるのやもしれん。


と、そんな中、

店員さんから「そろそろラストオーダーを…」の声がかかったのとほぼ同時ぐらいに、


「ワン ツー スリー フォー ♪」 


という、なんかもうアイドルピンク一色な「ガナリ(オープニングのきっかけの叫び声)」がかかって、
白シャツにミニスカートでお揃いのシュシュを付けたやつら(AKB?)が四方八方からわらわらと出てきたんですよ。そして、

「(焼肉屋での)テーブルとテーブルの間の狭い通路の中でもまだ若干広めその通路」

を陣取って、やつら(AKB?)はもう無理から「ステージ」をやり始めやがった。


もう、「大混乱」ですよ。 色々と「大混乱」。


っていうか 逆にどこで観たらいいねん!?
どうやってもその「ステージ」の前に観客は全員納まりきらんぞ???
てか「ラストオーダー」も言わんとあかんし!!!



続く
  1. 2011/04/01(金) 00:30:22|
  2. 学校・PTA・役員ネタ

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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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