どんつきを右に曲がって左のかどっこ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

「さようなら」



   好きだけど さようなら

   好きだから さようなら


   さようなら は 「左様なら」

   「去り様なら」 では ないのです


   泣かないから、 泣かないで


   きっと もっと 強くなる

   あなたを想って 強くなる



スポンサーサイト
  1. 2011/08/29(月) 00:12:11|
  2. お知らせ・よりかねの思ひ出

蜂刺されの思い出・2

さて、 この 続きです。

と、そうして、「蜂に刺されたこと」をオトンに報告したにも関わらず、私はもう全く相手にもされず、
でもしつこく言うて怒られたらいやなので、刺されたこめかみの痛みをこらえながら先頭のオトンとおっさんについて行った。
だが、その痛みは歩くたびにジンジンと強く脈打ち、だんだんひどくなってきたので、ダメ元でもう一回オトンに訴えてみた。

「お父さん、さっきよりもっと痛くなってきたんやけど…。なあもう下りよう?みんなも刺されるかもわからん」

するとオトンは怒りの形相で私のほうを振り向き、「おまえはまだ言うか…!」と、多分怒鳴りかけた、その時、
私とオトンが向かい合って立っているの間を、さっきの見たこともないでっかい蜂がぶーんと低空飛行でフレームインしてきた。

「ほらっ!!!この蜂、この蜂!さっきこの蜂に刺されたんや!!!」と、私は指さし、するとオトンは

「おまえかーーーっ!!! コンチクショーーーッ!!!」 

と、叫びながら、その蜂を足で思いきり踏み潰した。


オトンすごい、と思いました。
酔っぱらいやけど、やっぱオトンはすごい!オトン強い!さすがド田舎育ち!オトン、一発で蜂に勝った!!!


と、思ったのも束の間。


オトンが蜂を踏み潰したその足元付近から、数えきれないほど大量の「その蜂」が ブワ~ン と 一斉に飛び出てきたんですよ!!!  



もうわけがわからんまま全員あたり構わず逃げまどったが、頭から足に至るまでの全身をいっぱい刺された。
オトンとおっさんはなんとか蜂を追い払おうと腕を振り回していたが、振り回すその腕を次々に刺されていた。
遠くのほうで、「うぎゃあー!!痛いーっ!!!」と泣き叫ぶ下の弟の声は聞こえるが、姿は見えない。
上の弟は痛さと怖さで声すら失い震えながらその場にうずくまってしまい、私は上の弟を引きずりながら逃げた。

もうあれはほんまに地獄絵図でした。

先が見えないほど暗い獣道覆いかぶさる木々生い茂る葉っぱ襲ってくる大量の蜂遠くで泣き叫ぶ下の弟の絶叫一気に刺されて動けなくなった上の弟蜂と戦って逆に刺されまくっている酔っぱらいの大人二人。

ちなみに後日、学校の図書館の図鑑で調べてみたらそれはクマンバチという蜂でした。
クマンバチは滅多に人に危害を加えない(刺さない)らしいが、自分らの巣を守るために巣の周りでは攻撃的になるそうで
しかもその巣というのは木に穴を掘って作ったり、固くなった地面(土?)を掘って作ったりするそうで、
それらの情報を整理して考えられることは、おそらく、オトンが蜂を踏み潰した辺りにたまたま巣があって、
その振動に驚いた巣の中の蜂たちがそれを「危険」と感じて一斉に飛び出し、攻撃してきたんじゃないかと…。

その見解に辿りついた私がひとつだけ言えることは、


オトン、ミラクル・アンラッキー!!!

そしてマツタケに釣られてきたおっさんにおいては、
「結局マツタケ取れないで、ただただ蜂に刺されただけ」の
ダブルミラクル・アンラッキー!!! お疲れ様でしたwww
 




話戻って。


そうして蜂と戦っていたオトンとおっさんはだんだん呂律が回らなくなってきて、見ると二人とも唇がタラコのように腫れていた。
ビールを飲んでいたことで血行が良くなってて蜂の毒が急速に体内を循環したのか、アルコールと毒が何らかの相互作用を起こしたんか、
とにかく、二人とも口の周りが「わざと」ではなく「リアル」に、「いかりや長介の唇の真似みたいなこと」になっていた。

オトン「ほうはかん!(もうあかん!)ほれはほんはひはかん!(これはほんまにあかん!)」
おっさん「ひげはひょ、ひげはしょ!(逃げましょ逃げましょ!)はふはけひふへるははいほひゃう!(マツタケ言うてる場合ちゃう!)」
オトン「ほはへら、ひへるほ!!はひっへおひほ!!!(おまえら、逃げるぞ!!走って下りろ!!!)」



もういや! ほんまにいや、こんな親父!!! 

オカンお願いやから早く退院してここに居てタスケテーーーッ!!! 



私は刺された痛みと毒で朦朧としつつ、ゲロを吐きながらどんどん弱っていく上の弟を肩に担ぎ、
おびただしい数でなおしつこく攻めてくる蜂たちに追われて刺されながらも必死のパッチで山を下りた。
あの時の私と弟のその姿は「戦時中の負傷兵たち」さながらだったと思う。
するとどこから出てきたのかわからないが下の弟が「痛いよーっ!!!」と叫びながら猿なみの速さで駆け下りて行った。


ちょ、おまえ!! 「自分だけ我れ先」ズルいぞ要領いい末っ子www
おまえの兄貴が重傷中やぞ!?おまえもこのことを手伝えよwww



と、そうして上の弟を担いで命からがら山を下りたら、もうすでにとっくにそこに着いていた「我れ先」の下の弟は
平均年齢60歳の「有志のおばちゃんたち」によって、寄ってたかって蜂の毒を文字通り「吸い」だされていた。



あれは……。まあまあシュールな光景でした。



5歳男児の身体に群がって吸い付くババア達がいる光景。



そして、追って辿り着いた私たちについても、そのおばちゃんたちは寄ってたかってまた文字通り毒を「吸い」だしてくれた。
でもそうして毒を吸い出してもらいながらも、私は内心「こんなん気休めや、もう遅い」と思っていた。
何故なら、刺されてすぐならまだしも、刺されてからもうかれこれ30分以上は経過しているので。

でもせっかく「気持ち」でしてくれてはんのに、「もういいよ、意味ないと思うから」とか、そんなん言えないじゃないですか?
だから私は黙っておばちゃんたちに身を任せ、全身(十箇所以上刺されたところ)をめっちゃ吸われていたんです。


すると、その「吸い出し」をしてくれていたある一人のおばちゃんが突然、意味不明な「募集」を始めた。


「誰か今、おしっこ出えへんか!?」


その「募集の意味」が一切わからなかったが、私はなんだか物凄くいやな予感がした。
だから、「どうか今おしっこ出る人がこの中に居てくれるな!!!」と、そう心の中で祈ったんですが、


ヒント1: 町内レクレーション=大人たちの野外宴会。
ヒント2: アルコールによる利尿作用=酒飲みはおしっこが近い。


よって、


「あんたら(母親経験ある人ら)みたいに毒の吸い出しは出来ひんけど、おしっこやったらなんぼでも出るで!」


という、これまた「有志のおっさんら」によっていくつもの紙コップに「おっさんのおしっこ」がなみなみたっぷりと集められた。



やめて!!!

そんなん絶対迷信やって!!!

「蜂に刺されたらおしっこかけろ」とか!!!
 




…。
……。
………。




もう、あの「出来事」の詳細を思い出したくもないのだが、
「それをティッシュに含ませたもの」を私たちは刺されたところに塗りつけられ、さらに「ダイレクト」にかけられもした。
「汲み取ったものを直接かけるほうがより速く効くんじゃないか?」という、それは「放尿主のよけいなアイデア」によって。

そうしていっぱい蜂に刺されて戻ってきて、なおかつ町内のおっさんらのおしっこを塗られ、かけられている私たちの姿に
他の子ども達は「お母さんの言うこと聞いて、行かなくて良かった…」という安堵と哀れみの入り混じった複雑な顔をしていたので
もういっそ今すぐに蜂の毒で死にたいぐらい恥ずかしかったが、
ちょっとおもろかったんは、そのあと追って下りてきたオトンとおっさんも同じくおしっこを塗ってもらっていた。
おっさん同士がおっさん同士のおしっこを身体に塗る、ってなんだそのマニアックなプレイwww


てなわけで。


私は今でも蜂が大嫌いです。そもそも虫が苦手なんだが、中でも蜂は大の苦手で見たら異常に怖がります。
蜂にいっぱい刺されるのも、おっさんのおしっこを塗りたくられるのも、人生で一回やったらもう十分なのです。


[蜂刺されの思い出・2]の続きを読む
  1. 2011/08/21(日) 23:47:51|
  2. 思い出のネタ(学生編)

蜂刺されの思い出・1

さて。

だいぶ前になるが、そして多分見た人も多いと思うが、人志松本のすべらない話で、ガタルカナル・タカさんが
「小学生の頃、下校中に友人が蜂に刺されて、おしっこかけて!…と叫びまくった」というすべらない話を披露してはりました。
その話に会場は爆笑していて、私も爆笑しながら聞いていた。
だが、私はそうして笑いながらも、心の片隅に「笑えない部分」も若干あったのです。
何故ならば、私は小学生の頃、蜂に刺されて「実際によそのおっさんのおしっこをかけられたこと」があるのだ。


あれは私が小学校四年生の秋のことでした。

その年の夏、うちのオカンにある病気が見つかって、オカンはその検査や治療で「退院の目処が立たない入院」をしていて、
残った私らは近所の人らや担任の先生らに助けてもらいながら、「終わりが見えない父子家庭」をやっていたんですね。
上の弟は小学二年生、下の弟は保育園の年中組、オトンは35歳、オカンは31歳でした。

と、そんな中。

町内のレクレーションで、保津峡(保津川くだりで有名)という山間に行って、飯盒炊さんをやることになったんですよ。
うちは親に遊びに連れてもらうことがあまりなかった家なんですが、その「秋の町内レク」には毎年家族で参加していて
ただ、今年はオカンが入院しているので、オトンと私らだけでそれに参加することになり、私には「一抹の不安」があった。
何故なら、その町内レクレーションで大人たちはもう毎年漏れなく酒を飲み散らかしての「野外宴会」をするのだが、
そこでうちのオトンは酔うといつも調子に乗って、若干ムチャな「思いつきのオリジナル遊び」をやり始めるんです。
と、そんなオトンを、「お父さん!もういい加減にせんとほんまに怪我するよ!」と止めてくれるのがオカンで、
だから今回そのオカンが同行してくれないということは、もう、「ほんまに怪我」、をする危険性が極めて高いわけですよ。

ちなみに、そうして家族にとっては非常に面倒な存在だったオトンだが、何故か他人からのウケは良かったんですよね。
私は第二次ベビーブーム生まれで、当時は子どもの数が多く、「半分が老夫婦家庭の60世帯ぐらいの町内」にも関わらず、
30人以上の小中学生がいたんですが、そうした子どもらにも、オトンは「おっちゃん、おっちゃん」と人気があった。
「今あるものを使って工夫して遊ぶ」っていう遊ばせ方が、「ファミコン出始め世代の子」には逆に新鮮やったんかもしれない。
ただ、私と弟ら(我が子)は、そうしてみんなが持ってるゲームウォッチやファミコンを買うてほしくてしょうがなかったですけどねww

話戻って。

と、まあそんな不安材料も抱えながら、私ら一家はその町内レクレーションに参加したのですが、
もうまた案の定、オトンを含む町内の大人らはバーベキュー(焼肉やった)をしながらしこたまビールや日本酒を飲みだし、
子どもらは川辺でなんか遊んだり、持ってきたボールでなんか遊んだりして、銘々の時間を楽しく過ごしていた。

と、そんな中、酒飲みばっかりのうちの町内には珍しいタイプのとある下戸のおっちゃん(高倉健似)が
「では私は少し失礼して、この裏山を散策してきますね」とか言って、その宴会の席を立ったんですね。
そのおっちゃんは普段から山歩きが趣味で、山の植物の写真を撮ったり押し花を作ったりするエレガントな感じの紳士で
ただ酒を飲んでアホなことを言うしか脳のないうちのオトンとは、もう真逆のタイプの人だった。

にも関わらず、それを聞いたオトンが、なんとアホ丸出しでそれに便乗したんですよ。

「○○はん待って待って!わしも一緒に行くわwwww」 


「こんな酔っぱらいを伴って山歩きしたくない、普通に山歩きを楽しみたい感じ」の、そのエレガントおっちゃんは、
もう見るからに困っている様子で苦笑いを繰り返していた。

と、ここでオカンがいたらまたいつものように折檻してくれるのだが、今回はオカンがいないので私がオトンに意見したんです。

「お父さん、おっちゃん困ってはるからwwそれにそんなにお酒飲んで山なんか登ったら怪我するって、危ないって!」

すると、私のその意見が酔っぱらいの大人たちになんかウケてしまい、(娘に怒られてるで?ww的な?)、
そのことでオトンは逆にムキになってしまい、
「おまえみたいな都会育ちのヘタレが偉そうに言うな!俺は子どもの頃(山口のド田舎出身)毎日山で遊んでたんや、怪我なんかするか!よーし、おまえらもおっちゃんについてこい!」
とか言って、子どもたちをけしかけたんですよ。

すると「おっちゃん大好き」の子どもらが一斉に「またおっちゃんがなんかおもしろい遊びを考えたw」と早速それに便乗し、
でも、自分の目の届く範囲でなら「多少ムチャな遊び」に子どもが参加してても笑って見守っている母親たちも、さすがに、
この「酔っぱらいのおっさん率いる山登りイベント」には賛成しかねたようで、それぞれ自分のオカンに止められて断念した。


オトン 「なんや、誰も来いひんのか? マツタケ生えてるかもわからんのに」




ハアッ? なにその「誘い文句」???
マツタケ食えへんかっても 「一切」 死なへんけど、
山で遭難したら、ヘタしたら 「ほんまに」 死にますよ?






と、そうこうしているうちに、「山登り好きのエレガントおっちゃん」はすでに出発していて(多分、暗に邪魔なオトンを撒いたと思う)
結局、「オトン率いる山登りのパーティ」は、オトンと私と弟らとマツタケに釣られたおっさん(←こいつも酔うてる)の五人となった。



てか、なにこの「勝てる気しない」ドラクエ。



エレガントおっちゃんに出遅れてしまったオトンは「あかん、追いつかな!こうなったら先廻りや!」とか言いながら
もうどう見ても先廻りできそうにない、逆に冒険家でも嫌がるような獣道を登り始めた、しかも「登ったこともない山」なのに。
そして、本来ならこのパーティで「賢者」であってほしい唯一の大人(マツタケに釣られたおっさん)が早速それに続き、
下の弟がさらにそれに続いて行ったんだが、上の弟は五歩ぐらい登った段階からもうすでに泣きだし、遅れをとり始めた。

私「あんたもうやめとき、戻り。今なら戻れるから、下見えてるから。みんながいるあそこで待っとき」
上の弟「でも、一人で下で待ってるのもいやや…(泣いて座り込む)」
私「だからそうして泣いて座り込んでたらほんまにはぐれてまうんやって!登るか戻るかどっちかにしろ!!!」
上の弟「ううう…。うう…。(←嗚咽) の、登る……」


と、そうして、

先頭集団(オトンら)から遅れをとった私と上の弟がそこに追いついた時、私は左のこめかみにチクッとした痛みを感じた。

それは中からのものでなく完全に外部から来た突然の痛みで、例えば「蜂に刺されたような痛み」だった。
と思った瞬間、私の目の前を左から右へ、今まで見たことも無い大きな蜂が悠々と横切って飛んでいくのを確認した。
この状況・情報を整理すると、私は多分あの「見たこともない大きな蜂に左のこめかみを刺された」と思われる。
よって私は、父親であり、且つ、このチームのリーダーであるオトンにそのことを報告したのです。

私「お父さん、今ここを蜂に刺されてすごく痛い」

すると、わずか一秒後に私のその報告に対する「びっくりする答え」が返ってきた。


オトン「木の枝か何かや。いちいちたいそう(大げさ)に言うな」



「見」 も、しないで。

「聞き」 も、しないで。
 





延べ半年間に渡った、そのオカンの最初の入院中、私は、「今お母さんがいたら…」とか思うことは無かったんです。
それは強がりではなく、ほんまに。
あ、下の弟はちょいちょい、迎えに行った保育園の帰り道で泣いてましたけどね。
「お腹がお母さんいてほしいって言うてる…」とか言うて道端でベソかいて、家までおぶって帰ったこともあった。
あと、上の弟は当番制にしてた「下の弟の保育園迎え」をわずか1週間で放棄しましたね。
「僕だってお母さんいてほしい」って泣いて、おぜん(テーブル)の下に引きこもりやがって、「ほなおまえもうええわ私行くわ」って。
でも、私は「そういうふうになること」が、ほんまに無かったんですよ。
泣いて逃げられへん長子やったこともあるやろけど、「これに対する考え方」が多分違ったんやろなと思うんですね。
「オカンだって、今なにも好きで入院してるんじゃないんやから」と、私はそう考えていたので。
親兄弟身内をあらかた亡くしてきたオカンがやっと持てた自分の家族を家に置いて、一人ぼっちで入院してること。
そして、それまで一切の家事も育児もやらなかったオトンが、仕事しながら懸命に家のこと私らのことをしてくれてること。
そうしてこの「族(家族)」のツートップ(オトンオカン)が、それでもなんとか「この族」を継続しようとして頑張ってるんですから、
「では今この状況においてこの族の一員である自分には何が出来るか?」ということを考えて行動するのが先決だという私は「考え」で。



だが、 「あの事件」で 初めて、
「ここに今オカンがいてくれたら…!」 と 私は心底思った。




何故ならそれは、「一回、一ヶ所、見たこともない大きな蜂に刺されたぐらいでは済まないこと」になったからです。


続く。
  1. 2011/08/12(金) 01:53:51|
  2. 思い出のネタ(学生編)

プロフィール

Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

最近の記事

カテゴリー

FC2カウンター


無料カウンター

月別アーカイブ

よりかね(双子) です。

クリックしたらなんかしゃべるよ。

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。