どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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「笑ってはいけない節分」

さて。

一昨日の夜、実家のオトン(父親)から突然電話がかかってきた。

てか、まあ電話って大概突然ですけどね。
…って、こんなとこを細かく拾うのが、どんつきが常に長文な所以ですね。

オトン「明日、寿司買う予定してるか?」
私「ハア?…寿司?いや、寿司なんか買う予定無いよ」
オトン「鰯は?」


突然電話してきて何を言うとんねんこのおっさんは。


相変わらずわけがわからん。
てか、自分の中でだけで完結してる話の結論だけを言うな。
会話の基本ルールをちゃんとマスターしろよ。


突然電話してきてな。

「寿司」 とか。

「鰯」 とか。

なんやねん。

……。


あっ。


私「節分か!完全に忘れてたわ」
オトン「そうか。ほな明日夕方届けるから用意するなよ」


翌日(節分当日)の夕方、
会社帰りと思われるオトンが巻き寿司と鰯を持ってきてくれた。
「上がって一緒に晩ご飯食べていく?」って言うたほうがいいのかなあと思いながら
私はやはり今回もその一言が言えなかった。
まあ、オトンも今回は
「これから会社の人らと壬生寺にお参りに行く」言うてましたが。


「今回も」

「今回は」


に、ついて、さらに詳しく。


一昨年の暮れ、喧嘩別れの状態で私ら母子が実家を出て
近くに住んでいながら、オトンと私はお互い全く行き来することもなかった。
今年の正月、上の弟から半ば命令的な集合がかかって、
迷いながらも、上下の弟ら家族も一緒に実家に年始の挨拶に行って
ほぼ一年ぶりにオトンと顔を合わせた。
オトンは玄関先で私の顔を見てちょっと涙ぐんで
「すまんかったな」と言って、さらに何か言おうとしていたが、
私はもうなんか両方が両方の言い分で、
「あの時(決裂に至るまで)どう思った、こう思った」
みたいな話の掘り返しや言い合いになるのも嫌なので
適当に交わして中に入り、オカンの仏壇に線香を上げに行った。

それからと言うもの、一~二週間に一回ぐらいのペースで
会社帰りのオトンから、果物やら子どもらのお菓子やらの貢物が届くのだが
私は「上がっていけば?」と言ったことは一度もない。

話せば長いので割愛するが、昨年末、ある方々との出会いにより
「もっと意識して人を大切にしよう」
「もっと意識して人に親切にしよう」と誓った私だが
他人になら出来ることでも身内、特に親子となると逆に難しいもので。
特に、「一旦こじれて完全に決別した親子」の場合。

まあ本編とは関係ないのですが
どんつきを再開するにあたって、どんつきの珍プレイヤーのオトンについて
このまま触れないで進めていくのは無理があるなと思い、あえて書きました。

新規の読者さんにはなんのこっちゃかもしれませんが、まあそんな話です。



話は戻って、節分。

今年の恵方の方角を向いて巻き寿司と鰯を食べるというのが
なんとなく一般的な風習だと思うが
なんか地方によって色々独特のスタイルがあるじゃないですか。

関西は、いや、京都は?
いや、もしかしたらうちの家だけかもしれないが

「巻き寿司(太巻き)を一人一本食べ終わるまで、各々一言もしゃべってはいけない」

「一言たりともしゃべろうものなら、せっかく豆撒きで呼び込んだ福が逃げる」

という恐ろしい掟があるのだ。


「巻き寿司一本食べる間だけ黙ってるとか簡単やん」って思いますか。
違うんですよ。


しゃべるな=声を出すな=笑ってもいけない。


人間というのは不思議なもので、強制的に禁止されると何故か逆にそれがしたくなるのだ。

ダウンタウンのガキの使い~で「笑ってはいけない○○」っていうSP番組がありますが
「笑ってはいけない」って言われると普段なら笑わないことでも笑ってまうんですよ。
それは、禁止されることで自分の笑いのハードルが低くなっているというより
「禁止されてる中で自分を笑わせようと画策しているやつがいるのがおもろい」
っていうことなんですよ。


なんでそれがわかるかと言うと、私はまさに実際に、それを体験したからです。


子どもの頃、節分に巻き寿司食う時は、姉弟間で壮絶な戦いが繰り広げられていた。

「誰も笑ったらあかん場面で、笑わせる戦い」


幼児と小学生の子ども同士のやるネタですから、
出だしの頃はオーソドックスに「変顔」でした。
志村、カトちゃん、いかりやさんの「オチの変顔の顔真似」。
ドリフ・バカ殿は私ら世代の子ども時代にとって、笑いの登竜門でしたからね。

だが、毎年それをやってると、だんだんパクリ芸では誰も笑わなくなってくるので
やはりそれぞれがオリジナリティな笑いを追求し始めるわけです。
様々なネタが生まれましたね。
今でも覚えてる、ブームを巻き起こしたスベリ知らずのネタは

「巻き寿司を初めて見て、食べるまでのゴリラの行動」

「恵方の方角を一人だけ真剣に間違えている人」

「むしろ巻き寿司を食べないでずっと天井を見ているやつ」


もちろん、自分もしゃべったらあかんのですからこれらを全てジェスチャーでやるわけです。
何が難しいって、言葉の説明全く無しで相手にその状況を解らせることが難しいんですよ。
逆に解らせてしまえば、それはもうこっちのペースなんですけどね。


てか、おまえら何してんねんww早よ食うてまえやwww


っていう話なんですが。

今は亡きオカンも当時、このくだらない子ども同士の戦いに付き合ってくれて、
時折笑いをこらえながら、「遊ぶな」と叱らずに様子を見てましたね。
いや、オカンは「巻き寿司一本食べ終わるまでしゃべるな笑うな」を、
なんか本気の風習として遂行してたわけではないと思うんですが
多分、子どもらがなんかおもしろそうにやってんのを見てるのがおもろかったんやと思います。
それは、自分が母親になってみてわかった。

いや、もちろん、普段のご飯中にそんなんしてたらムチャクチャ叱られますよ?
でも、年一回の節分の巻き寿司バトルについては叱られなかったんです。
オトンが食卓に居なかった、っていうのも大きかったんかもしれない。
今でこそわけのわからんおっさんですが、子どもの頃はほんまに恐ろしかったんで。
食事中にちょっとでもぐずぐず言うたりしたらもう
「嫌やったら食うなーっ!寝ろーっ!」ってどつき回されましたから、
あと、ナイター中継で巨人が負けそうな時。

だが、出だしで書いたように、
オトンは毎年必ず節分の時は仕事仲間と壬生寺に参拝して
その後そのままご飯食べ&飲みに行ってたんで、
なんかちょっと緩い感じの「オカンと子どもらの夕げ」やったんですよね。
なんやろな、節分って商売繁盛となんか関係あんのかな?
なんかあったような気がしますね。


節分の思い出といえばあの笑いの戦いが一番印象に残っています。



だがしかし。



歴史は繰り返される。




娘が、オトンの調達してくれた巻き寿司を受け取り、
チビ(妹)に向かって、こんなことを言った。


「チビ、これ全部食べ終わるまでしゃべったらあかんねんで。しゃべったら、福が逃げるから」


おまえ、どこでそれを聞いた?



いや、多分確実に、私が言うたんやと思います。
そういった風習や習わし、しきたり慣例などについての一番の情報源はまず親ですからね。
「節分の巻き寿司食い終わるまでしゃべったらあかんねんでー、福が逃げるねんでー」とかね、
多分なんかでちょっと無意識に言うたんやと思うんですよ、私が。


親がちょっと言うたことも、子どもは覚えてますからね。


歴史は繰り返される。


よって。


昭和平成の時を越え、
「思い出のネタ」から「家族ネタ」へと、どんつきのカテゴリーをも越えて
「笑ってはいけない節分バトル」のゴングが、再び鳴ったわけである。

続く
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  1. 2009/02/05(木) 00:38:07|
  2. 思い出のネタ(学生編)

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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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