どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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「先生、聞いて!」本編

さて。本題です。

園児や小中学生をお持ちの保護者の方々にお聞きしたいんですが

「家庭訪問やら面談で、子どもの担任の先生と何しゃべんの?」


クラス懇談会とかはまだいいんですよ。
ここに集まった大人数の前で、
なんかとりあえずひと笑いふた笑い起こして、全体の空気を温めればいいんですから。
でも、一対一の面談となるとまた話が違うじゃないですか。

先生と二人でしゃべってんのにネタみたいなしゃべりすんのも失礼やし
懇談会でも笑いとるためにボケてるわ、対一の家庭訪問や面談でもまだボケてるわ、って
「このオカン、ほんまに不真面目な親なんちゃうか?」って心配しはってもあれやし
かといって、子どもや学校に対する思いや考えを真剣に語ろうとしたら
そんな短時間では私は無理ですから、
「お母さんから何かありますか?」って聞かれても
「いや~特にないですねー」ってなるんですよ。
先生となんか学校教育や家庭育児にしゃべろうかってなると、
それは広い話になってしまうんで、15分とか20分では話せない。

いや、わかってるんですよ。
今ここで何もそんな広い意味での話し合いをしたいわけではなく、
今は「おたくの子どものこと」について情報交換しましょう、って話なんですよね。
でも、それを果たして今ここでしてしまっていいのかなーって、私は思うんです。

これ、あんまり理解されないかもしれませんが、
「学校で子どもがなんか頑張ってる話とかを親が先生から聞くのは子どもに対して反則かな?」
って、私はそんなふうに思うんですよね。
先生は子どものいいところを細かく見つけはる天才ですから、
色々いいところを見つけてそれを親にも教えてくれはるんですけど、
子どもがあえて親に言わない「自分が頑張ってること」を聞いてしまうのは
子どもの日記を内緒で見てしまったような気持ちに私はなるんですよ。

逆に、
「おたくの子は家ではいい子かもわかりませんけど学校ではとんでもない問題児ですよ!」
みたいな話があるならそれは聞きたいですけど。

「全く存知上げておりませんでした。うちの子どもがご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません」

「家で、とことん、あいつとトークします。」

っていうことになる情報なので。


私は、今も昔も学校という場所は、先生と子どもの聖域だと思ってるんですね。

子どもの学校生活でのことに親がいちいちちょっかい出してしまうと
子どもにとっては家にいるのと何も変わらないじゃないですか。
親が常に監視してて、いちいちうるさいけどいちいち助けてくれる、子どものまんま。

それは、子どもにとって初めての社会体験をね、
今そこでしか学べないことがいっぱいあるその貴重な機会を、
なんかこう、逆に邪魔することになるんじゃないかなと私は思うんですよ。

そら、親は絶対に子どもがかわいいです。
子どもが悩んでるところも傷ついてるところも見たくないし、
もっと言うたら、悩むことも傷つくことも出来れば未然に防いでやりたい。
何故なら、自分も悩んで傷ついてきたから、しんどかったから、
愛する我が子にはあんなこんな思いは出来たらさせたくないと思うからね。

でも、親は子どもの人生にずっとついていくことはできないじゃないですか。

だから、子どもに早く一人前になってほしいと思うし、
親の自分がいなくなっても、一人ぼっちでも生きていけるようにしてやりたい。
そら、実際そうして見る見る子どもが親離れするのは寂しいですけど、
でも自分自身も、一人ぼっちで悩んだり傷ついたり苦しんだり
そんな色んな経験をいっぱいしてきて、こうして生きてるわけじゃないですか。

なのに、自分の子どもにはそれらの練習を全くさせないで、
いちいち監視していちいち保護して、
子どもが自力で作ろうとしている社会にまでずっとずっと関与し続けてきて、
ある日突然、「もうおまえもいい歳なんだから、自分の社会で生きていけ」って、
いきなり巣から飛ばそうとするとか、無理じゃないですか。
自分がそんなんやられたら、ごっつ怖いじゃないですか。
そら、「嫌だ。巣(家)から出たくない」って抗いますよ、しかも全力で。
そうやって巣の端っこで飛び立とうか、やめとこうか、ってビビる子どもを見ると、
親はやっぱり「そんな端っこにいると落ちてしまうから、こっちおいで」と引き寄せてしまう。
何故なら、親だから。


もうね、あのね。



私の尊敬する、かの坂本金八先生が、
自らの育児論について(ドラマの中で)言うてはったんですよ。
「親の仕事は、子どもを一人前の一人ぼっちに育てることだ」と。
私も、そう思います。
一人ぼっちでも考えられる力、解決してみようとする力。一人ぼっちから絆を作っていく力。
そんな「生きる力」を子どもにつけてやることが親の勤めだと私は思うので
家庭というぬくぬくした巣から、
社会という、きついけどおもろい縦横無尽な風が吹く空に飛び立って、
その「一人前の一人ぼっちになる練習」をしてる子どもに、親が出来ることって
ずっとこの巣で待っていて、子どもが巣に帰ってきた時に
子どもが巣の外で一人ぼっちで体験して感じて考えて自分なりにまとめた
「今日の報告」的な、なんかそんなんを聞いてやることかなーって私は思うんですね。

逆に言うたら、外でなんか辛いことが例えばあっても
子どもが何も言わないのに親がそれを無理に探る必要はないと私は思うんですね。
多分、なんか「考え中」やから。子どもは自分で「考え中」やから。
そら、親は気にはなるけど、「あえてここは放っとく」っていうことで
子どもが自分でなんとかしようとする力がつくんじゃないかなと私は思って。

でね。
「自分でなんとか頑張ろうとしたけどなんか限界で、親にもう泣き言を言うた」
ってなってから、親が初めて腰を上げても、私は遅くはないと思うんですよ。

それに今まで気付けなかった親の自分がなんか悪いとか思わなくていいと思う。
何故なら、子どもは「自分で解決してみよう」と努力してたんだと私は思うので。


話戻って。

学校は、子どもが初めて飛び立つ社会だと私は思っています。
だから、学校は先生と子どもの聖域でいいと私は思うんですね。
学校生活の中で従うべき人は、まず先生。
一人ぼっちで飛び立ったその社会は正直怖いでしょうから、
間違っても親が子どもに先生のことを悪く言うとか、そんなんしたらあかんと思うんです。
子どもがそこで何を信じたらいいかわからなくなると思うので。
ただ、もう先生だけでは色々大変なので
保護者や地域の人にも手伝ってもらって、みんなで子どもを育てていきましょう
みたいな機関がどこの学校にも設置されていますが
そういう機関で二年間、活動のお手伝いを私自身してきましたけど
だからこそ、私は今一度、強く思う。
やっぱり、学校は、先生と子どもの聖域であるべきだ、それがいいんだと。

大体、その場の空気はそこにいる当人同士にしかわからないですしね。


例えば。

子どもが学校から帰ってきて、第一声で

「今日、学校で先生に、アホやろって言われたー」

って親に報告したら、子どもの話も聞かないで、その言葉だけを捕えて

「教師が児童にアホって言うなんて!」

ってなって、即座に学校に怒鳴り込む親もいるかもわかりませんけど、

それはようよう聞いたら、
「(学活の時にクラスで壊滅的な笑いを取って先生もお腹抱えて笑って出た言葉が)アホやろw」
っていう、子どものちょっとした自慢話かもしれないじゃないですか。
もしかしたらさらに親にも

「傑作やな!あんたほんまアホやなw」

って、もう一回、親にも誉めてほしいのかもしれないじゃないですか。
初めての社会で子どもが一人ぼっちで上げてきた成果(ウケたそのネタ)を
親にもなんか認めてほしいのかもしれないじゃないですか。

それを、

「教師が児童にアホって言うなんて!」

って、親がなってしまったら、子どもは

「先生から、アホやろって言われるほど、自分は爆笑を取ったんだ!」という誇りが
「子どもにアホっていう先生は悪い先生」っていうことに摩り替わってしまうと思うんですよ。
僕の私の大爆笑ネタが日の目を見ることもなく、どっかに葬られてしまう。
子どもって素直で、親の言うことは正しいものだと思ってますからね。

しかも、逆にそれで済んでるうちはまだいいけど(いや、良くはないけど)
子どもは恐ろしい速度で成長しますし、あいつら賢いから、次第にわかってくるしね。
「あかんわ。なんかわかってないわ。うちの親はモンペ予備軍やわ」って、そうなったら、
もう、子どもは親になんも話さなくなるんちゃうかなと私は思うんですよ。


まあ、色々述べましたが。

それらを踏まえて、私がもう一回お聞きしたいことは。


「家庭訪問やら面談で、子どもの担任の先生と何しゃべんの?」


逆にりっさんは何をしゃべってんの?って?

あのねー。「雑談」ですね。なんかほんま雑談。

娘の家庭訪問では45分、先生と雑談しましたね。
先生も「実は私も離婚歴がありまして」とかまさかの暴露するしね。

でも、どんな「子どもの担任の先生」と面談をしても、
どんだけ話が反れても、私は最後に必ず私の持論を、先生に言います。

「学校は、先生と子どもの聖域だと私は思っていますから」



ん?何?

「今はそうして子どもを預けられる先生ばかりじゃないで」って?

逆に言いたいのは


「今も昔も、そんな先生ばかりじゃないで」


子どもを育児していくことで親が親になるのと同じで、
児童や生徒を教育していくことで先生は先生になるんだと私は思うんです。
親が最初から親ではないように、先生だって最初から先生ではない。
それは、学校という先生と子どもの聖域で築かれていくものだと私は思うんですよね。
そんな、「彼らの聖域」を、外野は邪魔したらあかん。



「マスク送るわ」って電話してきてくれた東京のツレ、ありがとう。
どこにもマスクあらへん中で、有り難く分け合うわ。

「マスク探したけどこっちももうないわ」って連絡くれた博多のツレ、ありがとう。

直接経過報告してきいひんけど、なんかマスク探してくれてるらしい新潟のツレ、ありがとう。



それと、
「私に、あちこちから色々助けてくれるような仲間を作る力、そうして自分で生きていく力」を、
私につけてくれたオトンオカン、ありがとう。
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  1. 2009/05/20(水) 03:05:36|
  2. 学校・PTA・役員ネタ

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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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