どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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シバいたったらええねん!・3

さて。 この 続きです。

それから一ヵ月ぐらい経った頃かなあ。
ちょうど夏休み中のことでしたね。

学校辞めたヘタレのゴミ岡こと、○岡先生が新聞に載ったんですよ。

先生の描かはった絵が、なんかもの凄い賞を取ったとかでね。
たいそうな額に飾られてどっかの会館に展示されてるその作品と、
その横で先生が自分の子ども抱いて傍らに嫁さんが立ってて、っていう写真付きで。
その記事をみつけた部活のツレが、夏休み中の部活の時に
学校にその新聞を持ってきて、うちらは大騒ぎになりました。

「先生って凄い人やったんやなあ」
「ちょー見て、副賞100万円やって!」
「何っ?100万円っ!?」
「○岡先生やるなあ~」


夏休みが明けて、クラスでまたそのことが話題になった。

「新聞見た?」
「見た見た!でっかい絵やったな~あんなん一人で描いたんかな?」
「賞取るとかすごいよなー。これから絵描きにならはるんかな?」
「そら、ならはるんちゃうかー?こんなでっかく新聞載るぐらいやもん」
「まあ結局、○岡先生は先生辞めて正解やったんちゃう?」
「……。」
「……うん、そうかもしれんな」
「うん。せやわ。先生辞めてよかったんや」


おまえらは何を言うとんねん っていう話なんですが。


私らクソガキどもが言うこと聞かんで先生を辞めさせた、と言っても過言ではないくせに
クソガキはクソガキなりに「見捨てられた」みたいな気持ちがあったので
なんかそんなふうにして自分らの気持ちを消化しようとしていたんだと思います。

だが、先生のその受賞によって私らの中の先生のポジションは確実に変わった。
まず、○岡先生を「ゴミ岡」と呼ぶやつは一人もいなくなった。

今までは、他のクラスのやつに「ゴミ岡学級w」と、からかわれてムカついていたが
逆に、なんや言うたら「こんな凄い○岡先生のクラスの生徒」っていう誇りが芽生えて
なんか、○岡先生という存在は「僕らのクラスのヒーロー」になった。

でも、ほんま言うたら、先生は学校を辞めてもうたから、
もう逆に、「僕らのクラスのヒーロー」ではなくなってしもたんやけど。


そんなある日。

休み時間に校舎二階の窓から中庭のほうを見るとは無しに見下ろしてしゃべってたら
中庭の向こうに続く、ずっと奥の裏門から、○岡先生が歩いて来るのが見えた。

「○岡先生や!」
「えっ!?うそ、どこ!」
「ほら、あれ見てみ!」
「ほんまや!そうやわ!」

「先生ーっ!!!○岡せんせえーっ!!!」

みんなでおもくそいっぱい手振りながら叫んでたら、先生は私らに気付いて

「おう~!」って、手を上げた。


先生が気付いてくれた!っとなるともう逸る気持ちが押さえられなくなって
私らは転げ落ちそうな勢いでダッシュで階段を降りて先生のところに走ったら
○岡先生は、私らに囲まれながら、今まで見たこともないような笑顔で笑っていた。

「新聞見たで、先生凄いな!」
「○岡先生、良かったなあ!」
「先生がそんな凄い人と思ってへんかったわw」
「先生、絵描きさんになるん?」
「先生にちょっと直してもろたあの俺の絵も高くで売れるんかな?w」
「っていうか売るなよ!w」
「アハハwww」


退職関係の書類を持ってきたんやと言う○岡先生はちょっと目を潤ませていた。
「君らが僕の受賞を喜んでくれるとは思わなかった」と言っていた。

その言葉を聞いて、私らは「今までほんまに先生に悪いことをした」と思ったが
いかんせん人間としてまだまだ未熟な、齢14歳の中学二年生だったので
「先生ごめんなさい」と、誰も、誰も口にしてはよう言えなかった。


まあそんな感じで。

○岡先生とはそんなふうに、
○岡先生自身が自分の才能を持って凄いことをやらかさはったことで
なんか嫌な別れ方をした後でも、わだかまり的なものがチャラにはなったけど
そんなケースはいわば「ミラクル」だと私は思う。



よって、やはり私の持論は

シバいたったらええねん! です。


ただ、誤解してほしくないのは何も

「言うてわからんアホには体で教えるしかない」

っていう、そういう諦めにも似たことではないんですよ。
大怪我したり骨折したりするまでボッコボコにどつき倒さなくても、いいんです。
そこまでせんでも、一発「パーン」と入れたるぐらいで十分なんです。
何故ならば、
大人から見たら「何も考えてないどうしようもないアホども」に見えるかもわからんけど
子どもにしたら「自分はアホなことしてるな」っていうのは、実はわかってるから。
さらに、こんなことがいつまでも許されるわけがないこともちょっとわかってるから。

なんていうか、「気付け(きつけ)」とか「目覚まし時計のアラーム」的な感じでね。
なんかこうちょっと「パーン」と一回シバいてもらうことで、逆に、
クソガキ側にしても、なんか切り替えがしやすいとこも正直あるんですよ。


自分が「今どう見てもあかん、悪い」ってことは子どもなりにわかってるんです。
これは教育現場に限らず、家庭内や親子間でもそうなんやろうと思う。
子どもは大人が思ってる以上に、自分があかんことしてるんをわかってる。

だから、自分は十分自覚してんのに、なんかこう、
君の意見も尊重するよみたいな遠回り的な感じで「でもダメでしょ」とか言われたり
そして最悪なパターンとして
「あなたをそうさせたこちらがむしろ悪いんだと思う」
みたいな持っていき方をされると、反省する機会を奪われてしまうんですね、逆に。
先にこちらがちょっと折れてあげれば、
なんかそれに安心して折れてくるんじゃないかと思ってるんかもしれんけど

それは間違ってんねん、完全に。


それやったらもう、いっそわかりやすく「パーン」シバかれて

「おまえそんなもんあかんで。考えてこい」

って、そんなふうにパーンとやられるほうが
自分のあかんかったことはあかんかったこととして反省して、切り替えやすいんですよ。

そら、なんかシバかれたら、口では「何すんねん!」とか言いますけど、
そんなんは、ハッタリと見栄としょうもないクソガキのプライドだけのことですし
「自分が悪いことしてシバかれたのに、なんかまだ開き直ってる自分」
が、今だいぶイケてないってことは、実は自分でもようわかってるので。
いつまでもしつこくそんな「シバかれて逆にキレる」っていうかっこ悪いことをやり続けませんしね。

ただ、ひとつだけ、「シバいてあげる先生」に気をつけていただきたいのは

うちらがガキの頃は「顔や頭はシバくな。やるならケツをシバけ」っていう風潮やったけど
今は逆にガキのケツをシバくことで、セクハラとか淫行とか言われてしまうこともあるので
今の風潮においては、クソガキには顔(頬っぺた)を張ったるほうがいいと思います。
グーパンチ(拳)ではなく、必ず、平手で。

グーパンチは平手と違って「拳骨」が当たる形になるのでけっこう威力があるので、
シバかれたクソガキが自分の歯で唇の端や口の中を切ってまう可能性も高いので
クソガキ本人は「自分が悪いことして先生にシバかれた」ことを納得してても、
今やそのクソガキの親が、自分とこの子どもの愚業を棚に上げて
「口の中を切って血が出るほど殴った暴力教師!」とか「治療費!慰謝料!」とか
なんかそんなん言うて騒ぎだしてしまうこともあるかもしれないので。


「りっさん、先生生徒のシバき愛の時代は終わったんだよ」

って思います?

まあ確かにそれもあるのかもしれないですね。
なんか今もう、実質関係ない外野のやつらがほんまいちいちうるさいですからね。


でも、私が思うのは

「時代がどんだけ変わっても、子どもらにとっては、
自分が初めて外に出た、学校というその社会の中で、
見る・感じる・思う・学ぶ・ふざける・気付く・考える、
その中で自分自身が成長していくその過程は、
実は昔からそんなには変わってはいないんじゃないかな」



ご静聴ありがとうございました。



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  1. 2009/09/19(土) 22:58:56|
  2. 思い出のネタ(学生編)

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りっさん

Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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