どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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道に置いてきた恋

さて。

踊る大捜査線3の映画が絶賛公開中ではありますが、私はまだ観に行ってません。
っていうか、「踊る~」に関してはまたあえて映画館には行かないかもしれない。
何故なら、私はほんまに好きな作品は、やっぱ家でゆっくり観たいんですよね。

映画好きのツレらは、
「映画は映画館で観る用に創られてるんやから映画館で観たほうがおもしろいって。迫力が全然違うよ」
とか言うのだが、私は誰に何を言われても
「でも、私は好きな作品はやっぱ家でゆっくり観る」という信念を曲げられずにいる。

その一番の理由は、やっぱ「途中で止められる」ということですかね?
「今のシーン、ちょっと何?」とか「その話、なんかちょっと聞いたことある」とか
そういう、気になることがあった時に、家(ビデオ)ならその場で止めて巻き戻して確認できるじゃないですか。
あと、「うわ~ええアングルで撮ってはるなあ」とか「今の、なんとかっこええ台詞!」とか
そういう時も、止めて何回も何回も観てもうさんざんそのシーンで余韻に浸ってから次のシーンに行ける、とかね。
なんしか、気になったこと気にしたまま、とりあえずで先に進むのがいやなんです。
なんかそういうめんどくさいやつなんですわ。

っていうか、この夏は踊る3を観る云々より、
夏休みに町内の子どもらを映画に連れていかんとあかんのですよ。
今年、地域委員なんでね。子ども会からのお楽しみイベントとして。
こないだ学校で「夏休みの生活に向けて」の子どもらの児童集会があったんで、
地域委員は学校からの召集があって、私も仕事抜けて一時間ほど行ってきたんですが
その時に「君ら、今年は夏休みの映画なに観に行きたいねん?」と聞いたら
アリエッティだのトイストーリーだのヒックとドラゴンだの、みんな好き好きに言っていたが
踊る~が観たい!という子はやはり一人もいなかった。
と、そんなところに天然素材のもも(1年生の下の娘)が
「ももちゃんのママはおどるだいそうさせんが好きなんやって♪…な~ママ~?」
などといらんことを言うたもんやから事態は一変し、

6年生の班長くん「…そうなんや…。…じゃあ、どうする?今年は踊る大捜査線にする…?」
5年生の男の子くん「ううう……うん…まあいいけど…」
6年生の副班長いちご「大人の人が子どものアニメ観てもおもしろくないかもしれんしな…」

低学年の子ら「えええーーーっっっ!!!」 ←大ブーイング

私「wwwいや、みんなありがとありがと。おばちゃんに気ぃつかわんでええから。君らが観たい映画でええからw」


ひとつだけ思ったことは


冷めてるヒネてると(一部のマスコミ情報で)悪名高い今時の子どもたちも、
昔の子どもらとなんら変わらない、純粋でかわいいとこもありますよって。




さて、そんな感じで今日の本題。


踊る3の映画を上映するにあたり、二週続けて過去の踊る~映画作品をフジが放送してましたが
昨日の夜は踊る2を放送してましたね。

「レインボーブリッジ、封鎖できません!」

の、あの作品ですね。

これは踊る2の上映当時から「裏話」として地味に明かされていましたが、
あの劇中の青島くんの「レインボーブリッジ封鎖できない」の台詞は、実はもう「ガチ」なことで
レインボーブリッジ上のシーンはレインボーブリッジを実際に封鎖して撮ったものではないんですね。
てか、東京及び東京近郊に住んでる人にはリアルにわかると思うがあんなもん簡単に封鎖できるわけがない。
レインボーブリッジを難なく封鎖することができるのは、逆に「暴雨風警報」ぐらいちゃいますかね?
相手がそれ(残念な天候)なら、「運送業の人々」もそれは諦めて得意先への交渉や善後策を考えるでしょうけど、
「映画の撮影でちょっと止めます^^」は、「ハア?無理。」でしょうしね、レインボーブリッジ使って仕事してる人にしたら。

と、多分そんな事情もあって、レインボーブリッジを封鎖しての撮影は難しいと思ったディレクターさんが
「レインボーブリッジの道なり(形状)に類似酷似していて、尚且つ、一時的に封鎖できる、上の道(バイパス)」
を、全国廻って必死で探してきはったのが、京都と滋賀を結ぶ「京滋バイパス」だったそうで。


京都生まれ京都育ちの私にしたら

「あんなとこよう見つけてきはったなwww」

って逆にもうこっちがビックリするぐらいのことでした。


走ってる車より飛び出してくる鹿のほうが多いんちゃうか?というぐらいの「超田舎のバイパス」ですからね。
しかもあのへんのバイパスって、なんかしらもうごっつ昔からずーっと工事してるんですよ。
「え、まだやってんの?てかむしろ完成させる気すらもないんちゃう?」っていうぐらい。

私はその踊る2の撮影当時は関東に住んでたんですが、
レインボーブリッジ上の撮影は実は京滋バイパスでやった、という話を聞いて
「ああ、なんかそんなんあったな」とそこでようやくあのバイパスを思い出したぐらいのバイパスで。


「踊る~スタッフ、マジぱねぇ(半端ない)っすww」





さて、本題に戻って。


そんな、「なんかずっと延々工事してる印象しかない超ど田舎のバイパス道」を、
実は私も若い頃、「彼氏の車」でやたらとドライブをしていたことがありました。
高校卒業して会社に入りたての、18才か19才ぐらいの頃でした。

その彼と出会ったきっかけは、私が高卒で就職したその会社の「中小企業合同新人研修会」で。
今のこの厳しいご時勢の中で就職活動をしている学生さんに、
逆にあれをもうどう説明したらいいか非常に難しいんですが、要は

羽振りのいい「中小企業グループ」の会社に就職した新入社員が、
同等レベルの(羽振りいい)中小企業(他社)の新人同期(200人程)と共に
これから社会に出るにあたっての社会人研修を、「そこそこのホテル」で
会社に全面カネを出してもらって「一泊二食付き」で受けさせてもらえる、みたいな、
いわばそんなバブル臭満載の研修会が「中小企業合同新人研修会」だったんですね。

よって、あの一泊研修会ではほんま色んな会社(業種)から来てる「同期」がいました。
と、その研修会の時に、同じグループ(15人ぐらいやったと思う)にいたのが、彼で。

彼は結構はっきり意見を言う人で、さらに人の話を聞くのも意見を引き出すのも上手かったので
彼は自然と、うちのグループのリーダー的な存在になっていた。
そして私も、あるテーマや課題について話し合うみたいなことは結構得意なほうなんで
場が煮詰まった時など、彼のほうから「りちさんどう思いますか?」とか振ってくれたりして、
私と彼は、出会ってからものの数時間で「テツ(仮名)」「りっちゃん」と呼び合うぐらいの仲になった。
つーかそのグループ自体がみんな仲良くて、おもろいええやつばっかりやったんですよね。
他のグループは休憩時間になると、席を離れて自分とこの会社の同期とたむろしていたが
うちのグループは誰も席を立とうとせず、ずっとしゃべって大笑いしていて。
クセのある教官のモノマネしたりとかね。逆に違うグループの人も話に寄りに(笑いに)来てたぐらいで。
だから私とテツだけがなんか怪しい雰囲気?とか、そんなんではなかったんですよね。

と、そうして、一泊二日の研修が終わる最後の別れの時、
テツが「これ、俺の連絡先」と言って、社員寮の電話番号を書いた紙を渡してくれたんで
「ああ、じゃあ私も家の電話番号教えとくわ」と言って、でも手元にちょうどええ紙がなかったので
テツの手の甲に、当時一人暮らしをしていたマンションの部屋の電話番号をささっと書いた。

そうして別れた私たちはそれから全く連絡を取り合うことも会うこともなく、
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎて冬に差し掛かった頃、
平日の夜の11時ぐらいに、突然「俺のこと覚えてる?」とテツから電話がかかってきた。

久しぶりやんか元気してたん?的な雑談をお互い一通りして、テツが
「今からりっちゃんの家に行ってもいいか?」と言うたので、私は
「いや、そらできん、処女やから(←←←)おとうさまから男を部屋に上げるなときつく言われてるから(←)」
と言ったら、テツは笑って「わかった。じゃあ迎えに行くからちょっと出てきてくれへん?」と言い、
私は「ちょっとやったらええよ」と言って、マンションの場所を教えた。

「30分ぐらいで着く」とテツが言ったので、私はその時間に合わせて
マンションの下に降りて、道端でテツを待っていた。

あ、ちなみに携帯とかなかった頃の話です。
いや、あるにはあったけど、入社一年目のガキが簡単に持てるような代物ではなかったんで。

そうして30分ぐらいして、テツが街灯の薄明かりでもわかるぐらい
ピカピカの真っ赤なGTOに乗って現れたので、私は思わずもう笑った。

かつて走り屋の人と付き合っていたこともありながら、やたら車に疎い私が見てもこれはごっつええ車。
少なくとも、入社してからまだ夏のボーナスしか出てない、寮生活中の新人リーマンがポンと買える車じゃない。

私「ちょー、あんたどえらい車乗ってんのな?500万ぐらいするんちゃう?」
テツ「うん、まあ俺が買ったんちゃうけどね。就職祝いでおばあちゃんが買ってくれた」
私「就職祝いでおばあちゃんが車買ってくれた?…自分、ひょっとしてボンボンか?」
テツ「ボンボン…かもな~。田舎の子やけどw」

と、そんな感じで私はテツがおばあちゃんに買ってもらったGTOに乗せてもらって
「ドライブしたいけど実は京都市内の道、まだあんまり詳しくない」というテツに
「ほなテツのよう知ってる道でええよ」と私が言ったら、テツが
「俺の地元に工事中のバイパスがあってな。あそこやったら車も少ないし、俺の地元に帰ろうか」と言うので
「うん、だからもうどこでもええよ。って何回言わせるねん?」と私が言ったら、
テツはほんまにこのわたくしを「京都と滋賀の境目のど田舎」の地元に連れて行きやがった。



「工事中の京滋バイパス」を、夜中にドライブ。
それはもう、「すれ違う車」すらも延々となく。




そうして、工事中のど田舎のバイパスをなんか迂回したり、途中真っ暗な道端で停まったりと、
そんな、「全然スマートではないドライブ」をしながら、私とテツは色んな話をして。
っていうか、場所がテツのホーム(地元)だけに、
それは概ね、「テツはここでどんなふうに育ってきたのか」を私が聞く、って感じで。

テツは一人っ子で、ずっとおじいちゃんとおばあちゃんに育てられてきたらしい。
というのは、テツのお母さん(も、一人っ子)が結婚を決めた人(テツのお父さん)が
どうも、おじいちゃんおばあちゃんのおめがねにかなう人ではなかったらしく
ただ、お母さんのお腹にはすでに子ども(テツ)がいたので
当家の跡取りとなる孫(テツ)はうちで育てるということを条件に
おじいちゃんとおばあちゃんはお母さんの結婚をお許しになったそうで。

私「そうなんや~。え、お父さんってどんな人なん?」
テツ「ええ人やで、無口やけど。ショットバーの店してはる」
私「あーそう。え、お母さんは今どうしてはるの?」
テツ「○○病院で看護婦長してるよ」
私「へー、そうなんや~?」
テツ「おばあちゃんも若い頃は看護婦長してたんや。引退してからはずっとお茶と日本舞踊の先生してるけど。だからうちは看護婦家系で、俺も看護士になろうかなあって前に言うたことがあって、そしたらおばあちゃんにそれは許さんって言われて。看護婦もきついけど男の看護士はさらに就労環境が劣悪やから、って」
私「そうか~。だからテツは今の会社(義手とか義足とか作る会社やった)に入ったんや?」
テツ「うん。そんな家で育ってきたからやっぱ医療関係が一番身近に感じる仕事やったから。一緒に暮らしたことない母親のことも、育ててくれたおばあちゃんのことも俺は尊敬してるしな」
私「あーそう。え?ちなみにおじいちゃんは?」
テツ「おじいちゃんはなんか商売とかしてたみたい。俺が高校生の時に亡くなったけど。婿養子やねん。お父さんも婿養子。で、俺が久々にこの家に誕生した男の子」
私「なるほどな。テツは期待のホープやったわけや?w……てか、さっき、自分ボンボンか?とか言うてなんかごめんなー」
テツ「なんで謝るねんwww俺はボンボンやで?w」
私「なんか、ほんまごめんな」
テツ「……。」


てなわけで、


私とテツは付き合うことになった。


どんなわけやwwwww 
 って話なんですけど、


私とテツは付き合うことになった。


なんか「ある」じゃないですか。こう、若い頃ってなんかそんなんあるじゃないですか。


続く。
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  1. 2010/07/19(月) 02:04:12|
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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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