どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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帰省の思い出

さて。

こないだ別れた元旦那から電話かかってきたんですよ、晩に。「お盆休みどっか旅行とか行くん?」と。

私「いや?どこも行かんよ」
元旦那「えーまたあ~?どっか旅行連れたれや~子どもらかわいそうやんけ~」
私「うっるさいなーいっつもいっつも!頑張って育ててるんですよこれでも。っていうかそんな小姑みたいなこと言うために電話してきたんやったらもう切ってええかな?今日は疲れてんねん」
元旦那「おまえさー、俺が電話した時いつも疲れてるよな?体大丈夫なんけ?」
私「てかもっと言うたら、君と話すと疲れてくる、が正しい表現かもしれませんw」
元旦那「www」

元旦那の用件は
「お盆に一日ぐらい休み取って(子どもらに会いに)京都行こう思うんやけどお盆は京都にいるんか?」
というお伺いだった。

ほな最初からそれだけ聞いたらええやないかほんまうっとしいわ~~~

まあでも元旦那が長い休みのたびに「子どもらを旅行に連れていけ」と言うてくるのもわからんでもない。
何故ならば彼は「そういうお家」で子ども時代を過ごしてきた人だからだ。
元旦那の実家はお父さんが不動産関係の自営業をしていて、
うちの親はサラリーマンなのでようわからんが、なんでも自営業の人は
「儲けた分だけ経費を使わんと確定申告でどえらい額の税金を払わなければならない」そうで
まあそれもあって年に二回はおじいちゃんおばあちゃんも誘って家族旅行に行き、
まさに「不動産屋ウハウハ」のバブルの頃なんぞは長期旅行で海外にも連れてもらったらしい。
だから、彼の中では「長い休みは家族旅行に行くべきもの」とインプットされているようだ。

だが私は家族旅行はおろか家族で映画や遊園地にすら行ったことがない子ども時代を過ごし
私が就職してから私の招待でオトンとオカンを温泉に連れて行ったのが初めての家族旅行なんで、
(弟らはもう高校生になっていたので友達優先&思春期の照れもあったのかついてこなかった)
よって、そんな「長い休みは子どもを旅行に連れて行くのが当然」みたいな感覚は私の中にはなく
そんな私が育てているいちごとももにも「連れてもらって当然」という感覚はないようで
うちはそれでなんかうまく回っているので、かわいそうがられる筋合いはないのだ、だからほっとけ。

っていうかそもそもお盆休みは「故郷ダイスキ」のオトンの大決定により
毎年オトンの実家(山口のおばあちゃん家)に帰省してましたから
言うたらそれ(帰省)がうちの家族旅行だったんですよね。
元旦那いわくは「帰省は家族旅行ではないよ」らしいが、だからもう一生言うとけ。


さて、そんな感じで今日の本題。

「帰省の思い出」。


オトンの故郷は目の前が田んぼと畑、その向こうに海、横と後ろは全部山、という正真正銘のど田舎です。

今は兼業農家だがオトンの子どもの頃は専業農家で、オトンも子どもの頃から畑仕事を手伝っていて
畑仕事に使う牛とか馬を納屋で飼っていて、それら家畜の世話の手伝いもしていたらしい。
そんな家の手伝いが嫌で時々ぶっちして、家の馬を勝手に持ち出して友達と海辺で乗って遊んだりしていて
日が暮れておそるおそる家に帰ったら父親(私が生まれる前に死んだ、私のおじいちゃん)に
「おまえはなんで今日畑に来んかったか!」と、鎌をブン投げられてくるぶしがざっくり切れて流血、
さらには晩ご飯抜きで納屋に放り込まれ、真っ暗な中で馬と一緒にしくしく泣いていたら
母親(私のおばあちゃん。今だ健在)が竹の皮に包んだおにぎりをそっと持ってきてくれて
「やった!助かった!これで母屋に戻って眠れる!」と思ったら、ところがどっこい
「父ちゃんの言いつけ守らんやったあんたがいけん。明日の朝、父ちゃんに謝りぃよ」と言われて
ガチでそのまま納屋に置いて行かれ、馬の藁の上で泣きながら寝た、と、なんかそんなど田舎で。
まあ「畑仕事サボって激怒した親父から鎌を投げられて流血云々」のあたりは

りっさんそれ、ど田舎無関係w

って話かもわからんが、オトンの故郷はなんかまあそんなど田舎で。
数年前に平成の大合併で「市」になりましたが、それまでは長いことずっと「郡」で「大字小字」でした。

京都から帰省する際、新幹線降車駅で言うと一番近いのは「新下関」という駅になるんですが。
近いって言うてもそこからさらに電車で2時間ぐらいかかるんで正直「新下関駅」はもう全然近くない。
そしてさらに、毎年帰省していた当時はまだ「のぞみ」がなく「ひかり」が最強だったんで、
京都を出て「大阪」「広島」と停まってその後もう終点「小倉」まで行ってまう最短のひかり号があって
(てかのぞみが走るようになってからひかりには乗らなくなったんで今もあるかはわからん)
それがうまく取れたら、あえて関門海峡を越えて「小倉(九州)」で新幹線を降りて、
小倉から違う電車に乗り換えてまた関門海峡を渡って新下関に戻るほうが結果的に速いからいっそ小倉まで行く、
とかそんな「地図で言うとわざわざ遠回り」なことをした年もありました。
てかこれ、JR西日本の下り路線とか知らん人にはあまりピンとこないかもわかりませんが。


中国地方出身の君らと、九州地方在住の君ら「チーム・西日本」よ、
「あるあるw」「やるやるw」「それわかるw」って、なんか笑ろとけw



話戻って。


京都の人間はそもそも、他県と比較して、就職や結婚で京都の外に出ることがほんまもう極めて少なく、
例えば大阪の会社とかに就職してもそれは実家から全然通えるから実家(京都)からあえて出ることもなく
そうして結婚するまで京都にいて、京都で恋をして京都で結婚して京都で家庭を持つケースが多いので、
必然的に「両親とも京都出身です」という家庭に育つ子どもがもうダントツに多い。
よって、「新幹線に乗って両親の故郷に帰省すること」が京都の子どもたちには少なく、
「修学旅行で初めて新幹線に乗れるのが楽しみ!」という、そんなツレらから、
赤ん坊の頃から帰省で毎年新幹線を乗り倒してきた私はちょっと羨望の眼差しをも受けてもいたのだが、
逆に私がひとつだけ言いたかったことは、「おまえらなんかもう全然わかってへんわ」と。

…てか、これ言うてええんかなあ?
歴史的背景も踏まえてあれは無罪、あるいはもう時効やろし、まあもう言うたってもええかw


あのね。

新幹線の乗り方にも、それはもう「色々な乗り方」がありましてね。



うちのオトンは「半人前の子どもに席なんかいらん。どうせじっと座ってへんねんから」っていう考えの人やったんで
毎年、「全員分の乗車券」+「D、E席(2列シート)の指定券」だけを取ってその席にオトンとオカンが座り、
その足元に新聞紙を引いて、うちら三人姉弟はそこで三角座りをして凌いでいたんですね、
新幹線に乗っている5時間ぐらいの間、幼児と小学生の子どもたちがずっと足元の新聞紙の上で三角座り。


今やったらおそらく、「オトンのブログ」はなんか炎上し、
「子どもを虐待する親とか、もう死ねばいいのにね」
とか、なんかそんなん言われていただろうと思う。



ただ、オトンを庇うわけではないが、昭和ってなんか「そう」だったんですよ、「なんか、そうだった。」
だから他の乗客もそんなうちの家族を白い目で見てヒソヒソ話したりザワついたりとかしなかったですし、
私ら自身も「自分らは親からとても屈辱的なことされている」とかそんな鬱積は全くなかった。
切符確認に来る車掌さんに怒られたり注意されたこともなかったですしね。
足もろくに伸ばせない中でしょうもない兄弟喧嘩したり仲良く弁当食べたりするのがおもろかったし、
「僕らの秘密基地」的な、「(子どもである)今だけ」のその空間がなんかとても好きでした。



話戻って。


オトンの実家(本家)の最寄り駅は天下のJR(旧・国鉄)なのに駅員さんがいない無人駅で
ホームの内と外の境界に白線が引いてあるだけの「改札」に置いてある箱に切符を入れる時
「ほんまにこんなんで(降りて)いいの?」と、私は毎回ビクビクしていた。
ちなみにオトンはそのローカル線で二つ向こうの駅の高校に通っていたのだが
電車の時間に遅刻した時は手を振って電車を追いかけながら線路脇を走り、
車掌さんがそれに気付いてくれたら途中で電車を停めて乗せてくれた、と言っていた。
まさになんでもありの「田舎ルール」。田舎おそるべし…。

あと、田舎おそるべしと言えば「なんでも屋のお店屋さん」。
オトンの実家の近所に唯一、一件だけ個人商店(お店屋さん)があったんですが
「ここは何屋さん?」って思うぐらい、なんでも一緒くたに売ってるんですよ。
各品のバラエティは豊富ではないながらも、
食品から洗剤から文房具からお酒からもうなんでもひと揃えはひと通り置いてある。
豆腐の横に靴下がぶら下がってるんですよ?そしてさらにその横には花火が置いてある。
「ここはなんちゅう節操のないお店屋さんなんや?」と子ども心に思ったが、
今でいうところの、あれはもう「コンビニ」やったんかもわかりませんね。

ちなみにその店の前に「やっと、村で最初の自動販売機」が出現した時は、
「自販機でジュースを買ってみたい村人によるプチ行列」ができたらしい。
なんかもうカルチャーショックにもほどがあり、逆にもうついていけません。


まあそんな何もないところなんで、オトンの故郷滞在中は「基本的に暇」でした。

おばあちゃんや本家のおっちゃんは畑仕事で昼間いないし、本家のいとこは部活で学校行ってまうし。
オトンは高校野球見てるか、同じく帰省してきた兄弟と昼間から飲んでるし、
オカンは本家のおばちゃんの手伝いで台所に立っている。
海が近いので、帰省組のいとこらと海に行こうとしても「子どもだけで行っちゃいけん」と止められ
しょうがないので大人の宴会が終わるまで、畑仕事の道具が置いてある薄暗い納屋とかを探検したり
あと、本家ほどど田舎ではないがまあまあ田舎に住んでるやんちゃな分家のいとこの兄ちゃんらが
青蛙を捕まえてお尻にバクチクを突っ込んでこっぱ微塵にしたりするのをドン引きしながら見学していた。
ゲーセンの機械をいたずらに破壊することはできても、青蛙をいたずらに破壊することはようできない。
ある意味ほんま怖かったです。「田舎の子」のそんな無邪気ないたずらが。


余談だが、田舎の子ども(特に男の子)はなんで道を歩く時、
そこらへんに落ちてる木の棒や長い草を拾っては振り回しながら歩くのかが不思議でならず
それは最近までずっと私の中での永遠の謎だったのだが、
こないだ彼氏さん(千葉の田舎出身)にその質問をしたら、「(あれは)武器」と、あっさり言われた。

私「武器???てか何と戦うねんwそもそも(田舎には)歩いててすれ違う人すらほとんどおらんやんかw」
彼「いや、いるんだよ敵が!襲ってくるの!…まあ道端の木とか草なんだけどねw」
私「そうなんや~~……なんか(妄想が)忙しいんやな~田舎の子は……」
彼「…ん?今ちょっと田舎の子をバカにした?」
私「いやいやいやwwなんか頑張ってくださいw」


話戻って。


だから、オトンの故郷の滞在中は「基本的に暇」でした。

小学生の頃はそれでもそれなりに多分そのど田舎感覚を楽しんでたと思うんですが
中学生になった頃から「基本的に暇」が「もうほんまに暇」になり、さらには「退屈」にもなってきた。

なんかもうあまりにも暇過ぎて刺激が無さ過ぎて、
「なんかもう(来年からはこの帰省は)いいかな」って思うようにもなってきた。
「このど田舎で私が得るものはもう何もないわ」ぐらいの感じで。


そんな私に「風」を運んできた、とある「出会い」がありまして。
あれは忘れもしない、中学二年生の夏の帰省中のこと。

暇で暇で退屈で居場所がない私が、本家の敷地の前の私道の脇でヤンキー座りでボーっと佇んでいたら
なんか、道の向こう側からごっつこっち(私)を睨んでるおない年ぐらいの金髪の女がいたんですね。


「何見とんねん?」


だが、私は少林寺拳法に魂を捧げた人間なので、無益な喧嘩(戦い)をするのは嫌なんですよ。
でももうあまりに退屈すぎるんで、売られた喧嘩ならもう買ってもいいかなぐらいに思っていて。

道を挟んで、両者動かない。視線、反らさない。
軽トラが、なんか横切る。(田舎ってその辺ちょっとKY)

「言いたいことあんなら言えや、てか来いや」って目で挑発したら、
その金髪女が道渡ってもう一気に走りこんで来たんで、私は、
「迎え打ちで先にどつくか、あえて打たせてそれ避けて蹴るか、どっちでいこかな?」
と考えながら、
どうにでも出れる構えで、走り突っ込んでくる女を待ち構えていた。

ほんなら、その女は「やる(組む)距離」ではない手前でピタっと止まって、

「もしかして、チュータ(一個上の本家のいとこの兄ちゃんのあだ名)の彼女さんですか?」

と、なんかいい笑顔で言った。


私「はあ???…私はチュータ兄ちゃんのいとこです」
女「いとこさん!?w見たことないかわいい子がチュータの家の前におるけ、チュータの彼女か?って思いよったw」
私「チュータ兄ちゃんが見たことない子をいきなり家に連れてくるとかないと思う…」
女「それはそうっちゃねwチュータは奥手やけんね、真面目やしw」
私「……。チュータ兄ちゃんのことが好きなんですか?」
女「バカ言わんでよwあたしはチュータの幼なじみ。あたし、ユキ」
私「チュータ兄のいとこのりちです。京都から来てます。チュータ兄の一個下です」
女「京都?ええね~!りちちゃんも舞妓さんになるん?」
私「ならないですよw…やっぱ京都ってそういうイメージなんですね?」
女「でもさっきりちちゃんが私を睨みよった目は『ホットロード』の和希やったねw」
私「『ホットロード』の和希ww先にメンチ切ってきたんはユキさんでしょw」
女「メンチきる…?」
私「睨む、の関西弁」
女「ええー?睨んどらんよ!私、目が悪いけ、ごめん!ねえ、友達にならん?友達になろ!私、りちちゃんが好きになった!」
私「ええっ?w…でも私、お盆の間ぐらいしかここには帰ってきいひんねんで?」
女「それでもええ!会えん間はいっぱい手紙書くけ、文通しよう!」
私「文通?www…うん、じゃあなんかそういうことで…」


そうして、その女、もといユキちゃんと友達になったことで、
「暇で暇で退屈やなー」になってきていた私の帰省は、そこから新たに進化していくのだった。


続く。
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  1. 2010/08/11(水) 05:05:37|
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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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