どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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人の不幸を願う気持ちについて

さて。

今日はまた新潟で地震がありましたね。
特に大きな被害の情報も聞いてないんで、あえて安否確認はしなかったが、

「新潟の真ちゃん、大丈夫かあ?」


さて。

今日はまたなんかどえらいタイトルなんで、ギョッとした読者の方もいるかもわからんが
まあその名の通り「人の不幸を願う気持ち」について。


今日、京都は雨の日曜日で。


私は、高校生の頃、とあるツレが漏らした言葉をなんかふと思い出した。


そのツレは当時、好きやった男の子に告白してフラれ、そしてその直後、その男の子は他の女の子とつき合いだしたんですよ。
っていうかそいつ(男の子)もちょっとは空気読んで時間置いたれや、とか、今はそう思うんですけどいかんせん青春ってやつは。
で、その男の子がその彼女と今度の休みにどっか出かけるらしい(いわゆる初デート)という情報を聞いたそのツレが
「ムカつく!日曜日、雨降ったらええのに!」と、言うたんで、
私はてっきりネタかシャレで言うてるんやと思って笑ったら、そいつが「なんで笑うの!」って本気で怒りよったんですよ。

「てかマジ願いやったんかよwなんかごめんw」と、そんな乙女のハートブレイクがわからん私はビックリして謝ったんだが
まあ、自分が不幸せな時にやたらめった幸せそうなやつを見て、なんとなくムカつくような気持ちはわからんでもない。
っていうか、そのツレの場合、その不幸せに落とし入れた元凶がまあ言うたらその彼なわけですしね、恋愛はややこしい。

ただ。

自分が不幸せだからって、自分以外の誰かも不幸せになっても、それで逆に自分が幸せになるわけじゃないじゃないですか。

「ざまあwww」

っていう気持ちには、なんかなるかもしれんけど、それによって自分の不幸せな現状が何か変わるわけではないし、
「この世の中で今不幸せな人がさらに一人増えた」っていうだけのことで、そのことで自分が何か繰り上がれるわけじゃないし。



逆に、冗談ではもうめっちゃそんなん言いますけどね。


例えば、店の大学生のスタッフが、彼女とディズニーランド行くから明日から三連休や~とか言うて浮かれてたら

「そっかー。東京駅からの乗り換えにうろたえて空気悪くなって彼女にフラれてしまえ」

とか言って、私は彼を送り出してあげるのですが、何も本気でそんなことを思ってるわけではありません。
つーか、別に誰が誰とどこに行こうが私の生活には関係ないことなんで、正直
「あっそうなんや。楽しんできてね~」って感じなんだが、それではリアクションとしてあまりにも味気ないし、かといって、
「ディズニーランド?いいな~私も休み取って行きたい~!」とかの定番的なリアクションは誰なりかが確実にするんで
りっさん的には、ここでヒネっとこかな?wって感じでそんなん言うてやったりするんですけどね、みんなも笑うし。

てか逆にそこで笑いが起こるっていうことは、
人の心の中には少なからず、そうした「人の不幸」をおもしろがってしまう気持ちがある、ってことなんですけどね。
ほな、そこで笑うやつは悪人なのか?っていうとそれはまた違って、てかむしろ逆で、
「おもろいけど、そんなことをおもしろがるべきじゃない」っていう気持ちがあるからこそ、そのネタに対して笑うんですよね。
よって、そこで笑ったやつは悪人ではない。まあどうしても悪人を作るなら、それをネタにして笑わせた私が悪人、なわけです。
てかそれもほんまは違うんですけどね。ネタにしてるほうもそれがネタになる(非道いこと)とわかってて言うとるわけですから。

ちなみに、私のこれまでの経験から言うと、
ほんまにそんな気持ちが微塵もない人は、そんなネタをやるともう完全にドン引きして固まってしまいます。
そういう人は確かに、天使のようないい人かもしれないが、芸人泣かせな人でもあるのでなんかやりづらい。
また、常日頃自分は不幸だと思って鬱積している人は、自分が今ネタにされたわけじゃないのに何故かそこで怒りだします。
そんな不幸なことが起こることに対して異常にナーバスになってるんかもしれないが、私は予言者ではないので大丈夫ですよ。
ともあれ、こういったタイプの人々は「ボケ殺し」に分類される方々なので、ネタをやるにもちょっと注意が必要なのだ。


話戻って。


ただ、その高校生の頃に、そのツレがマジでそうして「その彼(人)の不幸」を願った時みたいに
本気で人の不幸を願ってしまう人、もいるやろし、なんかそんな瞬間が来ること、もある、と思うんですよ。
それは概ね、自分は今こんなに辛いのにしんどいのにそれに比べて今この人は…という、
いわば「妬み」とか「嫉み」から起こる感情やと思うんですけど。


でも、私がそこで言いたいのは、

「自分の中心軸」はどこにあるのか?ということ。


ちょっと哲学的?宗教的?あるいは精神論的?な話になるのかもしれないが、私は、
…これね、ほんまどう表現したらいいか難しいんですが、私は、
天空からまっすぐに降りてきた光の柱?みたいなもんが自分の体を貫いて地に突き刺さっているという自分のイメージ、
がなんかあって、だから、私はその支柱によって立っている?という、そんな「自分の中心軸」がいつもあるんですよね。

だから、その支柱を中心としてせいぜい両手いっぱい伸ばして届くぐらいの範囲のことにしか感情が乗らなくて
だから、例え自分がどんなしんどい時にも、その自分を貫いている中心軸からの円の外で誰かがなんか幸せでいようとも、
そこには自分の軸(今しんどいが、でもそこが軸)が移らないというか、そこから自分の軸がブレないというか、
「ええことあったん?良かったやん~!…さて。ほな、りっさんは(今しんどい自分の軸に)戻るわ、またな~」
みたいな、なんかそんな感じなんですよね。

っていうそういった感じを「とどのつまり」にまとめると、「私は人に関心がない」ってことになるのかなあ?と思って
「私は自分以外の人に関心がないやつやから」という自己紹介を常々しているわけなんですが、
でもそれは多分、「そういう感じ」を巧く表せた自己紹介ではないんだと思うんですよ。
何故ならば、私がそう自己紹介をした時、もう100%に近い確率で

「人に関心がないとかwwあんたほど人に熱い人間に会うたことないけどwww」

と言われるので、やっぱなんかこう、「この感じ」を巧く表現しきれてないんだろうなと思う。


なんだかなー?  (阿藤海 無関係)



てな感じで。


「人の不幸を願う気持ち」になった時は、そこに関心を向けるのではなく、逆に、
「自分の中心軸」を意識し、「自己の中心」を捉え、感じてみることに集中してはどうでしょうかと私は思う。
それは縦軸かも横軸かも斜めかも、もしかして、軸ではなくて「点」であるかもしれないけど
そんな「自分の中心」を捉えることができたら、そこから自分がブレることはないんじゃないかと思います。



今日は雨の日曜日。

20年前のあの時、「雨降ったらええのに!」って漏らしたあのツレが、今日、
「雨が降って残念やけど、雨なら雨でそれもいいかな」って、なんか笑って過ごしてたらいいなと思った。
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  1. 2010/10/04(月) 01:56:37|
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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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