どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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カッチカチやで!

さて。

先週の土曜日、ももがお世話になっている学童保育(児童館)の子ども祭りがありました。
そのお祭りは学童保育に通ってない子どもでも大人でも誰でも行っていいお祭りで、
私は今年初めて行ったのだが、京都市の全児童館が主催なだけに規模も大きく、参加人数も凄かったんですが、
会場となる公園(広場)が半端なくでかいので窮屈な感じもなく、ステージでのイベントものびのび観ることができました。
親が土曜日も仕事に出ている家の子どもは学童保育の先生方が引率してくださるのだが、私はその日は休みをもらえたので、
いちごとももと彼氏さんと四人で、家から直接、市バスに乗って会場まで行った。

と、その行きのバスの中で事件は起きた。

秋の行楽シーズンの土曜の朝ということもあってかバスはかなり混んでいて、
乗り口のステップを上がったギリギリの場所で、私らは手摺りにつかまりながらなんとか立っていた。
ただ、しばらく行った先の停留所の近くに電車の駅があるので、おそらく乗り換え客がそこで降りるだろうと思ってもいた。
と、そうしてぎゅうぎゅう詰めの車内で揺られつつ、ある停留所に着いた時、
私らの斜め後ろぐらいに立っていたおばあさんとおじいさんが降りようとしたのだが、この人混みを掻き分けて、降り口
(京都の市バスは後ろから乗って前から降りる。運賃は降りる時に、降り口の運賃箱に入れる)まで辿りつけないと判断したのか

おばあさん「こんなんよう行かれへんやん!おじいさん、もうここ(後ろの乗り口)から降りよ」
おじいさん「え、でも…」
おばあさん「そやかて、こんなもんよう進まれへんやんか!降りてから前で券(定期券?)見せたらええねんから」

と、そのおばあさんは、そうして躊躇うおじいさんを先導して、
乗り口付近に立っている私らと乗ってくる客を押しのけ、無理やり「乗り口」から「降りて」行った。


「なんじゃこの横着ババアは?」


と、私は思った。

混んでて大変なんはおまえだけとちゃうねん。なのに何をそこで変にキレて自分勝手なことをしているのか。
「カネ(定期券みたいやったけど)払うんやから文句ないやろ!?」って、もう逆ギレか。あほか。

先人に学び、また、先人を敬わなければいけないのは重々承知しています。
だが申し訳ないが、私はそのおばあさんから何も学べなかったし、尊敬することもできなかった。
てかもう逆に、いちごとももに

「見ちゃいけません!!!」

と言って、幼い二人のその汚れなき瞳を覆いたいぐらいの気分だった。


だが、そこで何かを学んでしまった人が、一人だけ、なんかいたようだった。


せっかく楽しいお祭りに行くのにそんなババアの愚業にいつまでもイラついてるのも逆にアホ丸出しなんで
私は気分を入れ替え、「みんなこれから何処行かはるんかな~?どんな人が乗ってんのやろ?」と、改めて車内を見渡した。
すると、野球のユニホームを着た中学生ぐらいの少年たちがたくさん乗っていることに気付き、
「これはきっと、それこそ、この先の停留所で電車に乗り換えて、あの陸上総合施設に試合しに行くんだな」と思い、隣の彼氏さんに

私「かっちゃん見て。あの子らきっと、(こないだいちごの陸上競技会があった総合施設)で、野球の試合があるんやろね」
か「かもね。って、よく見たら何気に○○中学の子どもたちじゃんw」

それは、彼氏さんが理科を教えている小学校の子どもらの多くが進学する中学校の野球部だった。
と、それとほぼ同時に、子どもたちも彼氏さんに気付いたらしく、
「○○先生?」「ほんまや、○○先生やん」といった、子どもたちのひそひそ声が聞こえてきた。
どうやら、彼が授業をした教え子(卒業生)が、その集団の中に何人かいたらしい。
そしてまたそれと同時に、彼氏さんも、数名の教え子の姿を確認したようで、
「おおー!元気か!?」とか、なんかいきなりテンションが上がって「先生モード」に突入した。

余談だが、
子ども(児童・生徒)好きな彼氏さんは街中で教え子に偶然会うと、なんか急にテンションが上がる。
普段は公衆の面前で歓喜の大声とかほぼ出さない人なのだが、教え子に会うと彼はなんしかそうしてめっちゃテンションが上がる。
そしてそういう場面に出くわすと、私はあえて彼氏さんと他人のフリをする。
何故ならば、「先生」という仕事をしている彼が、「子持ちの女の人と一緒にいた」とか、
彼の教え子にしたら、「先生のプライベート」にあまり良い印象を持たないだろう、と私は思うからだ。

よって私は、
子どもら以上に子どものように、教え子との再会にテンションが上がっている彼氏さんを黙って見守っていた。
そうこうしてるうちに、その子どもらが降りる停留所にバスが停まり、「○○先生さようなら!」と言ったものの
子どもたちは混雑する車内の人の波をぬって前(降り口)に行くことが出来ずにその場で長く立ち往生していた。
すると彼氏さんが、子どもらにこう言った。

「ここ(乗り口)から降りればいいよ。んで、降りてから前に廻って、運転手さんにお金払えばいいから」



てか、君は何を言うとんねん?




私はちょっともうほんまに「イラッ」となったんだが、だが私はそこで頑張って堪えた。
何故ならば、彼は、(今このバスに乗り合わせている)この子らにとっては「先生」なので。

「先生がなんか知らんおばちゃんにごっつ怒られてはる…」

とか、そんな先生の情けない姿を子どもら(児童・生徒)は見たくはないやろうと思ったので。
よって私は、その子どもらに聞こえないぐらいの小声且つ、めっさ怒りのマジトーンで、彼氏さんに



「そんなことを子どもらに教えたらあかんでしょ」



と言った。


すると彼は「え、なんでダメなの?さっきあのおばあさんたちもそうして降りたじゃない?」とでも言いたげな、
なんかちょっと釈然としない顔をしていた。
この混み混みの車内で乗客に聞き耳を立てられながら、このことを彼氏さんと懇々と話し合うのはどうかと思ったので、
私はその場ではそれ以上もうなにも言わなかったのだが、私がその時に思ったことはこうだった。


まず始めに、乗り口から降りるという行為はどんな事情があろうとそれは完全なる違反であり反則行為です。
それを「時と場合に応じて臨機応変にやりましょう」ということを決定することが出来るのは、
このバスの管理責任者である運転手さん、ただ一人なのである。
それを乗客各々が自分勝手に考えて決めてすることは許されないし、してはいけない。
よって、運転手さんの了解を得る、もしくは、運転手さんからその指示があった場合のみ、その反則をも許されるのである。

次に、安全面について。というか、むしろここが一番重要。
このバスの乗り口と降り口の扉の開閉作業は、やはりその管理責任者である運転手さんによって行われている。よって、
「乗り口」の開閉作業については「乗る人」がいるかどうかを運転手さんが確認した上でその操作がされているし
「降り口」の開閉作業についても「降りる人」がいるかどうかを運転手さんが確認した上でその操作をされている。
だが、その操作をする運転手さんの承認を得ずして乗客が「自分の判断」で勝手に各々思うように「乗り降り」をやりだした場合、
「勝手に乗り口から降りたやつが閉まる扉に挟まれるという起きるはずのない事故」が起きてしまうこともありうる。
「乗り降りのルール」を無視して勝手に「乗り口から降りたやつ」が悪いのはもう明らかなのだが、
でも、そこでやはり咎められるのは概ね「管理責任者」である運転手さん、になってしまうと思う。
「そんなん(まさか乗り口から勝手に降りるやつのことまで)知らんがな!」って話であっても、だ。
……と、そうして「横着した本人」はその「罪自体」からは裁判とかでなんかうまく逃れられたとしても、
実際にその事故にあって痛い思いをするのは「ルール」を無視してそこから降りて扉に挟まれた自分自身なのだ。
てか逆に「痛かった~」で済んだらまだええけど、それで運悪く自分が死んでしまうこともあるのだ。


話戻って。


よって、私がそこで思ったことは

「目の前のその困難(混んでて降りづらい)から安易に回避させることを教えるのではなくその問題に立ち向かう力をつけてやることが大事なんでは?」

と、そう思ったんですよね。


「僕はここで降ります!すみません、通路を開けてください!」


と、自分の意志を発言できる力をつけてやること、その導きをすることが大人の仕事だと、そう私は思ったんですよ。
即ちそれが、「子どもらの生きる力」を育てることなのではないのか?と。

それを子どもら自身が発言することがちょっと難しそうなら、
「すみません、野球部の子どもたちがここで降ります。通路を開けてやってください」
と、まだちょっと未熟な子どもに代わって大人がそれを言ってやることが、
「こういうふうに言えばこの困難を打開できるんだな」という、この子らにとっての模範(見本)になるんじゃないのか?と。
そしてそれを見せていくことでいつしか、そのことを大人から学習した子どもらは、
なんか自分でも言える、やれるようになる(=子どもに生きる力が備わる)になるんじゃないのか?と。


私は教育を勉強してきたわけではないし教育のプロではないので、昨今の教育事情はようわかりませんけど、

「降り口から降りられないなら、乗り口から降りてもいいよ」

とか、戦う前にしてそんな裏道を子どもに教えるのが「平成の教育」なんだろうか?



と、そう思っていた矢先、

ルームミラーで車内のその状況(野球行く子どもらが立ち往生してる状況)を察知したっぽい運転手さんが、
そこで車内アナウンスをしてくれた。



「野球部の子どもたちがここで降ります。通路を開けてやってくださ~い」


運転手さんのそのアナウンスによって拓けた通路を、
子どもらは「すみません」「ありがとうございます」とか言いながら、順次、降車して行った。

そんな彼らの背中を見送りながら私は、

「次の試合の時には、ここで降ります!って自分らで言いや」
「野球の試合の勝ち負けよりも、それを言える力をつけるほうが人生には重要やで」



と思ったのでした。



カッチカチやで! りっさん、頭カッチカチやで!



おまけ

ただ、ひとつだけ弁明するならば、彼氏さんは京都育ちではないので
京都の市バスの仕組みをよくわかってないところもあったかと思われる。
だがしかしルールはルール、あかんもんはあかんのだ。
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  1. 2010/10/28(木) 03:01:01|
  2. 思うこと(「生きる」)

プロフィール

りっさん

Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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