どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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冬は、こたつで。

さて。

先週末、晩ご飯の後片付けを終えた私が風呂の順番待ち(いちご・もも@入浴中)をしつつ、
「あー…今日も一日疲れたな~…」とか思いながらこたつでお茶を飲んでボーっとしていたら
その傍らでまたいつものようになにか「先生の勉強」をしていた彼氏さんが、ふと、
「…りち、今文章読む元気ある?」と聞いてきたので、「何?」と彼の手渡すその冊子を受け取ると、
それは宮沢賢治だったか誰だったか(←もう忘れてるw)の童話の一部分だった。

「何?」と受けてはみたものの、一日の終わりで正直あんま頭が働いてなかった私はその冊子を見て一瞬
「ゲッ。結構(文章)あるな…。てっきりまた、文法チェックしてくれない?程度の話かと思ったのに(汗)」と思い、
最初の30秒ぐらいは読んでるフリして実は文章が全く頭に入ってこないまま、ただただ文字を追っているだけだった。

と、そうして読み進めていくうちにその物語の世界に頭が添っていき、大体の話の感じがわかってきたんだが、
どうやらそれは蟻の兵隊さんの話で、渡されたその部分は突然現れたきのこに驚いて蟻たちが騒ぐ、みたいな場面だった。
私が「うん、読んだよ?」と言うと、彼は「この作品のテーマってなんだと思う?」と、さらに聞いてきた。

私「え、この作品のテーマ?って逆にそれは何に対しての?」
彼「んーとね、この作品を国語の教材とする時の主題となるものっていうか…」
私「なら、『蟻の目線で書かれた話』、じゃないの?なんやっけほら、擬人法とかそんなん国語で習ったやん?…てか逆にこの突然現れたきのこが実は例えば高層マンションやった、とかの話から環境破壊とか生態系がどーのって話に持って行くんかな?とも思ったけど、あれはきのこやでwってもうネタバレしてるし、そもそも国語の勉強でそこまでの社会問題に掘り下げるかなあ?とも思うし…」
彼「てか環境破壊云々の問題はこの童話が書かれた時にはまだなかっただろうしねw」
私「あ、そうなん?w じゃあやっぱ『蟻の目線で書かれた話』かなー」

私には解らないが、彼は自分の中で何かを難しく考えすぎていたようで、
「そうか…そうだよね、やっぱそれでいいのか…」とか独り言を言いながら、また勉強を続けた。


てか、知らんで?www
だって私、教師じゃないし、教鞭奮ったこともないしwww




ほぼ毎週末帰ってくる彼氏さんを見ていて私が一番思うのは「小学校の先生って、やっぱ大変やなあ~」って。
いや、中学高校の先生は大変じゃないと思うわけではないですが、
それこそ思春期の子どもを相手にするわけなんで「勉強以外」の部分でも大変なことがいっぱいあるやろと思うし
まして、私のような、
「学校や先生に反抗するわけではなく、ただただおもしろいかもしれないと思ったことを実際にやってみる」
という頭のおかしい生徒を受け持った暁には、
「今振り返れば色々おもろかったでw」と、今は先生はそう笑ってくださっているけど、当時はかなり大変だったはずだ。


先生、ごめんなさい。


話戻って。


そうして私が彼氏さんの背中から垣間見る小学校の先生について何が大変そうだなと思うかと言うと、
それはひとえに「全教科を万遍なくわかりやすく教えられなくてはならない」というところなんですよね。
そら、教則本だかがあれば授業は出来るかもしれないが、なんぼそうしたテキストがあっても、
自分があまり得意ではないことを人に上手に教えるのって難しいじゃないですか?
例えば、蹴上がり(鉄棒の)できひん人間が蹴上がりのコツを人に上手に教えられるか?って厳しいじゃないですか。
でも当然ながら、学校の先生、特に「小学校の先生」という仕事をしてる人は

「ごめん、その科目はぶっちゃけ苦手でようわからへんねん」

とか言えないわけじゃないですか。
まあ、雑談の中で過去の経験談的に「実は先生も子どもの頃は算数が苦手でね~」って話はしたとしても
だがそれもすでに克服した、いわば「オールマイティ」な存在でないとあかんわけじゃないですか。
私には無理やなあ~~~。もうほんま、わからへん分野の話には完全に頭がシャットダウンしてしまいますからね。



てなわけで。


さて、今日の本題。



そんな彼氏さんは学生時代、どちらかというと国語が苦手だったそうで、
逆に、私はいわずもがな「国語だけは」、学生時代全般を通して得意だった。
別に取り立てて国語の勉強を熱心にし続けたわけではないが、国語だけは聞かれてることがわかるんですよ。
もっと言うたら「これについてはこういう答えを求められてるんやろな」っていうのがわかるんですよね。
そんなんさらっさら響いてないことでもその「軸の部分」がわかるっていうか「結局これが言いたいんやろ?」みたいな。

ただ、そんな国語教科の中でも唯一あまり好きでなかったのが「古文」なんですよね。
逆に、どちらかというと国語が苦手だったという彼氏さんは古文だけはなんとなく好きだったらしいが。
いや、古文も出来るには出来たんですよ?成績的には。それこそ「聞かれてることの答えはわかる」ので。
高校の時の古文の先生に
「あんたには(通知表の)5をあげたいのに授業のサボりが多いから4しか付けられへん先生の気持ちもわかってーや!」
と、そう毎学期末ごとに嘆かれ続け、っていうか逆に、「それでも」、通知表はやはりずっと4だったぐらいなんで。

余談だが、
そうしてろくに授業出ない私がたま~に提出する古文のノートの端っこでしてた先生との一行交換日記で、私が
「昨日、彼氏と喧嘩しましたー。」って書いた時、先生が
「それは今だ独身の28才でここ数年間彼氏もいない私へのノロケか?」と返してきはったあの一行は今でも忘れられません。
てか逆にあの当時の先生の歳を越えた今になって「なんか」わかるww 先生ほんま、なんかあの頃、ほんまにごめんwww



話戻って。



ただ、私が古文についてひとつだけ思う、思っていたのは


「…だから、 なに?」 って。



例えばあの超有名な枕草子の第一談「春はあけぼの」にしてもそうですよ。

春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。


いや、そら詩や歌でなく随筆とかになってくると現代モノに近い感じにはなってくるんですが
昔のあいつら(とか言うたら怒られるか?←誰にやねんw)ってもう基本的に「見たまんま言う」なんですよね。
だからそんなんもうなんにも知らん状況で「それだけ」を聞かされたこっちにしてみたら



おまえ なんやねん それwww



ってなるんですよ。

いや、わかりますよ?
そんな、まあ言うたら「見たまんま」の超シンプルな出来事の中に、こう、なにかしらの情緒を感じたとか
もっと言うたらそれに気付けたセンスとか感性的なものが素晴らしいと評価され、
さらにはそれをそうして書けることが凄いとされてこうして後世にまでその作品が残ってるんやと思うんですけど、
逆に自分そこまで行けてるんならもう一歩踏み込んでもっと「それ」を伝えてこいよ、おまえにはそれが出来るはずやろ?と。
よって、私は国語教科の中でも唯一「古文」についてはフラストレーションが溜まっていた。
っていうか逆にこれはもう「国語」ではなくて「社会(日本史)」でやって欲しいと思うぐらいに。


と、そんな私が大昔の作家さんにひとつだけ思うことは


「あんたら多分、時代を間違えて生まれてきはったんやわ」って。



「皆まで言わないことが奥ゆかしさ」がバリバリ全盛期のあの時代の作家さんが今の時代に生まれてたら
なんかもっと言いたいこと言うて、もっとドカーンと響かせるモノを、きっと書かはったんやろな~。





おまけ。


と、そんな私が「あまり好きではないな~な古文」の中、好きで心に残っている話をひとつ紹介します。


「黄昏」という言葉が生まれた、その由来(逸話?)について。


ある日、(そこそこええとこのお家の)お姫様がお付の者を連れて夕暮れの町を歩いていた。
すると、道の向こうから、凛々しい姿の青年がこちらに向かって真っ直ぐに歩いてきた。
お姫様は、そんな彼の立ち居振る舞いをひと目見て、彼のことが好きになってしまった。
だが、夕暮れの逆光で、恋しいその彼の顔が見えない。
でも姫は(立場上)、その向かいくる彼(殿方)のお顔をまじまじと拝見することはできない。

よって、姫はお付の者にそっと尋ねた。

「誰ぞ、彼?(彼はどんな人?)」
「誰ぞ彼?(だれぞ、かれ?)」


結局、そのお姫様とその彼は目を合わせることも結ばれることもなく生き別れ、
と、そうした夕暮れ時の、姫の切ない思いから生まれた言葉が、今日の 「黄昏」 なんだとか。



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  1. 2011/01/27(木) 01:54:16|
  2. どんつき(ひと)

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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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