どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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笑いのチカラ

まず始めに、3月11日からあちこちで連続して起き続けている今回の地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
かけがえのない命、人生を、一瞬にして奪われたこと、もうめちゃくちゃ悔しい思いでしょうが、どうか安らかに…。
でもいつかは誰もが、もう誰もが、今あなたの居る「そこ」に行きますから、
だから、今はもうとてつもなく悔しくて寂しいかもしれないけど、どうか、どうか安らかに…。
そして、今だ不安で不便な生活をしておられる被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。
食事の度、「今このご飯が食べられない人がたくさんたくさんいること」を思うと私は非常に心苦しく、
「そうしてご飯食べれへん人がいるのに自分だけがご飯食べたらあかんのちゃうやろか…?」という気にすらもなりますが
復興には相当の時間がかかると思うし、それを支援していく側の私らはずっと強くパワフルで居続けなければいけない
だから、そうしてへこんでしまって、「その力」を早々に失ってしまわないように、私らはいつも通り、「しっかり」やります。

私の関東地方のツレらや親戚(従兄弟)家族はなんとか皆、命だけは無事のようで、
今だ余震が続く中、一部停電や断水したままの生活等等を送っているようですが、助け合ってやってるみたいです。実に逞しい。
その全員と連絡が取れるまでの数日間、遠く離れた関西にいる私は心配でならなかった。災害ダイアルには全くメッセージもないし。
でも、非被災地(関西もわりと揺れたけど)から被災地に電話をかけまくることはもう絶対に絶対にタブーなんで、
届くかどうかわからんけど、とりあえず、メールを各人に一本ずつだけ送って、向こうからの連絡待ちに徹し、
あとはもう祈る思いで、テレビのニュースで現地の状況や情報を得ていた。
だがどこも津波被害の大きい地域(東北地方)を中心とした報道が多かったので、関東の状況は主にインターネットで知りました。
特に、現地の人の声が聞けるツイッターは役に立った。都道府県別ユーザーがわかるサイトみたいなんがあるので、そこで。
一部、情報が錯綜したり、支援したい側(被災してない地域の人間)が先走ってしまいそうになってるところもあったけど

「いや、今それを言わんでいいやろ?」
「つーか、それを今言うことで一体誰が得すんの?」


っていう、人の不安を煽るような発言(原発批難とか政府批判とか)を垂れ流してるようなやつよりは、まだ全然いいと思った。
てか、なんなんやろね、ああいう人種。キレ者気取りか?
しかもそんなアホに賛同追随して、それを積極的に広げているさらなるアホまでいるという。
「だから原発は危険なものなんです」とか、「今の政府はあかんから政府の言うことを信じるな」とか、
今そこから動きたくても動けへんでずっとずっと怖い思いしながらもうただただ救助を待ってる人にしたら

「おまえらうるさいちょっと黙れ」 な話ですやんか?

私やったらそう思うわ、「いやもう今そんな話はいらんねんか」って。



てな感じで、さて、今日の本題。



こういう災害が起きた時、私はいつも躊躇することがあるんです。
それは、「今ここで笑いをやっていいのかどうか」。 
もっと言えば、「今ここで、傷ついている人を笑わせてもいいのかどうか」。

傷ついた心が癒される言葉(もの)や勇気の出る言葉(もの)は力になると思う。
特にここまで大きな災害になると、傷ついてるのは被災した人ばかりじゃなくもう日本中、いや世界中が傷だらけになってるし
今回の震災では、「Pray for Japan」 という、なんか世界的な合言葉的なものも生まれているらしい。
ちなみに阪神淡路~の時もそういった祈りの合言葉が生まれました。あの時は「頑張ろう、神戸」でした。


いいよ~! そういうの、凄くいいよ~!!!


私はこう見えて(どう見える?w)実はうっとおしいほど熱いやつなんで
そういった「コトバのチカラ」、みたいなものに響き、そしてちょっと泣く。(誰にも言うなよ)
「こんな時」にそうして真っ向からくるそういったものを「ええかっこしい」とか「綺麗ごと」とかは思わない。
美しい言葉を聞けば、心は美しく磨かれていく。汚い言葉を聞けば、心は醜く濁っていく。
だから、しんどい時にはもう「美しいこと」「綺麗なこと」をたくさん聞いて、心が濁らないようにしないといけないのだ。

と、そんな清き(?)思いと同様に、私には、
いわばそれと真逆のコースからの持って行き方(?)とも言える「切っては切れないもの」があるのだ。


それが、「笑いのチカラ」。


人間って、どんな辛い時でもちょっと笑ったらラクになる~っていうか気も紛れる…みたいなとこありません?
っていうか広い意味で言うと、「癒し」も「勇気」も「祈り」も「笑い」も、もう全て「紛らわし」やと私は思うんですよ。
だってそのどれを持ってきてもすぐさまにその「しんどい現状・状況」が何かころっと変わるわけじゃないし、
それに触れたことで、「自分の気の持ちよう」がなんか変わったわ~、みたいな、それは話ですやんか?

でも不思議なことにその中で「笑い」だけは、何故かなんか嫌われるんです。そして往々にして叱られる。
ダウンタウンの松本さんも著書の中で書いてはったけど
例えば、好きな子が失恋して落ち込んでる時、ミュージシャン(歌の得意な人)は歌を歌って慰める。
でも、それと同じように、芸人(笑いの得意な人)が笑いで慰めようとすると、「不謹慎だ」と怒られるという。
…って、音楽家さんをなんか「あんたらはそらかっこええよな」とかって責めているわけではないですよ?念のため。
てか、「私と同じく自分の得意な表現方法でそれをしている同志だ」と私は思ってるんで。
てか、逆にそれは音楽家さんのほうもきっと同じ思いでいてはると思うんですけど。
何故ならば、「ミュージシャンは意外とお笑い好きが多い(爆)」


話戻って。


確かに、もう今笑う気力すらも起きない人を無理から笑わせようとするのは単なる「嫌がらせ」であり、だから、
「ちょっと今まだ笑いを見る聴く気持ちじゃないから、笑いはやめて」って言われるならわかるんですよ。
「ちょっと今まだ歌を聴く気持ちじゃないから、歌はやめて」っていうのと同じ話なんで。
でもそうではなくて、なんかもう一概に「今、笑いをやる=不謹慎」ってなってしまうという。
「おもしろいけど、でも今は笑いは不謹慎!」って、なんか全部そうなってしまうという。


あれはもう忘れもしない、9.11のNY同時多発テロの時でした。
あの衝撃の出来事に、もうベッコベコに落ち込んでしまった友人がいてね。
彼は以前そこに住んでいたことがあり、そこには思い出もあり友人もいるそうで、もうベッコベコに落ちてしまった。
NYなんか一回も行ったことない私にまでそのしんどさが伝染しそうなぐらい、彼はもう「ベッコベコ」になってしまっていた。

だが、彼は普段からお笑いが好きで、しかも私の繰り出すネタを常々「おもろい」言うて笑ってくれる人なんで、
だから私は、落ち込んでる彼の気を何か紛らわせたくて、彼が好きで私も得意な分野のそれ(笑い)をやった。
洋画好きな人だったので、当時上映してたか、もうすぐするだったか、の洋画コメディをイジったネタで。

ほんなら、彼はそれでちょっと笑った後に、「でもこんな時に笑いは不謹慎やから」 と言ったんですよ。
「おもしろいけど、でもりっさん、世の中がこんな時に笑いは不謹慎や。だから笑えへん」と。


「ええ~~~っ!? てか自分、今 笑ろたやん?」

「いや笑ったけどでも今は笑ったらあかん って、それは何で???」



そらこのこと(9.11)で落ち込んでるのわかってる君を前にして私がわざとそれをネタにしたならば、君から
「その笑いは(僕に対して)不謹慎や。(僕に対する慎みがないから)それは笑えへん」と言われるかもしれん。
てか、それなら逆に話はわかる。だから、だからそこは私もチョイスしてないやん?でも、
「おもしろいと思ったけど、こんな時に笑いはやっぱ不謹慎やから笑えへんわ」って、

私が逆に聞きたいのは


その「謹慎」は、一体どこから発令されているものなのか?



「こんな時に世界平和の歌」は不謹慎ではなく、「こんな時に子どもたちの笑顔の写真」も不謹慎ではなく、
なのに何故そうして、「こんな時に笑い(笑うこと)」だけが、なんか不謹慎扱いになるんだろう?


でも、そのことがあってから、私は「災害時に笑いをやること」を躊躇したり自粛したりするようになった。
自分としては、目の前で落ち込んでるこいつをもうごっつ笑わせたいんやけど、でも
「笑いたいけど、でも不謹慎やから笑えない」っていうさらなるしんどさを逆に抱えさせてしまうなら、
私は今もうなんもせんほうがええんかな?って思って。

でもそうすると、「私やからこそ出来る、私が一番得意なそのこと(表現)」がなくなってしまう。
「不謹慎とされないことで表現している人たちのサポート」しか、もう出来ることがなくなってしまうんですよ。
「なにか自分に出来ることがあったらお手伝いしますから言うてくださいね~」ぐらいの、なんか凄く消極的な感じで。


私は「笑いのチカラ」を信じています。
「余裕がないから笑えない」、じゃなくて、逆に、「笑うことで余裕が生まれる」、と私は思ってる。
幸せなことに私の周りの人間は「そっち系の考え方」のやつが多いんで、
私がしんどい時はそいつらがなんか笑わせてくれるんで、私もこうしていつも余裕をこいて生きていけている。
「笑いのチカラ」は、素敵な詩や素敵な絵や素敵な写真や素敵な音楽と同じぐらいステキなものやと私は思っている。


てか、「笑い=不謹慎」ってなることに、私がひとつだけ言いたいのは


アホぬかせwww

こちとらもう、「よほどの慎み」を持って想い考えながらやっとんねんwww



でもその「慎み」が、悲しいかな、「笑い」という表現方法においては伝わりづらい。
何故なら、逆にそれが相手に伝わってしまうと相手はもうニュートラルに笑えなくなるので、
だからあえてそれを相手に悟られないように「笑い」という表現をやってるんですが、
それが完璧に出来すぎるほどに逆に「こいつこんな時にふざけてるわ」と捉えられるという、そんな悲しい悪作用。


先日、とある放送作家さん(阪神淡路経験者)と「こういう時こその笑いのチカラ」について語りあってたんですが、
災害時の笑い=不謹慎扱いになってしまう、その行き着く先の最も怖いとこは、
「災害にあってしんどい最中のその人が、今ちょっと笑うこと」すらも不謹慎扱いになっていくこと、なんですよね。


「そんな大変な時におまえ(本人)は何を笑ろてんねん!」 ってなること。




「そんな時でも、おもろかったら笑っていいんですよ!」



自分がしんどい時、「自分の気の持ちよう」が変わるアイテムは、いっぱいいっぱい持ってるほうがいい。
例えば、 「詩」、「絵」、「写真」、「音楽」、「二次元(←)」、「エロス(←←←)」、 そして、「笑い」。



てなわけで。


私はやっぱり、自分の得意な「笑い」を続けることにしました。
こんな時やから、もうあちらこちらで「笑い」をやることにしました。


「りっさん、不謹慎ですよ」


言うとけ言うとけ、もう一生言うとけwww
逆にその「不謹慎」は私が背負う、だからもうおまえは笑ろとけwww




「笑いのチカラ」を、私は信じてる。こんな時だからこそ。
いや、こんな時でも、もう、どんな時でも。


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  1. 2011/03/16(水) 03:08:38|
  2. 思うこと(「笑い」)

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りっさん

Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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