どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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ベストオブギプス・3

さて、 この 続き。

レントゲンの結果わかったのは、左鎖骨が折れてることとその周囲の骨?も多分ヒビとかいってるやろけどはっきり写らないと。
ただ、そのはっきり写らない程度の骨はほっといてもそのうち治るけど、そしてもっと言うと鎖骨の骨折もほっといても治るんやけど
ただ、腕や脚と違って、肩は日常生活の中でどうしても、それこそ息するだけでも動いてしまうし、まして成長期なんで
変なくっつき方したら後々に響いてくるかもしれんので、生活は不便になるけどしばらくギプスで固めていくのがいいのではないかという診断が下った。

私が骨折したのはその時が初めてだったんだが、「ギプス」なるものの存在については、
テレビとか、実際にも、オカンが入院してた病院の廊下とかでそれを装着してる人を見かけたことがあったのでなんとなく知っていた。
ただ、当たり前だが私が見たことあるギプスは「外見でわかるそれ」に関してだけだったので
概ね服で隠れている鎖骨(デコルテ)部分にギプスをしている人など見たことなかったし、どうなるのか全然想像がつかなかった。
そしてそれはオカンも同じだったようだが、「不便でもちゃんと治るほうがいいのでお願いします」ということで私はギプスをすることになった。

ちなみに帰り道で吐いたことを告げると「もし頭も打ってたらあかんので念のため」と頭部のレントゲンも撮られたが、それについては全く異常はなく
「吐いたのはおそらく、鎖骨を打った(折った)痛みに脳がビックリして耐え切れなかったんだろう」とのことだった。
ってさらっと書いてるけど、「吐くほど痛い」ってなかなか強烈ですよね。
と、するとそこでオカンが、

「先生ほんまですか?(頭の)レントゲンに あ ほ って写ってませんか?w」

と言った(ボケた)ので、先生も看護婦さんもみんな爆笑していたが、私は薄ら笑いを浮かべながら内心
(やばい。オカン、ちょっと怒ってるやんw)と、オカンの放ったそのギャグに今一度、オカンがどんだけ心配したかを察したのだった。


話戻って。


その問題の謎のギプスだが、
ギプスしたことある人はわかると思うが、要はあの「乾いたら固まるベトベトネチャネチャの包帯」を巻くというのは一緒なんですよね。

まず、幅広のガーゼをさらしのように何重にもぐるぐると胸部に巻かれ、その上からそのベトベトの包帯を何重にも巻かれるんだが
その巻き方について、固める箇所が鎖骨なんでそれは当然肩にも巻かれ、ワンショルダー(骨折してる左側のみ)かと思いきや、
多分より確実な安定を保つためだろうが、両肩とも巻かれて固定され、格好的には「みぞおち辺りまでの丈短ベスト(コルセット)」みたいになった。

巻かれてる間はとにかく冷たかったですね~。トータルで2~3センチぐらいの厚みはあったと思いますわ。
あと、緊張して最初のほう息を止めてしまっていたので、結果的にちょっとキツめに巻かれてしまった感もあったが
ともあれ、そのギプスベストと私は延べ三ヶ月に渡って寝食を共にしたのである。

深呼吸が出来ず常に息苦しい(深呼吸できるほど緩かったら多分意味がないんやと思うが)
裾があばら骨に当たって痛い(丈短なので)
とにかくギプスの中が痒い(風呂に浸かれるのはギプスしてないみぞおちまでで、ギプスの下の肌は当然洗えない)
寝る時に腰が浮くので小5にして腰痛を経験(ギプスが固く厚みがあるので、横向け寝や寝返りすらもろくにできない)
当時風呂にシャワーがなかったので一週間に一回シャンプーだけしに美容院に通わせてもらうことに恐縮(そない裕福な家でもなかったので)

と、そうしてあらかじめ医者から言われていた通り「不便な生活」を送っていたが、
そうした生活の中でひとつだけ楽しかったことは、「ロボット気分が味わえたこと」でした。
鉄骨まではいかんけど、言うたら上半身をセメントで固めてるようなもんなんで、いわば「無敵」なわけですよ。

かの三原じゅん子ですら、

「ボディはやばいよ!やっぱ顔にしな!」

と、慌てて訂正しなおすであろうぐらい、もう 「ボディは無敵」 なわけですよ。


そんなボディを手に入れて、子どもが遊ばないわけがないじゃないですか。



よって、骨折当日のあの涙の反省はどこへやら、
「ちょ、ここグーで思いきりどついてみ?ぜんっぜん痛ないからww」とか言うてギプスで遊んでは、先生に叱られ、
さらに骨折のため休んで見学していた少林寺憲法教室でも
「本気で蹴ってこい!ww」とか言うてギプスをミット代わりにしてふざけては、師範に叱られシバかれていた。
っていうか、そもそも人間は忘却の生き物なんで、三ヶ月もしたらどんな状況にも概ね慣れてしまうんですよ。
逆にオカンですら、「この子は物心ついた頃からこんな子(ギプスベスト)やねん」ぐらいになってましたからね。
西友で普通に「今着てるのよりワンサイズ上」の下着とかシャツとか買うてきたりね。
ただ、その中でも前出の友達のヨッコ(公文行ったやつ)だけはなんか責任を感じていたのか、ずっと気にしてましたけど…。



そうして、気付けば季節も秋から冬になり、その生活が普通になっていたある日のこと。

いつも通り、「なんか長い棒に濡れた綿を巻きつけたもので看護婦さんにギプスの下の肌を清拭してもらうことを主目的」として、
もういつも通り病院を受診したら、主治医の先生が「そろそろ一度、レントゲンを撮ってみましょうか」と言ったので、
私は言われるがままにレントゲンを撮ってもらい、そのレントゲン結果を診た先生が
「ああ良かった、綺麗にくっつきましたね~。そしたらもう今日ギプスを外しましょう」と言い、傍らのオカンに
「そしたらお母さんは外に出て、廊下のソファでお待ちください」と言ったのだ。


そら、確かに。

「確かに」、私はこの三ヶ月間のうち後半は概ね一人で受診していた「やれば出来る子」だが、
今日はオカンも来てるというのに何ゆえ、オカンをあえて外に出す?
ギプス巻く時は同席を許したのに、逆に今日に限っては何故それを出て行かせる?


それはもう100%、これから
「よもや母親が目の当たりにしたら卒倒するようなもの凄く怖いことが始まる」
ってことなんじゃないのか、それは???



(先生アホやな~。そんなん言うたら親は不安になって逆に出て行かへんで~)と私は思ったのだが、
だがビックリすることに、そこでオカンは「わかりました。よろしくお願いします~」と言って、もうさっさと診察室を出て行ってしまったのだ。


えぇぇぇぇぇ~~~!? 
ちゅうか、オカン気付けよっ! なんで「はいわかりました」やねんって!!!
これから我が子の身の上にもの凄く怖いことが起きますよーーーっっっ!?



大人であり親となった今ではわかるんですが、あれは「そのことでオカン(親)を卒倒させないため」ではなく、むしろ、
「そのことを私(子ども)に大人しく耐えさせるため」やったんやろうと思います。もう間違いなく。
何故なら、子どもは意外と逞しく、そしてある程度空気も読めるので、
例えば、病院などでどんな怖いことをされようとそれが必要であるならば、そして親がその場にいないならもう尚更、
「取り乱さずにその怖い場面(処置)を乗り越えよう、そしたら早く終わる」と、自分の力で懸命に頑張りよるんですよね。
ただしこれは先に述べたように、子ども自身が「怖いけど、それが必要であること」を自覚認識してる場合でのことなので、
それすらわかってない幼児や小学校低学年の子どもの場合は、目の前から親が消えると逆に俄然パニックになるんで
概ね、「処置の邪魔にならないところでかつ、子どもが顔を見れる場所で待機」となることが多いんじゃないかと思います。
よって、当時小5の私の場合は、「本当は頑張れば出来るはず」のことでも、そこで変に親が居てしまうと、
「オカンになんとか助けてもらえるかもしれない」という甘えから、泣いてわめいたり暴れたりするかもしれない、
だが、そうしてどんなに怖くなって泣いて暴れようが何しようがこのギプスは取り外さないといけないので、オカンもあえて

「りっさん、ガンバ! …(笑) ←←← 」 と、席を外したのだ。



さて。


てなわけで、三部作に渡って書き連ねてきた今回の記事の、ようやくメインシーン。



「少女に何が起こったか。」


今思い出しても「変な汗」が出ます。



先生が、「13日の金曜日のジェイソン」が持ってるみたいな凶器(でかい電動カッター?)を出してきて構えました。
それと同時に数名の看護婦さんが、もう「文字通り」、私の身柄を拘束する。
そうして拘束されつつも、言われるがままに両腕を高く上げさせられ、追加の看護婦さん私が上げたその両腕をさらに拘束。
そして、左脇下、右脇下、の順に、ジェイソン…いや、先生がその凶器で「ガガガガガーッ」とギプスを切断していく。
それはもう工事現場でしか聞いたことのないような音でした。
子ども心にも、上半身には心臓や肺など人が生きるために大切な臓器がたくさんあるのはわかっていたので、
それらに近い「その箇所」に、しかも意識がある状態でその凶器(しかも電動)を当てられてるのはもの凄い恐怖でした。
その振動が身体中に伝わり、ビブラートする私の身体を取り押さえる看護婦さんの手に一層の力が入るのがわかった。
凶器を操る先生の腕も、凶器のその力に負けじと血管を浮かせている。
ちょっとでも気ぃ抜いたら「私(患者)をザックリといく」のはもうわかりきってることなんで、先生もそら必死や。
と、そうして両脇部分が切断され、残るは両肩の部分=喉元に近い部分、となった。
看護婦さん達が「私の頭を押さえる人」と「私の上腕を押さえる人」のフォーメーションを取った。
願わくば、「私の膀胱を押さえる人」も欲しいところだったが、それはさすがにいてくれなかった。

と、そこで、それまで全く無言のまま私にその凶器を突きつけていた先生が、ようやく私に話しかけてきたんですよ。

先生「りちちゃんは頑張りやさんやな~、先生ビックリしたわ。 もうすぐ終わるし、あとちょっとだけ頑張れるかな?」



先生、わかってくれてたーーー!!!


今どんだけ私が「怖い」と思ってるかを、先生はわかってくれてはる、くれてたんや、と。
もうそうなると、これは完全なる「患者と医者の信頼関係」が芽生えるわけですよ。
「先生のことをジェイソンとか思ってしまって、なんかごめんなさい」ぐらいになるわけですよ。


両肩の部分を切断する時は、正直めっちゃ怖かったです。

「生きた心地がしない」っていうのは、多分ああいうことやと思います。

そうして「先生との信頼関係」を築けても、

「喉元に電動カッターをずーーっと突きつけられていることをも微動だにしない」

というのはだいぶキツかった。しかも「両肩続けて」。片方終わったのも束の間すぐさま次の闘いが始まるという。

いわば「初産で双子産む」ようなもんですよ。
って実際「それした」人には、「一緒にすんな!ww」と怒られるやろけど、怖さ的にはもうそんなんですよ。
逆に一年でも空いたらそのことも忘れるやろけど「続け様にそれ」ですから、もうかなりの精神状態を要するわけです。


20年以上経った今ふと当時のことを思い出しても、まだ「なんか息を止めてしまう」ぐらいやからね。


と、そうしてもう全員が全員クタクタになって、ようやく私のベストギプスが取り外され、すると先生が、
「お母さん呼んで」と看護婦さんに言ったので、私はそこで「そういやオカンが廊下で待ってたこと」を思い出した。


オカン「なんや、もう終わり?意外と早かったな~?w」



私はそれまでの死闘を「このオカン」に報告するのがなんかもうアホらしくなって、
「なんぼ言うてもこのオバハンには絶対伝わるわけがない」と思って、「まあな」と半笑いしていた。
思えば、あれが「親離れ」のきっかけ的なことやったんかもしれないとも思いますね。
あの日、私が負傷して帰ってきたその足ですぐに病院連れてくれたことにはほんまに感謝してますけどね。






てなわけで。


喉元過ぎてその後も何回か腕や脚や指や骨折したりしましたが、そんな私がひとつだけ思うことは、


もう二度と、鎖骨「だけ」は折りたくない。
あの切開のあの恐怖は、人生に一回やったら「もう十分」なレベル。





と、これを書いてる今もあの「首(頚動脈のとこ)のすぐそばに凶器が迫ってる恐怖」は私の中のすぐそばにあり、
それはもうほんまいつでもリアルに思い出せるんで、私にしたら「あれ」は過去のことではないんですよね、今もまだ。
でもそうして全く消化できてない「今も恐怖のこと」を、何故、今「ネタ」として書けるか、書いたかと言うと、

「でも、そんなこんなも、いつでもネタになるんですよw」

ということが言いたかった。


「その(辛かった)こと」を越えた「今(は幸せ)がある」からようやく「それ」がネタになるわけではないんですよ。
現状まだ辛くても「それ」を笑いに変換(解決)できるかどうかは、時間じゃなくて自分の持ちようやと、私は思うんですよ。


被災地の避難所でも、自虐ネタとかをやりだすやつがそろそろかなり出てくると思います。
そんなそいつの「ネタ」に触れた時、時間が解決することだけに委ねてる人は見ててなんかムカつくかもしれんけど、
それは決して「こんなに辛いことを一緒に経験したのにこいつは鈍感で楽観的でヘラヘラしとる」わけではなくて、
「そんなそいつも自分を切り売りして笑いをやってるんやで」っていうことだけ、なんかわかってやってほしいなあって私は思います。
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  1. 2011/04/29(金) 03:07:07|
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りっさん

Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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