どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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私が兄貴を慕うわけ・1

さて。

今日はいきなり本題です「私が兄貴を慕うわけ」。

兄貴というのはもう「どんつき~」ではおなじみの「笑いの師匠」こと、元・会社先輩であり現・親友の男性なんですが
そういや、私が兄貴を何故「兄貴」と慕うのか、ということを詳細に書いたことがなかったんじゃないか…?と思い、
もう思いきり「今さら?」なんだが、「今さらw」なんだが、改めて今一度書くことにしました。

兄貴をひとことで言うと、「根が真面目で心のあたたかい人」です。
そしてもうひとこと付け加えるなら、「三度の飯より悪ふざけが大好きな人」です。

私が兄貴に出会ったのは私が高校を卒業してすぐ入社した会社で、兄貴は私が配属された課の四年目の先輩でした。
当時、兄貴は入社五年目ぐらいまでの「若手」のリーダー的な存在で、課長以下役職者の上司からも一目置かれていた。
と、そうした仕事面でもそうですけど、それに加えて、兄貴は「その課の笑いを築く人(ムードメーカー)」だったんですよね。
なんせ、兄貴がいるとこいるとこ、行くとこ行くとこで、常に「笑い」が起きている。

それまで学生時代、私もそこそこ「笑い」が取れるほうやったので、私は「笑い」にはまあまあ自信がありました。
ちなみに、入社一ヶ月目ぐらいで開催してもらった新人歓迎会で、うちら新人が何か一発芸をやることになったんですが、
「こんなことぐらいしかできませんけど…」と、得意の「欽ちゃん走り」で会場を走り廻ってやったらめっちゃウケて、
もう早速「久本(マチャミ)」というミドルネームがついた。つーかそれ、高校の時からもうずっと言われてきてるけど、またかw

ただ、学生と社会人の「笑い」の一番違うところは、ここは「学校」ではなくあくまでも「職場」であるということで
私が入社当初やっていた「笑い」は、今思うと「学生ノリ」の延長で、先輩や上司にはまあまあ失礼なことも言うてたと思う。
と、そんな学生気分のまんま「笑い」をやってる私に、「職場で笑いをやる(とる)こと」を教えてくれて、
私を「職場で通用する芸人」として鍛えて育ててくれたのが、兄貴=笑いの師匠、だったんですよね。
って、これを兄貴に言うと、兄貴はいつも

「いや、俺はなんもしてないからw 俺はそんな大した人間じゃないからw」

とかそんなん言わはるんですけど、「兄貴」なくして、「今のりっさん」はないんですよ。これはもうほんまマジで。
今私がどんな職場でもどんな集まりでもどんな会合でも「笑いの天才」として君臨しているのは全て兄貴のおかげなんです。
もっと言うと「私の笑い」が今ここでウケてるんじゃないむしろ「兄貴の笑い」が今ここでウケているんだ、と!!!


「ちゅうか、おまえはwww もうほんまええ加減にせえよ???www」


という兄貴のツッコミがなんだか聞こえた気がしたのでもうこの辺でやめとく、これ以上やると逆に怒られるww


話戻って。


兄貴はまあまあかなり人見知りをする人なんで、最初はあんまり自分からしゃべりかけてはくれませんでした。
よって私は、逆にもう私のほうから「○○さん、○○さん」と、なんや言うては兄貴にちょっかいを出して行った。
ないしは当時、「りっちゃんは、○○さんのことが好きなんじゃないか?」と思っていた人もいたと思う。
って、もうそれぐらい私は、用もないのに無理から用を作って、兄貴にいちいちまとわりついて行った。

と、そうして兄貴の近辺をちょろちょろしてるうちに、兄貴が、
「なんやねんもうおまえはw」とかそんなことを言いながらも、次第に私に、
「兄貴の笑いのコマ(弟子)の役割」を与えてくれるようになったのである。


もうなんという「胸熱」。 (胸が熱くなる、の意)


例えば、朝礼の時。
課の全体朝礼は、うろ覚えだが確か週に一回(月曜日)だけで、それは課長が指揮ってはったんですが
それ以外の日は、各チーム(班)のリーダーが指揮ってやってはったんですね。
そして当時兄貴もその「各チーム」のリーダーの一人だった。
会社の新人研修、さらに課の新人研修(具体的レッスン)を終えた私が最初に配属されたのが兄貴のチームで、
その「チーム朝礼」の前、兄貴は時折、私をそっと呼び寄せてはこんなことを言ってきた。

兄貴「おまえ、俺が朝礼中に『腕上げたな』って言うたら、こうやって腕上げろよ?」
私「はい。…え、こうですか?」
兄貴「もっと堂々と自信持って高らかに、こう、な」
私「こ、こうですか???わかりました(←わかってない)」

~そして朝礼中~

兄貴「(仕事の話)…と、そんなわけでこのチームにも新人が入ってきたわけですが、新人の君らも、二年目三年目の君らも、それぞれに成長して、『おっ?こいつ、腕上げたな?』 って言われるように…」
私「(あ、来た! 『腕上げたな』 や! …と、高らかに腕を上げる)」


兄貴「よしよし、腕上がったな! …って、その腕と ちゃうわ!!!」


すると、それまで(真面目な仕事の話に)緊張がちだった同期(新人)も、
リーダー(兄貴)の話に真剣に耳を傾けていた二年目三年目の先輩らも、みんなそこで爆笑して、
チームがなんかとてもいい雰囲気で、その朝礼後、それぞれの仕事を始めていったのだ。


そうか! これか!
これが、 「メリ」 と 「ハリ」 か!



その後、ほどなくして私は別のチームに転属することになり、ほんでそれがまた、
歴代通称「アマゾネス軍団」と呼ばれていた、「女が女丸出しの争いをしている、女しかいないチーム」で、
そのチームの女帝(ボス)に対し、私はもうのっけから一切全く媚びへつらわなかったので

「ふ~ん? なかなかおもしろい子が入ってきたじゃな~い?(笑)」

とか言われつつ、その女帝とだいぶ戦って最終勝った(その変な空気を変えたった)んですが、
まあそのネタは今はいいとして、需要があればまた別記事で書くとして、ともあれ、
その最初の三ヶ月を「兄貴が率いるチーム」に所属できたことで、私はたくさんの「笑い」を兄貴から学びました。

それを「三大則」にまとめると、

① ここはあくまでも職場なんやから、「笑い」は、「仕事のエッセンス」であらねばならない。
② 下をイジるにも上をイジるにも、みんなが笑える「大きな笑い」をやらねばならない。
③ 朝一のネタは、変にひねるな。むしろもう「ベッタベタ」でいいぐらいである。

ちなみに、この③については兄貴から「実際の経験に基づくアドバイス」がありました。

兄貴「昔、大雪の日に朝礼で 「今日はシュプール号に乗ってきました!」 言うたら見事にスベってなw」
私「ハハハ! 兄貴でもスベったことあらはるんですねwww」
兄貴「もう思いっきりスベったっちゅうねん!俺がボケてることにすら気付いてもくれへんww 朝一はみんなまだ半分頭寝てるからひねったらあかんねんな?だから朝礼ではもうベタがええんやろな?」
私「なるほどww勉強なりましたwww」


兄貴とはもうほんまにいろんな企画をやりました。
人集めてバーベキュー行ったり、フィールドアスレチック行ったり、海行ったり。
そしてそれはただ行くだけではなくて、チーム対抗でゲームしたりとかの「現地イベント」も用意・準備してね。
と、そんなん好きなやつはもうほっといても来ますけど、そんなんあんまり苦手なやつもなんか来てました。
多分、兄貴がうまいこと誘い出さはったんやろと思います。きっと「来るだけ来てみ?」みたいな感じで。
そして来たからには兄貴はそいつをほっとかないし、次回はノリノリで「行きます!」言えるようにして帰してはった。

当時付き合ってた彼氏と撮った写真は一枚もないが、兄貴と一緒に写ってる写真は山のようにある。
ってそれぐらい、私はいつも兄貴とおもしろおかしくツルんでいた。


そら、付き合っても付き合っても 彼氏と別れるわwww
あの頃 私の恋愛が続かなかったのは 「兄貴のせい」 やwww




と、そんな数々の企画の中でも私が一番覚えているのは、私が入社二年目の時の慰安旅行の宴会(出し物)です。

当時、毎年慰安旅行のたびに「各部署対抗・お楽しみステージ」で何か芸をやるのが通例だったんですよね。

ちなみに私が入社一年目の時のそのステージには、兄貴は先輩の主任さんと出場しはって、
一曲目は「みんなが知ってる会社の人をイジる替え歌」で、
うちの課長(手短に言うと・結論から言うと、が口癖だが、実行された試しがない)の話が長すぎるだの、
購買部の○○(誰もが恐れる、口うるさいおばちゃん主任)の口数が多すぎるだの、
営業の○○(字が恐っそろしく下手で、伝票が全く読めない)はとにかく綺麗に書けりゃいいだの、
そんなことを好き放題言って(歌って)いちいち爆笑を取り、
二曲目は「みんなが知ってる仕事(作業)の大変なことあるあるの替え歌」で、
バックにヘンテコダンサー(うちの課の男性陣)を従えて、これまた爆笑を取ってはりました。
他の部署の出場者も、その年に一回の対決にもう相当力を入れてきていて、
例えば、大阪の営業部は「ヒーロー大集合」と銘打って、全員総出で全身を絵の具でペイントして、
入れ替わり立ち代わり色んなヒーローが上手から出てきては下手に捌けていく、っていうネタをやってはった。
「レレレのおじさんがほうき持って出てきたと思ったらマグマ大使がそれに飛び蹴りかましながら出てきたのをデビルマンがチョップで倒す」
とか、なんせもう散らかりまくりのグッチャグチャでしたが、そんな「五分間の力技」もおもしろかったし、
例えば、開発系の事業部(競馬好きが多かった)は自作の馬のかぶりものをかぶって会場内を走り回ってレースをしはって
「走りながら社長のお膳引っくり返すんちゃうかw」と、見ててヒヤヒヤするほどの本気度でそれもまたおもしろかった。

ちなみに私は同期(相方)のともを誘ってパンチラダンスをしました、女先輩二人にバックで歌うたってもらいながら。
うちの課からは兄貴らが出てはるんで、逆に私らはもう出なくてもいいんですが「なんか出たかった」ので。
ともと相談して、「兄貴に笑いで勝つのは無理やから18歳の新人の女の子という武器を利用したろ」→「パンツ見せたろ!」と。
わざわざ高校のツレ(元テニス部)にアンダースコートまで借りたからね、もうアホですよww
だがそれにまんまと食らいついて二回アンコールしたおっさんらもとい幹部連中も、もうアホですよww
そしてさらにそれ(パンチラダンス)で、なんとうちらが「優勝」してしまったので、うちの課の上司は他部署の出場者に

「反則反則wwwあんなんもう反則やわwww」

とか言われたはったが、上司からは「おまえらでかした、ようやったwww」とお褒めの言葉をいただいた。

その年の二位は大阪営業部(ヒーロー大集合)で、三位が兄貴らでした。
でも、ただひとつだけ言えることは、
うちらにしても大阪営業部にしてもいわば「色モン」ですから、実力で言うとあれは(三位の)兄貴らの優勝やった。



話戻って。



兄貴との数々の企画の中で私が一番覚えている、私が入社二年目の時の慰安旅行の宴会(出し物)のこと。


きっかけは兄貴のこんなひとことでした。

兄貴「おまえ、今年の慰安旅行でまたなんかやるんけ?」
私「ええ、まあなんかはやろうと思ってますけど」
兄貴「ほなパフィー(当時流行っていた)とかやれよ」
私「あ、はいわかりました。…え、てか、兄貴は何しはるんですか?」
兄貴「俺は今年は裏方や。まあ言うたらプロデューサーやなw」
私「なんすかそれwwwでもまあ、はいわかりました。ほなパフィーとかやります」

だがその時の私は、まだなんにもわかってなかった。
この「プロデューサー」が、まさかあれほどの悪ふざけをプロデュースする気でいるなんてなんにも知らず、

「そんなパフィーおらんやろwww」

みたいなこと(兄貴の考えたネタ)をなにかやらされるんだろうなw ぐらいの感じに、私は思っていたのです。


つづく。
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  1. 2011/06/23(木) 03:17:34|
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りっさん

Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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