どんつきを右に曲がって左のかどっこ

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私が兄貴を慕うわけ・2

さて、この 続きです。

そうして今年度のお楽しみステージで、私は「パフィーとか」をやることになった。

ちなみに、なんでかわからんがその年は「恒例の対抗戦」でなく「有志のステージ」とされ、
出場義務はないがそんなことは関係なく、私は「変わらず、出る」つもりだった。

話戻って。

だがその相方を探すにあたり、同期(相棒)のともはその頃、仕事をしながらまあまあ本気で趣味のバンド活動をしていたので
そっちのほうのスタジオ練習があったり、土日のたびに京都や大阪でライブをやったりと、なんや忙しくしとったんですね。
なので私は、当時週末しょっちゅう一緒に飲みに行っていた、同じ課の一個上の「まあきいさん」という先輩に声をかけた。

まあきいさん「え、パフィー?しかも兄貴さんプロデュースで?w…ようわからんけど、なんかおもしろそうやからやるわw」

と、そうしてひとつ返事で快諾してくれはったんで、まあきいさんと私による「パフィーとかやるコンビ」が結成し、
とりあえず、ほな「アジアの純真」でも歌って踊ろうかいな、ということと、
揃いの衣装(デビューの頃の)と、あの髪型のカツラを用意せんとあかんな、というところまで話が決まった。

余談だが、衣装揃えのほうはもう全然楽勝でした。
なんせ印刷もやってる会社だったんで、当時パフィーが着てた「水色の無地のTシャツ」を適当に二枚買ってきて、
製版課に協力してもらって自分らで胸元のプリント版(Paffy & co...だか何だか)を作り、課の上司にお願いして、
退勤後の作業室で即席の手刷りで印刷してもらった(←ちなみに、これを人に売ったら「偽造販売」という犯罪になる)。
あと、下はそれぞれ自前のジーパンでいけたんで、別段準備もいらなかったし。
問題は、あのロング・ソバージュのヅラ(ウイッグ)探しのほうでした。あれはほんまに難儀しました。
当時は今みたいにウイッグやエクステ(?)が一般的ではなく、休みのたびにせんどあちこち探し回ってもどこにも置いてなかった。

私「意外と おしゃれ洋品店 になら、それらしいものがあるかもしれないですね…」
まあきいさん「なにそれww」
私「ほら、ちょっと寂れた商店街の隅っことかにあるじゃないですか?客入ってんの一回も見たことない、豹柄の服着てるおばはんがやってるような店?ああいうとこにやったら逆にあるかもしれんな?と思って」
ま「あーなるほど、 おしゃれ洋品店 なwww」
私「ただ、あったとしてもロングソバージュのヅラがあるか?ってのが微妙ですけどね。それもう本気やん!っていう、 レディースアートネイチャ~ みたいなやつしかないかもやしww」

とか言いつつ「そういった店」にまで行き着くしたがそれでも見つからず、いわば「ヅラ難民」みたいな日々を過ごしていた。

そんなある日、誰か先輩やったか後輩やったかが「京都駅の近くの○○ビル(ファッションビル)で見かけた!」という情報をくれ、
もう大急ぎで次の休みにそのビルに駆けつけ、やっとそこでパフィー(亜美ちゃんと由美ちゃんっぽい)ウイッグを入手した。
おそらく、まあきいさんと私は延べ三ヶ月ぐらい、ヅラを求めて放浪していたと思う…。あ、仕事もしてましたよww


話戻って。


と、そうしてこちらはもう着々と「パフィーとか」の準備を進めているのに、
当のプロデューサー(兄貴)からは、もう一向に「稽古の呼び出し」も「演技指導の呼び出し」もなかったんですね。
よって、不審に思った私は「なんかボケましょか?w」と、こちらから兄貴にお伺いを立てたんです。
だが兄貴はそこで、もう到底「兄貴(笑いびと・笑いの神)らしからぬこと」を言ったんですよ。


「いや、おまえらはボケんでいい」
「おまえらはもう 普通~に、パフィーを歌って踊ってしたらいい」



私「普通に…。てか、え?おまえらは、って他に共演者がいるんですか!?」
兄貴「共演者というか、特別出演というか…」
私「なんなんすかw誰なんすかw聞いてないwww」


と、そこで初めて知らされた今回の全貌(兄貴プロデュース)とは。

君らが「パフィーとか」をやってる舞台の後ろを、社長と専務のお面を付けたやつが、なんかちょっと横切ります、と。
「この子ら何してんのかな~?パフィー?知らないなー?」みたいな感じで見ながら、社長と専務が横切って行きます、と。
客席が笑います。でも君らはそれに動じず「普通に」パフィーをやり続けます、と、今回のステージはそんな内容です、と。

私「えっと、色々聞きたいんですけど、まず社長と専務のお面っていうのはなに?w ないですやん?そんなん?」
兄貴「そやねんな~。ないねんな~…。 だからそれはもうコレから作ろうと思う」

と言いながら兄貴が取り出したのは、年に数回発行される我が社の「社内報(総務部広報刊行)」で、
兄貴が指さしていたのは、新春号の「新年の挨拶(社長・著)」に横に載っていたおよそ3センチ角の社長の顔写真だった。

兄貴「ここから拡大コピーしていって、でっかいお面を作ろうと思ってんねん。70センチ角ぐらいの」

私「ぜったい 怒られるって!!!www クビなるわクビwwwww」 


すると兄貴は、「だからや! だから、そこで、おまえらの力が必要なんやんけ!」と言った。
それがパフィー、つまり「若い女の子二人組メインのステージ上でのこと」でなら、それは「絶対に」怒られないはずだ、と。
おそらく昨年度の宴会で私とともがやった「パンチラダンスの優勝」を逆手にとって、その悪巧みを思いつかはったのでしょう。
なるほどな、そういうことか。 いやはや考えはったな、さすが兄貴……。


私「要するに、うちらは、 鵜飼いの鵜 なわけですね?鵜飼いの兄貴の笑いの  になれと?」
兄貴「君らは後ろで起きている出来事は何も気にしないで、前で歌ってたらいいからw」


私「ほんまに鬼畜やで このひとwwwww」 


もうそれは言葉のアヤでなく、この人はほんまに「笑いの鬼畜」やと思いました。笑いのためならなんでもしはる。
いや、「なんでもしはる」っていうか、「この笑いにクレームが来ない方法でのやり方」を、もうなんでも考えはる。
って、それもうほんまにプロデューサーやん! 悪いけど本家の「奥田民生」を越えたで、「コスさ(ズルさ)」ではwww


話進んで。


兄貴の作った「社長専務のバカでかいお面」の出来がもうあまりにもナイスなおかしさだったので、兄貴と私は爆笑しました。
それを被るともうたちまち誰もが、「社長と専務の顔で、四頭身」ですからね。
もう「Dr.スランプアラレちゃん」に出てきそうな「社長くんと専務くん」ですからね。「んちゃ!」ですよ、「んちゃ!」。
しかもアピールしまくりのそのでっかい顔(お面)は「イマドキ、白黒」だというその重ね重ねのミスマッチ・シュール。
って、もうそうなると、「チョイ役出演でこのクオリティはもったいないのではないか?」ということで(←さらなる悪ノリ開始)
兄貴は夜な夜なその「社長と専務のバカでかい白黒お面」を、なんとトータル10体(社長と専務のコンビで計5セット)も量産し、
当初は「アジアの純真」をパフィーとか、が歌って踊ってる中を社長と専務が通りすぎる、で終わる予定だったはずが、
二曲目「サーキットの娘 with 社長専務ダンサーズ」(←メインイベントwww)を、なんかやることになった。



その年の慰安旅行の「お楽しみステージ」は、史上初の「笑いのステージ」だったと思います。


入社一年目と二年目の女子社員が歌って踊るバックで、
スクールメイツ風のダンスをする「10人の社長と専務たち」。



中小企業といえど、当時150人ぐらい社員がいました。関西では、特に「その業界」では、かなり名だたる企業でした。
と、そんな会社を取り仕切るツートップ(でっかいお面)が、「はにかんだ調子でボックスを踏んで踊る♪」という異常事態。


「あいつらムチャクチャしよるwww」


とか、もうみんな口々にそんなん言いながら、腹かかえて、手叩いて、もう泣いて笑ってました。
私がステージ上から確認していた限り、笑ってないやつは一人もいませんでした。
社長専務本人も、そら「70センチ角の自分らの顔」には一瞬ビックリしはったけど、やっぱ笑ってはりました。
あれはもうほんま夢のような「笑いの祭典」でした。天才兄貴の「笑いの祭典」。

そして、兄貴(プロデューサー)が「おまえらが前面に立っている限り、大丈夫や」と言っていた通り、
その笑い(悪ふざけw)に対して、誰もなんのお咎めもなく誰もクビにもならず誰も左遷されなかった。
てかそれどころか、そのステージ後の集合写真が次号の「社内報」のトップに掲載されましたからね。
「ホンモノの社長専務を囲んでの、パフィーと でっかいお面の社長専務10体 の集合写真」が。

余談だが、
その写真を社内報のトップに掲載したのは、総務部の某係長(おとなしく真面目なイエスマン)だったのだが、
彼はそのステージの間中、まるでカメラ小僧のようにもう大喜びで「でっかいお面の社長と専務」の写真を撮りまくっていた。
自分には一生かかっても実現できないとんでもない「笑い」を見て、もう胸が踊ったんでしょう。それでいいんだよwww


話戻って。


その集合写真に、裏方の兄貴(プロデューサー)は載っていませんでした。
この壮大な企画を発案・構成し、キャスティングし、「社長と専務」にスクールメイツダンスの演出をつけたのも全部、兄貴なのに。

でも兄貴はそのことで何も言いませんでした。「あれは俺の手柄なんやで」みたいなことをもう一切言わなかった。
だからもしかしたら今でも、あの壮大なステージが「兄貴の仕業」だったことを知らない人もいるかもしれない。

と、そんな兄貴は、その社内報のトップページを見て爆笑していました。

「おもろかったな~!傑作やったな!」 



もうめちゃめちゃいい笑顔で。



そんな兄貴を見て私がひとつだけ思ったことは


「鵜飼いの鵜」でも なんでもいい。なんでもやる、逆に 「したい」。
この 笑いの天才・兄貴と ずっと一緒に 「笑い」をやっていたい。



私はその当時まだ若くて(ハタチぐらい)、正直自分が「パフォーマー」として前に前にも出たかったし、
自分がそれをしないと、前に出ていってやらないと、「自分の笑い」はできないもの、とも思っていたんですね。
でも、兄貴のその手腕を目の当たりにして、「こういうやり方(表現)もあるんやな…!」と思ったんですよね。

それから会社を辞めるまでの数年間、私はなんのかんのと表立ってやりましたけど、でも自分の中に、
「いつか私も兄貴みたいに、裏方(演出)がやりたい」という意識・思いが強く芽生えたのも事実で
会社を辞めてからの話にはなるが、脚本とかコントとか書き出したのも「あの時の影響」がかなりあると思う。


てなわけで。

兄貴と一緒にやった企画の中で一番覚えている、強く残っているのは、「あの出し物」のことなんですよね。
そして、だから、私は兄貴を「笑いの師匠」と慕い、私は兄貴を「兄貴」と、そう慕うのです。



もうほんま勝たれへんわ。そもそも追いつける気がしない。
だって、ぜったい 頭おかしいもん、あの人www






おまけ。


記事本編で、私は

「私がステージ上から確認していた限り、笑ってないやつは一人もいませんでした」

と書きましたが、実はその中に一人だけ「笑ってない人」がいました。



「専務のご子息」の某主任(当時20代後半)。



もうステージ上のこちらから見てわかるほどにめちゃめちゃ怒ってて、終始ごっつこちらを睨んではりました。

「俺の親父をバカにしやがって!」とでも言いたげに。


「(彼と同じ立場の)社長の息子」の某課長は、もう涙流して笑ってはったんやけどね。
「イジられてる張本人の」専務(彼のオトン)自体も、大爆笑してはったんやけどね。


と、そうして親子で同じ会社や同じ業界で親子で仕事をしていて、そうした「偉いさんである自分の親イジリ」が成された時、
それを怒るか、それを笑うか、の違いは、
まず始めに 「親離れが出来ているか?」 だと、私は思います。

オトンは俺のオトンやけどそれと同時に、っていうかもうどっちか言うと
オトンは偉いさん(イジれるもんならイジってもいい半ば公人)ということを解っているか?



そしてさらに、そこで「怒る」か、「笑う」か、の、もうひとつの違いは、
「自分が(内心)親をカッコ悪いと思っている」 か、「自分が親をほんまに凄いと思っている」 か。

「それを触れられたら痛い」と思っていることを「笑いのネタ」にされると、
人ってもう急激に怒りだすんですよ、例え「今の今」まで笑っていても。




「偉いさんの親」や、「社会的に凄い親」を持ってる子どもたち、よう聞いとけよ。

っていうか、「そうしたケース(凄い親イジリ)」でなくても、そうしたクレームはたまにあるんですけど。
例えば、「障害を笑いにすること」とかね、前にも書いたけど。逆に、笑えへん人の「軸」が、なんかおかしいんちゃうの。



話戻って。


私はそうしてもう明らかな不快感をあらわにしていた「専務のご子息」の某主任に謝る気はさらさらありませんでしたし、
それは今でもありません。何故なら、「あのネタについて、(専務の息子の)彼に謝る理由」がもう一切見当たらないので。

つーかむしろ逆に、

「自分一人だけ笑えなかったこと」 を おまえがオトン(専務)に謝れwww

と、私は今でもそう思っていますから(笑)



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  1. 2011/06/29(水) 00:59:08|
  2. 思い出のネタ(社会人編)

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りっさん

Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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