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「南三陸チーム」の青年に会った・その1

さて。

先日、次女(もも)の学童のお祭りがありました。
学童に通う子どもと先生方と保護者らが屋台やゲームをして地域の方に来てもらう、というお祭りです。
私は今年度、保護者会の本部役員なんでバザーの責任者をしていました。

え、なに? 「りっさん、また役員やってんの?ww」 って?

そうです、 また やってるんです。

離婚して秋に東京から京都に帰ってきたその翌春からもう早速、長女の小学校のPTA本部役員。
しかもなんとそれがまさかの二年任期だったんでその翌年もまた、長女の小学校のPTA本部役員。
やっと任期終わった~と思ったらその翌年、次女の保育園の保護者会の本部役員。
もうやっと終わった~と思ったらその翌年、町内の地域委員(小中学生の子どもの世話係)。
もうほんまにやっと終わった~と思ったら翌年、次女の学童の保護者会の本部役員。←今ココ。役員関係通算、五年目。

って、これだけ聞くと、「りっさんは、役員ダイスキ人間なんだな(笑)」と思われるかもしれないが、
この中で私が立候補したものは ひとつも ありません。
全て、「逃げる余地のない圧力」によるもの あるいは、「今年は休めると思ったのに、くじ運悪ス」 によるものです。
でもまあ「どうしても嫌」ではないですけどね。めんどくさいこともあるけど、なんだかんだで人と絡むのは好きなんで。
ちなみに今年のその本部には、偶然ですが、小学校のツレの妹と高校のツレの嫁はんがいます。
一昨年の次女の保護者会本部には偶然、下の弟の元カノがいたし、去年の地域委員の相棒はこれまた偶然、小学校の同窓生でした。
地元おそるべしww
つーか、京都の人間ってほんま、あんま外(県外)に出ないよな。まあ就職先もそれなりにあるしかもしれんが。

余談だが、今年の地蔵盆で町内会長から
「これは町内会長からのお願いなんやけどさ来年度りちさん中学校の役員を持ってくれへんか?さ来年うちが地区ブロック長に当たるんや」
と言われた。


なにその またしても 「逃げる余地のない圧力」。
「これは町内会長からの~」 とか、そうした 「枕コトバ」。 




てなわけで、さて、今日の本題。


そのお祭りが夕方に終わって撤収してから、私と娘らは下の弟の家に泊まりで飲みに行きました。
私の合格祝いと転職祝い&私が勤め先を変わったら土日祝は基本的に出勤になるので(昼過ぎまでやけど)「週末泊まり」が難しくなることから、
同じ市内に住んでいながらちょっと距離があるのでなかなか会えない弟ら夫婦が「ほんま一回、泊まりでゆっくり遊びに来ぃや」と言ってくれて。
あと、近所に住んでる弟嫁の双子の姉一家も来てたんで、大人五人・子ども五人で「遊び(大人は飲み)」ました。
上の弟一家も来れたら良かったんですが、こいつもこいつで土日出勤の平日休みなんで都合がつかなかった。
お互いが自分の道を歩み出すと、「きょうだい」って、近くにいても、まあまあなかなか会えへんなるね。


話進んで。


そしてその翌日、私は「とある青年」をそこに巻き込みまして、昼間からちょっと飲みました。
その青年は普段東京に住んでるやつなんですが、用があって関西に来るって言うから「ほなおまえも来ぃや!w」ってな「いつもの感じ」で。

彼とは「ツイッターで相互フォローし合っているツイッター仲間」なんですが、「+まあまあ濃い繋がり」があるんですよ。
「違う場所にいても同じ目標を目指している、その同志」 っていう。

そのとある青年こと「大くん」と知り合うことになったのには、そのキーパーソンとなる「ある人」の存在が先にありました。
それは、「峯岸さん」という人で、その人のことも私はツイッターで知りました。もうほんまに「たまたま」ですが。



あれは東日本大震災が起きた二週間後ぐらいのことだったと思う。



東京千葉埼玉茨城横浜に従兄弟やツレがおる私はあの震災直後、それまで登録したもののなんやようわからんで放置してたツイッターをよく見てました。
テレビでは流れない(報道が被害の甚大な東北地方中心なんで)関東地方の被災状況も知りたかったんで、情報が欲しかったんですよ。
それまではリアルツレと好きな作家・芸人さんしかフォローしてなかったが、情報を出してくれる現地の(知らない)人を積極的にフォローして。

と、そうしてたら、どこで何がきっかけで目に止まったのかはもう思い出せないが、なんか横浜の青年(?)が
「もうじっとしてられないから、俺は被災地に行く!」って言ってるのを見かけて、
(えっ。ていうか横浜もあちこち被害あるんとちゃうの?)とか思いながら、直感的に私はその青年をその場でフォローしたんですね。
「この人はきっと、なんかある。なんか持ってる」って、思って。

と、それが、私がその横浜の青年=「峯岸さん」=後に「大くん」及び「南三陸チーム」と私を引き合わせた人、を知ることになったきっかけで。

当時、首都圏のあの「買いだめ買い占め騒動」よろしく、関西でも「プチ騒動」が起こってたんで、うちの店はドッタバタになっていて、
私は情報を得るだけでなく「私のやれるやり方」で、買いだめ買い占めお控えくださいプロモーションを自分のスペースでやっていた。
まあ、「私のやれるやり方」って「笑い」しかないんですけどww
そして、いいネタに恵まれて(ネタの全てが店で起きたことっていうオールドキュメントだったんで)さらにそれをおもしろく書けた時は、
フォロワーの多い作家さんに頼んで「そのネタ」を拡散してもらったりした。(バスコさん、内村宏幸さん、その節はありがとうございました)


と、こっちはこっちでそうこうしているうちにナント、それまで仕事休みに「通い」でボランティアをしていた峯岸さんが
「仕事辞めて、横浜から南三陸歌津に移り住む!俺はここでこの歌津で生きていく!」って言い出したんですよ。


峯岸さん、キタコレ。


っていうか、「歌津」 ってドコらへんです?



東北地方行ったことない京都人の私にしたら、南三陸っていうたら「わかめ」ぐらいの知識ぐらいしかないですし、
さらにその中の「歌津」とか地区名で聞いても、そこが「地図のいったいどの辺」なのか全く検討がつかなかった。
よって「知る」と、そこは津波の被害が著しく大きかった地域だった。

峯岸さんがそれまで何の仕事をしてたのか知らないが、「歌津で風呂屋をやる」と言って峯岸さんはそれに尽力していたので
「ああ、峯岸さんは設備屋さん(ボイラー技師=職人さん)なんだ。さすが熱いな」と私は思って、彼のその活動とビジョンをずっと見守っていたんだが、
だんだん、「ただ見守っているだけ」ではもう足らず、いつしか、峯岸さんに「コメント(リプライ)」を寄稿するようになり、
「辞めた会社から(? 経由で?←この辺もまたよく覚えてない)機材を調達できそうです」などの経過ツイートについて、いちいち
「良かったですね!!頑張ってくださいねずっと見守っていますから!」などというかなり気持ちの悪いエールを私は送り続け、
だがそれに対して峯岸さんはなにも気持ち悪がることなく
「いつも見守っていてくださってありがとうございます!今、自分に出来ることを精一杯頑張ります!」
とかいう、もうとてつもなく爽やかで清々しいコトバを返してくれていた。


王子様、キタコレ。



っていうか、「峯岸さんファンクラブ」 開設の、これは勢いです?



続く。



おまけ。


峯岸さんが歌津に移り住んで「お風呂屋さん(無料提供)」をほんまにやりだしてからよくよく聞いて知ったんだが、
峯岸さんの元職は「設備屋さん(職人)」ではなく、「ボイラー機材を販売するメーカーさん」だったそうで、
私はそれを知ってさらに

もうどこまで熱いねんアンタ!ww
逆に 「その情熱で風呂湧かせる」 ぐらい、なんか熱いわww


と思ったのだった。
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  1. 2011/11/14(月) 02:19:13|
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Author:りっさん

京都に生まれ京都で育ち、          放浪の末、京都に舞い戻った女

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