前にもこのテーマでちょっと書きましたね。
てか「笑いについて」って広すぎて難しいんですけどね、しかも正解って無いし。
なので単純に「思うこと」をつらつらと。
私は職業芸人ではないので、
例えば舞台なんかで演者として笑いをやるとかそういう機会はないんですけど、
いわゆる笑いを職業とする人ではない一般の人でも、
なんか人を笑わせたり、ちょっとボケたりする場面は多々あると思う。
学校や職場、また、ツレとしゃべってる時、人が集まるお茶会・飲み会、とかね。
よく「関西人が二人いるとそれだけで漫才になる」とか聞きますが
あれはなんででしょうね。
吉本新喜劇を見て育った影響でしょうか。
ボケる→(回し役が)ツッコむ。
あるいは、ボケる→(周りが)コケる。
またあるいは、ボケる→誰かが乗っかる(さらにボケる)→まとめてツッコまれる。
っていうか、関西という土地柄よりも、
「それ(ボケ・発想)をイメージとして描けるかどうか」がキーかもしれんなと思います。
関西人でもボケもツッコみもせんとボーッとしてるやつ、なんぼでもいますから。
以前、東京に住んでた時にあーちゃんが遊びに来て、
その時に同じマンションのツレらも呼んでみんなで飲んだんですが
私とあーちゃんがいつもの調子でしゃべってたら、大笑いしてた東京のツレらが
「その会話はネタ合わせでもしてあるの?」と聞いた。
ようそんな瞬時にボケたりツッコんだりできるねと。
してるかwww
つーか、さっきからずっとここにいてるがな。いつネタ合わせすんねんてw
なんで瞬時にそういうやりとりができるかというと、それは関西人だからではなく
単に、あーちゃんが言うありえないこと(ボケ)がイメージとして描けるからです。
瞬速で頭にそのありえないことを一旦描いて、
「いや、それは(常識的に)ないって」→「なんでやねん」となるわけです。
誰かが言うたおもろいことを笑う時、
みんな無意識にその作業を頭の中でやっているはずなのだ。
こないだ書いたねずっきーの話なんかでもそうですけど、
そもそも、
「ミッ○ーマウスにそっくりなニセモノのねずっきーというキャラクターがいる、とする」
ということが、鮮明なイメージとして描けないと、
もうあの話は何を言うてるんかすらわからないと思う。
そしてさらに、
「そんなことありえない」とわかって言っている・聞いているからこそボケになるわけで、
「ミッキー○ウスのニセモノがいてなんでダメなの?」
という発想を持った人には逆に笑えないだろう。
子どもなんかそうですね。
頭が柔軟すぎるというか、まだ自分の中の「一般常識・タブー」が少ないですから、
何言うても「ああ、そういうこともあるんだ」と思いますから。
まさにボケ殺しですね。怖ろしいやつらです。
子ども笑わせるのは苦手ですね。
私の天才的なボケに気付いてくれませんからね。
さらに、へたしたら天然でわけのわからんことをボケ返してきますから。
他に第三者がいたらそれも笑いとして成立(?ちょっとちゃうけど)するけど
誰もおらんでその子どもと二人の時にそれやられたら家帰りたくなりますね。
笑わせるなら大人がいいよ、大人が。
話は戻りますが、
相手がボケた時にツッコむには、相手がボケてることにまず気付かないといけない。
つまり、
共通の「イメージ」が描けることと、
共通の「常識軸」みたいなものがないとダメなわけですね。
その「常識」から外れたおかしなことを言うから「なんでやねん!」となるわけです。
これどこかで書いたかもしれませんけど
笑いをやる人というのは常識人だと思います。
常識人って言うたらなんか堅苦しいけど、そう「普通の人」。
この「普通」もどこからどこまでを普通というのかがまた難しいんですが、
元から「なんか違う」やつは、
何が真っ当で何が脱線してるのかがわかりませんから、ボケれない。
っていうか、ボケてんのかマジで言うてんのかわからない。
普通の人が笑いによって「変人」をやるからおもしろいんですね。
そしてさらに言うなら、その場にいる全員が同じイメージを描くことができたら
「ツッコみ」はいらなくなると思います。
誰かのボケに対して、各自が「なんやその発想!」と頭の中でツッコめたら
「なんでやねん!」(あなたはおかしいことを言っていますよ)
と言う役割がいなくても、笑いは起きる。
私も三十路を越えたので、
いずれ行き着く先であろう年配の人のことをあまり言いたくないんですが
(そのわりにビッグママのことさんざん書いてるがw)
おっちゃんとかボケてることに気付いてくれへん人多いですし、
ただ、子どもの場合のそれと違うのは、やっぱ「すぐにイメージできないから」やと思います。
常識的に云々、っていうのは、考えたら絶対わからはると思いますから。
だから、「今、ボケましたよ!はい、ここ、笑うとこですよ!」
っていう役割(ツッコミ)が必要なんでしょうね。
私としては、コンビでやるならツッコミ無しでボケ倒すほうが笑いとしては好きです。
ありえへんことでネタくるとか、もう延々やれるじゃないですか。
白紙の紙に絵描くのと一緒で、なんでも言うたもん勝ちですから。
ただ、大勢で、それこそ飲み会とかで「隙あらば全員がボケてくる」場合は
やっぱシメ役というか、ツッコミがおらんかったらキリないですね。
それもあえて誰、とかじゃなくて自然と持ち回りになったりね。
そして頻繁に同じやつと絡んでいると、次第に笑いのツボが似てくる。
これはどっちが影響を与えた、とかじゃなく(それもままあるけど)
恐らく、訓練によってお互いの描くイメージが統一されてくるんやと思います。
「笑い」は好きですね。
アホなことばっかり言うて生きていけたらいいなあと思います。
なんかまだ書き足りない気がするので、一旦切ってもうちょっと書こうか。
- 2007/08/27(月) 15:03:15|
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ステロイドのドーピング効果が切れつつあり、
夜寝れへん&朝起きれへん状態に戻りつつあるりっさんです。
夜分にこんばんは。
今、一日10mg(2錠)まで減りましたわ。
でもこないだの受診で減量に待ったがかかった。
一回、検査するって。今月半ばに。
検査。
あれやんか、ほれ、
大腸ファイバー。
またか…。またアレか…。尻カメラ。
もうお嫁に行けない。
(一回Uターンしといて、まだ行くつもりですか)
こないだ先生としゃべってて、
なんで検査があんな異常に苦しいのかという話になって、
今までの私の病歴などを色々話してたら、
もしかしたら私は腸が癒着してるんかもしれんと。
以前どんつきにも書いたけど、
昔、開腹手術をしたので、もしかしたらそう(癒着してるん)かもと。
癒着か…。
あ、よりかね。覚えんでええからな、「癒着」。
君は市長と名前かぶってるという名誉を背負って生きてるんですから
発言には十分、気をつけるように。
そうそう、よりかねが記事を書きましたね。
ちょっと笑いました。
でも、まだまだやな。
てか、ぶっちゃけ私の記事をコピーして転載しただけに等しい。
よりかね、あれはあかんで。
いや、資料とか参考文献として載せるとか、
それを元になんか自分でネタ組むとかやったらええんですよ。
こないだ、私が書いた「結婚しよか」の詩(詩?)を
真一くんやカンスケくんがイジって、自分のブログに作品を書いてました。
あんなんやったらアリなんですよ。おもろかった。
そこには、創造性と生産性がある。
でもな、よりかね。
ほぼ、そのまんまコピって「そうなんだって!」ってあれはない。
おまえは何も生み出してないやないか。
もしそれで「よりかねおもしろい!」ってなっても勘違いするなよ。
それはおまえがおもろいん違って、元記事書いた私がおもしろいのだ。
おまえはそれを紹介しただけに過ぎない。
だからな、もっと頑張れ。
もう一回だけチャンスをやる。
あ、「癒着」は覚えんでいいからな。
さて、今回は距離の話です。
一口に距離と言っても、精神的な距離もあるし、物理的な距離もある。
今日は物理的な距離の話。
例えば、皆さん、恋人の近くにいたいと思いますか。
まあ思うよな。
では、それはどこまで?
目が見つめ合う影が重なる手が触れ合う肩が触れ合う髪が絡まる肌が密着?
いや、これはわかりづらい。
えーと、そうですね、生活空間でいこか。
同棲・同居は今回はぶきます。それをもう逆に距離ゼロとする。
そうした場合、どこまで近くに暮らしていたいですか。
会社や学校に近い場所で、とかはこの際抜きで。
マンションの隣同士とか?
同じ建物の上下の階とか?
二件隣ぐらい?
同じ町内?
大通り挟んだあっちとこっち?
雨の日に歩いてでも行ける距離?
車で10分以内?
電車で駅ひとつぶん?
同じ市内?
同じ県内?
私の場合は、
「部屋の電気ついてるかついてないか、わからない距離」
を希望します。
これ、結構重要ですよ、思いませんか。
例えば、なんか電話してて喧嘩した時とか、
「もうええわ!一生そんなん言うてろボケ!」
とかなんか言うて(言われて)電話を切ったとする。
あーもうむしゃくしゃするわ〜〜〜〜なんやねんあいつ、
とか思いながら、彼氏、憂さ晴らしに酒でも飲もうとコンビニに買いもん行く。
その道中、彼女の家が通りすがりにあったら。
しかも。 部屋の電気消えてたら。
「えええっ!もう寝てるし!!!さっきまで喧嘩してたのにもうおやすみ???」
みたいなことになるじゃないですか。
またその逆で、彼女。
いや、電気消えてたんは寝たんちゃうかってん。実はな。
さっきは言い過ぎたな〜って思って、
彼氏とこにもう早速謝りに行こうとしてた。
ところがどっこい、彼氏、コンビニ行ってもうた。
そんなん知らん彼女、彼氏の家に向かう。
彼氏の家、電気消えてる。
「えええっ!出かけてるし!!!さっきまで喧嘩してたのにもうお出かけ???」
みたいなことになるじゃないですか。
だからって、携帯に電話して
「もう寝た?」とか、
「どこか出かけてんの?」とか、
相手の状況を確認することほど無様なことはない。
喧嘩の直後なら、なおさら。
しかも、部屋の電気ついてないこと確認した上でそんなん、かっこ悪いでぇ〜。
電気ついてるかどうか、ちょっと行ったらわかる距離は厳しいですね。
これは喧嘩した時だけに限らへんけど。
これに似た事例で言えば、
主に若い子とかの恋人への文句で、よう聞きますが、
「私にはメールくれへんくせに、ブログの更新してる」とかね。
ええがな。
そういう気分の時もあるがな。
この手の文句を、恋する年配の人から聞かないのはズバリ、
機械に疎いからか、メールとかブログとかそんな見てない・やってないから?かな?
それか、「それはそれ」と思える余裕があるからか。
色々便利すぎると、あんまりいいことないですね。私はそう思う。
便利を「便利」に使いこなせずに、便利に振り回されてしまうんちゃうかな、って。
ちょっとややこしいですけど。
だから、なんやちょっと不便なぐらいがちょうどいいのかもしれません。
だからって、携帯持ってなかったような時代にはもう戻れへんのかもしれんけど。
まただんだん脱線してきましたが、要するに、
相手のことがなんでも手に取るようにわかる距離、とかって、
それが逆に外れた時に変な諍い・疑いになったりするんちゃうかなあって。
ようわからんとこもあったほうがいいですね。と思います。
それって、いい距離やなあって。
これは恋人に限らないのかもしれないですけど。
精神的な距離と物理的な距離がかみ合ってないことが、
何より、問題を巻き起こす原因なんかもしれんけど。
「りっさん、なんかあったん?」とか深読みせんといてや。なんもありませんからw
- 2007/07/06(金) 02:35:46|
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お笑い洗隊後編を書くにはだいぶパワーがいるので、ちょっとブレイク。
このところ、私宛に届く小包とか郵便物を見ていて、娘が言うた。
娘「ママって凄いなー」
私「なんで?」
娘「だって、ママの友達って凄い人ばっかりやん!」
私「(凄い人?ああ、うん、凄いが…)それでなんでママが凄いの?」
娘「だって、凄い友達ばっかりやから!」
私「それは、ママが凄いとは言わん。凄いのは友達本人や」
娘「でも友達なんやろ?」
私「友達やで。でもぶっちゃけ話わからん時あるで」
娘「なんで?」
私「なんで、って、ママが話についていけてないから」
娘「そうなん?」
私「うん」
娘「…ママって、凄くないな」
私「……。」
そうですよ、ママは全然凄くないのです。
娘「私も凄い人と友達になりたい!」
私「そうか〜。うん、頑張れ」
娘「どうやったらなれる?」
私「わからんけど、勉強するとか」
娘「勉強か〜。ママもした?」
私「ごめん、してない。ほな、えーっと、パーティとか行く」
娘「パーティ行きたい〜!ママも行った?」
私「いや、特に行ってない」
娘「じゃあどうしたらいいん!?」
私「えっと、えっと、なんか元気に挨拶するとか」
娘「…もういい」
結構マジメに答えたんやけど。
つーか、娘よ。
私は「凄い人」やから友達になったわけじゃなくて、
そら、「凄いな」と思うけど、
ともだちっていうのはそういうもんじゃないねん。
そら、「凄いな」って思うとこがあるからともだちなんやけど、
でも、
そのともだちの、社会的な評価での「凄いな」の部分と
ママが思う「凄いな」の部分はちょっと違ったりとかもするねん。
でも、今はその話はしませんでした。
いつかあなたが大人になったら、なんかわかるよ。
今、漠然とした淡い希望とかで
「凄い人と友達になりたい!」って思うことが、
なんか自分への励みとか向上心に繋がるものなら、
それもまあいいか、とか思って。
- 2007/03/14(水) 00:16:45|
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さっきコンビニにビール買いに行ったら、
店の前でしゃがんでタバコ吸うてる若い兄ちゃん二人組が、
歩き来る私がその店内に入るまでをずっと追って見ているので
かなり自意識過剰に反応して変な歩き方になってしまった。
「だめよ。私には夫も子ども(…いや夫は別れていませんけど)子どもがいるの…!」
ビールと豆腐を買ってレジに持って行ったら、
さっき外でタバコ吸うてた兄ちゃんらが、店の制服(上っ張り)羽織って
「いらっしゃいませー」 って言うてた。普通に。
店員やったんかい!そら、客(私)が入ってくるん、ずっと見るわ!!!
もうな、あのな、君らはややこしいことをすな。
職務中の休憩・喫煙は奥のスタッフルームでせえ!
…何?昨今の禁煙強化でスタッフルームが「絶煙」になった?
ほんならバイト中の何時間かぐらいタバコ我慢しろ!!!
いや、偉そうなことは言えませんけど。
私もヘビースモーカーなんで。
胃カメラの検査当日の朝でも、
「一本ぐらいええやろ。胃と肺は関係ないはず」
とか言うてタバコ吸うてるやつなんで。
…いつからだろう。
「肩をトントン」とか、「ほっぺた、ツン」とかで声をかけられなくなったのは。
昨今、声をかけてくるやつは、
そのほとんどが何かパンフレット的なものを持ってるやつらばかりだ。
さて。
先日立ち上げた創作コラボレーションサイト「風まかせ」
皆様、せめて一度ぐらいはお運び頂けたでしょうか。
モノ創りを始めるとそっち重視になってしまって、
どんつき〜あんまり更新しない風な感じになってしまうかもしれませんが
てか、そうなりつつあるが。
だめなんですよ、ホンマ。
何か創る・作る、に夢中になって、かつてどれだけ恋を失ってきたか。
もうなんかホンマ、一個ずつしか出来ないんですね、多分。
忘れてるわけではないけれど、みたいな。
さてさて、今日は「コラボ」について。
「風まかせ」では、何しかの作品がすでに上がっていて、
その作品から湧いたイマジネーションで、自分の作品をコラボっていく、
という形式を主として創作活動を展開しています。
例えば、
先に詩が出来ていて、その詩から描いたフォト・アートを撮る・描くとか、
先に画(フォト・アート)が出来ていて、そこに詩を乗せるとか。
更には、曲の放つ世界とイメージをテーマに小説を書くとか。
投げっぱなしのダジャレにイラストをつけて視覚からもその効果を上げるとか。
本来なら、コラボ作品が完全に仕上がってから初めてアップするんでしょうけど
「風まかせ」では、
「コラボ待ち」状態にも関わらず、作品出来上がり次第で随時アップしています。
これって、かなり冒険です、実は。
先行で上がってる表現や世界観を後攻が潰すかもしれないし、
また、先行の世界を後攻がより一層広げて食っていくかもしれないし。
その一部始終を、全部見せている。
かつて、「風まかせ」の前身であるとも言える創作サイトをやっていました。
「風まかせ」のカラーとはもう全然違うけど、
でも、コラボの形式は同じように進めていました。
そのことで、叩かれたこともありました。
「これはコラボレート(共同制作)ではない」と。
コラボというものは、その企画・プロット段階から綿密に打ち合わせて
その言葉通り、ゼロから「共同で制作」をしていくものだと。
ふ〜ん。 って思った。
いや、わかるけど、そうなんやけど、そうなんやろけど、「ふ〜ん」って。
まあそんなん言われたらちょっと腹も立つんで、
ゼロから(打ち合わせして)「共同で制作」した作品も上げてやりましたけど。
てか、あの、「ええやん」 みたいな。
作品に感化されて、そのモノを深化させていくことが楽しくて、
それは時として「先行の発信意図」と変わることもあるけど、
それはその作品がある種の一人立ちをしたということでもあって、
っていうか、
何かの作品に触れるとき、観る人は自分に当てはめたり置き換えたりして
自分なりの共感とか深化とかさせながら観て、何かを感じていくのと同じ。
「せーの、ドン!」でやることが必ずしも「共同制作」ではないと
私はそんなふうにも思うわけですよ。
歌でも「詞先行」と「曲先行」ってあるし、本なら「文筆」と「挿し絵」とかね。
「せーの、ドン!」でやった「共同制作」も楽しかったしやり甲斐あって燃えたけど、
なんちゅうか、
モノを創ることに枠とか決まりとかなくていいんちゃうかな、って。
やべえ語ってしまった。
これを読んだうちの相棒がニヤニヤしてそうで、ちょっといやだw
- 2007/03/09(金) 01:17:14|
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どんつき〜の更新が止まるたびに私の安否を心配してくれるツレよ、
大丈夫です、全然生きてます。
最近オトンの記事がないことでオトンの安否を心配してくれたツレよ、
大丈夫です、相変わらず「オトン節」炸裂してます。
私の将来について心配してくれるツレよ、
それだけはもう、多いに心配してください。 ねえ?ホンマ…。
書きたいネタはあるんですけど、書けないんですよ。
なんやかんや忙しかって、また頭がボーンってなってたんです。
今もまだちょっとなってるけど。
こないだの連休で、オカンの七回忌をしました。
うちの親戚(特に母方)の法事はもう毎回宴会です。
爺ちゃん婆ちゃんもオカンもみんな、しめっぽいのが嫌いやったんですよ。
だからもう、宴会。飲む、はしゃぐ、騒ぐ。
二次会でカラオケとか行きますからね。
みんなだいぶ知ってるように、オカンの命日は私の27才の誕生日だ。
しかも、オトンからその第一報を聞いたのは、折しも私が産まれた時刻。
朝、8時すぎ。オトンから電話で
「お母さんが救急車で運ばれた。多分もう、お母さん、あかん」 って。
タク呼んで、当時2才なったばかりやった上の娘つれて病院に向かう間、
「これはドッキリや。私の誕生日にオカンが死ぬわけない」
って、自分に言い聞かせてた。
病院に着いたら、処置室のベッドでオカンが寝てた。
私は、その場に膝から崩れて、泣き叫んだ。
止めるオトンの手を振りほどいて、ベッドの上に上がって、
オカンの体揺り起こして、心肺蘇生法をがむしゃらにした。
もう、とうに冷たくなってるオカンの体に乗って。
「私がいつか月9書くん、見たいって言うてたやんかー!!」って。
「私のホン、まだ一個もテレビに出てへんねんで!オカン起きろ!!」って。
だいぶ経って、泣いて狂った私がちょっと正気を取り戻してから、
やっと目の前の現実をそれとして見れるようになってから、
先生が静かにオカンの腕を取って、オカンの死亡確認をしてくれた。
何年経っても、一生、あの時の先生のご配慮は忘れません。
葬式の時、最後に火葬場で、あの重い扉が閉まる時、
私はオカンの棺に「産んでくれてありがとう」と叫んだらしく、
それは自分でも全然なんとなくしか覚えてないんやけど、
とにかく最後に何を伝えたいかと考えて出た言葉がそれやって、
それは今だに、オカンの法事のたびに親戚中の語り草になっていて。
その話が出るたびに、私はなんかもう照れくさいような何やで、
トイレに逃げたり、煙草買いに出たりするんやけど、
今回またその話になった時、新米パパになった二人の弟らが
「お姉があの時言うた言葉の深さがようやくわかった」
「陣痛に耐える嫁の顔見てたら、オカンが俺を産んでくれた時に思いを馳せた」
とか何とかぬかしよって、おっちゃんおばちゃんらもう号泣して、
「やんちゃ娘と泣き虫坊主とイタズラ小僧が、ようここまで育った」とか言われて
なんか、逃げるに逃げれんかった。
まあ、せんど泣いた後、また騒いで、恒例のカラオケも行ったんやけどね。
そうやないとあかん、うちの法事は。
自分の誕生日がオカンの命日になったことを消化するまで、わりと時間かかったけど、
なんとなく、オカンは私を二回産んでくれたんや、という解釈に至った。
オカンおらんなってからが、私のリ・スタートなんやと。
実際、子育ての面ではもうかなりしんどなったし、
関東引越しで知らん土地行くことになって、さらに往生したし、
でも、オカンおらんなってから、私はちょっと強くなったように思う。
ほんで、ツレらもまた
「りっちゃんに、誕生日おめでとうって言うてええんかな?」
みたいな気遣いをしてくれた時期があって。
オカンが亡くなってからしばらく、私は誰からも
「誕生日おめでとう」と言われなくなった歳月があって。
また、その事情を知らない知人・友人から
「誕生日おめでとう」って言われて、なんか上手く笑えなかったりして。
なんかほんま悪いな〜って思ったりして。
みんな、ありがとう。 あなたもきみも、どいつもこいつも。
もうすぐまた、誕生日がきます。
ゾロ目の33才。 リ・スタートから、6才。
オカン、私は生きてますよ。
あ、ごめん。
ちょっと、うん、離婚とかしたけどな。笑
- 2007/02/16(金) 00:03:41|
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